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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、逡巡する
40/60

「し」

 ミロは一人落ち着かない様子で部屋を行ったり来たりしている。彼はまだ何も知らない。頼りにしていた曹長の死も、神獣化の阻止が叶わなかったことも。彼の計画では、下等兵に決起を促して城内の混乱を誘い、かつ例の鯨を先に殺してしまうことで皇帝の企みを阻むはずであった。


主だった策はかくもあっけなく散った。無事で済んだ―済んでしまった、と言うべきか―布石といえば、浄眼連盟への告げ口くらいであった。国へ納入される金銭及び”命”のうち、約半数は連盟がまとめて納めているのである。国への忠義を示すためとか何とか…まあ要するに賄賂というわけだ。


その連盟に皇帝の裏切りを告発してしまえば、皇帝は神獣化に必要とされる”命”をすべて集めることなどできないはずである。皇子はそう考えた。そして私が推測したところによれば、彼の計算は当たっていた。


しかし、それとは異なる要素において誤算があったということも確かである。皇帝が彼に伝えた情報がまるきり正しいと信じて疑わなかったことこそ、彼の敗因だった。



 突然、彼の部屋の窓が割れた。驚いて振り返ると、床に散らばった硝子の破片の中に、細やかな彫刻の施された棍が転がっている。いたずらと呼ぶには少々奇妙である。ミロは訝しげにそれを拾い上げると、欄干から周囲を窺った。いや、実際は窺うまでもなかった。そこは何かの影に覆われていた。彼が顔を上げようとしたとき、こう叫ぶ声が聞こえた。


「手を離さないで!」


反射的にミロは棍を強く握りしめた。そして次の瞬間には、彼の身体はその棍によって空中に強く引き寄せられていた。棍は主と共鳴してあるべき場所へと戻っていった。


「セレスティア!」


棍に導かれながら、ミロは驚きを隠すことなく声を上げた。彼の身体が十分に引き寄せられると、テオは彼を竜の背に乗れるよう引っ張り上げてやった。それが済むと、オスカーはすぐに高度を上げた。


「何事だ?何故こんな滅茶苦茶な真似を?」


ミロが尋ねると、セレスティアは棍を仕舞いながら振り返った。


「ミロ皇子、城下は大騒ぎよ。民衆はあなたに説明を求めているわ」


「どういうことだ?」


「どういうことか聞きたいのはこっちのほうなんだけど。何でもう神獣が降臨しちゃってんの?―あ、あたし、リーン。よろしくね、皇子様」


リーンはこの状況にそぐわないほどにこやかに言った。ミロは猛然と振り返る。


「今、何と?神獣が降臨したと、そう言ったのか?」


「聞こえてんじゃん。で、どうなってんの?弁明するなら今だよ」


リーンがこうも強気に出ているのは、彼に騙されたのだとすっかり思い込んでいるからである。彼が尻尾を出そうものなら、すぐにでも地面に叩きつけてやろうと思っていたに違いない。


「弁明も何もあるものか!何がどうなっているのか、僕にだってさっぱりだ」


「どうやらあんたは騙されてたみたいだぜ。あんたが俺たちを騙してたってんなら、話は別だけどな」


テオが半ば悪ふざけのような調子で言い、その肩越しにリーンがしきりに頷いている。痺れを切らしたミロは怒鳴った。


「何ということを言うんだ、テオ!」


「やめましょう。私たちを騙したところで、ミロ皇子が得することなんてないはずよ」


そう言ってセレスティアは曲げていた脚を下ろして座り直した。


「あ、そうなの?ごめん、皇子様!気を悪くしないでよね」


けろっとして態度を一変させたリーンに困惑した眼差しを送りつつ、ミロはセレスティアに向かって言った。


「…それで、民が僕に説明を求めているというのは?」


「リーンに偵察に下りてもらったのだけれど、どうやら神獣の件はすでに城下に知れ渡っているみたいなの。その騒ぎにかこつけて、計画の責任者があなただったと触れ回っている人たちがいるのよ」


