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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、疾走する
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失って、守って

 ルーセチカは敗北した。―と、ロイドなら言ったかもしれない。もっとも、彼は今昏睡状態に陥っているので、実際にこの状況で何と言うのかはわからないのだが。彼に出始めている血涙症状は緋染病の兆候と言われており、彼の容態を楽観視することはできないようであるから、あまりあれこれ言うのも悪い気がする。


オスカーを連れて戻って来ていたジョーイが、ちょうどロイドの瞳の処置に入り始めたところである。その処置というのが、やはり眼球に例の針を刺さなければならないものらしく、正直直視に耐えない。


まあそんなことよりも、塔の下で起きている混乱のほうが重要だろうか。両国の生き残りの勢力が一カ所に集まっているだけではなく、あの砲弾の雨が止んだことで、生存本能に取って代わられていた敵意と憎悪が舞い戻って来てしまっているのだから。


しかもそこには両軍の指揮者が存在しないため、誰一人としてその戦いを止められる者はいなかった。いや、止めようとする者がいなかった。混乱を止めにかかるよりも、便乗してしまったほうが楽なのだ。それに、一体誰が気にしただろう?ただ祭りの熱が冷めやらぬだけだというのに。


「ジョセフ、あなたにもう一人お客様ですわ」


外の様子を見ていたジスレーヌが言った。


「もう一人、どころじゃ済まないんじゃないかい?」


「私、そう広い視野は持ち合わせていませんの。―あの子、リーンといったんじゃなくて?」


彼女がそう言ったとき、ちょうどジョーイはロイドの処置を終えたところだった。どうやら無事に済んだらしい。患者の瞳が緋色になっていないことを確かめながら、彼は答えた。


「リーンの嬢ちゃんか。どんな様子だい?大怪我じゃないと良いが」


「大怪我のほうがましですわ。ロイドと同じですもの。…けれど、あれではきっと間に合いませんわ」


「何だって?」


「ご自分の目でお確かめなさいな」


ジョーイは立って行き、ジスレーヌから受け取った緋石を覗き込んだ。しばらく周囲を探り、ようやく目当ての人影を捉える。イーサンに背負われたリーン。彼女は両目を押さえ、もちろん聞こえはしないが、何やら喚いているようであった。


両手は血塗れで、その血がイーサンの服に滴り、まるで彼が怪我を負っているかのように見える。そうであったら、今よりも幾分もましだったのに。さすがのジョーイも、ジスレーヌの言ったことを認めないわけにはいかなかった。リーンの瞳の緋染は免れない。


「…あっちで何があったんだ」


「多勢に無勢も良いところでしたわ。犠牲が出ないほうが不可思議ではありませんこと?」


「そりゃ、そうだが…他はどうしたってんだい?お嬢さんと、あとカイのあんちゃんの姿がないが…それに、おたくの国王様だって戻って来てないはずだが」


知ったことではない、と言いたげにジスレーヌは鼻を鳴らした。すると、それまで静かにしていたオスカーが突然立ち上がった。


「僕がリーンをここまで連れて来るよ、ジョーイ」


「え?しかし―」


「あら、オスカー。もう動いてもよろしいの?」


「はい。自由に動けることは動けますから。少しぎくしゃくしますが」


「まあ、無理をなさることもなくてよ。この状況なら、何をしても褒め称えられますわ」


オスカーは控えめに笑うと、颯爽と外に羽ばたいていった。見送りついでに町の様子を見下ろし、ジョーイは言った。


「下の争いを止められないのかい、奥さん?」


「そうですわね、私が声をかけて回って差し上げましょうか?」


「それで鎮まるなら、あの慈悲深い女神様も顔負けだな」


もとより、女神などというものは、創世期の神話の中にしか存在しないようだが。ジスレーヌは扇を開き、口元を隠して笑った。


「あなたはご存知でないのでしょうけれど、ジョセフ、私の慈悲深さは評判ですのよ。皆様、揃って恩に報いようと必死になられますもの」



 ようやくアーテルニアの町にたどり着いたイーサンが目にしたのは、かつて永劫の平和を象徴した美しきルーセチカの都が、無残にも破壊―この言葉が最も適当だろう―された姿であった。一体誰が持ち込んだのやら、家屋には火が放たれ、ヴァレンティノが残した地割れも相まって、とても同じ町とは思えないような光景が広がっていたのである。


