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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、逡巡する
38/60

例えば、三枚の絵札があるとして

 あの日、彼女が一度目に国を去った日、これは私がいつものように盗み見たものではなく、柱の影に隠れて盗み聞いた―何が違うのかと諸君は言うだろうか―ことだが、私の姉は去り行く彼女に向かってこう叫んだのだ。


「本当に、これが運命だとおっしゃるのですか!こんな…こんなことが?どうしてあなたが国を追われて…こんなの間違っています!」


「間違いかどうかなんて関係ない。こういう運命だったの」


「もし…もしそうであるなら、私は運命なんて見たくもないし聞きたくもありません!だってそんなもの、あるはずがないでしょう!?」


「現実を見なくては。きっと、すべては一つの終わりに繋がっているから」


彼女がどういうつもりでそう言ったのか、私にはわからない。ただ彼女の言葉は、私の心にも、私の姉の心にも、どういうわけか深々と突き刺さっていて、そのせいで私たちは消えてくれない悔恨に似た苦味を、今なお繰り返し味わっているのである。



「ぼんやりしてんじゃねえぞ、新入り!どうしたらそんな不細工な敬礼ができるんだ?」


小太りの兵士が無駄に威圧的な声で怒鳴った。何だよ、不細工な敬礼って?言い返してやりたいのを堪え、テオは不格好なほど背筋を伸ばして答えた。


「すんません!もっかい手本見してください!」


「良いだろう。よく見ておけ。―こうだ!」


「こうっすか!」


「違う!」


正直私には何が違うのかわからないのだが、まあこれも洗礼か何かなのだろう。もう正午を過ぎようとしているが、彼らは朝からこういった類のことを繰り返していた。くだらない因習…古びた国家であるのは、ルーセチカもゾルギックと変わりはしないが。いい加減飽き飽きしてきた頃に、ようやく救いの手が差し伸べられた。


「ミロ皇子殿下に敬礼!」


兵士の一人が大声で叫び、あちこちで足を踏み鳴らす音が鳴った。テオを指導していた兵士も美しい敬礼を披露し、テオはそれを横目で見ながら真似した。ミロは片手を上げ、楽にするよう合図した。衣擦れの音。ミロは詰所の入り口に立ったまま中を見回した。


「新兵が来ているだろう?」


と、さもテオの顔を覚えていないかのように言う。小太りの兵士は再び几帳面に敬礼した。


「は。こちらに、殿下」


ミロがそのほうに向かって歩き出すと、彼の訪問が自分とは無関係だと察した他の兵士たちは、各々元やっていたことに戻った。絵札で遊んでいた者たちは例外だったが。


「訓練中か。ちょうど良い。僕についてきてくれ」


「かしこまりま―」


「いや、お前じゃない、ルイス。新兵のほうだ。名は確か…」


「テオ・オーネットです、皇…ん?…ミ、ミロ様?」


皇子様、と呼ぶべきでないと気付いただけましである。ちなみにテオがオーネットの名を借りているのは、彼が家名はないと言い張るからである。


「しかし、殿下、そいつは本当に入りたてで―」


「知っているさ。新兵が変わった訓練を受けることもな。何、実力はこの目で確かめて引き抜いたんだ。心配はいらない」


ミロは少なからず皮肉が交じった微笑みを浮かべて言うと、有無を言わさず踵を返した。テオは小太りの兵士の顔色を窺ったが、彼は早く皇子についていくよう目で訴えてくるだけだった。早足で追いつくと、ミロは出て行く前に他の兵士と話しているところであった。


「曹長はどこだ?」


「ちょうどここにおりますよ、殿下」


見ると、体格の良い、穏やかな顔つきの青年が詰所の入り口に立っている。アドン伯の一人息子、クラウスである。ミロは頷いた。


「良かった。少し外出するんだが」


「喜んでお供いたします。―後ろにいるのは新兵のテオですね?」


クラウスは兵士一人一人を気にかける男だ。人望とは、実力だけでは集めることができないらしい。ミロは早速詰所を出た。


「話が早いな。護衛がてら彼の指導を頼む」


「承知いたしました。…しかし、変わったことをなさいますね」


「お前たちの伝統よりはましだ」


クラウスは声を立てて、しかし短く笑った。ミロは神経質な足取りで歩みを進めていったが、その足は城の外というよりは城の内奥を目指しているようである。クラウスは初めこそミロの命令に従い、テオに城内のことについて随分楽しそうに説明してくれていたが、やがて行き先が想定と違うことをはっきりと見て取り、おずおずと口を開いた。


