1-6
「ねぇ、早く選んでよ!」
「急かさないでよー!決められないじゃん!」
花を選んでいる少女を、付き添いできたのだろう彼女の友人か急かしていた。友人の方は早い所この不気味な<魔女の花屋>から立ち去りたい様子だった。一方、花を選ぶ少女もどこか怖がっているようだが、花を見ようと店内に足を踏み入れる。そこには様々な種類の色とりどりの花が佇んでいた。花のことなどさっぱりわからないその少女はそこで思わず立ち止まってしまう。普通の花屋ならここで店員にアドバイスももらうところだが、ここにいるのは<魔女>だけだ。やはり街の花屋で買うしかないか、と少女は思った。
「どんな花探してるの?」
突然声をかけられて、二人の少女は同時に飛び跳ねそうになるくらい驚く。が、二人が声の主を見た途端、その頬はピンク色に染まっていった。優しげな笑顔を浮かべて近づいてきたのが、この街では滅多に見かけないような美丈夫だったからだ。惚けている少女二人に青年はさらに優しく問いかける。
「迷ってるならアドバイスするけど?」
「あ、あの、病気のおばあちゃんに花を持って行きたくて……」
「見舞いか。それなら、」
我に返って答えた少女に、青年は注文に相応しい花を探そうと店内を見渡し始める。青年が少女たちから少し距離をとると、友人の少女が花を買いにきた少女の肩を勢い良く揺らした。そして懸命に潜めた声で興奮冷めやらぬ調子でいう。
「誰!?あの人!?めちゃくちゃかっこいいじゃん!!」
「し、知らない。そんな人がいるなんて私聞いたことないけど……。それにしてもかっこいいよね」
潜めていた少女たちの声は、美青年ことカケルにバッチリ聞こえていた。少女たちの賞賛に気分を良くしながらカケルは花を選ぶ。ある程度花が集まったところで少女たちの方を振り返ると、気になるセリフが聞こえてきた。
「もしかして<魔女>の手下かな?」
「魔女?」
カケルがその単語を口にすると、やっと聞かれていたのに気付いたのか、少女たちはまた驚いたように肩を震わせた。そして慌てて繕うように言う。
「あ、いえ!なんでもないんです!」
「ふーん」
カケルはまた例の反応を見せる。次の瞬間、彼は今まで一番の笑顔を少女たちに向けた。その笑顔に少女たちの心臓は鷲掴みされたかのように大きく高鳴り、湯気が出るのではと疑いたくなるほど、顔を真っ赤にする。幼気な少女たちに、カケルの悪意に満ちた笑みから逃れる術はなかった。
「はい、<魔女>さん。お見舞い用の花束だってさ」
「……」
カケルが楽しそうに笑いながら<魔女>の単語を強調したことは、気付かぬふりをして流して、差し出された花をフィオナは無言で受け取った。カケルが持ってきたのは黄色いトルコキキョウとピンク色のライラックだった。見栄えもよく、季節感もあるその花はお見舞いに相応しい組み合わせだ。そういえば先ほど『花が好きだ』と言っていたような気がするが、てっきり適当なことを言っていると思って聞き流していたことをフィオナは思い出す。偶然だろうか、と思いながらフィオナはカケルの持ってきた二つの花にかすみ草を加えて、花束を作り始めた。
「<魔女の花屋>って呼ばれてるんだって?この店」
「そうみたいですね」
問いかけてきたカケルに、フィオナは素っ気ない返事をする。なぜカケルがそのことを知っているのかとは疑問に思わなかった。遠目にカケルがあの無駄にキラキラしていて、実は悪意に満ちた笑顔を少女たちに見せるのがわかっていた。どうせ少女たちを脅して聞き出したのだろうというフィオナの予想は完全に当たっていた。
「<魔女>ってフィオナのこと?」
「そうみたいですね」
素っ気ないフィオナの返答にもかかわらず、カケルは重ねて尋ねる。フィオナは同じ調子で返答する。
「ふーん」
カケルが、例の反応をした。咄嗟に危険を察したフィオナはリボンを結んでいた手を限界まで最速で動かして、完成した花束をカケルに突き出す。
「できました」
「おぉ」
フィオナが差し出した花を笑顔で受け取って、カケルは客のところに戻った。カケルが自分が離れていくのを見ながら、フィオナはがっくりと肩を落とした。
「……疲れる」
そのまましばらく脱力していたい気持ちはあったが、カケルがどんな行動をとるか心配なので、フィオナは渋々視線をカケルの方にやった。フィオナからはカケルの背中しか見えていなかったが、花束を受け取る少女たちの顔を見ればカケルがどんな顔をしているのかだいたいの想像はついた。カケルのあの笑顔を見て何故嬉しそうな顔ができるのか、フィオナには、さっぱり、コレッポチも、一ミクロンたりとも理解できなかったが。
