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大切な店を質に取られたフィオナは、最終的に青年の申し出を受け入れるしかなかった。動かしようのないその事実をなんとか飲み込むと、フィオナは青年を母屋の方に案内する。そんなフィオナにさらに満足したようにニコニコと笑う青年。フィオナはその笑顔にひたすら疲れを覚えていた。
「広い家だなー。一人で住んでるのか?」
「えぇ」
母屋に足を踏み入れて開口一番、青年はそう言った。フィオナは短く返事をする。青年の言う通り、ガラスハウスの裏に立つこの家は一人で住むにはかなり広かった。四人掛けのソファが置かれても尚余裕があるリビング、四口あるコンロに備え付けのオーブンがあるキッチン。トイレはセパレイトで脱衣所も広く、バスタブも足を悠々と伸ばせるほど大きかった。おまけに二階まであり、そこにはフィオナが寝室として使っている部屋の他にも四室とトレイがあった。一室は物置として使われているが、他はほとんど空状態だ。余分なベッドはなかったが、突然一人居候が増えたところで、部屋の面積的にはフィオナには全く不都合がなかった。
「二階に余っている部屋もあるんですけれど、そこはすぐに使える状態じゃないので今日はひとまずリビングで寝てください」
「おお、ありがとな」
嬉しそうに笑う青年。フィオナのことを脅して無理やり住み込むことにしたことを綺麗さっぱり忘れてしまっている溌剌としたその笑顔にフィオナはまた疲れを覚えた。
フィオナにとって他人と同じ屋根の下に住むといことすら初めての経験で、ただでさえ不安だというのに、その他人が空から降ってきて、魔法まで使えて、笑顔で容赦なく脅してきたこの青年だと思うと、フィオナは胃が捩れるように縮むのを感じた。このままでは自分の精神が持たない、と不安を覚えたフィオナはリビングに入っていく青年を呼び止める。
「あの、」
「ん?」
「どれくらいここに、泊まるつもりなんですか?」
店を質に取られているため、あまり強く出れないフィオナは言葉を選びながら尋ねる。その問いに青年は「んー」と唸って少し考える仕草を見せる。
「そうだな。探し物が見つかるまで、だな」
「探し物が見つかったら、ここから出て行ってくれるんですね」
「あぁ、約束するよ」
確認するように青年の言葉を反芻したフィオナに、青年はニコリと笑って首を縦に振る。青年のその返答に、フィオナは一縷の希望を見出していた。店を壊されずに彼にここから出て行ってもらう方法、それは一刻も早く彼が探しているものが見つかればいい、という答えが導き出せたからだ。そうとなれば、フィオナができることは全力で彼の探し物に協力することだった。
「そういえばさっきも探し物を手伝えって言ってましたね。その探し物ってなんなんですか?」
手伝うにしても肝心の探し物の情報を全く聞いていなかったフィオナはさらに尋ねた。しかし、先ほどとは打って変わって青年は少し難しい顔を浮かべる。
「こっちにも色々と事情があって他人に詳しくは喋れないんだ。ただ、あんたには情報提供に協力してもらいたい」
「情報提供?」
「この星の魔女か魔法使いに知り合いはいるか?」
カケルの問いにフィオナは反射的に顔を歪めた。知り合いがいなかったからじゃない。むしろカケルの言葉を聞いた途端、浮かんできた顔があったからこその表情だった。もちろん、決して思い出したくない顔であったことは言うまでもない。が、一刻も早く青年に出て行ってもらうためには背に腹は据えかねない。渋々といった様子で、フィオナは正直に答えた。
「一応、いますが」
「あ、マジで?助かったー。せっかく街に降りたのに、この辺から全然魔力の気配しないからどうしようかと思ってたんだよ。宿だけじゃなくて情報も転がり込んでくるなんて、俺ってついてんなー」
「……」
嬉しそうに自分の幸運を喜ぶ青年。そのおかげで自分に降りかかっている不幸のことなど全く考えていないその様子に、フィオナは思わず鉛色の視線を細めて睨みつける。
「そんな目で睨むなよ。悪いようにはしないからさ」
「……」
そんなフィオナの視線など痛くもかゆくもないのだろう青年は、にっこりと笑ってそんなことを言う。すでに最悪の状況に陥っているというのにこれ以上どうされるというのだ、という苛立ちと不安を心の中で抱きながら、フィオナは青年を睨み続けた。
