最後通告
彼らは逢瀬を約束した男女のようであった。セレスティアがオスカーを伴って前日と同じ通りに赴くと、そこにはサルヴァトーレと彼の従者が待っていた。馬車はなく、王子は外套の頭巾で顔を隠し、平然として従者に剣を持たせていた。彼女の到着に気付くと、彼は指先で頭巾を持ち上げ、穏やかに微笑んだ。
「その様子では、君は考えを変えていないようだね」
セレスティアは話すには少し遠い間隔を空けて立ち止まった。慎重に口を開く。
「初めからわかっていたことでしょう。それで、一体何のつもりなのかしら」
「昨日、君がしたことと同じさ。仲間たちから君を切り離す。今日起こることの筋書きは、昨日会う前から決まっていたからね。王城の攻略に、そこの彼を寄越さなかったのは予想外だったけれど」
と、サルヴァトーレはオスカーにちらりと目をやった。セレスティアは警戒を強め、低い声で言う。
「昨日の時点で、どこまで知っていたの?」
「大したことは何も。君たちが潜入済みということくらいかな。そう、だからまさかあんな派手なことをしでかすとは思ってもみなかった!戻ってから報告を聞いて、危うくひっくり返るところだったよ。いやあ、それにしても、俺たちは本当によく似ているよ。こうまで企むことが一緒だなんてね」
この日のサルヴァトーレは、普段以上にどこかわざとらしさがあった。おどけ、言葉のあちこちに強勢を置き、隙あらば微笑を彼女に向ける。それはまるで取り繕うようで、これから長々と言い訳を始めかねない調子である。そんな彼に、セレスティアはただ探るような眼差しを向けている。不変の態度は覚悟の証なのかもしれない。
「私はここに来なかったかもしれないわ」
「来たじゃないか。仮定の話なんて無駄なことさ。…まあ、君が来るのはわかっていたよ、レス。というのは、同じ状況だったら、俺も君に会いに行っていたはずだからだけれどね」
彼から忍び寄るような目線を受け、彼女はおもむろに一歩後退った。しかし彼女の瞳は、頭巾から半ば覗いている柘榴をまっすぐに捉えている。と、そのとき、遠方から何かが激しく倒壊するような音が響き、彼らの注意を逸らした。音の正体に気付き、サルヴァトーレは乾いた声で笑った。
「思ったよりも早かったな。あそこに置いてきたものなんて、一つもないから良いけれど」
「今のは何?」
「城だよ。大方、ヴァレンティノの仕業さ。さて、今ので一体どれだけの人間が命を落としたのだろう?君の友人たちはそこに含まれているかな?」
セレスティアは彼の戯言には耳を貸さず、固い表情で言う。
「…私が昨日言ったことを覚えているわね」
「さて、どれのことだろう。愛している、とか…それは夢で見ただけだったっけ?」
茶会の席にでもいるかのように、サルヴァトーレは暢気な笑い声を上げた。そして、同じ笑顔をセレスティアに期待する。しかし、紅茶の香りは彼女の鼻をくすぐってはいなかった。
彼女は迷いなく武器を取り出し、彼の頭めがけ、目にも留まらぬ速さで棍を振った。彼は手のひらでそれを受け止めた。柘榴は鮮血の如き輝きに取って代わっている。オスカーは身じろぎもせずにそれを見守り、何も知らずに通りを歩いていた人々は何事かと彼らに視線を送った。サルヴァトーレはそっと棍を押し返した。
「御侠な王女様がいたものだね」
セレスティアは踏み出していた足を戻し、武器を構え直した。
「私とあなた、どちらかが死ぬ。そう言ったのよ」
「そうだった、そうだった。実に悲しいことだよ。二人、手を取り合って歩む道が通行止めになっていたなんてね」
さも口惜しそうに首を振る彼の目は、最早笑っていなかった。セレスティアは棍を握る手に一瞬力を込めた。