「なんかチップまでもらっちまった」
「よかったですね」
ご機嫌な様子で戻ってきたカケルはコインを宙に放りながらそういった。ひとまず大事は起こらなかったことに、フィオナは安堵する。
「それより、なんで<魔女>?朝見た黒猫のせい?真っ黒なその服装のせい?」
フィオナに花束の代金を渡したカケルは、まだ先ほどの質問を諦めていなかったのか、首を傾げて尋ねた。その問いに、フィオナは先ほどとは違う反応を返す。
カケルの言葉が全くの疑いなく、フィオナを魔女ではないと断定するものだったからだ。
「私が魔女じゃないってわかるんですか」
「そりゃ、全然魔力感じないし」
当然だ、と大したこともなさそうにカケルは言う。が、魔法や魔力というものに縁がない凡人のフィオナは驚く。カケルが言うことが本当なら、もしこの街に一人でも魔法使いがいたなら、あっとう間に自分はただの人間だとばれてしまっていたというわけだ。そうなれば、この店は今ほどお客も足を運ばず利益も出ていなかったかもしれない。そう思うと自分は運が良かったのかもしれない、とフィオナは感じた。
「全然魔力を感じなかったら、昨日フィオナが言ってたことも信じたんだよ」
「なんで私だけ記憶を無くさなかったことについてですか?」
「そうそう。この星についたばっかだったし、俺の魔力の練りが甘かっただろうな。あの時は周りにそこそこ人数もいたし」
昨日、フィオナが正直に『わからない』と告げた後、カケルは『ふーん』とだけ返したが、その間にそんなことを考えていたようだ。その事実に、やはりカケルの『ふーん』反応は要注意だとフィオナは再認識する。と同時に、ある疑問が浮かんできた。
「あの、今思ったんですけど」
「ん?」
「私があなたのことを覚えていて不都合なら、今からでも私の記憶を消せばいいんじゃないですか?」
突然浮かび上がってきた疑問は、フィオナにとって不都合を一気に改善できる特効薬のような策だった。フィオナがカケルのことを忘れれば、カケルにとってフィオナはなんの不安要素でもなくなり見張る必要なんて無くなるし、フィオナは店を質に取られることもない。何故昨日気付かなかったんだと自分を叱りつけながら、フィオナは珍しく希望の色を浮かべた双眸でカケルを凝視する。
「却下」
「……」
思いやりという言葉の欠片も見当たらないほど、鋭い切れ味の言葉でフィオナの希望は一刀両断された。がっくりと肩を落としたフィオナは、珍しく根拠のない淡い期待を抱いてしまった自分を叱咤する。短時間の激しい感情の起伏に疲れ切って、フィオナは肉体的構造上の限界まで、深く深く俯いた。
「まぁ、できなくはないんだけどな。だた、人の記憶に干渉するのって結構面倒なんだよ」
フィオナの落胆ぶりにさすがに同情を覚えたのか、カケルはフォローするかのように説明を始めた。
「昨日みたいに、直前の記憶を消すのは難しくないんだ。ただ、時間が経って、その間にその記憶に関して何回も思い出したりしてるとさ、その思い出している時の記憶も消さないといけないわけ」
人差し指を立てながらまるで難しい数学の理論でも説明する教師のような面持ちで、カケルは説明を続ける。
「特にインパクトのある出来事だと一日に何回も思い出しちゃうだろ?そしたら結局まるっと一日分の記憶を消さないといけなくなるわけだけど、一日分の記憶がないって矛盾するだろ?そこにいつもとあんま変わらない記憶を上書きするっていうのもできるんだけど……まぁ、それも矛盾がないように本人の日常の記憶覗いたりとか、兎にも角にも面倒なんだよ」
「……」
その説明は魔法のことを知らないフィオナでもわかりやすいものだった。カケルの言った通り、ルビオナと話している時も、家路でも、カケルが星に乗って落ちてきた様子は何度も頭の中でフラッシュバックされていた。もしあの後の記憶を全消しするとなると、ルビオナと会ったことも忘れてしまわないといけなくて、それは確かにフィオナの記憶に大きな矛盾を生むことになる。と、考えていたフィオナに、
「それにタダで泊まるとこ確保できたら、丁度いいと思ったんだよ」
「……」
カケルは言わなくてもいい本音を付け加えた。その都合で脅されたフィオナは渾身の恨みを込めてカケルを睨みつけた。
「そんな顔するなってー。俺だって一人で店切り盛りしてるところに飯まで作ってもらって、さすがにちょっとは悪いなと思ってんだから」