「あの…殿下、外出なさるのでは?」


「いいからついてきてくれ」


ミロは低い声で言うと、歩みを速めた。三人は庭園に出て行った。すれ違った者の中には、兵士を二人侍らせて庭園なんぞに何をしに行くのだろうと思った者がいたかもしれないが、結局皇子のすることなど大して注目されないものだから、問題ないのだろう。ミロは周囲に誰もいないのを確認すると、花壇に手を突っ込んだ。花壇が動き出した。なんと、ミロは隠し通路をみつけた。


さて、皇子に急かされるまま、二人の兵士はわけもわからず通路に下りる他なかった。最後に下りたミロは、通路の入り口を元通りにするのを怠らなかった。通路は暗闇に包まれた。そして彼は―皇族だから不思議なことではないが―当然のように聖女の緋石を取り出し、それを光源にした。


「殿下、これは一体…?」


「皇族が使う避難用の通路の一つだ」


「いえ、そのことではなく…今のこの状況のことでございます、殿下」


「ああ。歩きながら話そう。あまり時間がない」


ミロは再び神経質に歩き始めた。本当に急いでいるようである。クラウスは困惑した眼差しをテオに向けたが、とうに皇子の言動が持つ違和感に気付いていたテオは、暴挙とも取れるそれを見逃すことをすでに選んでいたようであった。彼は肩をすくめてみせると、そそくさとミロを追った。クラウスも仕方なくそれに続いた。二人が追いつくと、ミロは出し抜けにこんなことを言った。


「クラウス、お前は一度僕に言ったことがあったな。母上のやり方には賛同しかねる、と」


クラウスははっと息を呑んで押し黙った。処罰を受けることになると思ったからであろう。ミロはそれを感じ取って言った。


「お前を罰するつもりはない」


今は、と言いかけてミロはやめた。大切なのは互いに信頼し合うことだ。特に、自身より大きなものに立ち向かおうとしているときには。クラウスは安堵した反面、疑い深い慎重さで答えた。


「…はい。確かにそう申し上げました」


「その思いは今も変わっていないか?」


「…変わっておりません。戦になることを知らずに、ただ陛下のお言葉を信じて我が国の安寧を確信している民を見る度、心が張り裂けそうになります。陛下のなさっていることは民を愚弄することであります…書記官たちの反感を買わずに済んでいらっしゃるのは、ひとえに皇帝という地位があってこそ―」


そこまで言ってクラウスは、口が過ぎたと気付いて口を噤んだ。


「し、失礼しました…」


「構わない。お前はそれで良いんだ」


ミロはふと立ち止まり、振り返った。後ろの二人も足を止め、銀蘭の瞳を見つめ返す。


「単刀直入に言おう。クラウス、僕と謀反を起こしてくれ。皇帝イザベラを打倒するべく、力を貸してほしい」


「え…?」


クラウスはすっかり当惑して、そこに答えでもあるかのように他の二人の顔を見つめたが、ミロを祈るような目を向けてくるだけで何も言ってくれそうになく、テオに至っては場違いな愛想笑いを張り付けており、返事をしない限り話が進まないのは明らかであった。しかし、大人しく承知するわけにもいくまい。