「あれ、多分連盟の奴らだよ。ほんっと性質悪いんだから」


「けどさ、連盟が何でわざわざ皇子様を敵に回すような真似をするんだよ?あいつら、媚びへつらうのが生きがいのくせにさ」


「ばいしゅーされたんだろ。ニンゲンは金に弱いからな」


「しかし、そうだとすると連盟が神獣の件を容認したことになる。確かに奴らは国での影響力を保とうとあれこれ根回ししてるが、それでは本末転倒だろう」


最後尾からカイが声を張って言った。彼の言うことはもっともだが、アメラにとってはどちらでも同じことだった。彼女は舌を出して不平を示した。皆揃って黙り込み、それぞれの考えに思いを巡らせていた。セレスティアがふと口を開いた。


「…ねえ、どうして彼らには神獣が降臨したとわかったのかしら?たとえあの咆哮がここまで届いたとしても、それが神獣の発したものだと思うのは、普通に考えれば早合点というものよ」


彼女の疑問には、鈍い相槌しか返って来なかった。と思うと、ミロが薄ら笑いを浮かべて呟いた。


「なるほど…そういうことか」


「あ?どうした?」


「短期間で神獣を降臨させるには相当な量の”命”が必要だ。国民から徴命しないではとても足りない…が、それは連盟に命を納めさせれば良いだけのことだ。適当な理由を付けさえすれば、彼らは大人しく命を捧げてくれる。母上は連盟から徴命するのに僕の名前を使うよう指示したに違いない。そこに神獣化計画の告発書が届き、連盟は当然僕の企てだと騒ぎ出す…してやられたな」


「一人で納得してるとこ悪いけど、告発書って何の話?」


「計画のことを連盟に知らせたんだ。それを信じようと信じまいと、彼らは”命”を納めるのを渋るだろうと踏んでな。だが、まさかすでに徴命が済んでいたとは…」


ミロは強く拳を握った。テオが肩をすくめる。


「こんなに早く騒ぎになるわけだぜ。―そういや、あの曹長は?どっかで拾ったほうが良いんじゃねえの?」


「ああ、そうだな。クラウスならきっともう城に―」


突然、リーンがテオの肩を掴みながら身を乗り出してきた。


「えっ、曹長?ク…何とかって名前の?」


「あっぶねえな…何でお前がそこで食いついてくるんだよ?」


「だってなんか、その人死んだらしいよ?」


「何を言う!そんなはずがあるものか!」


ミロが目を見開いて咎めるように言うと、リーンはテオを解放し、その手をひらひらと振った。


「あたしに言われてもね。兵士がうじゃうじゃいて、曹長がどうのこうのーって言ってたんだもん。連盟が狂ったみたいに喚いてる横でね」


「まじで?聞き違いとかじゃないのかよ?」


「その人の名前、クラウスって言った?…うん、何人かがそう呼んでたと思う。なんかね、女の人が無理心中したらしいよ。で、噴水が真っ赤っ赤…みたいな」


カイははっと息を呑んだが、誰もそのことに気が付かなかった。無感情に―いや、同情していたのかもしれないが―セレスティアは言った。


「酷いわね」


誰も他に言うことが見つからず、再び会話が途切れた。オスカーの翼が風を切る音が何とかその場を賑やかしている。しばらくして、ミロが重々しく口を開いた。


「最早謀反は叶わない。苦労を掛けて済まなかった。後は僕一人でどうにかしよう。君たちをこれ以上巻き込むわけにはいかないからな」


「気遣いは不要よ。私はここで引き下がるつもりはないわ」


「何?しかし、セレスティア―」


肩を落としたミロは、力なく彼女を見やった。彼女は小首を傾げ、覗き込むような形で彼を見つめ返した。


「忘れているのかもしれないけれど、ミロ皇子、私たちは黄泉忘れの禁を守らなければならないの。ゾルギックがこうも不安定である以上、向こうが黙っていてくれるとは思えない。こうなったら、最後まであなたに付き合うしか道はないわ」