そう言ったカケルは、何故か少し拗ねているような様子だった。その様子からして店を壊すと脅された時のフィオナのは並々ならぬ心労はカケルには伝わっていない。フィオナにとってこの店がどれほど大事なものかを知らないカケルにとっては当然の反応ではあったかもしれない。そしてそんな自分の事情を開示する気のないフィオナは、やり場のない憤りを溜め息に変えて、体から追い出すように盛大に吐き出した。
「それにさ、」
フィオナの長い溜め息がで切ってしまうと、カケルは言葉を切ってフィオナに一歩近づく。声色の変わったカケルに、フィオナは反射的にカケルの顔を見上げた。
「フィオナだってちょっとラッキーとか思わねぇの」
見上げた顔に浮かんでいるのは明らかに、何かを企んでいるような笑顔。フィオナは警戒心を露わに、眉を潜めた。
「何をですか?」
「俺、いい男だろ?」
首を傾げてみるカケルに、フィオナは固まる。一体その質問になんの意味があるのかさっぱりわからない、という文字が顔を埋め尽くしている。
フィオナは状況を読む能力には長けている方だと自負していた。深読みしすぎるきらいもあるが、カケルが降ってきた時に咄嗟に彼の目をごまかせたのは間違いなかったのだから、その能力は大したものだと言えるだろう。
そんなフィオナがどんなに現状を理解しようとしても、全く悉く不可解で、一体どんな返事が良い結果を生むのか、考えもつかなかった。ひとまず反感を買わなくていいように、当たり障りのない言葉を返すことにする。
「まぁ、さっきの女の子たちが見惚れてしまうのはわかります」
「だろ?そんな男前と一つ屋根の下なら、色々想像してドキドキしちゃうだろ?」
その言葉に、いよいよフィオナの顔が歪み始める。得体の知れない宇宙人───実際にそうかもしれない───でも見るかのように、灰色の瞳に不信感をたっぷり込める。訳のわからないカケルの言動に、考えるのに疲れ切ったフィオナは、半ば投げやりなりながら正直に思ったことを、思った通りに言葉にした。
「いえ、幸いそういった感性は一切持ち合わせていないので」
「ふーん」
例の反応と共にどこか面白くなさそうな表情を浮かべたカケル。これはまずい、とフィオナが直感した時には、もう遅かった。
腕を取られ、そのまま体ごと後ろに押しやられる。フィオナはなす術なく、カケルの動きに合わせて壁際まで追い詰められた。背中に壁が当たった、とフィオナが感じた時、カケルの腕がフィオナの両脇を塞いぐ。
驚いて目を見開くフィオナの目の前には、不敵に笑ったカケルの顔。
「これでも、そんな冷静ぶってられんの?」
耳に息がかかりそうな距離で、カケルは囁くようにそう言った。その言葉にフィオナは目を見開いたまま固まっている。混乱する頭で認識できるのは目の前の夜色の瞳。妖艶とはこういうことを言うのだろうかと、フィオナは呆然とその瞳を見つめていた。フィオナのそんな反応に、満足そうに笑みを深めるカケル。
ただ、カケルは大きな勘違いをしていた。フィオナが固まっていたのは咄嗟の状況を飲み込むのに時間がかかっていただけで、決してカケルが期待していた反応ではなかった。
フィオナの止まっていた思考が再起動し、正常に動き始める。今置かれている自分の状況と、目の前にあるカケルの笑み。それを認識した途端、フィオナの体の底から沸き起こってきたのは嫌悪。細められた鉛色の双眸が刃のように鈍い光を放つ。
次の瞬間、フィオナの渾身の平手打ちが、カケルの頬を容赦なく打ち付けた。
「いってぇ!」
店内にいい音が響き、そしてすぐにカケルの声が続いた。不意打ちの攻撃の勢いで、フィオナより体の大きいカケルもさすがに後ろにヨロける。いい音がしただけ合ってかなり痛かったのか、目尻には涙も浮かんでいた。
「何すんだよ!」
赤くなった頬を押さえながらカケルはフィオナを睨む。が、その視線はすぐに戸惑いに変わる。睨んだ相手が、隠そうとしない嫌悪の視線で自分を睨み返してきたからだ。その視線は実在しないのに冷気を感じるほどのものだった。
「あなたが何を探してるかなんて、知りたくもないけど」
「え?」
「あなたは、絶対に、大事なものなんて手に入られない」
「!」
それはまるで目の前の相手に呪いをかけるかのような声だった。そんなフィオナの言葉にカケルが思わず目を見開いたのは、その声に驚いたからではない。カケルは何か言おうと口を開いたが、フィオナがそれを許さなかった。振り払うように視線を外して、カケルから離れていく。カケルは叩かれた頬を押さえながら、母屋に戻っていくその背中を見ていることしかできなかった。
20150414 誤字修正、20150421 誤字修正、20150514 微修正
20150601 改行を増やしました