第2話 ちいさな郵便屋さん
郵便屋の小さなウィルは、朝起きた。そして、今日は魔女のミリィの家に行かない日だと思い出した。そのせいで、少し暗い気持ちになった。
ウィルにとってミリィは特別な存在だった。郵便屋になった最初に担当になったのがミリィの家だったからだ。
ウィルは、前の担当から、引き継がれた日のことを思い出した。
※※※※
「あの森には、恐ろしい魔女が住んでいる。話しかけると呪われてしまうぞ。気をつけるんだな。」
そんなふうに言われた。そのため、ウィルは初めてミリィの家に行った時、恐ろしくてビクビクしていた。
いくつかの郵便物と、前日に依頼されていた荷物を背負ってゆっくり進む。鶏の鳴き声を聞いては驚いて尻餅をついた。風が木々を揺らす音を聞いては魔女の笑い声に聞こえて、泣いてしまいそうになるのを必死でこらえたりした。
そうやって、ゆっくり進んでいると、道の先に家が見えてきた。いかにも魔女の家らしい蔦が、たくさん絡まった古い屋敷だった。ただ思ったよりも小さく、1階建ての石造りの建物。
どんな人が住んでいるんだろう。
魔女というくらいだからおばあさんだろうな。怖くないといいな。
前の担当は、魔女に会ったことがないと言っていた。手紙と荷物のやり取りだけで、見たことがないと。ずいぶん長く通っていたのに不思議だとも。
ウィルがちょうどドアの前に到着し、荷物を下ろそうとしたところ中から女性が出てきた。ふわふわにカールした赤い髪を後ろで一つにくくって、緑の目をした。20歳位に見える。ウィルはきれいな人だなと思った。
女性はすらっと手が長く背が高い。ウィルは、もしかして、想像とは違うけれど、この人が魔女だろうか。
魔女に出会うとは思っても見なくて驚いて固まってしまった。前の担当だった先輩からも魔女に会った事は無い。ただ荷物を置いてくれば良いと聞いていた。そのため、すっかりそのつもりでいたのだった。
きれいな人だと思ったが、魔女だと思うと途端に恐ろしさがこみ上げてくる。ウィルは震えながら魔女の顔を見上げた。魔女も誰かがいるとは思わなかったようで、びっくりした様子でウィルを見下ろしていた。
「ああ、びっくりした。いつもなら、もう荷物がある時間だと思って、出てきてしまったわ」
魔女がそう言ったので、ウィルはびっくりした。でも言われて気づいたけれど、ウィルが郵便局を出て、もうだいぶ時間が経っていた。初めてのことでおっかなびっくり進んできたものだから、この家に着くまでずいぶん時間をかけてしまった。
きっと前の担当よりはだいぶ遅くに、この家に着いたのだろう。
「遅くなってすみません。僕は配達が今日が初めてでした。準備に手間取ってしまいました」
「そうだったの。郵便屋さんと会うのは、私ももう何十年ぶりかだから驚いてしまって、ごめんなさいね。いつも荷物を届けてもらってありがとう」
魔女はウィルの予想とは裏腹にとても親切で背中の荷物を下ろすのを手伝ってくれた。
「こんなにたくさんの荷物重くなかった? 毎日届けてもらってるのだから、もう少し量が減りそうなものだけど、重いものがまとめてになってしまうとかわいそうね」
これからは無理のない範囲で分けて持ってきてくれればいいよ。魔女はウィルがイメージしていた魔女とは違い、とても優しくそういった。もう一度顔を見ると怖がらせないようにと配慮してくれたのだろう。ニコニコと笑っているのがわかった。
魔女が思っていたよりも、優しそうな人でとても安心した。怖がっていたのが嘘のように気持ちが晴れていくのを感じていた。
「あのぼく、ウィルっていいます」
「ウィルね。はじめまして、私はミリィ」
街の人たちは魔女のことを魔女としか呼ばなかった。誰も魔女の名前を覚えていなかったので、ウィルは初めて魔女の名前を知った。きっと郵便局でも誰も名前を知らないに違いない。
ウィルはなんだかとても大事なことを教えてもらった気がしてうれしくなった。郵便局どころか、きっとこの街で魔女の名前を知っているのは自分ひとりだ。そう考えるととても得意な気持ちになってウィルは調子良く話し始めた。
「ぼく、元気だけが取り柄ですから何か欲しいものの他にもやってほしいこととかあったら遠慮なく言ってくださいね」
「そう、それはありがたいわ。また何か思いついたらお願いするわね」
その日からウィルは毎日魔女のところに通った。用事がある日もない日も、雨の日も風の日も行かなくていいのに来なくていいのに、みんなから言われていたけどけれど、魔女からも言われていたけれど、ウィルは行きたかった。
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ウィルは毎朝、朝の配達を終えると、ミリィのための買い出しに出かける。ミリィは特別なお客さんで、毎日宅配を郵便屋に頼んでいた。その代わりにいろんな常備薬を郵便屋に代金としてくれるのだ。
その薬を郵便局では郵便局にやってきたお客さんに行ったりする。魔女の薬はとても効き目が良くて評判が良かった。そのためだけに郵便局に来る人たちで列ができるほどだったのだ。
今日はミリィがいないから、そういったミリィのための買い物もせず、ウィルは部屋で一人、ベッドの端に座って、何をしようか考えながら、部屋の壁を見つめていた。
「坊主、めずらしく元気がないな」
ウィルの部屋だったが、郵便局に住んでいる人たちはみんな家族のようなもので、よく互いの部屋に勝手に入ってきていた。鍵もかかっていないし、ノックはたまにするくらいだ。
今入ってきたのは、ベテランの郵便局員でよく見るのことを気にかけて、声をかけてくれるマークだった。
「そんなことないですけど」
そんなことはあった。ミリィの家に行けないのはウィルにとってとてもショックで悲しいことだった。明日には帰ってくると言っていたけれど、出かけている最中に何か悪い事でもあるんじゃないか。
もし出かけた先を気に入って、今度からそこに住もうなんて言い出したらウィルはミリィと会えなくなってしまう。
マークは入口近くに置いてある背もたれのない腰かけ椅子に無断で座り、足を組み言った。
「そういや、お前がこの時間にここにいるの珍しいな。魔女の家には行かなくていいのか」
「留守にするそうなので、来なくていいと言われました。いきなり仕事がなくなると、何していいかわからなくなってしまって、ここに座っていたところです」
「なんだ、そんなことで元気がなかったのか。俺はてっきり恋煩いでもしてるのかと思ったよ」
ウィルは首をかしげた。
ウィルは今まで、恋だって考えたこともなかった。学校に通っていた時は、そういう話をしている子たちもいた。
そして郵便屋さんになってからは、大人たちのそういう話を聞くことも多かったけれど、自分がそういう風に思われるようなことをしているとは思ってもみなかった。
「なんかやたらため息ついてる声が聞こえるもんだからささあこりゃウィル坊にも春が来たってもんだってみんなで茶化してたんだけどな。違うのか」
「違います」
ウィルは反射的に否定する。だって考えていたのは、魔女のミリィのことで恋のことなんかじゃない。
…恋のことなんかじゃない?
「どうしたウィル。顔真っ赤だぞやっぱり図星だったんじゃないか」
ウィルは慌てて首を振って両手を振って指定したがまいとは、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて、まるでちょうどいいおもちゃが見つかったと喜ぶ子どものようだった。
「何かあったら、経験豊富な俺様に相談してくれたっていい」
と言った。
ウィルは赤になった顔を覚ましながら、自分がどうして赤くなったのかまだわからないままでいた。