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騙り神の忘却  作者: 不透明 白
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14/15

 〈 に 〉


 遡って十数分前の事。

 新井リコにぐるぐると回された反動で、胃の中がぐちゃぐちゃとうねりうねった挙句、胃の内容物が口から逆流しかけているという散々な結末を迎えた男が、一人トイレの個室でうずくまっていた。

「おぇ……」

 昼に食べたものが完全に消化されるには後数時間足りない為、今吐いたらドロドロとした「半固形半流体の何か」が吐き出されるのだろう。

 ……という想像をしたことによって、ますます気分が悪くなっていく。

 いっそのこと吐き出してしまった方が楽なのではないだろうか、という思考が去来し、観念して口から指を突っ込み、喉奥へと侵入させた。


 「おうぇ――」びちゃびちゃびちゃ……ぴち。


「ぷっ――あー、がらがらがら」

 ぴちゃっ。

 持っていたペットボトルの水で口をゆすいで、トイレの中へと吐き出す。

 ジャーーー……ゴゴゴ。

 吐瀉物が水流でグルグルと回り、便器の奥へと流され消えていく。

 吐き出したことで気分はかなり良くなったが、口に残る匂いやトイレの匂いがなくなったわけではないので、少しだけ不快感を覚えながら、骸井はついでに小便をしようと便器に座った。


「スッキリしたかな?」


 その声は隣の個室からだった。

 骸井がその声を聞いたとて、それが決して自分に向けてのものだとは思わなかったし、何なら汚い音を聞かせてしまって申し訳ないとすら思っていた。

 だが、よくよく考えてみるとおかしいという事に気付く。


 それは、その声が〝女子生徒の声〟であるという点だ。


 男子トイレで女子生徒の声が聞こえてくるパターンなんて、卑しい行為に及んでいる場合以外にないので、つまりはそういうことになる。

 そう考えると、先程聞こえてきた「スッキリしたかな?」という言葉の意味に整合性が取れ――


「骸井君、今変なこと考えてない?」


 ……こうやってわざわざ釘を刺される前にすぐトイレから退出していれば、こんなややこしい場面で知り合いと出会わなくて済んだかもしれないのに――という過ぎた後悔の重さに辟易しながらその声に応える。

「はぁ……ここは男子トイレなので、通報される前に今すぐ退室する事をお勧めしよう」

「大丈夫大丈夫! 僕もうんちしに来たからね!」

「大丈夫の意味をもう一度調べてこい」

 その声の主、『嵯峨野花』は「ぷはっ!」と破裂するような笑いを漏らした後に、「冗談! 冗談に決まってるじゃんか……本当にうんちすると思った?」と、全くありがたくない誘惑めいた台詞を吐いた。

 骸井はやれやれと溜息を吐いた後に、ふと、このまま小便をするのもどこか気まずいなぁと思っていると、


「骸井君おしっこするの恥ずかしがってない? 安心して! 今から僕、耳塞いでおくから! どうぞどうぞ、スッキリしてくださいな」


 といきなり図星を突いてきた上に、どうにも承諾しかねる提案をされてしまった。

 中性的で綺麗な声からは想像もできないような下品なワードが目立っているが、この言動をするのが彼女のデフォルトだということを知ったのは、実はかなり早い段階だった。

 と骸井は記憶している。

 それを思い起こすなら、あの日、あの時、その場所だったはずである。

 ――――。


「――回想に入る前に出した方がいいと思うよ?」


 隣から聞こえる野次に反論しようとしたが、一理あったので言い返す言葉も見つからない。

 癪なので口を(つぐ)んで、覚悟を決めることにした。

「回想には入らん」

「……」

 もう耳を塞いでいるのか、ただ黙っているだけなのか、返事はなかった。


 シャ―――………


 ……ごごご。

 グルグル回ると流水の映像が、太ももの裏に少し当たる水飛沫から勝手に思い浮かんでしまい、少し不快になる。

「スッキリ?」

「少し不快になった」

「骸井君は天邪鬼だねぇ」

 見えていないはずなのに。

 骸井の頭には「ニヤニヤしている嵯峨野花の顔」が、ありありと浮かんでいた。


 ―――………


 嵯峨野花の性格についての考証。


 初めに会った時の印象と今の印象はだいぶ変わっている。

 骸井の中で初めて会った時の嵯峨野花は「愛嬌と面倒見のいい不思議ちゃん」という評価だった。

 その要素が今は無いかと言われれば、別にそんな事はないけれど、その印象がだいぶ霞んでしまうほど『変人要素』が表面化してきたという、初見では絶対に見抜けないトラップカードが伏せられていたのだった。