「しかし、殿下…一体どういうことなんです?彼は…?」


と、再びテオを見やる。ミロは彼らに背を向けて歩き始めた。誰かに気付かれる前に戻らねば。


「その者はある勢力の一員だ。城内の諜報をするために兵士になった」


「ある勢力?」


「彼らの協力は確実だが、いかんせん、人数が心もとないんだ。戦力こそ確かだが。そこで僕は、彼らの弱みとも言える人手不足…それを補いたい」


「僕一人で足りるでしょうか?」


冗談のつもりで言ったわけではなさそうだ。ミロは息を短く吐き出すようにして笑った。


「ある意味では肯定できるな。僕が買っているのは、お前の人望の厚さだ」


「そんな。僕なんて―」


曹長は歩きながら、恥じらうように俯いた。皇子には見られていないというのに。


「話は単純なほうが良いと思わないか?」


ミロが淡白に言うと、クラウスは降参したように肩をすくめた。やはりミロは進む先のことしか見ていないが。


「…そりゃ、僕は確かに人気者ですが。あなたがおっしゃっているのは、兵士たちに決起を促せ、ということでしょう?」


「その通りだ。そしてそれができるのは、僕の知る限りお前しかいない」


「お言葉ですが、殿下。いくら何でも、大義もなしに皆を説得するなんて、僕にはとてもできません」


「大義ならある。今からそれをお前たちに見せよう」


ミロがそう言ったとき、通路の行きどまりが見えてきた。外に出ると、そこは森の中であった。ミロが迷いのない足取りで木々の間を通り抜けていくのに、クラウスとテオはやっとのことでついていった。しばらくそうした後、ふと皇子は立ち止まった。三人は崖に行き着いていた。しかしミロが道を間違えたのかというと、決してそういうわけではなかった。彼は困惑して閉口している二人に言った。


「あれだ。僕が見せたかったのは」


「…海、ですか?」


「それは珍しくも何ともないだろう。よく見てくれ。ほら、あの辺りだ」


ミロはその細く長い指で、クラウスがちょうど見ていなかった方向を示した。その先を目で追ったテオが独り言のように呟いた。


「海が…孤立してんのか?どうなってんだ、ありゃ?」


悪くない表現だ。彼らの目線の先には、まるで透明な箱に入っているかのように、海の中で不自然に隔離されている区画が存在していた。


「あれは僕の緋石を使っているだけだ。あの中に―」


ミロは突然、息を呑むようにして言葉を切った。あの箱の中で、尋常でない大きさの尾ひれが水面を叩いたからである。クラウスが素っ頓狂な声を上げ、幼い子どものように目を輝かせた。


「殿下!今のは一体!?」


「海に生きる動物だ。学者はあれを鯨と呼んでいる」


「鯨…」


「ああ。―ここからが本題だ。よく聞いてくれ、クラウス…母上はあの鯨を神獣化させようとしている」


「えっ?ただでさえ大きいあれを神獣に?ですが、それってアルフレッド様が禁止なさっているんじゃ…」


クラウスの思考はこれ以上ないほど速度を落としていた。彼にとっては、今の状況は夢を見ているようなものなのである。テオは思わず呟いた。


「だからやばいんだろうが…」


ミロは海から目を離し、口を半開きにした若き曹長に向き直った。


「そうだ。わかるか、クラウス?我らが皇帝はこの大陸に戦火をもたらすだけでは飽き足らず、アルフレッド様が確立なさった秩序を転覆なさるおつもりなんだ。…この意味が、わかるか?」


銀蘭はまっすぐにクラウスを捉え、まるでミロの発した言葉を繰り返しているかのように、ひたすら彼を威圧していた。ミロが望むと望むまいと、銀蘭は時折そういうことをする。語るのである。クラウスはそれを見つめ返し、すぐに海に目線を戻した。それから質問には答えずに、小声で言った。


「…止められるでしょうか」


問いかけなのか、それとも諫める勇気がないだけなのか?クラウスの言葉は波間を漂う不安定な泡のようであった。ミロはそれが弾けて消えてしまうのを待ってから口を開いた。


「明朝まで待つ。僕を訪ねて来い」


踵を返すと、ミロはテオについてくるよう手で合図した。その背中を追いながら、テオはちらりとクラウスのほうを顧みた。彼はまだ海を見つめていた。本当に夢だと思っているのかもしれない。彼に聞こえない程度には距離ができたことを確かめてから、テオはミロに向かって低い声で言った。


