1 飲村は絶叫した
ツキミは常に帯刀するようになった。
刀を背負って登校し、授業中は机の横にたて掛けている。
何が起こるかわからないから、用心のためいつでも戦えるように持っているのだとか。
現代社会において、とくに校内において本物の刀が必要な場面に遭遇することなんてことはそう滅多におこらないよ。
あったとしてもその場合、警察を呼べばすむ話だ。
暴力じゃなくて話しあいで解決しようぜ。
それにもしその刀が本物だということがバレてしまえば、直ちに通報されて捕まっちまう。それこそ他人に怪我でもさせちまったら即刻逮捕だし……それだけは勘弁な。
そんなツキミだが、教師陣からは剣道部だと思われているらしい。
教師らもバカだ。
もし剣道部だったとしても持っているのは竹刀だろ。それにいつも持ち歩いていることはないと思うぞ。そのぐらい、ちょっとは気付けよ。
まあ、そのおかげでツキミは罪人にならなくて済んでいるのだが……
。
刃物の取扱いにだけは十分注意してくれよ、ツキミ。
そんなことを思うおれの前方には、授業がまだ終わったばかりだというのに、ツキミがすでに席に姿勢よく着き、つぎの教科の準備をしている。
まじめなのか、そうでないのか、よくわからないやつだ。
それはそうと飲村は、恋人(樹里さん)と別れたショックから未だに立ち直れず、未練たらたら、愚痴ばかりをこぼす毎日を送っているのだった。
そんな飲村が、おれの隣りにいた。
そう。飲村は樹里さんと別れたのだ。
「まだ気にしているのかよ」
おれは落ち込む飲村に声をかける。
まあ、こいつが悲しんでいる要因は、巻き込まれたとはいえ、一応おれにも関係することなので、それ以上あまり強くは言えない。
だが、こいつの嘆きばかりをきいているのも鬱陶しいので、なるべく早く立ち直ってもらえるようにと励ましている。
「あの人のことはもう忘れろ。樹里さんはおれみたいな経験不十分な者が対等に付き合える相手ではなかったんだよ」
「でもよ、囃子。今日も夢に樹里ちゃんが出てきたんだよ。おれ、やっぱり彼女のこと忘れられねえよ……」
樹里さんに誘惑された翌日、おれは起こったことをすべてを、飲村に全てつつみ隠さず話した。
当初、飲村をあまり傷つけぬようにと配慮して、助言程度に留めようかと思ったのだが、やはりそれではかえって飲村を傷付けるんじゃないか思い、そうした。
案の定、いくら言っても飲村はおれの話を信じなかった。
だが、一応は気になっていたのだろう。そのあとで樹里さんのとこまで行き、おれから聞かされた話をすると、樹里さんがいきなり泣き出しごめんと謝ったのだという。
それで、その話が真実だと悟った飲村は逆上して、その場で即、別れを告げたらしい。
翌日、飲村が号泣しながらおれの所へきて、そう語った。
「毎日夢に出てきておれのことを誘惑するんだ、毎日だぞ、おれは毎日樹里ちゃんの夢を見てしまう、なぜなんだ」
「そうなんだよ、村。夢にまで出てくるんだよ。あの人はどこまででもおまえのことを悩ませ苦しめるぞ。だからもう忘れろ」
可哀想に、こいつも桐咲が仕組んだ罠による被害者のうちの一人なんだ。
「それができないからおまえに相談してるんじゃないか。囃子、おれはどうすればいい」
「忘れろとしか言えない、あの人は危険すぎる」
桐咲が余計なことをしなければ、飲村は樹里さんと出会わなかったはずだ。
「もう手を引け。あの人には関わらないほうがいい。早く忘れろ」
「だが、おれはもう一度、樹里ちゃんに会いたいんだよ」
「それが危険だと言っているんだよ。また今度あの人と付き合ってみろ、おまえは地獄を見ることになるぞ。おまえにはそうなって欲しくないんだ」
おれは飲村を憐れんだ
。飲村はしばらく黙って考えたあと、ぶるぶると顔を横に振って、
「いいや。駄目だ」
と言った。
「もう、おれには樹里ちゃんしかいない。樹里ちゃーん!」
と飲村は叫んだ。飲村を襲う樹里さんの魔性は相当なものだった。
「樹里ちゃんに一度でも関わり、間近であの美しさを知ってしまったら、男なら誰もがもう彼女を忘れることはできなくなるのさ。おまえもそうだろう、囃子」
恐ろしや、樹里さんの魔性。
そうこうしているうちに、飲村の興奮は徐々に増してきた。
「おまえには庵堂がいるからいいかもしれねえ。だけどな、おれには殺されそうになるようなことをしてくれる相手もいないんだぞ。庵堂とチャンバラごっこできるだけでもありがたいと思え、おれなんて斬られたあと死体以下だ!」
だが、殺さることは決しておすすめしないぞ。
「おれは何をされてもいい、犬のように扱われてもいい、他の男に色目を使ったっていい、どうなったっていい、だからもう一度、せめてあと一回だけでも樹里ちゃんに優しくされたいんだよ!」
飲村はこぶしを振りながらそう叫んだ。
もう何を言っても無駄だと確信した。
「わかったよ、おまえがそこまで言うのならおれはもう止めない。樹里さんに弄ばれちまえ」
と言ったとき、とつぜん教室のドアが勢いよく開いて、飲村を呼ぶ声がした。
まさか、とは思ったがその声の主は、まぎれもなく樹里さんだった。
なんと、噂になっていた張本人、その樹里さんが現れたのだ。
――偶然にもほどがあるだろ!