「あ、そうだ。世話になるんだから名前くらい名乗っとかないとな。俺はカケルっていうんだ。あんたは?」
「フィオナです」
聞いたことのない名前だと思いながらフィオナも青年に続いて名乗る。
「んじゃあ、フィオナ。俺はお前の知り合いの魔法使いもしくは魔女に会いたいんだけど、どこに行ったら会える?」
フィオナの気持ちなど気にも留めず、さっさと話題を変えて話を進めるカケルと名乗った青年。そんな彼のペースにフィオナは諦めたように溜め息を吐いて、彼の問いに応じる。
「明後日まで待ってもらえるなら、魔法使いがここを訪ねてきます」
「すぐに会う方法ってない?」
「生憎、住まいを知らないので」
「そっか。まぁ、そう全部が全部うまくいかないよな。よし、ここは腰据えてその魔法使いが来るのを待つとするか!」
「……」
えらくポジティブな調子でカケルはそう言った。無駄に元気というか明るい彼の言動に、フィオナはさらに疲れが溜まっていくのを感じる。これは本当に体が保たないかもしれない、と実感したフィオナは一刻も早くカケルに探し物を見つけさせる決意をし心の中だけでグッと拳を握る。
「ふぁ、俺は疲れたからもう寝るよ」
「……」
それはこっちのセリフだという言葉を搭載した視線で、さっさとリビングに消えていくカケルの背中を貫かんばかりの勢いで睨みつけていた。
食欲の湧かなかったフィオナは入浴を済ませ自分の部屋に戻った。いつもより遅い時間になっていたし、珍しく疲れを感じていたのですぐにベッドに入ることにする。布団をかぶった途端、やはり疲れていたのかかなり深い溜め息が漏れる。
今日は間違いなくフィオナの人生で最も騒々しい一日だった。今日の出来事を無意識に振り返っていると、下の階でカケルが寝ていることを強く意識した。
この家に、自分以外の人間がいる。
その途端、フィオナの意識は覚醒し、体は疲れを感じているにもかかわらず、睡魔は完全に失せてしまった。それは薄ら寒いというような感覚だった。何かが皮膚の下を撫でるように這うような感覚が、全身を犯す。思わず上半身を起こしたフィオナは、自分を抱きかかえるようにして両腕をさする。
寝ることを諦めたフィオナはベッドのすぐ横のカーテンを開けた。現れた小さな窓から夜空を見上げる。完全に闇に包まれた空に多くの星が瞬いてた。街外れだからなのか、今日は月が出ていないからなのか、フィオナにはわからない。星が流れなけばいいと心の中で当然のように祈りがら、フィオナは夜空を見上げ続けた。
⬛︎ ⬜︎ ⬛︎
次の日の朝。フィオナはいつものように日の出とともに起き出して、ガラスハウスの中にいた。早起きをしてここで朝日を浴びるのは、フィオナの日課だった。
「今日は暇だろうな」
店内の花を眺めながらフィオナの呟く。独り言のつもりだったが、フィオナの意図に反して足元から「にゃあ」という声が返ってくる。足元を見ると、昨日までは唯一の同居人だった黒猫・スバルがいた。
「おはよう、スバル。昨日は帰ってこなかったのね」
フィオナはしゃがんでスバルに話しかける。一方、スバルはフィオナの方に視線をよこさず、店内をキョロキョロと見渡す。その様子はまるで慣れない環境に突然放り出されて戸惑っているようにも見えた。そんなスバルを見ていたフィオナは昨日のことを鮮明に思い出して、スバルに向かって愚痴を零す。
「あなたがいない間に変な人がここに住むことになっちゃったの。このお店を担保に取られてるから、あなたも我慢してね」
「へー、猫飼ってるのか」
背後で突然声がした。フィオナは大きく肩を震わせて立ち上がりながら振り返る。そこに立っていたのは、当然ながらカケルだった。振り向いたフィオナの後ろで、威嚇するスバルの声が聞こえて、フィオナは冷静さを取り戻した。
「随分早起きなんですね」
「あぁ、思いの外ぐっすり眠れたみたいだ。あ、今から風呂借りるけどいい?」
「どうぞ。タオルは洗面台の横の引き出しに入ってます」
フィオナがそう答えると、カケルはすぐに立ち去っていくかと思ったら、そうはならなかった。フィオナの背後に広がる花を見やって、また尋ねる。
「ここ花屋だよな?一人でやってんの?」
「えぇ」
「ふーん」
答えたフィオナに、カケルは興味があるのかないのかわからないような返事をする。フィオナが次の言葉を待っていると、その期待を見事に裏切るように、カケルは母屋の方に帰っていく。拍子抜けしたフィオナはがっくりと肩を落とした。
