道
記録的豪雨や地震などの天災が続きました。
九州の地震、関東の洪水 被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。
この文章を書いたのはずいぶん昔のことになりますが、大雨で大変なことが起きたこの時に敢えて発表させていただきます。
災害についての意見がご不快になられるようなら、どうか御読みになられませんようにお願いいたします。
不動産物件を探していると、よく出てくる項目がある。
“築〇〇年 駅迄〇〇分(時間)”
物件を探しているなら、この2つは絶対に外せない条件と言える。
できるならばどちらもなるべく少ない数字であれば良い。
とは言っても、築年数に関してはメンテナンスやリノベーションがしっかりしていれば、新築よりも良い物件になる場合もある。
問題は、駅までの距離である。こればかりはそうそう変えられるものではない。
住む所を探すということは、日常の根本を定めるということだ。通勤・通学に行楽・趣味、それに各種必要な物の買い出しなど、生活における行動の全てが居住地を基に決定されると言って良い。
ましてや自宅兼仕事場ならば、なおさらだろう。
賃貸の場合もまたしかり。契約を交わす以前に、物件の立地条件を吟味するのは絶対に必要だ。それには駅やバス停などの公共交通機関へのアクセスは必ず入っている。
どこに行くにしても、電車を利用するのであれば駅から近い方が楽だろうし、商売をするならば人が集まる場所が望ましい。ならば主要駅になるべく近くと希望するのはまぁ当然のことだ。
けれども。
本当にそれが最適解と言えるだろうか。
物件探しの際、大抵の人間は普段使いの条件ばかりを気にして、災害時のそれを考える事は少ない。それが、時に恐ろしい悲劇を生む。
現代においては建築技術も大幅に進化して、どれほど難しい土地にでも立派な建物を建てることが可能だ。が、それは飽くまで上物の話。
文字通り土台となる土地の在り様は、何百――いや、下手をすれば何千何万年も前から変わっていないのだ。
川を埋め立てて消してしまうことは出来るが、水の流れそのものは無くせない。流れはどこか別の方向に向けなければならない。
そして、流れを変えることは出来ても、水が落ち込む地形そのものを変えることはまず無理だ。
湿地帯であった場所も谷底も、どれほど宅地造成のために土地改良をしたところで限度がある。一旦天災クラスの大雨が降れば、普段は気にもならない僅かな高低差が命取りとなるのだ。
こういう時にこそ、普段気にもしなかった地面のアレコレが浮き上がってくる。歩くだけでは気づかない僅かな坂、蓋をされた側溝・暗渠、巨大な水溜まりと化すアンダーパス、何メートルも下を流れる地下水脈。
街中や田舎に関わらず、ある日突然牙を剥く自然地形は恐ろしいの一言に尽きる。
何が言いたいかと言うと。
今でこそいわゆる駅近は賑わっているが、その昔は辺りで1番辺鄙な――いや、危険な場所であったものがほとんどだということだ。
それはそうだろう。
鉄道と言うものができたのが1800年代なのだから、それに付随する停留所が出来上がったのもその辺り。人類文明はもう何千年も進んできた後だった。
であれば。
後進の技術であった鉄道施設が、居住に適した土地を易々と得れなかったのは理の当然だ。
当時はまだ未開の地が多かったアメリカ大陸はともかく、歴史ある国々は条件のそろった施設用地の確保に悩んだことだろう。
人や荷物を乗せる施設である駅は、主要なものであればあるほど広い土地を必要とする。
しかも、出来る限りフラットな地面でなければいけない。それは確かに何もない場所を探して設営するしかなかっただろう。
日本に鉄道が入ってきたのは明治時代の初め頃。東京の新橋―横浜間を蒸気機関車が走ったのが始まりだが、その後日本全国に公営私営の鉄道がどんどん広がっていった。