「熱彦くん」
と樹里さんは飲村の名を呼びながら、教室の中を見まわし飲村を探している。
樹里さんは相変わらずエロく、何もしなくても立っているだけで、男の目線を引き付ける何かがあった。思わずおれも見入ってしまった。
……いや、おれの場合はタイミングの良さに驚いただけだ。
飲村はすぐに手を挙げ、
「樹里ちゃん」
かすれた声で返事をした。そのときの飲村の表情は本当に嬉しそうな顔をしていた。
「ここだよ、樹里ちゃん」
「あっ、熱彦くぅん!」
駆け寄ってきた樹里さんの表情もおどろくぐらいの笑顔だった。
それにしても、なぜ樹里さんはとつぜん現れ、飲村に会いに来たのだろうか。
一体何の用があるというんだ。
まさか本当に、飲村をたぶらかすつもりじゃないだろうな。
「あのね、熱彦くぅん……わたしねえ、よおく考え直したの……」
「ど、ど、ど、どうしたの、樹里ちゃん? 何か困ったことでもあったのかい?」
「うん……わたしぃ、やっぱり熱彦くんのことが好きなの」
「え、え?」
「わたしねぇ、熱彦くんとやり直したいの」
「お、お、おれもだよ、樹里ちゃん!」
飲村は絶叫した。
「おれの方こそ悪かった、別れるなんて言ってごめんなさい。おれは樹里ちゃんなしじゃ生きていけないんだ。やり直そう、もう一度初めからやり直そうじゃないか。なあ、樹里ちゃん!」
樹里さんはにっこりと笑い、飲村と手を握り合った。
「ねぇー熱彦くん!」
「うん、樹里ちゃん!」
二人はその場で人目もはばからず抱擁しあった。
飲村は浮かれていた。
確かに悩みが解決されて都合どおりにいったのだから、うれしいのはわかるが、おれの感情は実に冷めたものだった。
飲村よ、やはりお前はこうなってしまうのだな。
この結果は樹里さんの思い通り、手のひらで泳がされているのは火を見るより明らかだ。
そんなこともわからないのか飲村よ。これが恋の病というやつなのか。
……わかっていても止められない。
だがこれこそが、むしろ揉む村が望んでいたものだったのかもしれない。
「樹里さん、これもまた桐咲の指示なんですか?」
と、おれはきいた。
樹里さんは笑顔のまま答えた。
「ううん、違うわ。かおりちゃんとは関係ないことよ。これはわたしの想いと感情が勝手にさせたことなの。わたしの本心よ」
「そうですか、わかりました」
と言ったとき、飲村の表情は、それまでとは異なる笑みに変わっていた。
憎たらしい、人を小馬鹿にするときのこいつの顔だ。
「おい、囃子! 冗談いってもらっちゃ困るぜ。なにが『桐咲の指示』だよ。樹里ちゃんの正直な気持ちにきまってるだろうが!」
「いや、少し気になっただけだ」
「ほっほうー、さては囃子、おまえ樹里ちゃんをおれにとられたと思って悔しくてそんなこと言っているんだろ。はっはっはっ、悪かったな、樹里ちゃんはおれのことが好きらしい。もうお前なんかには興味がないんだってよ、ガッハッハ。囃子、おれの勝ちだ!」
……散々心配してやった、おれの貴重な時間を返せ。
「おれはこんなにセクシーな樹里ちゃんがいる、それに比べてお前は凶暴で人を殺しかける庵堂ツキミだ。お前にはそっちのほうがお似合いだろうがな。ガハハハッ。まっ、せいぜい殺されないように気をつけることだぜ、ガハハハハッ。さあ、樹里ちゃん、こんなやつ放っておいて、もう行きましょう」
早くどこか行っちまえ。早くしないと授業開始のチャイムが鳴るぞ。
「ねぇ、熱彦くぅん、今日一緒に帰りましょうね」
「うん。もちろんだよ」
それにしても飲村のやつ、樹里さんと意気投合した途端にガラッと性格が変わってしまった。ここまで単純なやつだとは思わなかったぜ。
それとも何だ、これが樹里さんのもつ魔性の力なのか? おれにはわからない。
飲村は終始ニヤニヤしながら樹里さんと腕をくんで、教室を出ていく。
樹里さんは頭を飲村の肩にあずけるようにして、しっかりと腕をくんで去っていったが、教室を出るとき、一度こっちをふり向いた。
そしてなぜかおれに向かって片目をつぶってウインクをした。
――おれはゾッとした。
何の合図だよ。どうしておれにウインクをしたのだ。今さっき飲村とよりを戻したんじゃなかったのか。
やっぱり、飲村のことをたぶらかす気じゃねえかよ。
しかし、そのことに飲村は全く気付いていない。
おい飲村、お前また泣くはめになりそうだぞ。
廊下から、浮かれまくった飲村の高笑いと、調子にのった声が聞こえてきた。
「ふわ、ふわ、ふわ、ふわ、樹里ちゃん、樹里ちゃん。じぇい、ゆー、あーる、あい、樹里ちゃーん。える、おー、ぶい、いー、樹里ちゃーん!」