あの活気に満ちた喧騒は、獰猛な叫びと苦痛のために絞り出された呻きに取って代わった。行き交う微笑みを浮かべた人々はもうそこにはおらず、ただ憎しみをぶつけ合うことしかできない生き物が蹂躙していた。ちょうど敵兵の首を斬り落としたところであったテオは、イーサンに気付いて駆け寄って来た。


「戻ったのか!他の奴らは?」


「ああ…」


イーサンは珍しく言い淀んだが、彼が程よい答えを見つける前に、テオは再び口を開いた。


「おいおい…それって…」


それとは、言うまでもなく、彼の背中でひっきりなしに呻き続けているリーンのことだった。彼女はまた発作的に叫び始めた。


「ああああああああ!痛いぃ!痛いよお…」


そして彼女は苦しげに咳き込んだ。繰り返し叫んでいるせいで、もう声はほとんど枯れていた。イーサンは悲しみに沈んだ面持ちで俯いた。彼にもわかっていたのだ、もう間に合わないということが。


「はい。緋染が始まっているようです。何とかしなくては…」


口先だけはそう言うイーサンに、テオは怪訝そうな視線を返した。


「何とかするったって、もう始まっちまってんだぜ?痛みが治まるのを待つしかねえよ」


テオにしては真っ当なことを言っている。彼の発言は非情なのではなく、むしろ一般的な通念だった。つまり、自身の限界を踏み越えた者は相応の対価を支払わねばならないのであり、緋染病患者はただ身の程をわきまえなかった者に過ぎないのである。おっと、彼はそこまで言っていなかったか。さて、イーサンは返す言葉もなく、静かにため息をつくことしかできなかった。


「…何にせよ、彼女を連れてここを通るわけにはいきませんね」


「まあな。けど、結局この戦いも終わらせねえと…おっ?」


ふと顔を上げたテオは、上空から接近してくるオスカーの影に気が付いた。彼はすぐに二人の横に降り立った。


「よう、オスカー!良いところに来てくれたな」


「君たちの姿が見えたからね。リーンのことは、僕が上まで連れていくよ」


「お願いいたします。―ジリアンやミカゲたちを見かけてはいらっしゃいませんか?」


「あっちだよ。皆で敵を片付けてた」


リーンの身体をそっと抱えながら、オスカーは城下町がある方向に顎をしゃくった。羽ばたこうとした彼は動きを止めて振り返った。


「…ティアは?」


どこ?それとも、無事?だろうか。彼が聞くには珍しい質問だった。彼と我が王女は契約で繋がっているのだから。


「お一人で戦っていらっしゃいます。我々が残っていては、お力を振るわれることも…」


影の従者は何故かばつの悪そうな顔をした。まるで裏切って置き去りにしたかのような感覚が拭えないのだろうか。


「じゃ、アンドルーとカイの奴は?」


イーサンの表情がまた暗く沈んだ。案外感じやすい性格なのだろうか?


「…アンドルー様は緋石を使って先に戻られました」


彼は質問などなかったかのように沈黙していたが、やがて呟くように言った。しかし、その先のより重大なことを口にする勇気は足りていなかったらしい。カイは、と力なく口を開き、また閉じる。あの情景が、砂のように人が砕けるというあの思い返すのもおぞましい情景が、彼の瞼の裏に浮かんだ。