「…僕が母上に対して反旗を翻したこと、君は怒っているのだろうね」


ミロは後悔でもしているかのように俯いた。セレスティアは片膝を曲げ、竜の頭のほうを向くように座り直した。


「あら、どうして私が怒るの?協力を無理強いされたわけでもないのに」


良かったではないか、彼女が怒っていなくて。



 その日の夜の城下では、落ち着いて眠れた者のほうが少なかったことだろう。遠方より響いてきた咆哮―のようなもの―はなんと神獣降臨の証で、それを画策したのはなんと皇帝の一人息子であるミロ皇子だったのだ!連盟員は夜通し城の前で抗議を続け、そうでない者は夜通し噂した。


何でも、皇子は城から逃げ出したとか。何でも、城の上空に竜がいるのを見た人がいるとか。皇帝は御心を痛めておいでに違いない。まもなく、戦が始まるに違いない。…噂にしては、なかなかの正答率である。


しかし彼らは、皇子に気を取られるあまり、神獣がどうなったのかについては考えもしなかった。どうなるべきか、あるいはどうしなければならないかを知らなかっただけかもしれないが。諸君は尋ねるだろう、ではどうなったのか、と。別にどうということもないのだ。


カーラは神獣殺しに成功した。私はその一部始終を見たのだが、その鮮やかさたるや、なるほど前任よりも褒めそやされるわけである。彼は竜と死闘を繰り広げ、挙句本当に死んだとされているのだから。しかし彼の名誉のために言っておくと、カーラのほうが良い条件に恵まれていたのである。というのは、あの鯨は神獣として降臨して間もなかったので、まだ暴れ始める前の、力をその身体に馴染ませている段階にいたのだ。


何はともあれ、彼女は神獣の力を獲得した。問題はむしろこの後である。仮死状態から目覚めることができるかどうか。はっきり言って、私には彼女がその器を持つようには見えないのだが、さてどうなることやら。



 一行は山中に降り立ち、そこで夜を凌ぐことにした。何かあったときすぐに動く必要があるため、ガラサの屋敷には戻っていられなかった。リーンが再び城下の偵察に繰り出そうとすると、アメラは城内の様子を探って来ると言って聞かなくなった。何か役に立ちたかったのだろう。


夜間でかつ騒ぎのために混乱しているはずであるという条件がなければ、セレスティアはアメラの申し出を認めなかったに違いない。それでも不承不承という感はあったけれども。彼らの偵察の場面は記すに及ばない。さて、先に戻って来たのはリーンであった。


「やっぱり連盟がまだ騒いでたよ。皇子を出せって。ついでに言うなら、兵士たちもあんたを探してるっぽい。町中を捜索してるみたいだし、そのうちこの山にまで入ってきたりしてね」


そう言って、リーンはからかうような視線をミロに投げた。彼は深くため息をついた。


「クラウスの件は?」


「現場の片付けしてた兵士さんにこっそり聞いてみたんだけど、やっぱり死んだのはその人みたい。でも、女の人のほうのことは教えてくれなかったよ。何でも、偉い人から口留めされてるみたいで」


