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朝日が完全に空に姿を現した頃、遠くの空に花火が上がる音が響いた。今日はこのセルタザの街で一年に一度の盛大な催し物である豊饒祭が行われる。先ほどの花火は、その豊饒祭が予定通り行われることを街の人々に知らせるためのものだ。陽の出た空には小さな雲は見えるものの快晴。屋外の催し物が行われるにはもってこいの天気だった。
パンパンっと、快晴の空に響いた花火は、街の外れまでもしっかり届いていた。家は疎らになり、道も土が剥き出しの草を取り除いただけの街外れの道。
街の出口まで続くその道の途中に小洒落たガラスハウスが建っている。裏手には二階建ての一軒の家。それをぐるりと囲むように、白い小さな花をつけたトウダンツツジが生垣の役割を果たしていた。
ガラスハウスの入り口に掛けられた看板にはシンプルなアルファベットで「Flower Shop」とだけ書いてあり、そこが花屋であることを示している。一見、ガラスハウスが特徴的である以外は何の変哲のない花屋に見えた。しかし、この街の住人全員が知っいる。
この花屋の女店主は魔女であり、彼女が魔法をかけた不思議な花を売っているということを。
その件の<魔女>は、いつもより早く開店準備に取り掛かかっていた。その開店準備の行程はいたって普通の花屋と同じ。花の活けられたバケツの掃除と水変え。朝一で入荷してきた花の仕分けと手入れ。鉢植えには適量の水をやる。店の前には需要の高い花の入ったバケツを出して、店内に散らばった葉を掃く。
朝日が燦々と照らすガラスハウスの中で、<魔女>は一人黙々と作業に勤しんでいた。いつもより少し作業スピードが速いのは、豊饒祭が行われる今日この日が年に一番の稼ぎ時だからだ。
豊饒祭の日は花がよく売れる。というのも、豊饒祭では大事な人に花を贈るという慣例がある。ここでいう「大事な人」には家族や同僚も含まれるが、これを機に乗じて秘めた想いを伝え、あわよくば恋人を手に入れようとする人々も多い。どんな世界でも、恋する心は大きな消費を生んでくれる。おかげ様で、街外れという辺鄙な場所にあるこの店もこの時期は毎年繁盛するというわけだ。
<魔女>の店がこの日特に繁盛する理由は他にもあるのだが。
大体の開店準備が終わったところで、<魔女>は一息つくことにした。気合が入っていたためか、思ったよりも早く準備が終わってしまっていた。開店の時間までには余裕があるので、ガラスハウスに置いてある白い椅子とテーブルに母屋の方からお茶を運んでくる。お気に入りのローズヒップティーを飲みながら花を眺めていた<魔女>の足元に、昨日の黒猫がやってきた。
「あら、スバル。おはよう」
足元に近づいてくる黒猫に<魔女>は朝の挨拶をした。すると、まるで挨拶に応えるかのようにスバルと呼ばれた黒猫が鳴いた。彼は<魔女>の唯一の同居人だ。
「珍しいわね、こんな朝早く起きてるなんて」
そう話しかけながら<魔女>はスバルの前にしゃがみ込む。<魔女>が撫でようと手を伸ばすと、器用に頭だけ動かしてその手を避ける。<魔女>との付き合いはかれこれ十年以上経つはずだが、そんな彼女にさえも馴れ馴れしく接することを許さなかった。そんな相変わらずつれない同居人を小気味良く思いながら<魔女>は微笑む。
「もしかして花火の音で起きちゃったの?」
<魔女>の問いに、また答えるようにスバルは鳴いた。端からすると、まるで<魔女>が黒猫と会話を楽しんでいる光景にしか見えなかった。
「相変わらずの<魔女>っぷりだな」
その様子をバカにするようなセリフが店内に響いた。<魔女>は声がした方、母屋に続く裏口の方を振り返る。そこに立っていたのは、タキシードに身を包んだ青年だった。
「ロイド」
<魔女>は青年の名前をそう呼んだ。長いの茶色い髪を後ろで一つにまとめた青年は精悍な顔立ちをしている。その顔に蔑むような笑みを浮かべ、<魔女>を見ていた。
「こんな街外れにひっそりと一人で住んでて、ただでさえ地味な灰色と髪と目に、おまけに全身黒づくめで、しかもたまに黒猫と喋ってる。そりゃ<魔女>って言われるのも自業自得ってわけだ」
「魔法も使えない魔女なんて、笑っちまうけどな」
