1 クラスメートの平矢間《ひらやま》こころさんが、突然声をかけてきた
昨日、いっしょに帰ったときツキミは、「別れる」というキーワードを一言も発さなかった。
おれたちが付き合った理由は桐咲の策略によってだ。
だからおれと付き合いつづけるということは、ツキミにとって延々と罰ゲームを続けているようなもの。
自分から罰ゲームを続行しつづけるなんて、どちらかといえばSの方かと思っていたが、ツキミは相当のドMなのだろうか……。
いいや、そんなわけない。
そして、なりゆき上、今日も一緒に帰ることになってしまった。
ツキミが今週当番の掃除が終わるまで待っていてと言われて、おれは、校舎と校舎をつなぐわたり廊下で、野球部が練習を始めようとしているグラウンドを何気に眺めながら、独りでぼーっとたそがれながら待っているところだ。
「何しているの?」
「わあ! びっくりしたあ」
クラスメートの平矢間こころさんが、突然声をかけてきた。
彼女は一年の時も同じクラスで、去年おれが唯一まともに話すことのできた女子だ。
「なんだ平矢間さんか」
「アハハッ、囃子くん面白い」
平矢間さんは、満面笑顔で笑っている。
黒目がちの瞳をいつもうるうるさせて、声優みたいなアニメ声をしている。
小柄で、小学生といっても通用しそうな童顔である。可愛い、そして、巨乳だ。
言わずもがな、男子から人気があって、去年のおれもそのうちの一人であった。
「で、何しているの?」
「ツキミを待っているんだ」
「ツキミ……? はっ、呼び捨て! ツキミって、庵堂ツキミちゃんのことだよね。あっ、もしかして囃子くん、ツキミちゃんと付き合ってるの?」
げ、しまった。平矢間さんには、あまり知られたくなかったのに……。
でも仕方ないか。
「うん。ま、まあね」
「やっぱりそうだったんだ……」
平矢間さんは、うんうんと頷き、
「わたし、こないだ二人が一緒に帰ってるとこ見たよ。わたしがヒロミとカヨと一緒に帰っていたら、その前方に二人が仲良く楽しそうに、手をつないで歩いていたもん。やっぱりあれ囃子くんだったんだね」
「はあ? 手なんてつないでないし」
「そうだっけ?」
「当たり前さ。そんなことしないよ」
……女子と手をつないで下校する姿をおれはいつか想像したことはあった。
その相手はいま目の前にいる平矢間さんだった……。
「ふーん。ツキミちゃんと付き合ってるんだあ」
ニヤニヤしながら、おれの顔をにじろじろと観察するようにながめている。
正直見つめられているだけで、ドキとしてしまう。
「よかったね。彼女ほしいって言ってたもんね。それにしても、ツキミちゃんみたいな娘がタイプだったんだあ、知らなかったなあ」
「まあ、いろいろ訳ありで……」
「へえー。じゃあ、今日は手つないで帰りなよ。本当は手つなぎたかったんでしょ? 後ろから見てて、囃子くんずっとそわそわしてたもん。ヒロミたちと、あれはきっと手つなぎたいけど、恥ずかしくてつなげないんだよ、って言ってたの。勇気だしなよ、ツキミちゃんのこと好きなんでしょ?」
違うよ。おれが落ち着きなかったのは、ツキミがいつ襲っているかわからないから心配で、警戒していたからなのだ。
「あ、赤くなった! 照れてる照れてる! 囃子くん、可愛い」
「いや、だから違うって……」
平矢間さんの笑顔が無邪気すぎる。高校生ではなく、本当の子供にからかわれているみたいだ。
この天真爛漫な性格が、彼女に人気者が集まるもう一つの要因だと思っている。
「ねえねえ、いつから付き合ってるの?」
ときかれて、恥ずかしいけどおれは一連の事情を説明した。
去年どういうわけか彼女に色々と相談を持ちかけられたことがあって、いつの間にかおれたちは、何でも気軽に話しあえる不思議な関係になっていたのだ。
そのとき、もちろん下心があったが、彼女にとってはおれはただの相談相手だ。
「へえー、そうなんだ。不思議だね、それでも一応付き合ってるんだね。でもさ、ツキミちゃんは囃子くんのことが本気で好きなんじゃないかな。うん、きっとそうだよ」
と、平矢間さんは言った。
そんなわけねえよ。
「でさあ、ツキミちゃんのどこが好きなの?」
「何だよ急に」
「囃子くんは、ツキミちゃんのことどう思っているの? 大切なのはそこだよ、相手がどう思っていようと、大切なのは自分の気持ちなんだから。囃子くんの気持ちはどうなの?」
平矢間さんは、子供っぽい顔をしながら、大人びた質問をしてきた。
「ねえ、ツキミちゃんのこと好きなの?」
「し、知らねえよ」
「こらッ、恥ずかしがらずに、正直に言いなさい」
まるで子供を叱るみたいにおれに言う。
自分のほうが子供みたい顔なのに。
「もういいだろ。平矢間さんには関係ないんだから」
……でも正直なところ、自分でもよくわからないんだ。
すると平矢間さんはおれを心配そうな表情で見て、しばらく考えてから鞄からペンとノートを取り出した。
ノートの端っこをビリと破り、何やら書き込んで、その切れ端をおれにくれた。
なんだろう?
見ると、連絡先が書いてあった。
「え?」
「まだ連絡先交換してなかったよね。わたしでよかったら、いつでも相談にのるよ」
と言った平矢間さんは、今度はとても大人っぽくて、なぜかとても頼もしかった。
「わたしもほとんど恋愛経験ないけど、それでも女子として囃子くんの役に立てる事があると思うんだ。だから、いつでも連絡してきてね」
「ありがとう。平矢間さんにそう言ってもらえると助かるよ」
おれは、心からそう思った。
「絶対に連絡するよ」
「うん、待ってるね」
平矢間さんは先ほどとは打って変わり、幼い子供そのものになり、はしゃぎ、やさしい笑顔をみせた。
「あ、ツキミちゃん来たみたいだから、わたしもう行くね」
と、行こうと一歩踏み出したが、ふり向いて、
「あっそうだ。わたし、囃子くんから貰ったシャーペン、まだ大事に持ってるよ」
「シャーペン?」
「忘れたの? ひどーい」
んん? 何のことだろう? そんなのあげたことあったかな?
「――ごめーん、理。待った……っ……ん?」