「そういうことなら、事件のことはすぐに揉み消されるだろうね。…それにしても残念だな。彼のことは結構好きだったんだけど」


オスカーは憂いのある面持ちで首を振った。その横顔をミロはじっと見つめている。ふとカイが、リーンの腕を引きながら低い声で言った。


「おい、リーン…」


「何?いつにも増して陰気臭い顔して」


他の面々に聞かれない場所に移動しながらカイが小言を言う。


「…お前は楽しそうにするのをやめろ」


「はあ?説教するなら聞かないよ」


リーンは元々立っていた場所からは動かず、首を巡らせて相棒を睨んだ。


「いや、そのことじゃない。いいから来てくれ。―なあ、その女ってのは、ひょっとしてウェンディなんじゃないか?」


カイはさらに声を低くしてそう言った。眉をひそめながら、リーンも何となく声の調子を落とした。


「何でそう思うわけ?」


「俺たちがあの女に会いに行ったときに屋敷に来た男がいただろう?その男、クラウスと呼ばれてたと思うんだが」


「えー、そうだっけ?まあ、あんたがそう言うならそうなんだろうけど。で、だったら何なの?」


「いや…俺があの女に言ったことが関係しちゃいないかと思ってな」


会話を聞かれてはいないかと、カイは神経質にセレスティアたちの立つ辺りに目線を走らせた。何をそう心配しているのやら。きっと私と気が合うであろうリーンは、笑いを漏らしながら彼を小突いた。


「もー、女々しいんだから!ああいう子があの程度のこと気にするわけないじゃん!気でも狂ったんでしょ。綺麗な人って、大体どこかおかしいんだから。…ほら、セーちゃんだってなーんか変なとこあるでしょ?」


カイは笑われたことに少々むっとしながら、呆れたようにため息をついた。


「お前はいつも余計なことを言う」


「別に誰彼構わず言ってるわけじゃないもんね。でも、あんたも否定はしないんじゃん」


カイが異議を唱えようとしたとき、前方の茂みが大きく揺れ、すぐにアメラが飛び出してきた。冒険を終えたばかりで、まだ興奮が冷め止まないようである。リーンが早速そちらのほうに戻ってしまったので、カイも諦めてそうした。セレスティアが屈んでアメラに目線を合わせた。


「おかえりなさい。誰にも見つからなかった?」


「大丈夫!もっと兵士がいるんだと思ってたけど、結構がらんとしてたぞ」


胸を張ってアメラは答えた。ミロが思案顔をして独り言のように言った。


「警備兵まで僕の捜索に駆り出されているということか…」


「非常事態とはいえ、皇帝の住まう城だろ?ちょっと不用心じゃねえの」


と、木にもたれて座るテオが口を挟む。かつての苦痛を思い出してか、オスカーは顔をしかめて言った。


「そうじゃないよ。多分、カーラだ。彼女が力を抑えられなかったとき、被害が最小限になるようにしたいんだと思う」


「もしくは、単に彼女が神獣の力を手にしたことを知られたくないだけかもしれないな。今は僕に矛先が向いているから、それに乗じて神獣のことを有耶無耶にするつもりだという可能性もある」


「けれど、そんなの無茶だわ」


「今更無茶も何もねえだろ。何なら、このまま戦を押っ始めるかもな」


テオはそうせせら笑うと、大きく欠伸をした。もう良い時間だった。どうせ起きているから見張りは任せるようにとカイが言うので、彼以外は皆眠りに就くことにした。目を閉じてしまう前に、セレスティアは隣にいるオスカーに小さく囁いた。