「終わりにしましょう、サルヴァトーレ」
「そうしようか、セレスティア」
サルヴァトーレは従者に持たせていた剣に手を伸ばしたが、それに触れる寸前に手を止め、けれど、とおもむろに呟いた。手を下ろし、無表情に彼女を見つめる。
「俺は勝ちを譲る気はなくてね。多少汚い手を使ってでも、泥濘を踏むように君を足蹴にし、君のすべてを破壊しなきゃならないのさ。そうでもしないと、君は立ち上がって、俺から勝利を掠め取ろうとするだろうから」
彼は頭巾を取った。悲しみのような何かを映す瞳が、ほんのわずかに揺れている。セレスティアの後ろで、オスカーが苦悶に満ちた呻き声を上げた。時が来たのだと、彼女は知る。
「俺だって、喜んで君をこんな目に遭わせているわけじゃない。申し訳ないと思っているよ、本当にね。けれど、何があろうと、ここで死ぬのが俺であるわけにはいかない。だから、これで挫け、あわよくば…あわよくば、死んでくれ。俺が直接手を下さないで済むようにさ」
サルヴァトーレがそう言っている間も、オスカーは低く唸り続け、その声は次第に大きくなってきていた。セレスティアは驚きもせず、絶望すら見せず、愚鈍に彼を振り返った。涙に暮れ、無駄と知りながら、オスカーは必死で変化を止めようとあがいている。彼女を見つめる眼差しは生前のそれそのものだが、抜け殻となった身体を他人に操られる身となった今では、そこにいるのがオスカーであると認めるのも難しい。
「ティア…」
絞り出すようにそう言うと、オスカーは激しい咆哮と共に竜へと変身した。人々の悲鳴が甲高く響き渡っても、セレスティアはまるで別世界にいるかのような静謐さで彼を見上げていた。心を殺しているのである。竜の翼に煽られ、砂埃に付き添われて天幕が吹き飛ばされる。叫喚を残して人々は姿を消す。
そしていよいよ、竜は彼女を狙ってその鋭い爪を振り下ろす。彼女が動き出すのもそれと同時である。彼女は物という物を利用して家屋の上まで駆け登り、そこから竜の胴体に狙いを定めて飛び上がる。攻撃は外れ、かろうじて脚を掠める。竜が着地を待ってくれるはずもなく、再び爪が迫り来るのを頭上に感じる。彼女は空中で身体をよじり、棍でそれを弾き返す。
猛り狂った竜は吠え、翼を大きくはためかせる。その風だけで、大地が揺れ動いているかのような衝撃を放つ。当然、彼女相手には無駄なことだが。彼女は暴風の中に立ち、強く唇を噛みしめ、どうしたものかと思考を巡らせる。何としても勝たねばならない。まだ背後にいる男の野望を、命に代えてでも打ち砕かねばならない。
セレスティアは風の中を突っ切り、竜の飛んでいる真下に到達すると、そこで思い切り棍を打ち上げる。棍が竜の身体に接近したとき、彼女は力を解放する。棍に埋め込まれている緋石が連動し、そこから身を斬り刻む風が放たれる。棍はすぐに翼に煽られ吹き飛ばされるが、その数瞬は、竜の片翼を傷つけるには十分であった。
機能しない片翼のために空中に留まれなくなった竜は、音を立てて地上に降り立つ。しかし怯んだ様子はない。その獰猛な瞳が彼女を捉える。それの動きは、巨大な体躯にしては俊敏である。間髪入れずに腕を振り上げ、迷いなく彼女を攻撃する。
竜と彼女の距離はあまりに近く、武器を持たぬ彼女はかわしきれずにその一撃を喰らう。血しぶきを上げて左腕が地面に落ち、彼女の顔が苦痛に歪む。眩暈のするような痛みを堪え、彼女は後ろに大きく飛び退いて竜と距離を取る。竜を睨みつける彼女は、まるで亡霊のようだ。
勝たねば。すべての芽を刈り尽くさねば。さもなくば…?