「ミロ様よお、謀反の件は保留になったんじゃなかったか?黙っててやったけどさ」


「そうだな。だが、クラウスの協力を確かなものにすれば、彼女も手を貸すことに同意するだろう」


「そう上手くいくかねえ…大体、あいつが謀反に加担するほうを選ぶかどうかもわかったもんじゃないぜ?皇帝に告げ口されたらどうすんだよ?」


「母上が一人の兵士の確たる証拠もない話を聞くために時間を割くとは思えない。それにもし彼が僕につかないなら、彼は消える。それだけだ」


「あ、そ…」


テオは苦笑したが、ミロは彼の顔など見ていなかったし、仮に見ていたとしても、一緒になって笑みを浮かべることはなかったであろう。彼は冗談を言う余裕もないほどに、真剣そのものだったのだから。



 夕方、セレスティアはアメラを探して屋敷を歩き回っていた。正確には、アメラが連れまわしているはずの緑碧鳥、ルルを探していたのだが。本人がいらないと言うので屋敷にアメラの部屋はなく、かつ彼女が常に動き回っているため、彼女に会うにはしばしば時間がかかることがあった。今回がそれである。


アメラの気に入りの場所―庭の木陰、誰かの部屋の寝台など―から、ジリアンの根城―すなわち、侍女に怒られたくないので、アメラが食事時以外は近づこうとしない厨房のこと―までもを探してみたが、彼女の姿はなかった。まだ見ていないのは地下室と、使い手のいない書斎くらいであった。どちらもあまり人が寄り付かないところだ。


セレスティアは地下室に向かうことに決め、階段を下りて行った。途中から、何やらぼそぼそと呟くような声が聞こえてきた。どうやら、鳥を相手に話をしているようだ。


「アメラたちはニンゲンと同じじゃないんだって。同じものを食べて、同じ言葉を話して、同じように考えてるのに。変だよな、ルル?ちょっと動物っぽいだけじゃんか…」


そうぼやきながら、アメラはセレスティアが下りてきていることにはもちろん気が付いていたようで、彼女が顔を覗かせるべきか迷っている間に言った。


「セレスタ。ルルが必要なのか?」


セレスティアはその場から動かずに答えた。


「…ええ。テオと連絡を取らないといけないの。―どうしてこんなところに?」


「アメラ、こういうところ嫌いじゃないんだ」


明るい声色で言ったアメラは立ち上がり、ルルを手に乗せてセレスティアのほうへ歩いて行った。彼女と目が合ったとき―例の出来事から、二人は顔を合わせていなかった―、アメラは即座に言った。


「やめろよ」


「え?」


「その顔。アメラ、あのことなら気にしてない。セレスタが気にすることでもないだろ。だから、慰めようとしなくて良いぞ。―ほら」


ルルをセレスティアに突き出したアメラは、ちょうどエッタがよくやるような、好戦的な笑みを浮かべていた。笑顔どころか、その言葉まで彼女にそっくりだった。それが胸を衝かれるようなものだったのだろう、セレスティアは―きっと無意識のことだが―わずかに後退り、茫然と白狼の少女を見つめた。アメラは怪訝そうに首を傾げる。


「セレスタ?」


「…何でもないわ。ありがとう」


セレスティアはルルを連れて部屋に戻ると、すでに書き終えてあった手紙をそれに持たせ、窓を開けた。ルルは颯爽と外に飛び出していった。何というわけもなく緑碧の翼を見送ってはみたものの、当然と言えば当然なのだが、ルルはまっすぐ城下の方角を目指していた。偵察の報告が来るまで、彼女にできることはあまりなかった。



 城内では密かに戦の準備が進められているが、神獣のことを聞かされているのはやはりほんの一握りのようだ。ミロに聞いたところによれば、神獣化させられるのは海に生息する鯨という生き物らしい。ただでさえ大きいので要注意。ミロは曹長のクラウスという男に例の話を持ち出したいと言っている。曹長の協力が得られるならば、計画を実行するのに賛同するつもりか?