「…カイは敵将の手にかけられて、この世を去りました。何故ああなったのか…彼の身体に異変が起きたのは確かです」


イーサンは一息に言い切ると、地面を強く睨みつけた。テオとオスカーがはっと息を呑んだ。


「なっ、嘘だろ…?だから、こいつ…」


オスカーの腕の中で両目に手をあてがっているリーンを、テオは動揺したように見つめた。今の今まで、彼女がただ無茶苦茶な真似をしただけだと思っていたらしい。その血の涙の中に、本物の悲嘆から生まれた涙が混ざっているなどとは考えもしなかっただろう。


「そうか…そんなことが…」


オスカーが悔やむような表情で彼女を見下ろした。哀悼するような沈黙が走った。やがて彼は、じゃあ、と一言呟き、静かに飛び立った。イーサンは顔を上げた。そこには以前として苦渋の表情が浮かんでいる。


「参りましょう。皆さんと合流すべきです」


「だな」



 セレスティアは敵を殲滅した。そのようなことが可能なのかと思う者もいるかもしれないが、実際にそうなってしまったのだから何を言っても無駄というものだ。彼女の緋眼の暴走は、恐怖を掻き立てる以上に美しいものだった。


いや、わかっているとも、私に彼女を贔屓目に見てしまうという悪癖があることくらいは。しかし、彼女ほど暴走した力の統率を取ることができる者など、この私でも見たことがないのである。


我が王女が敵を全滅に導いたのは、ほんの数瞬の出来事だった。彼女は味方が十分に離れるまで時間を稼いでから、満を持して棍を十字に振った。それで放たれた衝撃波は斬撃と化し、大半の兵士の身体に吸われるように食い込み、催し物か何かのように大量の血が飛び散った。彼女は仕上げに棍を大地に打ち付けた。すると、彼女の斬風が辺りに拡散し、まだ立っていた者たちの身体を斬り刻んだ。


並の人間では、この無数の刀が襲い掛かって来るのと同等の攻撃を受けて生き残ることはできない。カイくらいではないだろうか―いや、彼は死んだのだったか。彼女は周囲を見渡し、悔恨の色を見せた。きっと、敵と自分とで何が違うのかと自問していたのだろう。


しかし、そういった逡巡に一体何の意味があるだろう?仲間の誰も彼女を悪だと罵りはしないはずではないか、大義は二つと必要なく、彼らにとっての悪は決定しているのだから。


セレスティアは深く息を吐くと、踵を返した。そのときだった。遥か天空から、馬のいななきが響き渡ったのは。彼女は耳を疑い、勢いよく後方の上空を顧みた。それは、白い馬だった。そう、翼によって空を飛び、額に立派な角がある点以外では、確かに馬だった。


「ゼフロエートム…?」


彼女は一人呟いた。どうやら、かつて私が語って聞かせたことを覚えていてくれたようだ。これは嬉しい限り。


さて、ゼフロエートムというのは、創世記の中で天使アストルが跨り、クレアと共に世界中を巡ったと言われている、幻想のように優美な神獣である。


他の神獣とは一線を画した穏やかさを持ち、命力を求めて殺戮を繰り返すことはない。それはこの神獣が別の世界で生まれたものだからだと言われているが、真偽のほどは定かではないし、私もそこまで過去の記録を遡ることはできない。


それにしても、本当に存在したとは!一体どこに身を隠していたというのだろう?…いや、しかし、伝承が真実だったとすれば、このゼフロエートムはどこか様子がおかしいということになる。その瞳は隠し切れない獰猛さを秘め、今にも我が王女に飛び掛かりそうな雰囲気を醸し出しているのだ。


彼女もその気配を察し、少々身構えた。互いに腹を探り合うような時間が続いた。いつまでも襲ってこないところを見ると、何となく感じられる凶暴性は単なる気のせいなのかもしれない。そうセレスティアが防御を緩めたとき、ゼフロエートムは突如としていななき、彼女に向かって突進し始めた。


すんでのところで身をかわし、直ちに戦闘体勢に入ったものの、彼女には迷いが見えた。つまり、もしも目の前にいるのが本当にゼフロエートムだったとすれば、殺してしまって良いはずがないし、また簡単に殺せるとも思えない、といったところだろう。