「オスカー、どこか引っかからない?」


「うん…何かがおかしい気がする。多分、陛下のことで」


「私もそう。矛盾している気がしてならないの」


「謁見できたら、それが一番良いんだけどな」


「そうね。…ねえ、ジルは悪い予感がするって言っていたわよね?」


「言ってたね。信じてる?」


「そうじゃなかったら、眠って明日を迎えるのがこんなに恐ろしいとは思わないわ」


セレスティアはそんな自分を馬鹿馬鹿しく思い、憫笑した。ふとオスカーは立ち上がった。何も言わずに彼女に手を差し伸べる。その手を取りながら彼女は尋ねた。


「どうしたの?」


「少し歩いたら、ここよりは開けた場所に出るから。葉っぱより、星を数えるほうが好きでしょ?」


オスカーは頭一つ分小さい彼女にしか見せない、糸の解けたような微笑を浮かべた。そうすればセレスティアも同じように笑ってくれることを、彼は知っていた。


「葉っぱを数えたほうが眠くなりそうだけれどね」


「またそういうこと言って。本当、ロイド様は子育てにだけは向いてないな」


連れ立って去っていく二人の背中を、膝を抱えたミロは色のない目で覗き見ていた。そして彼は強いるように目を閉じた。



 翌朝、テオが目を覚ますと、そこにミロの姿はなかった。セレスティアとオスカーもいなかったので、彼は当然大事だとは考えず、肌寒いくらいの空気に浸かって眠気と戦うことにした。ちなみに彼は敗北した。それからすぐにセレスティアたちが戻って来た。彼女は挨拶代わりにカイと目を合わせ、ざっと辺りを見回し、もう一度彼を見た。


「ミロ皇子はどこ?」


「城に戻った。俺は止めたんだが…」


カイはわかるだろうと言いたげに首を振った。オスカーが尋ねる。


「いつ?」


「夜明けに」


「ならとっくに城に入ってるか…」


「セレスタに怒られるぞって、アメラも言ったんだ」


と、地面に丸まった姿勢のままアメラがもごもごと言った。彼らの話し声で、テオは浅い眠りから引き戻された。


「よお…何の話?」


「ミロ皇子が一人で城に戻ってしまったみたいなの」


「どうりでいねえと思った」


アメラはのそのそと起き上がり、テオを見上げて言った。


「お前、酷い声だな」


「お前が言うなよ、がきんちょ。―で、どうすんの?」


テオは咳払いをしてからそう尋ねた。


「どうもこうも…僕らは城に乗り込むわけにもいかないし。参ったな、一声かけてくだされば良いものを」


「あーあ。ミロ様ってほんと、皇子って感じだね…」


と、目を閉じたままリーンが呟いた。内容が内容だからか、寝言のようであったからか、誰も同意も否定もしなかった。そのとき、弾かれたようにアメラが耳を立て、鼻から深く息を吸い込んだ。


「アメラ?」


「…遠くから海の匂いがする。こっちに近づいてきてるぞ」


「えーっと…それって、カーラって人なんじゃ…」


「そうとしか思えないけれど、でも、もう目覚めたというの?それに、平然としていられている?そんなこと…」


と、セレスティアはオスカーを見上げた。彼は口元を手で覆ってじっと考え込んでいる。そんなわけがない、と。若干空気がひりついているのをものともせず、リーンは心が躍っている様子で腰を上げた。


「よーっし!ほら、皆?お客さんが来るのはわかってるんだから、しゃきっとしようよ」


「ま、考えてもしゃーないってこったな。どうせならかっこよく迎え入れるとするか」


そう言うと、テオは鞘から刀を抜き、奇妙な姿勢で構えた。その後ろで、リーンもまた普段ならやらないであろう持ち方で匕首を手にしている。何だ、そのしたり顔は。二人の前にちょうどアメラが腕を組んで立っていたので、絵面的にはお馬鹿三人衆という感じがする。


セレスティアはそれをぽかんとして眺めていた。そこへ、木の影からカーラが姿を現した。彼女は三人組を一瞥すると、すぐにオスカーとセレスティアのほうに顔を向けた。


「あなた方は反逆罪に問われています。陛下は全員を連れ帰るよう命じられました。抵抗するようなら、首だけでも構わないとのことですが?」


前任に挨拶もしないで彼女は言った。オスカーは随分慎重だった。


「…殿下はどうなった?」


「本件の主犯として投獄されました。あなた方のことについては、殿下が自ら。それで、どうなさいますか?降伏するのか、それとも?」


カーラとしては挑発したくてこのような口調で話してるわけではなさそうである。彼女はただ淡々としていて、それが勝手に短気者の癇に障るというだけだ。いや、私は短気ではないとも。まったく。さて、セレスティアは反対に、わざと好戦的な瞳―その色はとうに緋へと変わっている―を相手に向けた。