以上がテオからの報告の概要である。つまり彼は嘘をつくことを選んだわけだが、セレスティアたちとしてはそのことを知る由はない。ルルが戻って来たのは夜が更けた頃だったが、オスカーはその時点で即刻リーンとカイ、ついでにアメラを集めた。オスカーが手紙を要約するのを聞き終え、セレスティアは改めて八方ふさがりな現状を認識した。


「謀反だなんて…」


と、椅子の肘掛けの部分にもたれて首を振る。しかし、リーンは場違いにも興奮した目をして彼女を見た。


「えー、楽しそうじゃん!滅多にできないもん。中に協力者がいるんだったら良い感じに進みそうだし、皇子様まで味方につけてるんだよ?」


「変な奴だな」


アメラは小さく呟き、オスカーの足元に寝そべった。カイが隣に立つリーンを示しながら言う。


「こいつは楽観的すぎるが、実際に皇帝の計画を止めるなら、内側から瓦解させるしか手がないんじゃないか?専制政治が根付いてるんだろう?」


「皇帝を止めるなら、ね」


オスカーは床に目を落として呟いた。セレスティアが横から送ってきている訝るような目線には応えず、むしろリーンとカイのほうを見上げる。


「考えてみたんだ…僕たちがこの国の事情に介入する必要があるのか、って」


「何それ。見て見ぬ振りをするってこと?」


リーンは彼の考えが気に食わなかったようだ。オスカーは不意に立ち上がり、椅子から距離を置いた。そうでもしないと、セレスティアに打たれるとでも思ったのだろうか?


「アルフレッド様の時代はとっくに終わってる。ゾルギックが調和を乱そうと、乱すまいとね。僕は新たな秩序ができて然るべきだと思う」


「あなたのように苦しむ人が生まれるとわかっていても、皇帝の計画を見逃せるの?」


セレスティアは座ったまま、おもむろに顔を持ち上げてオスカーを見た。彼はやはり目を合わせようとしない。彼女が反発するとわかっていたからに違いない。彼は虚空に向かって消え入りそうな声で言った。


「…それは僕の責任じゃないよ」


「本当にそうかしら。ミロ皇子はどうなるの?彼はきっと、私たちがいなくてもイザベラ様を止めようとするわ。彼にどんな危険が待っているのか、想像できないはずはないけれど」


「謀反には反対なんじゃなかった?」


オスカーはようやくセレスティアを見た。卑怯だと言いたげに。彼女はその非難を真っ向から受け止めた。


「ええ、謀反にはね。私が言いたいのは、この国が悲劇への道を辿るのを黙って見ているべきじゃないということよ」


「どうして悲劇だってわかるの?ひょっとしたら、ゾルギックが次の先導者に取って代わる契機になるかもしれないでしょ。アルフレッド様亡き今―」


「その名を出すのはやめて」


ああ、やけに向きになっていると思えば。


「ね、二人とも落ち着いてよ。喧嘩なんてらしくないって…」


リーンが仲裁に入ろうと二人の間に立ったが、彼らはまるでリーンが透明であるかのように、依然として互いの目を見つめ続けていた。どうせなら睨み合えば良いのに。


「喧嘩じゃないよ。僕は率直に意見を言ってるだけ」


「前半には同意するわ」


「ちょっと、セーちゃん?」


「ティア、君は現実から目を逸らしてるだけだよ」


「ねえ…」


「そう言うあなたは現実を歪めているわ。第一、黄泉忘れの禁のことはどうなるの?この国が混乱している隙に掠め取られるのは目に見えているはずでしょう。まさか、私たちの目的を忘れたわけじゃないわよね」


「忘れるはずもないでしょ。だからこそ言ってるんだよ、皇族のいざこざに気を取られてる場合じゃないって」


二人が互いに一歩も引こうとしないので、リーンはうなだれ、うんざりしたように相棒に身振りで合図を送った。見てないで何とかしてよ!カイは止めに入るつもりなどさらさらなかったようだが、仕方なく重い口を開いた。