そんな彼女の困惑を意に介する様子もなく、神獣は再び突進を開始した。セレスティアは角だけは回避したものの、その巨体に思い切り弾き飛ばされた。体勢を整える暇もなく、ゼフロエートムがこちらに向かってきている。


せめて喰らう衝撃を軽くしようと彼女が腕を前にかざしたとき、何か大きな影が辺りを覆い、次の瞬間には、岩に波が当たるときのような音がして、続いてゼフロエートムが悲鳴を上げるかのようにいなないた。身体には予期していた衝撃ではなく、水が撥ねてきた感覚がした。


セレスティアが腕を下ろして見てみると、攻撃を喰らってよろめくゼフロエートムと、その上をゆっくりと旋回する巨大な生き物の姿があった。彼女は息を呑んだ。それは鯨だった。鯨は彼女の上に来ると、変化を解いて大地に降り立った。


「カーラ…どうしてここに?」


セレスティアは唖然としながら尋ねた。ゾルギックの現聖騎士カーラはしかつめらしく頷いた。


「皇帝陛下より、救援に向かうよう仰せつかりました」


「けれど、あなたがいない間のゾルギックは―」


「私は陛下のご命令を遂行するまでです。それに、手は打ってあります」


カーラは煩わしそうに言い切ると、翼をはためかせながら宙で体勢を立て直す神獣に目をやった。


「ところで、何故ゼフロエートムが…実在したとは」


「そうね。コスタトに味方している理由もわからないし」


「ともあれ、よくご無事でしたね」


「ええ…」


様子を見ているらしいゼフロエートムを警戒しながらも、カーラの意識は地面に転がったコスタト兵たちの亡骸に向けられた。


「…この死体の山は?まさか、あなたが―」


「来るわ、カーラ!」


同じ手を喰うセレスティアではない。彼女は―ついでにカーラも―ゼフロエートムが突進を始める前の癖のような動きを注意深く観察し、不意打ちを免れることに成功した。カーラは早速金眼の力を解放しながら、彼女に向かって言った。


「ここは私が引き受けます。あなたは応援を呼びに行ってください」


「いいえ、駄目よ。あれの目を見ればわかるわ。ゼフロエートムは、きっと私を追ってきてしまう」


カーラは疑るような、呆れるようなため息をついた。


「あれからあなたを守り切れるとは、とても思えないのですが?」


「心配しないで。私は…」


カーラは言葉の続きを目で見て取ろうとするかのように、謎に満ちた女性の顔を横目で見た。セレスティアは彼女を見つめていて、その瞳に、ほんの一瞬紫苑が咲いた。



 その日、ゾルギック帝国は国境にてコスタト王国軍を迎え撃った。アーテルニア急襲の知らせを受けていたため、厳重な警戒態勢を敷いていたゾルギックだったが、敵国の持つ新兵器を前に、軍はあっという間に壊滅させられた。


皇帝イザベラは、皇家に代々伝わる宝剣を手に、自ら戦場に立った。その宝剣は王たる証を継承する者だけに呼応し、ゾルギックの建国者であり、水の導き手であったエルフリーデの力を与えてくれると言われていた。


国境周辺に行ってみると、そこは原因不明の地割れに襲われていた。もちろん、我々にとっては原因不明などではない。ヴァレンティノがゾルギックとの戦の指揮を執っていたということである。