「ここでは、死ねない…!」
怨言のように低く呟くと、彼女は再び竜へと突進していく。それは万策尽きた、捨て身の行動であるように見えた。いや、実際そうだったのだろう。しかしそこで奇妙なことが起こる。彼女の緋眼がかつてない輝きを放ち、それに呼応するように、風が彼女の周囲に集まり始めたのである。
それは通常の彼女の能力ではないし、また暴走の類とも思えない。召喚とも呼ぶべきこの現象を起こすことができるのは、神獣だけではなかったのか?しかしとにかく、彼女はそういうことをやってのけたのである。
呼び起こされた風は彼女と竜を取り巻き、彼女が竜に近づくにつれ、同様にじりじりとその幅を狭めていく。彼女は風を纏わせた腕を振りかざし、一気に風を放つ。抵抗の暇もなく、竜は風に包まれ、その身を斬り裂かれていく。竜と目が合い、永遠のような最後の一瞬が怒涛のように彼女を襲う。風が止まぬよう、彼女は必死で動揺を殺している。体力の限界まで風の刃を放ち続ける。竜が唸る。
とうとう攻撃の勢いが弱まってきたとき、突然竜の身体がぐらりと揺れる。その体躯がいよいよ崩壊し始める。風が止んだとき、竜はゆっくりと、本当にゆっくりと、地面に倒れ込もうとしていた。その眼差しは、まるで意志を持っているかのように、まっすぐに彼女に向けられている。立つのもやっとな彼女は、霞む視界でそれを捉える。
「あなたは、あの日もそんな目を…」
目を閉じて地面に伏す間際、竜は人の姿を取り戻す。彼を受け止めた彼女はへたり込み、わずかな希望を求めて彼の顔を覗き込む。生命の気配はない。彼女は片腕で、血塗れの彼の身体を抱え、涙する。実に静かに、その横顔を見なければ気付けないほど静かに、愛した男のために涙を流しているのである。二度と動くはずのない身体を力なく揺すり、悔恨ばかり目につく道を想う。
「…気付いていたのか」
背後からそんな声がしても、セレスティアは微動だにしなかった。サルヴァトーレは彼女の後ろに立ち、剣の刃を彼女の首に当てていた。彼は震える声で続けた。
「気付いていたのだろう、レス?その男がとっくに死んでいたことに」
答えはない。柄を握るサルヴァトーレの手に力がこもる。
「何故、もっと早く手を打たなかった?こうなるとわかっていながら、何故葬らなかった?君の不利に働くことは、目に見えていたはずじゃないか…!愛のためだなどと、言ってくれるなよ…そんなことのために、大義を犠牲にしたなどと…」
彼の言葉の終わりは、ようやく聞き取れる程度にか細かった。俯いたままの彼女が、ぽつりと言葉を紡ぎ出す。
「…誰かを想う心まで捨ててしまったら、私には何も残らない。私は…私は、それが怖かった。怖かったの、サルヴァ…何もなく、ただがむしゃらに生きることしかできない自分に戻るのが」
しゃくり上げるのを堪えるように、彼女は強く唇を噛んだ。サルヴァトーレは絶句し、彼女を見つめている。
「…私の負けね。彼が死の影に追いつかれていると知りながら、ひたすら見ない振りをしていたなんて。…死ねない…こんなところでは、死ねないのに」
彼女は小さく笑い、その拍子に再び涙が屍の上に落ちた。
「なんて愚かな…」
サルヴァトーレは絞り出すように言ったが、セレスティアはまた沈黙した。首を落とされるのを待っているかのように。その不可解な静寂はしばらく続き、やがて彼は深く息をついた。
「…立て。俺と戦え、レス」
「このまま殺せば良いでしょう」
「俺は無抵抗の人間は斬らない」
「…そう。それなら、引き分けかしらね」
こんなときになって、彼女は下手な冗談を言って笑った。それが彼を強く苛立たせた。