「あんたらの言い分はどっちもわかるが、これ以上は不毛じゃないか?利益も危険も、お互い同じだけしかないように聞こえるが」


ただし、両者共に最も大きな懸念を隠し立てしようとしているがね。彼らの沈黙は案外短かった。先に目を逸らしたのはオスカーだった。


「…まあ、そうだね」


セレスティアもわざわざ顔を背けた。反抗というよりは、恭順の意思表示である。


「良いわ。この際、手っ取り早くいきましょう」


「手っ取り早くって…何、多数決とか?」


「ちょっと待って。まだ起きているはずだから」


リーンは小首を傾げたが、それ以上は何も聞かなかった。すぐに扉を叩く音がした。侍女は返事を待たずに入室した。


「いかがなさいましたか、セレスティア様」


「ジルが決め手なのか?」


と、これまでじっと話を聞いていたアメラ。


「そんなところね。―ジル、少し見てほしいの。あなたが平気なら」


「…承知いたしました。お借りしても?」


ジリアンは寝台を示しながらオスカーに尋ねた。彼が微笑して頷くと、ジリアンは寝台に腰掛け、目を閉じた。リーンは訳がわからないといった様子でカイのほうを見たが、それは彼も同じだった。アメラは興味深そうに床から部屋の様子を観察している。


暫しの静寂の後、突然ジリアンの体勢が崩れた。肩肘を突き、虚ろな目で忙しない呼吸を繰り返す。リーンは思わず駆け寄ろうとしたが、セレスティアやオスカーが動かないのを見て、その場に留まることを選んだ。やがてジリアンは気だるげに目を上げた。


「…ミロ皇子は、あなた方の手を借りて謀反を起こします」


セレスティアとオスカーは互いに目配せをした。二人とも望んでいない結果が出たのだから、勝負は―彼らはそんなものしていないと言うだろうが―五分五分といったところだ。セレスティアは視線をジリアンに戻した。


「他には何かあった?」


「…いいえ。ただ、悪い予感がいたします」


そう答えると、ジリアンは一瞬、ほんの一瞬であったが、確かにオスカーを凝視した。彼がその眼差しに気が付く間もなく、ジリアンは顔を逸らして立ち上がった。


「申し訳ありませんが、これで失礼いたします」


「待って。部屋まで一緒に行くわ」


「ありがとうございます。…情けない限りです」


「無理を言ったのは私のほうよ―」


二人の会話は扉に阻まれてほとんど聞こえなくなった。アメラが欠伸をしながら立ち上がった。


「なあ、オスカ。今の何?」


「ん?ああ、ジリアンは未来の出来事を見ることができるんだよ」


オスカーは何か当たり前のことを言うときのような調子で言った。が、当然それは、知らない者からしてみれば耳を疑うような発言であった。珍しく、カイが間抜けた声を上げる。


「未来だって?」


「ほんとに?それって、ジルまで緋眼ってこと?」


「うん。見ての通りかなり消耗するから、多用はできないみたいだけどね」


オスカーが平然と話を済ませようとするのを、リーンは納得がいかない様子で引き留めた。


「ちょっと待ってよ。それって、未来が常に決定してるってことじゃない?そんなことあり得る?」


「…どうかな。何にせよ、結局僕たちって誰かの手のひらの上で踊らされてるものだと思うよ」


彼は何やら困っているような、曖昧な態度で肩をすくめた。彼にとってはむしろ、運命を信じないほうが馬鹿げているのかもしれない。運命というものがないのなら、善人は幸せな終わりを迎え、悪人はおしなべて罰を受けるはずだ…というのが彼の持論だということを、私はちゃんと知っている。


「そんなの、アメラは信じないぞ」


エッタの教育を受けたアメラは、自分の未来は自分で切り拓いているのだと確信していた。オスカーは笑いながら屈み込み、彼女の頭を撫でた。


「僕がそう思うだけだよ。―さて、テオに返事を書かないと」


「謀反の件を承諾する、と?」


カイは呆れた様子で尋ねた。先ほどまでセレスティア共々譲る気配がなかった割には、事が早く運びすぎていると感じたのだろう。オスカーは、部屋を片付けていないことを親に指摘された子どものような面持ちで答えた。


「そう。未来には逆らわないほうが良いみたいなんだよね」

2025.2.2

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