「これはこれは皇帝陛下!直々の御出陣とは恐れ入った!」


不敵な笑みを浮かべたヴァレンティノが彼女の姿を目にして言った。イザベラは、地形的に敵兵を見下ろす位置についていた。


「何故我が国とルーセチカを襲うのですか」


「説明する義理はない」


鼻で笑ったヴァレンティノは曲刀を抜き、刃先を挑むように皇帝に向けた。


「ゾルギック皇帝イザベラ…今すぐに降伏しろ!」


「…あなた方の思い通りにはさせません」


イザベラもエルフリーデの宝剣を抜き、祈るようにそれを見つめた。それから彼女は瞳を緋くし、剣を空高く掲げた。太陽の光を受けたその宝剣は、不思議と輝きを放ち始めた。


「友好国と揃いの末路がお望みか!」


嘲笑うようにそう叫ぶと、ヴァレンティノは空いている手を上げ、兵士たちに構えを促した。その間にも、宝剣はますます光に包まれていく。


「エルフリーデよ…どうか、私に力を!」


ヴァレンティノが射撃命令を出そうとしたとき、ついに宝剣はその力をイザベラに貸し与えた。割れた大地の間から大量の水が湧き上がり、押し流さんばかりに敵に襲い掛かったのである。コスタト兵は慌てふためき、すでに泳げてしまうほどかさの増した水の中で、酸素を求めてもがき始めた。


ある者は武器の狙いを皇帝に定め、撃ち殺そうとしたが、濡れてしまっては火薬も意味がないということが頭をよぎらなかったらしい。ヴァレンティノは咄嗟に刀を地面に突き立て、水流に逆らった。


イザベラは水中に飛び込んだ。彼女が持つ力は『水息の緋』というものだった。それは水中での呼吸と自在な動きを可能とするものだったが、とても戦闘に役立つとは思えなかった。そう、このときまでは。彼女は初めて自身の能力を有難く思ったに違いない。


彼女はこの状況でもひどく冷静に見えるヴァレンティノと相対した。相手が突き刺した刀に掴まって何とか流されないようにしているとはいえ、うかつに接近するわけにもいかなかった。イザベラは彼の呼吸が続かなくなるまで待つことも考えたが、わずかでも時間を与えるほうが愚策であると直感した。


彼女は再び剣を振りかざし、剣先で円を描いた。すると、どこからか渦が発生し、たちまち大きくなって辺りを掻き回し始めた。これにはヴァレンティノも刀一本で耐え切ることはできそうになかった。彼が渦に巻き込まれ、自由を完全に奪われてくれれば良かった。


イザベラは、たとえ渦の中でも勝手が利くのだから。ヴァレンティノは刀を手放す気はないらしく、自らそれを抜き取り、地面を蹴って渦に飲み込まれに行った。


彼の瞳が緋色に輝いていることにイザベラが気付いたのは、おそらくそのときだったのではなかろうか。彼女ははっとして周囲を窺い、背後に迫っていた土塊を間一髪かわした。それは渦の中の兵士たちの列に参入した。どうやらヴァレンティノは、先ほどまで彼女が立っていた小さな丘を砕いたようであった。


さらにいくつかの大きな土塊が渦との間にいる彼女を襲った。水の中で自由に動けると言っても、陸上にいるとき以上の機敏さを手に入れられるわけではない。かわし切ることができず、イザベラは腰に重い一撃を喰らうことになった。その拍子に、彼女は宝剣を手放してしまった。


もし渦に巻き込まれていなければ、ヴァレンティノは今頃ほくそ笑んでいたことだろう。しかし彼も生き残るために必死だった。散々振り回されて、いい加減気分が悪くなってきていた。


彼にとって誤算だったのは、皇帝の手を離れてもなお、宝剣の効力が消えないことであった。消えるどころか、渦は歯止めが利かなくなったかのように加速し、大きくなり続けていた。ヴァレンティノは、彼自身にも衝突しそうになった土塊を粉砕しながら考えを巡らせた。



 テオとイーサンはジリアンたちに合流した。それまでの道のりで、少なくはない人数のコスタト兵を斬らなければならなかったが、戦いは着実に終わりへと近づいていた。誰もが疲弊していた。放っておいても、両国の戦士たちは相討って勝手に倒れていくだろうと思われた。


ルーセチカは大打撃を喰らったが、滅亡するほどではない。コスタトにとっても、今回の戦はなかなかの痛手だったはずである。あとは時間がこの戦を終結に導いてくれるのを待つだけだった。仲間の姿を目にしたテオが感じ取ったのは、そうしたある種の諦念だっただろう。