当然実際に路線を敷設計画した段階で、停留する場所も当たりを付けられていただろう。
古い集落の近くで、人を乗せるためのみの駅ならばさほど大きな施設は必要ないが、大量の荷を積み降ろしすることを前提とした停車駅ならば、駅舎だけでなく周辺にも広域の土地が要る。
そんな広さで地盤的安全性がある土地が、国土が狭い日本で明治時代まで余っているはずがない。
結果、それなりに人の行き来はあるものの、居住地としては見向きもされなかったような場所が“駅”として運営されることになったのではないだろうか。
つまり、大きな駅が在る場所と言うのは元々危険地帯なのだ。
場所によっては古くから住んでいる住人を立ち退かせて造った駅もあるかもしれないが、多くは水田や畑や昔からの空き地を潰して造ったはずだ。
であれば、洪水は勿論、場所によっては崖崩れや地滑り。そうした天災に弱い土地に駅は設置されているのではないか。
もちろん全てではないし、公共施設としてありとあらゆる安全対策は立てられている。が、だからと言って完全にその土地の特性を覆せたわけではない。
ただ毎日通り過ぎるだけの場所ならば回避することも出来るが、居住地・勤務地にするとなるとそうはいかない。
駅にほど近い場所に家屋を建築するのならば、災害対策は厳しくしなければならない。
だが、災害対策は行き過ぎると生活に不便を強いる。
客商売ならそれはある意味致命的になり得る。具体的に上げれば、入店時に段差がある店舗はそれだけでリスキーだ。
入り口のバリアフリーは災害時、外の危険をダイレクトに建屋内に迎えてしまう危険を内包していると言っていい。
建築基準法などを詳しく調べれば様々規約が存在して、それこそ敷地と道路の関係上、ああせねばならないこういう措置をとらねばならないと、専門家でない限り理解しきれない決まりごとが多々ある。
日常の動作と安全性、災害時の防災対策、それらをありとあらゆる面から審査して決定されているだろう様々な規定は、全てクリアできたとしても限度がある。
天災は時に人の予想や手に負える範囲を易々と超えてくるからだ。
道は人が作るだけではない。
そもそも、その始まりは獣道――野生の動物が移動し易い場所を見つけて、繰り返しそこを行き来することによってできる場所だ。
つまり、平時であれば行き来しやすい地点である。
地形は様々だが、山野の中にはそうした生き物の移動に叶う箇所というのは在りそうで少ない。
未だ文明が開け染める前には、人間の祖先もまたそうした道行を探りつつ生きる場所を選び、やがては自ら造作するようになり、それがやがてムラとなりマチとなって、最後にはクニとして機能するようになった。
その中を、歩き、走り、そして動かす。行き過ぎるための〝道〟。
インフラ――インフラストラクチャーと呼ばれる社会基盤の数々は、こうした積み重ねの歴史だ。
だからこそ、これから住まいを、仕事をする場所を選ぶ人たちに伝えたい。
鉄の道に乗るために人が集まる場所は、その土地の中でもっとも危険な場所にあるのかもしれないのだから、駅に近いという言葉に軽々しく乗るべきではないと。
前書きでもお知らせしましたが、これは随分前に書いたものです。
昔から漠然と思っていたことを書いてみました。
昔から大量の雨が降るたび、被害に遭っていたのは駅前商店街だったのを思い出した時、あれっ?と思ったのが切っ掛けでした。
県庁所在地がある市で、新幹線その他が停まる大規模駅施設の地下街が幾度となく浸水被害が起こっているのに、別場所にある繁華街の駅地下ではそれが無い。
なぜか?
元々、そういう土地だったからです。
筆者は2000年に起こった豪雨災害を経験いたしました。
幸い自身は大きな被害は受けませんでしたが、それは難儀な目に遭っていた知人やご近所の方々もいらっしゃいました。
その後、当時は現役で建築関係の仕事をしていた父が、床上浸水に係わる修繕であちこちに呼ばれたこともあって、本当に恐ろしかったです。




