2 わたしに命令しないでくれる!
クラスメートに注目されているおれは、怒りと恥ずかしさで顔を伏せた。
桐咲は手を叩いて、ゲラゲラ笑っている。
今まで以上に憎しみをおぼえ怒りに耐えていたとき、うしろから小柄な女子が近づいて来たのに気がついた。
揺れるスカートの裾から伸びた細くてしなやかな脚。もしや平矢間さんが戻って来たのか、と思ったが別人だった。
「お姉ちゃん」
と、その娘は呼んだ。
おれはふり向き、その子の顔を見上げた。
「わたしのクラスの子がお姉ちゃんに相談したいことがあるって言ってるんだけど、会って話をきいてあげてくれないかな?」
その娘は真っ直ぐな眼で、桐咲に視線を送り続けていた。すごく美人だった。
「いいわよ」
「やったー」
「その代わり、わたしの言ったとおりのことを実行してもらうわよ。わたしの命令を厳守できないようなら話はしない。もし命令以外に余計なことをしでかしたらペナルティーを受けてもらうし、その時はただじゃおかない。その覚悟があるならいいわよって伝えなさい」
桐咲の言葉に、その娘は黙ってうないた。
桐咲と話している娘は可憐で初々しかった。
笑ったときの眼が桐咲にとてもよく似ていて、同じく顔だちも整っている。
初々しさの中に、ほのかな色気を感じさせるのは、この娘がもっている本来の資質だろうか。
それにしても、いったいこの娘はだれだ?
桐咲のことをお姉ちゃんと呼ぶということは……妹!
「あれ?」
「どうしたの、さくら?」
「この人、もしかして理くん?」
そうだ、おれはこの娘を知っている。むかし桐咲の家に遊びに行ったとき、ひとつ違いの妹さんがいて一緒に遊び、よくおれに懐いてくれた――桐咲の妹のさくらちゃんだ!
なんてことだ。あのさくらちゃんが、こんなに大きく綺麗になっていたのか。
「そうよ、囃子理よ」
「わあー、久しぶりー。わたしのこと覚えてますか?」
「うん、もちろん覚えているよ」
おれは、さくらちゃんの見事な成長に、驚愕していた。
「さくらちゃん、おれのこと覚えている?」
「あたりまえじゃないですか、よく一緒に遊んでもらいましたから。それより、わたしのこと覚えていてくれたんだ、うれしいです」
さくらちゃんはやさしく笑った。
「この高校にいるってことは知っていましたけど、お姉ちゃんと同じクラスだったんですね」
「さくら、用が済んだなら、早く自分の教室に戻りなさい」
桐咲はさくらちゃんに命令してから、おれを見て、
「どう、さくら美人になったでしょ? でも、間違って手ぇ出したりしたら承知しないわよ」
と、睨みをきかせた。
「もおーう、お姉ちゃん。そんな乱暴な言葉使っちゃダメでしょ」
さくらちゃんは両手を腰に当て、仁王立ちのポーズで桐咲に注意をした。
「そんなこと言うんだったら、あんたの友達と会ってあげないわよ。どうせその子も恋人がほしいとか何とか言っているんでしょ。言っておくけど、わたしはその子たちのために力を貸すんじゃないからね。これはわたしが楽しむための遊びで、そいつらを利用してやるだけなんだから勘違いしないでよ。わたしに文句言ったり指図するなら、いくらさくらでも許さないわよ。わたしは命令されるのが一番嫌いなの!」
何てやつだ、やはりこいつは自分の欲求を満たすためだけに、他人を弄んでいやがる。
少しはさくらちゃんの言うことをきけよ。
「さくらちゃん、その友達にやめるように言ったほうがいいよ。お姉ちゃんは悪いことをしているんだ」
「だまれ、囃子! おまえには関係ないだろ!」
桐咲は怒鳴った。その言葉使いだよ、さくらちゃんが注意しているのは。
さくらちゃん、もっと言ってやってくれ。
「あのさ、囃子。気安くうちの妹に話しかけないでくれる。あなたみたいな男と喋ったら、さくらが腐っておかしくなっちゃうじゃない」
そこまで言うか。いったいおれを何だと思ってる。ゴミか? ばい菌か?
「お姉ちゃんったら、そんなこと言ったら理くんがかわいそうでしょ」
さくらちゃんが味方してくれた。この娘はいい子だ。姉とは大違い。
「いい、さくら、よく聞きなさい。こいつはもう昔の囃子理じゃないの。さくらの知ってる囃子理とは別人なの。いまは脅されたら誰にでも何でもやってしまうような、弱っちい勇気の欠片もない、ただのビビリ男なのよ。試しにさくらもナイフで脅しちゃえば? 好きなもの買ってくれるかもよ」
なんだと桐咲、てめえ!
「お姉ちゃんっ!」
「いいのよ、こんなやつに遠慮なんかしないで。だって本当のことなんだもの。いまの彼女だって脅されてビビっちゃったから付き合うことにしたんだもんねぇ?」
こいつ! 言わせておけば!
「もしかしたら、今わたしが脅して、庵堂さんと別れろって言ったら、こいつビビッて今すぐ庵堂さんと別れちゃうかもしれないわね。はははっ、庵堂さんかわいそう」
「お姉ちゃん、もうやめて」
……さくらちゃん。
「理くんの悪口言うのはもうやめてあげて」
「どうしてさくらが怒るのよ」
「だって……お姉ちゃんひど過ぎるんだもの。いくらなんでも言い過ぎだよ、理くんがかわいそう」
……ありがとう、さくらちゃん。うれしいよ。
「全然可哀想じゃないし」
「もう理くんのこといじめないであげて」
「わたしに命令しないでくれる!」
「命令じゃないよ、じゃあもういい、お姉ちゃんが理くんのこといじめるなら、わたしが理くんのことを守ってあげるもん」
「バカじゃないの、こいつにはわたしが仲を取り持ってあげた庵堂さんっていう彼女がいるの。さくらが守ってやらなくても、こいつはその彼女に泣きついて慰めてもらうわよ。それに守るって何? わたしがこいつをいじめる時に、さくらが飛んでやってきてわたしを止めるっていうの、そんなの無理無理、発想がバカだわ」
「バカでもいいもん。お姉ちゃんこそそんな汚い言葉使ってたら、理くんに嫌われちゃうよ。お姉ちゃんが理くんをいじめ続けるなら、わたしは理くんの味方をする。理くんの彼女と協力して、お姉ちゃんから理くんを守ってあげる」
どこまでやさしい娘なんだ。うれしくて泣けてきそうだ。
姉妹だというのに、ここまで性格が異なるものなのだろうか。
「こいつに嫌われるのが何だっていうの、わたしはそんなの全然平気よ」
「もお、お姉ちゃんのバカ」
と、さくらちゃんは言った。
「もうチャイムが鳴ったから行かなくちゃならないけど、絶対に理くんをいじめないでよ。理くんもお姉ちゃんなんかに負けないでね」
おれはその言葉に励まされ、桐咲を睨んでやろうと思って見たが、桐咲は実の妹の背中を鬼のような形相で睨みつけていたので、一気に気持ちが萎えてしまった。
いまこの場にさくらちゃんがいないことを、とても寂しく思った。