ロイドと呼ばれた青年は嫌味をたっぷり込めてそう言った。ロイドが近くに寄ってくると、スバルはひらりと身を翻して店内に消えていく。離れていくスバルを目で追いながら<魔女>は立ち上がった。
「別にいいじゃない」
「私は魔女なんかじゃないけど、その噂のおかげでお客さんが来てくれるんだから」
<魔女>と呼ばれる花屋の店主ことフィオナ・シェンリルは開き直ったようにそう言った。開き直るように、とはいったものの、フィオナからしてみればただ事実を改めて述べただけだ。彼女は自分自身で魔女だと名乗ったことは一度もない。
まして、全くもって、彼女は魔女なんかではない。
魔法も使えない。空も飛べない。猫ともしゃべれない。しゃべれないペットに話しかけるなんて誰でもやっていることなのに、それが噂の種になっていることにフィオナは少し呆れていた。人の噂とは本当に当てにならないものだ。おまけに、当てにならない噂はそれだけではない。
「<魔女の花屋>で買った花を贈ると相手に思いが伝わるなんて、バカみてぇ」
まるで吐き捨てるように言ったロイドに、フィオナは呆れたように溜め息を吐く。
「それは私じゃなくて街の人たちに言ってくれない?私はそんな魔法使ってないし、それ以前に魔女じゃないんだから使えないし、なんでみんながそんな噂本気で信じてるのか、私が聞いてみたいわよ」
フィオナが<魔女>と呼ばれる所以は、この噂によるところが大きい。その噂は「<魔女の花屋>で買った花を贈ると、相手に想いが伝わる」というものだった。具体的にいうと、告白がうまくいくとか、謝罪が受け入れてもらえるとか、そういうことらしい。フィオナには何が起こっているのかさっぱりわからないし、そんなことが実際に起こっているかどうかさえもわからなかった。
ただその噂が事実無根あることは間違いないが、フィオナがそれをあえて否定もしていないというのもまた事実だった。それは先ほど彼女が言った通り。魔女という曰く付きの花屋ということで、わざわざ街外れまで花を買いに来てくれる人が後を絶たないからだ。
おまけに、彼女を魔女だと勘違いしてくれているため、フィオナに無駄に深く関わろうとする人間おらず、おかげでフィオナが望む通り静かに暮らせている。
必要最低限の人間と、必要最低限の関係を築き、尚且つ、亡くなった母との約束だった大切な花屋をそこそこの利益を出しながら営んでいけている今の生活は、フィオナにとっては何もかも好都合すぎて、噂を否定する理由はどこにも見当たらなかった。
「お前には都合いいかもしれねないけどなぁ、俺たちに迷惑がかかるんだよ」
ロイドはそう言ってあからさまに肩を上下させて溜め息を吐いた。そんな彼にまたもフィオナは開き直ったようにして言い返す。
「大丈夫よ。私たちが義理の兄弟だって知ってる人なんて、ほんの一握りの人なんだから。あなたがこの店に近づかなくなったら、そんな心配なくなるわ」
「そうわけにもいかないだろ」
「血は繋がってなくても、一応家族なんだからな」
「私のこと姉扱いしたことなんてないくせに」
もっともらしく言ったロイドに、フィオナは思いっきり顔を歪めた。
「たった半年しか違わないのに、姉面されてもな」
顔を合わせばだいたいこんな感じの会話を交わす二人は、会話の通り本当の兄弟ではない。フィオナの父とロイドの母が再婚し、二人はそれぞれの連れ子である。それはフィオナは七歳の時のことだったが、それ以来フィオナはロイドに姉と呼ばれた覚えはなかったし、ロイドも一度もフィオナを姉と呼んだ覚えはなかった。十七年前から二人の関係はこんな感じだ。
「ま、お前が花屋をやめれば全部丸く収まる話なんだけどな」
ここからが本題だと言わんばかりにロイドは口調を強くした。
「またその話なの?」
うんざり、という言葉がぴったりの表情を浮かべたフィオナは盛大に溜め息を吐く。フィオナがそう感じるのも無理はないかもしれなかった。何せ、フィオナが店を始めた四年前から、ロイドはフィオナに店をやめろと言い続けてきたからだ。
「店と家は誰かに売ればいい。その辺の面倒は見てやるからさ」
「面倒見てもらう必要なんてないわよ。お店はうまくいってて、お金に困ってるわけじゃないんだから」