「何故だ、レス?俺が憎くないのか!俺を殺してやりたいはずだろう?彼をそんな目に遭わせた原因の一端を握っているこの俺を、殺したいと思わないわけがないじゃないか!?」
激昂した彼は不意に従者が傍に立っていることに気付いた。従者は落ちていた彼女の腕を拾って持って来たのである。サルヴァトーレはそれをひったくり、押し付けるようにして彼女に戻し、傷を癒す。彼女は戻った左手を茫然と見つめた。
「…どうして殺さないの?」
「言ったはずだ。無抵抗の―」
彼が言いかけている最中に猛然と振り返った彼女は、悲しみの去った光のない紫苑を見せた。
「そんな言い訳は聞いていないわ。どうして、殺してくれないのかと聞いているの。あなたが終わりにしてくれたら、私は…」
「そんなこと、俺の知ったことか!立て、セレスティア!ここでは死ねないのだろう!?なら、本気で俺を殺しに来い!死ぬならせめて、戦いの果てに死ね!」
無我夢中でそう怒鳴ったサルヴァトーレは、長々と息を吸い込みながら一歩下がり、彼女の様子を観察した。彼女はしばらくじっと動かなかったが、やがて物憂げに立ち上がった。彼女がまた獣に身を委ねるのだと、私ははっきりと悟った。
「俺と君のどちらかが、死ぬ」
彼は確認するように言った。彼女は虚ろな表情で頷いた。彼女が武器をなくしていることを思い出すと、彼は人形のように佇んでいた従者が腰に下げていた剣を奪うように取り、彼女に投げて寄越した。彼女はそれを受け取り、鞘を投げ捨てた。武器を構えた彼女は、誰かの死を嘆く目などしていなかった。二人はしばし見つめ合った。
先に動いたのは彼女だった。尋常でない速度で距離を詰め、彼を斬りつけようとする。刃先は確かな軌道で彼の胴体を目指したが、彼はそれをかわし、反撃に転じる。静まり返った街路に、剣同士が激しく打ち合う音が響く。緋眼を輝かせ、彼女は風の刃を仕向ける。が、それは彼の雷という防具に阻まれて届かない。終わりの見えない戦いになるのは明らかだった。
埒が明かないと判断したのは彼も同じであった。彼は隙を見て剣を天高く振りかざす。すると、彼が呼び起こしたかのように、雷が剣めがけて落ちてくる。その光景に彼女は愕然とする。そう、それは神獣ゼフロエートムの能力をそっくり真似たようであった。彼女の表情に気付き、彼は事もなげに言う。
「ゼフロエートムの血を少し拝借しただけさ」
「何てことを…」
「心配しなくても、これくらいであの神獣は死んだりしない。俺はただ、君のような人間を苦しませずに逝かせてあげたいだけだ。…覚悟はあるのだろう?」
沈黙を答えにし、彼女は距離を取って体勢を整える。こうなってはあの天馬と戦っているも同然であった。あるいは、攻撃がろくに効かない分、こちらのほうが性質が悪いかもしれない。しかし此度も、彼女には味方が現れる。
威勢の良い雄叫びが聞こえてきたかと思うと、その男はどういうわけか空から奇襲攻撃を仕掛けてきた。それは易々とかわされたものの、彼にとっては、サルヴァトーレの注意を逸らすことができれば何でも良かった。王子は不愉快そうな表情で、愉快そうに言った。
「これはこれは…テオ。また君に斬りつけられるとは」
「こっちにも、譲れねえもんくらいあるんでね」
テオはここでは場違いになる好戦的な表情で答えた。セレスティアは当惑して彼を見る。
「あなた、ここで何を―」
「おっと、話は後だぜ、セレスティア!まずはこの野郎をぶっ飛ばしてやらなきゃな」
彼女は納得したわけではなさそうだったが、仕方なく敵に向き直った。
