第7話 わかったこと
翌日、ウィルは魔女の家に一人で向かっていた。
ウィルの足取りは重い。行きたくないという気持ちと、仕事だから行かなければならないという気持ちが半分半分だった。
郵便局を今日はいつもより早く出た。いつもならミリィと会える時間を狙っていたのだが、今日はむしろ会いたくない気持ちが強いので、前の担当が行っていた時間に合わせて早くに出ることにしたのだ。
行きたくないと思っていても、歩いていれば魔女の家についてしまう。
「おはようございます」
ウィルの声はいつもより小さかった。気づかれなくてもいい、そんな気持ちがあらわれていた。
ウィルが思っていた通り、普段ならミリィは外に出て、雑草をとったり、鶏の世話をしているところが、時間が早いからいないようだった。
荷物を置いて、ポストの中の注文書を確認する。他には何もない、よし帰ろう、と帰り道へ向き直ったところ、ドアが開いた。
「ウィル、よかった、会えて。いつもより早かったのね」
ミリィはいつも通りだった。ただ、ウィルは居心地が悪い。いつもなら世間話でもするところだったけれど、言葉が上手くでてこない。結果、黙り込んでいた。
「ウィル、どうしたの。昨日もなんだかおかしいと思っていたの」
「いいえ、何でもないんです。何でも」
「私に力になれることがあったら言ってね」
ウィルは本当は、昨日の男との関係を聞きたかった。今も家の中にいるだろう男。関係は? 長いこと生きている魔女のミリィには直接の兄弟なんかはもういないだろうけど、遠い親戚か何かだろうか。それとも恋人?
でも、どの質問も、ただの郵便屋が聞くには立ち入りすぎている、とウィルは理解していた。
とっさにいい嘘も思いつかない。
「はい」
そう答えるのがウィルには精一杯だった。
答え終わった途端、ミリィのうしろから、声が聞こえた。
「あ、少年、きてるんだ」
昨日いた、男の声だ、とウィルは身体を固くした。
「ミリィが気にしちゃって大変だったよ、昨日、様子が変だったんだって?」
男のほうはなにも気おった様子もなく、ウィルに話しかけた。とはいえ、ウィルからその姿を見ることはできない。
ミリィが後ろを振り返る。
「アルト、余計な事いわないで」
「いいじゃん、こういうのは本人同士じゃないほうがいいこともあるって」
アルトと呼ばれた男はミリィの後ろからするりと外へ出てきた。
ウィルはアルトの姿を見て驚いた。昨日はすらっとした脚にぴったりのズボンだったが、今日はふんわりと広がるスカートをはいていたからだ。
顔もよく見ると丁寧に化粧がほどこされている。髪は短く背も高いが、きゃしゃな様子は女性に見えた。
「あれ、僕、男の人だと思い込んでいたんですけど、違いました?」
言われて、アルトは意味がわからないというようにきょとんと首を傾げた。
「どうしてそうなるの? 私は最初から女性だけど」
「アルト、君は都会の人だからわからないかもしれないけれど、私はウィルの気持ちもわかるよ。このあたりじゃ女性は毎日スカートをはいて、長い髪を結うものなの。あなたの格好だと、男に間違われても不思議はないわ」
「ああ! そういうこと!」
アルトは合点がいったと、両手をたたいた。
「いや、それなら紛らわしくてすまないね。首都に住んで長いものだから、伝統的な女性がどういうものか、私も忘れているんだ。はじめまして、ウィル、私はミリィの姉弟子、都会の魔女、アルトよ」
アルトの右手が差し出される。ウィルがおずおずと手をアルトの手に近づけると、アルトのほうが勢いよく握り、ぶんぶんと振り回した。
「まあ、ミリィったら妹弟子なのに、かわいげがない子だったけど、今回のことでちょっと見る目が変わったわ。あなたみたいな小さな子に振り回されて、面白いったらなかったの」
「ふりまわす?」
ウィルは心当たりがなく、首をかしげる。そのしぐさを見たアルトが「かわいい」とちいさくつぶやき、両手を口にあててため息をついた。
