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けれど現代詩の側も危機意識が足りなさすぎるのではないか
なんでよんでもらえると思っているんだろう、こんなせかいでも、せかいがかわったのだ、という、なかばなげやりに不在の敵をこさえ、だれかのせいで、だれかのためなのに、という欺瞞のために、歴史にも残らぬままに轢死を認めるシジンといういきものたち、けれどもみながそれらにきづいたのだ、ということもありうるだろう、ということにはみじんもならず、みなならずものだと吐き捨てる傲慢、放漫な他人事、それすなわちゲンダイシ、はやはりきょうも教科書にはよんでもらえなかった。――なんでよんでもらえると思っているんだろう。
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もはやアンソロジーは哀歌である、詩情なき叙情詩の、夥しい死臭、それの、しかしそれこそ烏合の衆である、いかに大衆迎合的でないかを語ることで、みずからの危機について騙りたがりたがるものたち、それなんてエレジー、すなわちゲンダイシ。
初出:2017年 05月14日 22時51分31秒活動報告「けれど現代詩の側も危機意識が足りなさすぎるのではないか」