「無事だったみてえだな」


テオはジリアンにそう声をかけた。


「はい。幸い、敵が城のほうへなだれ込もうとするようなことはございませんでした」


彼女は可もなく不可もないといった調子で答え、ふとツキノのいるほうを振り返った。ツキノは地面に膝をつき、こちらに背を向けて何かをしているようであった。侍女はそちらに歩いていき、背後から彼女の手元を見た。そこには欠けた煉瓦が握られており、その角が赤く染まっていた。ツキノはジリアンの影に気付いて顔を上げると、頭の潰れた敵兵などいないかのように、穏やかに微笑んだ。


「あ、ジリアン!お兄ちゃんとゼンのこと、見てない?」


ジリアンが黙って首を振ろうとしたところに、当の二匹が戻って来た。ツキノは自らそれに気付くと、手にしていた煉瓦を放り出し、手の汚れを衣服で拭いながら兄に駆け寄っていった。テオは二匹に対して片手を上げた。


「よう。あと、どんなもん?」


「もうほとんど残ってない。あとは勝手に逃げ出すだろ」


そう言って、ミカゲは妹に目をやった。安全圏から出てきたことに対する小言はまだ済んでいなかった。


「ツキノ、何してたんだ?」


「別に。お兄ちゃんとゼンと一緒が良かったから」


「お前はそんなことしなくて良い。戦場に出てきたりしたら、危ないだろ」


ミカゲは珍しく彼女に厳しい顔つきを向けた。気を悪くしたツキノが何か言いかけたとき、横から能天気にテオが口を挟んだ。


「良いじゃん、無事だったんだからよ。こんな可愛いこと言ってくれる妹、滅多にいないぜ?」


ああ、いないとも。しかしお前は、この娘が先ほどまでしていたことに気付いてはいないだろう。彼女は満足してしきりに頷いたが、その兄は眉間に皺を寄せ、顔を逸らした。


「とにかく、ここに来るべきじゃなかったんだ。ツキノは―」


「何もわかってない、でしょ。そう思うなら、それで良いよ」


彼女がつっけんどんに言ったとき、彼らの近くで例の武器の轟くような音が鳴った。町にいる兵士たちはとっくに弾を切らしていたので、その音はどこか不自然に聞こえた。一同が音のしたほうを振り返ると、そこにはアンドルーが立っていた。だらりと垂らした腕の先で、あの武器が煙を吐いている。遠くで倒れたコスタト兵の額には鉛玉がめり込んでいた。


「…こりゃあ良い」


少しも楽しくなさそうにアンドルーは一人呟いた。イーサンはその様子を心苦しそうに見つめたが、声を掛けることはおろか、近寄ることすらしなかった。アンドルーは委縮した様子の一同を振り返った。


「話してる暇があるなら、さっさと終わらせてください」


「そう言うけどさ、もう終わったようなもんだぜ?ちょっと力抜けよ」


テオはなだめすかすような笑みを浮かべ、同意を求めるようにジリアンに目線を送った。彼女は同意も否定も示さず、じっと塔を…否、遠くの空を眺めていたのだ。そこには、何か雲とも異なるものが―お察しの通り、ゼフロエートムと我が王女のいる辺りだが―空に浮かんでいた。同じようにそちらに目を凝らしていたアメラは、そこに細く鋭い閃光が瞬くのを見止めた。


「なあ、ジル…今の、雷か?」


「そのようですが…それにしては、少し妙な気がいたしますね」


侍女は不可解そうに首を振った。皆同じように空を仰ぎ見たが、彼らのいるところからは、向こうで何が起きているのか判断するのは不可能であった。何はともあれ、一同は掃討を完遂することに同意し、ある者は気乗りしない様子で、またある者も違った意味で気乗りしない様子で、残党の排除に向けて動き出そうとした。そのとき、あの不愉快な笑い声がして、彼らの足を止めさせた。

2025.2.13

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