「ああ、なんてこと。これはミリィが気にかけるのもわかるわ」
「何いってるの、アルト。もういいでしょう。中に入っていて」
ミリィがアルトを家の中に押し込んで、ドアをバタンと閉めた。
「アルトはいつもあんな感じで、魔女仲間で友達で、たまに家族みたいなの。今回もいきなり来て、私も驚いたのよ。会うのも100年ぶりくらいなんだけど、相変わらずだったわ。たぶんそのうち帰ると思うの、王都に仕事もあるだろうから」
話を聞いていて、ウィルは心が少しずつ落ち着いていくのがわかった。もやもやしていた気持ちが少しずつ晴れていく。
アルトという人が、ミリィと同じ魔女で、ミリィのパートナーになる人ではないこと、ずっといるわけではないことがわかって、安心していた。
「そうなんですね。そうなんだ。そっか」
ゆっくりかみしめるように言う。
ミリィはウィルがなぜ安心したようにしているのかがわからない。
「ウィル、どうかした?」
「いいえ、なんでもないんです。僕の問題なので」
「そう、ならいいけど。そうだ、昨日も何かあったの? なんだかいつもと違うから気になっていたの」
「気にしてくれてたんですね」
「そうだね。友人が調子が悪そうにしてたら、気になるよ」
ウィルはうれしくなって、にっこり笑った。
「それこそ、何でもないです。僕、アルトさんが男の人かと思っていて、それでびっくりしただけです。結婚するような人がいたのかと思って」
「ああ、昨日はアルトがズボンをはいていたからね。ああいうものが王都では流行っているらしいよ。でもそもそも魔女は結婚をしないからね」
「結婚、しないんですか」
初めて聞く話にウィルは驚いて目を見開いた。ミリィ以外の魔女に会ったことがないし、ほかにいるともしらなかったから、ウィルは魔女について何も知らない。
「そうだね。しようとすると、まず魔女でなくならなければならないんだ。魔女には戸籍がないから。それに子どもを産むことができない。魔女をやめれば子どもを授かれるが、同時に永遠の命を失う」
「そんなふうに、魔女が僕たちと違うって初めて知りました」
「そうだね、魔女もすくなくなったし、知る人がいないから、きいたことがないのも当たり前だ」
「ミリィさんは、魔女をやめたいって、思ったことはないんですか?」
ウィルがそう聞いた。結婚ができないということは、家族を自分で作ることができないということで、永遠に一人で生きるということだ。
知り合いもきっとどんどんいなくなるだろう。そこまでして長生きをしたい理由がミリィにはあるのだろうか。
「ないよ。今のところ、私は好きな研究をずっとしていられる、今の生活に満足しているからね」
「そうなんですね」
ミリィは何も気にしていない様子だったが、一方ウィルは、自分のことではないのに、自分のことのように感じて、悲しくなった。
ウィルが大きくなっても、ミリィは変わらずここに住み、老いることなく、変化せずに、ウィルが死ぬまで、今のまま居続けるのだろう。
想像すると、ウィルの胸がくるしくなる。
昨日、アルトのことを考えた時とは違う苦しさだった。
「魔女と人間は、違ういきものなんですね」
ウィルがやっと言えたのは、その一言だけだった。
ミリィは淡々と話す。その声には諦念がこめられていた。
「違うわけではないけれど、生きる時間が違うね。それがいやで、私たちから離れる人、恐れる人、いろいろな人がいたよ」
「僕はちがいます!」
ウィルは思わず大きな声を出していた。本心だった。
ミリィがどんな人であっても、ウィルの気持ちは変わらない。恐れたり、離れようとはおもわなかった。
「僕は、嫌じゃないです。できるだけ、一緒にいられたらうれしいです。それがミリィさんにとって、短い時間だとしても」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
ミリィは深緑の瞳を嬉しそうに細めた。