嫉む僕らに一杯のエールを
私達の左右を、青少年らが弧を描くように追い抜いていく。
左腕を振り被り、槍を投げた。
褐色の青年が柄を握るのと刻等しく、白髪の少年が鞘から刃を瞬かせる。
ふたりの走る軌道が交錯し、銀の双弧が閃いた。
引き裂かれた喉笛から、碧花弁がひらひらと舞い落ちる。
私達の少し手前で、アレの顎が地に引き摺った。
ふたりの靴が同じ動きを辿る。
つま先を弾いて、鱗の上に飛び乗った。
「うぉあっ!」
「危なっ!?」
滑って落ちそうになったシーラの腕を掴んで、今なおのたうつ長身を駆けていく。
袖擦れ合うような所で樹々とすれ違い。
揺らぐ足場を飛んだり滑り降りたり。
夕色の木漏れ日に踊る落葉吹雪を突き抜けて。
「ちょっとちょっと止まって止まって止まってええええええ!?」
引っ張られ続けた少女の悲鳴が木霊する。
──見えた。
尾の先が黒硬として尖っている。
毒針にも思えるが、違う。
多分、甲羅だ。
「シーラっ」
「いやあああああ!」
「シーラ聞いてっ。私の魔力は衝撃を生むのが得意で、切れ味はないから頑丈な物は砕けない。あの茂みのところ、分かる?」
「ぇえ!?……あの、殻が付いてる三角のやつ!?」
首肯する。
「神経系の中枢、人で言えば脳や脊椎に当たる臓腑が入ってるんだ。シーラが砕いて」
「あんな岩みたいな分厚い層、得物の刃渡りが足りないわよっ!」
「罅入れるだけで構わない。切っ先さえ突き込めれば」
「……そういうことか。ったく貸しだから、ねッ!」
指を放してすぐ、彼女は跳んだ。
横に身体を転じ、枝を切り飛ばす。
横合いから樹々を迂回してきたリバースブーケが肉薄して、シーラの片目、朱い瞳が大きく見開かれて──。
横殴りのつむじ風に当てられ、巨口が脇に逸れた。
翠の煌絃が歪曲しながら空を奔る。
「ねぃッ!」
前方宙返りから大股に両足を開き、両逆手持ちされた劔が、深紅火を萌やしながら玄殻を貫いた。
円錐棘の突端がブレる。
「え?」
振り抜かれた尾鞭の先へ矮躯が弾き飛ばされる。
木にでも当たれば死……っ。
足を繰りながら上体をくの字に折って、藍色の双眸だけは彼女に釘付けしたまま、喉が張り裂けんばかりの金切り声を上げた。
「お願い止めてっ!!」
視界の端で男が杖を差し向け、滝の汗を掻きながら紺髪を浮き立たせ、翠瞳を瞠る。
大樹の幹と娘の背が衝突する寸前、褐色の影が割り込んだように見えた。
翡色の火燐が飛び散り、粉塵が爆心地を覆い隠す。
足下の蛇体が大きくのたうった。
垂直を越えて反りかえる蒼鱗。
落下していくその先に、黒々とした岩尖が揺れていた。
半ばに亀裂孔が走っている。
「ぃりゃぁぁぁぁああああああッッッ」
奇喚を咆えながら、Uターンしてきた頭部が薔薇牙腔を開けて肉薄した。
前に頭を倒しながら膝を丸める。
縦に回りながら両腕に劔を振り被る。
仰向けになったところで両脚を降ろし、広げて、上体を柄共々へそまで落とす。
「ぇぎゃあああああああああッッッ」
巨貌の顎下を穿った切っ先が、刃が、無数の碧鏡をこそぎ落としながら、リバースブーケの突進に合わせて奴の喉を裂いていった。
「ぅぅぅぅぅッ!」
剣身を赤紫灼輝の彗星と化させながら、腕を持っていかれないよう歯を食いしばる。
やがて、刃が下にすっぽ抜けた。
蛇尾の先は宙を泳いでいた。
少し遠い。
前にくるくると回転しながら、頭が上を向いた瞬間、腰を捻って傍の木幹を蹴り付ける。
遠心力を横旋りに変んじながらも、体は放物線というにはやや縦に長い曲線をなぞり、自由落下を続けていた。
この辺りか。