 だから、彼女は友達が少ないのかもしれない。

 そして、彼女と同様に骸井にも友達がいない現状について考えると、嵯峨野花と関わっている事実がかえって、その他の人間関係との遠ざかりに大きく影響してそうだった。

 何とも痛手なハズレくじを引かされたもんだ……と骸井は肩を落とした。

 そして、気持ちを切り替え、便器から立ち上がった。

「君を揶揄(からか)うのは楽しいけど、でもそんなことがしたかったんじゃなくて、実は伝えたいことがあったから……話しかけたんだよね」

「何さ」

 カチャカチャとズボンのベルトを直しながら話半分で聞き流す骸井。


「このまま骸井君は教室に戻ると思うんだけど、その話し合い、あんまり意見を述べたりせずに、君を除いた三人のサポートになるような立場でいた方がいいと思うよ」


 と真剣な声音で嵯峨野はそう言った。

「お前……盗み聞きしてたのか」

「ううん。僕は何も見たり聞いたりしてないよ。ただずっとここでパチパチ擦ってただけ」

「男子トイレに何しに来てるんだお前は」


「……うん? いや、僕のことなんかどうでもよくって――男子トイレ? 今男子トイレって言った? 君は一体何を言ってるの? ここは〝女子トイレ〟だよ?」


「はぁ? 何を言って――」

 骸井に一抹の不安が募った。

「知ってた? この学校の男子トイレと女子トイレ、どっちも壁の色は白色で床も両方カーキ色なんだよ?」

 骸井だとしても、女子トイレの情報は流石に知らない。

 もしも、嵯峨野花の言っている事が本当ならば……。


「……なんて嘘はもうお前のせいで慣れっこだ。その話はダウト――ここは正真正銘、男子トイレだ」


「ふーん……どうしてそう言い切れるのかな」

「根拠なんか要らない。何故なら、僕がそんな些細でくだらない間違えなど犯すはずがないからだ」

「自信満々だね。じゃあ、その自分自身の確信に対して――『ここが男子トイレである』というその断固たる主張に対して――君はどれぐらい賭けれる?」

「何が狙いだ」

「ははっ、ただのお遊びだよ。例えば……じゃあ、自販機の飲み物一本とかどう?」

「別にそれでいいなら僕は構わない」

「そう! 良かった……じゃあ、答え合わせね。今から合図して、同時に扉を開けて個室から出るから……行くよ? せーのっ!」


 ぎぃ! 


 扉を開けた時、骸井の目の前には予想通り、小便器が数台並んでいた。

「やっぱり嘘だったじゃないか」

 骸井は嵯峨野花の声がしていた個室の方を向いた。

 しかしそこに、嵯峨野花は立っていなかった。

 どころか個室の扉さえ閉まったままだった。

「おい、嵯峨野」

 呼んでみても返事はない。

 何が起こったのかを判断しかねたまま、骸井は嵯峨野花の声がしていた個室の扉を開いて中を確認した。


『純粋純白の乙女が入っていたトイレの個室を開けるなんて……骸井君は本当にスケベだね!』


 デカデカとそう書かれた紙が閉じられた便器の蓋の上に置いてあった。

 その文字は太めのマジックペンで書かれていて、鮮やかの朱色が内容を扇情的に主張している。

 今更こんな煽り文章に頭が温まることは無いが、それよりも気になる事がある。


 ――さっきまで話していた嵯峨野花の声は一体何だったのか。


 あらかじめ録音をしていたにしては、余りにも会話が成立しすぎていた為ありえないとして……それなら一体、どうやって嵯峨野花と会話ができていたのか。

 骸井はしばらくの間、突っ立ったままで腕を組んで、色んな仮説を想像したが、どれもしっくりくるものではなかった。


 お手上げ状態であり、詰みだった。


 振り返ってみれば、骸井の経験上、投了するまで追い詰められる存在はこの学校に嵯峨野花以外にいなかった。

 嵯峨野花の話しぶりと性格のせいでいつの間にか油断させられているが、奴はかなりのやり手だ。

 ここでふと、気まぐれに、骸井は目の前に置いてあるその紙を手に持って、しっかりと見てみた。

 それはただ「こんなゴミをトイレに放置しておくのは、この学校の生徒としてどうなのか」と思ったが故の行動だったのかもしれない。

 光に透かしても、インクに触れても、紙の材質を確かめたとしても、そこから得られるものは何もなかった。

 一応裏返してみても真っ白で、何にも書かれていない。

 ならいいか、とぐちゃぐちゃに丸めて捨てようとしたその時――骸井はその手の動きを止めた。

 それは余りにも小さな「違和感」であり、「勘違い」で簡単に掃き捨てられるはずだった「気まぐれの偶然」と言ってもよかったものだった。


 でも、確かに「直感」が何かを引き留めた。


 骸井はもう一度、裏側の真っ白な紙面を表にして、斜めにし、小さな窓から入ってくる太陽の光で確認をする。

 するとそこには「規則的な曲線」で構成された、何か模様のような(がら)のような透明な線が刻まれていることに気が付いた。

 しかし、一部分を確認するだけでは全体的な構造を理解できないため、一体これが何なのかを全くと言っていい程に推測できないが、これ程までに複雑な曲線を規則的に配置するものなど一つしか知らない、と骸井は少し前の記憶を思い出す。


「〝結界術〟……か」


 もしかしたら嵯峨野花に盗み聞きをされているかもしれない、という考えから口に出してみたが、特に返事はなかった。

 しかしその魔法陣は、全体像が見えなかったとしても理解不可能なほどに複雑で、そして、何の文字かもわからない羅列があることから察するに、以前に神下冬太郎が教えてくれたものとは別の種類の魔法陣であることが判った。


 ――ぼっ。


「な――」

 持ち帰って神下に共有しようと思った次の瞬間、その紙から炎が上がり、骸井が驚いて手を離すと、煙も出ないままにその紙は異常な速度で燃え尽きて、後には何も残らなかった。

 骸井の中にはもう、とっくに気持ち悪さなど残っていなかった。

 その代わりに。

 それを覆すほどの。

 〝強烈な好奇心〟だけが、そこにはあった。

 骸井がトイレを出ると、同じタイミングで隣の扉も開いた。

「骸井君、話し合いが終わったら教室来てねー、待ってるよー! あと僕の助言、忘れないでねー」

「おい……」

 嵯峨野は骸井の言葉を待たずして行ってしまった。

 それから、骸井は早足で神下達がいる教室へと戻った。

 嵯峨野花との件で確認したいことがあったが、下手に長い時間を開けるのも申し訳が立たないので、一先ずは話を片付けてからまた嵯峨野と合流しよう、と骸井はそう思った。

2024/05/23に初投稿。本文は当時の文章から加筆・修正を加えての投稿になります。

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