「ね、変な人でしょ?」
後ろにいたスバルにフィオナは同意を求めるようにいう。今回は返事は返ってこなかった。スバルはまるで睨むかのようにオレンジ色の瞳をじっとカケルの背中に向けていた。
⬛︎ ⬜︎ ⬛︎
「なんで、こんなことになったのかしら」
朝食後、ガーデニング用に売っている鉢植えの花に水をやりながら、フィオナはふと呟いた。今は開店準備の真っ只中だ。だが、フィオナはいつもと違う工程で準備を進める。進めざるを追えないのだ。それがなぜかというと……
「おーい、フィオナ!こっち水換え終わったぞ」
背後からカケルの声が聞こえる。振り返ると、そこにはフィオナとお揃いの黒いビニール性のエプロンをつけたカケルの姿。手にはビニール手袋、足には長靴姿で、溌剌とした笑顔を浮かべながらこちらに近づいてくる。頼んでいた花のバケツの水換えをもう終えてしまったようだ。
「ありがとう、ございます」
やってきたカケルに、フィオナは途切れ途切れにそう言った。やはり男の人の腕力は違うな、いや魔法使いだからだろうか、という疑問が半分と手伝わせてしまっている申し訳無さがあったからだ。
「あの」
「ん?」
「なんか、すみません。手伝ってもらって」
と言っても、手伝いを頼んだのはフィオナではない。朝食後、食器を片付けていたフィオナに、カケルが開店準備の手伝いを申し出たのだ。どんな意図があってそんなことを言ってきたのかフィオナにはさっぱりわからなかったが、得体の知れない青年に借りを作るのは気が進まなくて、丁重にお断りした。が、それは受け入れてもらえず、結局押し切られて手伝ってもらうことになったのだ。
謝罪を述べるフィオナに、カケルは相変わらずの笑顔を浮かべる。
「こんなのお安い御用だって。どうせ明日お前の知り合いの魔法使いがくるまでやることねぇし。俺も花は好きなんだ」
「そう、ですか」
カケルの言葉からして、彼は手伝ったことを借りだと思ってはいないようだった。それを確認したフィオナは少し安堵して、開店準備の続きを再開した。
開店準備はいつもかかる時間の半分で終わってしまった。今日は暇だろうといつもより遅く準備を始めたのだが、結局いつもと同じ時間に開店することになった。
準備だけを手伝ってくれるのかと思っていたら、カケルはその後もエプロンを着用のまま店内に留まった。どうやら店番まで手伝う気らしい。昨日と今朝の様子からして何を言っても無駄だろうと割り切ったフィオナは、彼をそのままにしていつものように本を読みだす。お客がこない時は、だいたい本を読んで過ごすのがいつものことだった。
そして、お客が来ないまま昼前になった。
「全然客こねぇな」
フィオナが座る向かいの椅子で空を見上げていたカケルがさすがに耐えられなくなったのか、そうボヤいた。
「まぁ、大体いつもこんな感じです」
「大丈夫なのか?」
「店を維持できるくらいの利益はちゃんと出てますから」
「ふーん」
よく聞くカケルの反応がまた返ってきた。それを聞いたフィオナは少し警戒を覚える。カケルのこの興味があるのかないのかわからない返事はフィオナにとって鬼門だ。朝の時もそうだったように、この後彼が何を言い出すかフィオナには全く予想ができないからだ。
「あ、客だ」
本から視線を上げて身構えていたフィオナに、カケルは入り口の方を見ながらそういった。釣られてフィオナもそちらを見ると、確かに二人組の少女が店の前に出していた花を見ている。フィオナはいつもお客が花を選び終わるまでは彼らに声をかけない。誰もが<魔女>を怖がるからだ。
今回も様子を伺いつつ声をかけようと思っていたのだが、カケルがさっさと席を立って入り口に向かい出すものだから、フィオナは慌てて腰を上げた。
「あの、私が接客しますから、」
フィオナの言葉をまったく聞かず、カケルは一直線に少女たちのところに近づいていく。暇を持て余していたのだろう、その足取りはとても軽く後ろ姿からでもなんとなく楽しそうにしているのがわかった。それを認めたフィオナは制止するのを諦めて、再度椅子に腰掛ける。どうしようもないので、そこから成り行きを見ていることにした。
20150417 誤字修正、20150421 微修正、20150514 微修正
20150601 改行を増やしました