「<魔女の花屋>って噂されてる店、うまくいってるとはいわねーよ」
「ちゃんと利益が出てたら、それはお店としてうまくいってるって言えるのよ」
ロイドなりにフィオナを思っての打診なのだろうが、それを無下にという言葉がぴったりの態度で対応してくるフィオナ。そんなフィオナの態度にいい加減頭にきたのか、ロイドは舌打ちをしてフィオナを睨んだ。
「……人がせっかく気ぃ遣って遠回しに言ってやってんのに。物分りが悪いみたいだからはっきり言ってやるけどなぁ!」
「<魔女>なんて呼ばれて一人ぼっちで生きてる人生を、うまくいってるとは言わねぇんだよ!」
怒鳴りつけるように言われたその言葉を、フィオナは真っ向から受け止めた。鉛色の双眸に揺らぎは一切伺えない。
「放っておいて。私が好きでそうやって生きてるんだから、あなたには関係ないでしょ」
冷静な声色で、フィオナはロイドの言葉を切り捨てた。全く聞く耳を持たない義姉に苛立ったロイドは一歩フィオナに詰め寄る。真上から見下ろすようにフィオナを更に睨みつける。フィオナも一歩も譲らず、その瞳を睨みつけた。
「……」
「……」
一瞬空気が緊迫するが、結局ロイドが身を引いた。動揺を全く見せずに睨みつけてくるフィオナに、諦めるように溜め息を吐く。
「ともかく、この収穫祭が終わったらしばらく暇になんだろ。いいタイミングなんだから、今度こそ深刻に自分の将来の考えろよ」
「ちゃんと考えてるわよ」
「そうは思えないけどな」
「自分の娘が<魔女>なんて呼ばれてるの知ったら、親父が悲しむぞ」
「……」
その言葉を聞いた途端、フィオナの表情から色が消えた。鉛色の瞳はさらに鉛を溶かしたかのように濁り、力なく開いた口から細く息を飲む。目の前のロイドはすでにフィオナの視界から消え、遠い遠い日々の記憶がゆっくりと蘇ってくる。
「うわっ!」
ロイドが上げた声に、フィオナはハッとして意識を浮上させた。視界に戻ってきたロイドを見ると、何かに驚いて後ろに一歩退いた状態で硬直している。彼の足元を見ると、スバルが優雅に尻尾を揺らして母屋の方に向かっているところだった。
「あいつ、急に飛びかかって来やがった」
スバルの背に向かって舌打ちするロイド。いい気味だと言わんばかりにフィオナはクスクスと笑った。
「スバルもあなたのことが嫌いなのよ」
「『も』ってなんだよ?」
「さぁ?」
睨みつけてくるロイドの視線を交わして、フィオナはとぼけた顔をした。
「それより、そろそろ帰らなくていいの?バーのみんなで出店するんでしょ?」
フィオナが時計を指差す。すでに八時を過ぎていた。時計を見たロイドは不都合そうな顔を浮かべたところを見ると、どうやらフィオナの言った通り仕事場に戻らないといけない時間らしかった。その表情を見て取ったフィオナは、追い討ちをかけるように言う。
「こんなところで油売ってないで、早く帰ったほうがいいんじゃない?」
「人がせっかく心配してきてやってるのに……」
明らかに自分を追い払おうとするフィオナに、ロイドは恨みがましく唸る。
「余計なお世話だって、いつも言ってるでしょ」
そっぽを向くフィオナをロイドはさらに恨めしそうな視線を送る。が、今回は本当に時間がないのだろう。今朝一番の大きな溜め息を吐くと、改まった顔をしてフィオナに人差し指を突き出した。
「いいか。さっき言ったこと、いい加減マジに考えろよ」
「な、何よ、そんな真面目な顔して」
いつもと調子の違うロイドに、フィオナは思わず身を引いた。そんなフィオなにロイドは容赦なく言い放つ。
「マジで話してるんだよ。何かあってからじゃ遅いんだからな!」
いつになく真剣な顔をして行ってくるロイドに、フィオナは咄嗟に何も言い返せなかった。そういている間に、ロイドはさっさと裏口から出て行ってしまう。残された嵐の余韻に浸るかのようにフィオナは呆然と立ち尽くた。
ロイドが帰ったのを知ってか、スバルがまたガラスハウスに戻ってきた。フィオナの足元にちょこんと座る。
「変な子よね」
思わず零したフィオナの愚痴に、肯定するかのようなスバルの間延びした鳴き声が返ってきた。
20150601 改行を増やしました
20150411 誤字修正、20150421 微修正、20150514 微修正