5 わかった、約束するよ
放課後。もはや恒例となりつつあるツキミとの下校だが、どこから聞いたのかツキミはストーカーの相談兼殺人未遂などの詳しい事情は知らないものの、昼休み、おれが平矢間さんに呼び出されたことは知っており、一緒に帰っていた途中、その話題について質問してきた。
「ねえ理。昼休みにこころちゃんと一緒にいたみたいだけど、二人きりで一体どこで何をしていたの?」
にこにこと笑顔ではいるが、その言葉には非常に棘があった。
「何かやましいことしていたんじゃないでしょうね」
「してねえよ。呼ばれて行ったら、相談があるって言うから聞いてあげてたんだ。可哀想にストーカーされているんだってよ」
「へえー、そうなんだ。理は、やけにこころちゃんにはやさしいんだね。で、本当に相談だけ? もっと他にも話したんでしょ? ねえ、どんな話したの?」
ツキミの冷たい視線はおれを射しつづける。
「ま、言わなくても大体わかっているけどね。それに、どうせ理がやさしい言葉をかけてあげたこともわかるし」
わかるのならきくな。というか、なぜわかるんだよ。
「ねえ、理。こころちゃんは桐咲さんの手下なのかな?」
ツキミは小さくつぶやいた。
「桐咲さんの手下で、今度はこころちゃんを、理と付き合わせようとしているのかな?」
「いいや、違うと思う」
とおれは答えた。
「どうしてわかるの?」
「核心はないけど、桐咲の手下ではないということだけはわかるんだ。たぶんだけど」
「ふーん、そっか。理はこころちゃんのことなら何でもわかるんだね」
と、ツキミは言った。
そんなことないぞ、平矢間さんのことはほとんどわからないと言ってもいいくらいだ。
何せ殺されかけたくらいだからな。
「で、理はそれで済むと思ってるわけ?」
「はへ?」
すると今度は、ツキミの表情から笑顔が消えた。
残酷な鬼のような目でおれを睨みつける。
「それって浮気だよね」
「え、浮気……?」
「わたし浮気とかする人、だいッ嫌いなんだけど!」
突風が目の前を通過していったかのような目に見えない圧力が、おれの全身の毛を反り返らせて体は後ずさせられた。
おれは、ツキミの迫力に圧倒される。
「ちょっとまて……」
浮気というのは夫婦や恋人同士など、特定の人間がいる場合にのみ使用されるわけであって、今のおれたち関係では、まあ一応当てはまるかもしれないが、その言葉は本当にふさわしいのだろうか……。
「いや、浮気じゃねえよ。ただ相談に乗ってあげただけで……」
平矢間さんのスカートの中を見てしまったのは仕方ないこと。
その他はけっして何もしていない。危うく殺されそうになっただけだ。
「なによ、開き直り? 彼女以外の女の子と二人っきりでこっそり話をするなんて、ほとんど浮気じゃないのよ! 罰ゲームで付き合うことになったからって、ほかの女の子と仲良くしてもいいとかって思ってるわけ!」
「ちげーよ。だったらその前に、お前はおれの何なんだよ」
そう言ってからおれはすこし後悔した。さっきまでの威勢のよかったツキミの表情が変わって、うつむいて元気をなくして、うっすらと目に涙が潤んでいるのが見えた。
「な、何よ、……わたしは理の彼女じゃないの? あの時、ちゃんと付き合うって言ってくれたよね」
言った、たしかに言った。
妖刀正宗を目の前にしたおれは、あの時たしかに、よろしくお願いします、と言ったけど……。
「……もしかして遊びだったの?」
遊びって、……それおまえのほうだろ。とは言えない。相手は泣きそうにしているんだもの。
おれは他になんと返事していいのか思いあたらず、
「…………」
黙ってしまった。
「やっぱり、そうなんだ、遊びのつもりでわたしと付き合ってたんだ……」
「いや、そうじゃない……」
「だったら何? 遊びじゃないならなんで付き合ったの?」
それはお前が刀を突きつけてきたからであって……だが、その言葉は言い出せない。
瞳をうるうるさせた女子を前にして、真実であってもこんなこと言えるやつは出てこい。
「それは……」
「はっきり言ってよ!」
ぐすんっ、と俯いたツキミの目にはうるうると涙が溜まり、今にもこぼれ落ちようとしていた。
「そ、それは……」
おれは黙りこんだ。
いくら凶暴なツキミとはいえ、瞳を潤ませる女子に向かって、「殺されそうだったからやむを得ず……」なんて、正直に言えるわけがない。
それこそ斬り殺されかねないだろう。
ツキミも黙った。うつむいて、おれたはその場に立ちつくしたまま、その場に静寂がおとづれた。
他の生徒たちが不思議そうにこちらを見つめながら、そばを通り過ぎていく。
しばらくして、ツキミは顔を上げた。そして、
「わかったわ……。あの娘さえいなくなればいいのね……」
ツキミは何か思いついたのか、小さくうなずいてから、くるりと背をむけて、どこかへ向かって歩きだした。
「どこ行くんだよ」
ツキミは立ち止まり、顔をこちらへ向けて、
「こころちゃんを殺しに行くの」
なっ?!
「あの娘がいなければ、理は浮気なんてしないでしょ?」
「ちょっ……、殺すっておまえ……」
その表情は冗談で言っているようには見えなかった。
マジかよ……。
おれは慌てて、ふたたび歩きだしたツキミを制した。
しかしツキミは、おれがつかんだ腕をふりほどく。
そしてツキミはくるりと体をこちらに向けた。
「だったら理は約束できる?」
艶のある綺麗な黒髪が、ふわりと舞った。
「理はこれからも、絶対に浮気しないって、わたしの側にずっと一緒にいるって約束できる?」
するどい光りを放つ瞳がおれを見る。
「ねえ、どうなの?」
おれは考えた。あれは浮気ではない。
だが、いまはツキミの暴走を止めなければならない。
もちろん平矢間さんが死ぬのは嫌だし考えたくもない、それにツキミが殺人犯になってしまうのを黙って見ているわけにはいかない。
元彼女が殺人を犯して塀の中にいるなんて、そんなハードな人生おれには向いていない。だから、
「わかった、約束するよ」
「本当? これからずっとわたしたち一緒だよ。どこにも行かないでよ。わたしの側から離れちゃ駄目だよ」
「ああ、ツキミがそれでいいのなら、おれはそうする。だから殺しに行くのはやめろ」
ツキミはうなずいてから、笑顔でおれに言った。
「うん。絶対だよ」
おれはほっとした。よかった。これで平矢間さんは殺されずに済む……と安堵した刹那――
にこりと微笑んだツキミは、右手には光り輝く妖刀正宗の冷たい銀色の刃をおれの喉元に突きつけ、おれの耳でそっとつぶやいた。
「こんど浮気したら、殺すからね」
しまった――と、思った。
油断していた。すっかり狂気な少女だということを忘れてしまっていた。
他人の心配をしているどころではない、自分の命の心配をしなきゃいけなかったのだ……。
背中に冷たいものが走った。全身から血の気が引けてゆく。
おれは引きつった顔を強引に笑顔に変えて、やさしく微笑むツキミと、じっと見つめ合う。
「は、はい……」
おれはこくりと頷いた。
「あと別れるとか言っても殺すからね」
微笑をうかべるツキミの笑顔は、ツキミは天使のものか悪魔なのかわからなかった。