「そうね、あなたに従っても良い。けれど、一つ条件があるわ」


「条件を出せる立場だと思っているのですね」


その言葉には軽蔑が滲み出ていた。セレスティアは動じることなく応酬した。


「良いわ。あなたの力不足で私のことは捕まえられなかったと、そう陛下に報告することね」


「おい、俺たちのこと置いてけぼりにするつもりだぜ」


と、テオが大声で囁く。


「あたしは絶対逃げ切れるからそれで良いや」


「アメラも」


「で、こいつに至っては死なないから問題なし?くそ、危ないのは俺だけかよ」


間抜けのように嘆くテオを、カーラは一瞬睨みつけた。彼女は真面目に話を進めたかったのである。それなのに、この緋染しているらしい女といい、その賑やかしのような仲間たちといい、どうも虚仮にされている気がしてならなかった。


唯一まともに話し合えそうなのはオスカーだけだった―というのは、カイは三人組の肩を持ちそうにカーラには見えたからだ―が、彼とはできるだけ目を合わせたくなかった。結局、彼女は緋い瞳をまっすぐに向け続けてくる麗人と対話することを選んだ。


「…竜がいればどこまでも逃げられると考えているのでしょう。ですが、そちらがその気なら、私もどこまでもあなた方を追っていきますよ」


「随分好かれたもんだな」


カーラはいよいよ理解できないと言いたげにテオを顧みた。オスカーがちらりと窘めるような視線を投げてきたので、テオは片手で口元を覆い、もう一方の手の親指を立ててみせた。


「私、捕まらないための鬼ごっこって嫌いなのだけれど」


「ならば、大人しく―」


「聞いて、カーラ。私たちは陛下に謁見したいのよ。はっきりさせなければならないことがあるの」


どの分際で、と吐き捨ててやりたいのを、カーラはぐっと堪えた。先に怒鳴ったほうが負けだということは、彼女も心得ていた。彼女は澄まして言った。


「オスカー殿だけなら、あるいは可能でしょう。それでいかがですか?」


神経質に会話を聞いていたオスカーだったが、カーラを優位に立たせるつもりは毛頭なかった。彼は前触れもなく会話に割って入った。


「彼女も一緒でなくちゃ駄目だ。この条件を呑めないなら話は終わりにしよう。鬼ごっこなんかするまでもないよ、ティア。そうなる前に、カーラには消えてもらう」


「変わってしまわれたようですね、オスカー殿。かつてあなたが持っていた気高い心を、このように堕落した者に捧げてしまうとは」


カーラはついに侮蔑を前面に押し出して笑った。彼女はセレスティアを簡単に緋染病だと思い込み、月並みな嘲笑を付すほど未熟だった。オスカーは耐え兼ねてカーラを睨み下ろした。


「良いかい、カーラ。もし君がこれ以上彼女を貶めたり、彼女の邪魔をしたりするなら、僕は刺し違えてでも君を殺すよ。―これは一度しか聞かない。カーラ、僕らの要求を呑む?」


その蒼穹の眼差しで、カーラは身体が芯から凍てつくのを感じた。その瞬間、彼女は格の違いを知った。指一つ動かせないような緊張が走った。彼女は固唾を飲み、目を逸らせないままゆっくりと頷いた。



 彼らは徒歩で山を下り、怠惰な者ならまだ眠っているであろう頃に玉座の間へ到着した。イザベラは玉座から、跪いた一行を睥睨している。カーラと違い、彼女はミロからオスカーの存命を聞かされたとき、少しも驚いた様子は見せなかった。そして今も、貫くように彼を見つめ、眉一つ動かさないでいる。ミロ同様、その銀蘭はひどく気味が悪かった。皇帝はたっぷりと時間を取り、おもむろに口を開いた。


「長旅だったようですね、オスカー」


オスカーは自分の耳を疑った。唖然として顔を上げ、かつての君主を見つめ返す。しかし彼は何も言うまいとするかのように、開きかけた口を固く閉ざした。


「他の者は外しなさい」


イザベラは権威を振りかざすように言い渡した。オスカーとセレスティアの後ろに並んだ四人は、顔を見合わせたり、憮然としたりしながら立ち上がり、兵士に続いてのろのろと出て行った。