しかし、二人で挑んでもなお、サルヴァトーレを討ち取ることはできそうになかった。決して彼らの力不足のためではない。ただ斬り合うだけなら、とっくにセレスティアに軍配が上がっていたことだろう。確かな実力差にもかかわらず決着をつけることができないのは、紛れもなくサルヴァトーレの鉄壁ぶりのためであった。何度攻撃を喰らわせても、彼の纏う雷が力を分散させてしまう。
となれば彼が消耗しきるのを待つ他ないが、彼の剣がゼフロエートムの血をふんだんに受けているがために、その攻撃を受ければひとたまりもないという状況下では、こちらがそれほど持ち堪えられるかも怪しいものだった。何せ、今やサルヴァトーレはこの上ない殺意を持って彼らに挑んでいたのだから。
わからないほど徐々に、しかし着実に追い詰められていく中、テオは何かを閃いた様子で敵から大きく距離を取る。そして同じく距離を取っていたセレスティアにだけ聞こえるように小声で言う。
「なあ…同じ素材でできた盾と矛だったら、どっちが強いと思う?」
「何…?」
「わかるだろ?良いか、俺に考えがある。全面的にお前次第になりそうだけどよ…」
そう言うなり彼は駆け出し、全身全霊で敵に斬りかかる。彼の企みを察した彼女が悲鳴のように叫ぶ。
「駄目!」
「後、任せるぜ!」
その一声と共に繰り出された一撃は、やはりサルヴァトーレの片手に受け止められてしまう。そして多くの隙を見せたテオの腹を、雷の剣が貫く。王子が勝ち誇った笑みを浮かべると同時に、セレスティアが二人に接近する。サルヴァトーレは彼女を迎え討つべく剣を抜こうとするが、ろくに動けるはずもないテオがその柄を固く掴んでおり、腹から引き抜くことを許さない。
その間、セレスティアは飛び上がり、サルヴァトーレの胸に思い切り蹴りを喰らわせる。防御が間に合わずよろめいた彼の手が剣から離れる。彼女はテオの身体を貫く剣を抜き取り、天に向かって掲げる。雷が剣を打ち、彼女はそれをそのまま振り下ろす。サルヴァトーレは慌てて緋眼を輝かせたが、それも無意味であった。
雷は、それを纏う彼の身体をいとも容易く斬り裂いた。彼は自身の胸に手を当て、血が付くのを唖然として眺める。そして吐血する。地面に崩れ落ちた王子は、肩で荒く息をしながら笑った。
「そうか…俺は自分で自分の弱点を持ち込んだのか…」
再び、吐血。
「ああ…レス…」
その言葉が続くことはない。セレスティアはほんの一時、呆然として彼を見下ろす。それから、目が覚めたように彼の心臓を貫く。剣が抜かれ、血が滴る。彼の顔が恐怖に歪む。その表情を見つめ、彼女は彼の首を斬り落とす。そして静寂が訪れた。
セレスティアは剣を投げ捨て、地面に仰向けになっているテオを振り返った。まだ息がある。傍らに屈むと、彼は力なく微笑した。
「悪い…神経が完全にやられちまったみてえだ…」
「あんな、馬鹿なことするなんて」
彼女の中の獣は行方をくらまし、そこには知った人間の死に怯える一人の女性の姿があった。
「俺は最初から…馬鹿だったろ?んな顔すんなよ…お前にはまだ、やることがあるはずだぜ」
「…そうね」
「しおらしい顔もできるじゃねえか。お前は、やっぱり…や、良いや。ほら…置いてけよ」
そう言って、テオは息苦しそうに咳をし、目を閉じた。セレスティアは悔しげに俯き、短く祈りを捧げた。おもむろに立ち上がり、行く当てのない旅人のように周囲を見回す。サルヴァトーレの従者が歩いて遠ざかっていく背中が見えた。追いかける価値はないだろう。彼女は振り返った。そして道の先、遠くに人影を見る。
道化だ。笑っているに違いない。あの顔が、嫌でも目に浮かぶ。彼女は道化を鋭く睨みつけ、一歩踏み出す。すると道化は彼女に背を向け、軽い足取りで歩き出した。その姿は再び獣を呼び覚まし、彼女は心を奪われたかのように、その背を追い始めた。
2025.2.18




