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MONQVI  作者: 路瀕存
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夢前孝行「現代詩 理系の人間だから」への感想文

矛盾と論理破綻を配置し、イロニーをあらわしているメタ作品として拝読しました。


「理系の数式はほとんど答えが出ます」というところで、主体の「ぼく」が似非理系だとわかるしかけが、笑いを誘います。言語学にも数理や工学分野があるし、数理哲学もある。ましてやまともなトレーニングを積んだ学徒なら、一般不可能性定理(1963年)も、不完全性定理(1930年)も知らないはずはない。この前提でよむと、「だからぼくは若い頃大いに悩み苦しみました」や「だからぼくは二十代の頃混乱していました」は、たんにおまえの勉強がたりないのだばかものめ、として読めますし、視野が狭窄な青二才め、とよむことができそうです。


「意味のない詩は詩でないのです」はもはやパフォーマンスにしかみえないけれど、この作品がイロニーだったことをおもいだすと、「意味のない詩とて詩たりうる」と読めそうです。


そこで当然に思い浮かぶのが、「じゃあどこまでが詩の範疇にあるのか」という問いです。ところがこの作品には、わずかイロニーと余白(あとわずかな直喩)のみがレトリックとして目立っている。ではこれは果たして「現代詩」なのか、そもそも「詩」なのか、(あたかも誰かに宛てた手紙のような)散文じゃないのか、初期の岩成詩学がごとく主体が詩だと宣言すれば詩になってしまうのか、などとしてブーメランのごとくこの作品自体に襲いかかってくる。これもまた面白く感じました。

初出 夢前孝行「現代詩 理系の人間だから」2014年 07月13日 14時01分(http://ncode.syosetu.com/n7757ce/)(感想投稿日:2014/07/14 10:04)

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