動き出そうとしないセレスティアをもう一人の兵士は困惑したように見下ろすと、カーラのほうを窺いながらその場を後にした。カーラは彼女が出て行かないのがわかっていたので、皇帝の出方に任せることにしたようであった。イザベラは目の前の光景が思い通りになるのを辛抱強く待っていた。


そのとき、ふとセレスティアは顔を上げた。彼女の前にはイザベラしかおらず、したがって彼女の瞳を見ることができるのは皇帝ただ一人であった。だから彼女は紫苑を露わにした。イザベラにも驚くことがあるようだ。彼女は動揺を隠して言った。


「…あなたもですよ、カーラ」


カーラは正体不明の女より先にそう指摘されたことに気を悪くしたようであったが、逆らうわけにもいかず、敬礼してから出て行った。扉が閉まると、イザベラは幾分か表情を和らげた。


「なるほど。ミロが信用するわけですね。跪く必要はありません、ルーセチカの王たる瞳の継承者よ。あなたもお立ちなさい、オスカー。―あなた方はきっと、私の策に疑問を持っているのでしょう。だからミロと結託し、私を止めようとした…そうですね?」


「…おっしゃる通りでございます、陛下」


「その勇気は認めましょう。しかし、すべては必要なことだったのです。オスカー、あなたが公には命を落としたことになっていたことさえも…」


「それは、一体どういう…」


オスカーの問いは、尻すぼみになって消えた。彼は目に見えて混乱していた。イザベラは彼を宥めるように微笑んだ。


「神獣の力を得た者は、一時的な仮死状態に陥る。そのことを知らないほど私は愚かではありませんでした。だからあの日、カーラが、そう、まさに彼女があなたの死を報告しに来たときも、私にはあなたがまだ生きているということがわかっていました。ですが、あなたが…竜の力を手に入れたあなたが、我が国の持ちうる最大の切り札になると、私は直感しました。切り札は隠すに限ります。だから私はあなたを手放したのです。必ずあなたが戻って来ると信じて」


イザベラはそこで言葉を切った。オスカーにも、セレスティアにも、何と言うべきかわからなかった。だから彼らは沈黙を守った。皇帝は続ける。


「あの頃から、コスタトはすでに黒豹族を取り込み、着々と戦力を蓄えていました。我が国の兵士にもかの国の内通者がかなりの数紛れ込んでいたほどです。我が国はコスタトを抑え込むための新たな武器を必要としていました。それが、あなたやカーラが持つ神獣の力なのです」


「しかし、神獣を意図的に降臨させるなど、あってはならなかったはずです」


ようやくオスカーは言った。イザベラは聞く耳を持っているようには見えない。その銀蘭は正義を確信して輝いていた。


「あなた方の懸念はよくわかります。しかし、こちらが武器を収めているからといって、敵が斬りかかって来ないわけではありません。調和の時代はとうに過ぎたのです。アルフレッド王とて、そのことに気付いておいででしょう」


よくもぬけぬけとそんなことを言えたものだ。


「…ええ、おそらくは」


セレスティアはそう答えるのを躊躇ったが、努めて平静を保っているように振舞った。彼女の中で、この皇帝は信頼に値しなかった。その計画は確かに理に適っているが、どこまでも愚策だった。だから、アルフレッドの死を告げようとしないのだろう。


「あの騒ぎで、神獣降臨の噂はおそらくコスタトの耳にも届いてしまったでしょう。最早、戦は免れません」


イザベラが決然と言ったとき、勢いよく扉が開いた。見ると、若い兵士が息も絶え絶えに跪いている。イザベラは顔を引きつらせて立ち上がった。


「何事ですか?」


「申し上げます!コスタト軍がルーセチカ国境を突破し、王都を急襲したとのことです!」

2025.2.3

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