尻尾の先が丁度目前を通り過ぎようとしている。
上体を倒して、空に逆立ちする。
右手に柄を逆持ちする。
身体は旋回を続けていて、振り返りながら伸ばした腕に力を込めた。
蛇尾の先にある亀裂に、刃先がするりと滑り込む。
桃色の前髪は落ちかかり、露わになるツルリとしたおでこの下で、藍色の双瞳を眇めて。
「詠唱も久しぶりだな。えーっと、ラウカン……エファルタス」
古語。
意味は確か、魔果を味見する、だったはず。
罅穴から薄紅色の火花がちらついた。
黒甲が内側からバラバラに弾け飛ぶ。
長大な蛇躯を尾先から順に、鬣のような赤紫炎が舐めていく。
頭に燃え移って間もなく、魔物は地に伏せた。
私の体が落ちていく。
破片に切られた頬から赤い雫が浮き上がった。
瞼を閉じる。
風の音だけが聴こえていた。
「ナキっ」
誰かに受け止められて、彼を下敷きに尻もちを付く。
「いたた……」
目を開けると、白髪の童顔が私の手に押さえられていた。
「わっ、レイチェル!?」
慌てて飛び退くと、少年は鼻面を掌で覆いながら身を起こし、半眼を向けてくる。
「……ごめんて」
「誰も来ないと思った?」
眉を下げながら視線を漂わせ、屈んで手を差し伸べた。
彼は私の手首を掴んで引き寄せる。
「わっ」
つんのめる私の耳元に、レイチェルは口を寄せた。
「鈍感」
目を丸くする私が体を起こすと、引っ張られて彼も立つ。
「どういう」
「行こうか。剥ぎ取りまでが討伐だからね」
踵を返す少年の背は、なんだか強張っていた。
額をさするグルックに凭れ、シーラが小さな鼻から唇に伝う赤液を拭った。
青鱗に挟まった幾つもの矢、その一本をベルが引き抜き、頬に紅を引く。
杖を支えにしていた青年の体が後ろにフラついた。
走り寄って胸に受け止めたが、体格差のせいで重い。
「エイン」
「……なんだ」
目を瞑ったまま、不機嫌そうに眉を顰める魔法使い。
「ありがとね」
彼は緑の瞳を上向けてジッとこちらを窺うと、また寝顔に戻った。
「ふん。次はちゃんと戦わせろよ」
「……りょーかいっ」
「貴様っ、ぐえ!?」
棒読みの理由に言及しようとする仲間を地に落とし、私は身を翻す。
火照った頬を風が冷やしていく。
積もる落葉をブーツで掻き分けた。
傍に落ちている蒼い欠片が、紅色の森を写していた。
*
防具の縁金具が、日差しを湛えている。
ビレフの街、中央広場にて。
年も装いもバラバラの男女が、ざっと三十人ほど集まっていた。
ざわめきの中に微かな笑い声も混じり、弛緩した空気を眺めながら、欠伸する緑髪の娘を肘で小突く。
「軍議を始める。静粛に願おう」
大きな掲示板の前に立つ男が、気怠げな声音で言い放った。
短く切った茶髪と眠そうな半眼が特徴の壮年。
黙る者は少なかったが、彼は気にせず後ろ手を組んだまま。
「昨日、サジェ森林で確認されたハーバットによるスタンピードの殲滅作戦が決行された。周辺の魔物が同時に討伐された事もあり、作戦は無事成功している」
彼の隣に立っていた黒髪の娘が、チラと私に視線を向ける。
冒険者達は腕を打ち付け合い、不敵に軽口を交わして、俄かに活気づいた。
「そして本日未明。遠征から帰還する途中だったパーティが、草原地帯を行進するモゴンの群れを発見した」
大きくはないが、不穏などよめきが上がる。
「なんだっけ?」
「鼻の長い猪だね。雑食で、草も呑むがたまには小動物を狩りもする。人は食べないけど、縄張りに入った猟師がたまに襲われるらしい」
こめかみに指を当てて記憶を探る私に、答案をくれたベルは首を反らして文字通り上の空だった。