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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、逡巡する
37/60

目を瞑る

 いつか、凡眼を清らかな人類であると見なす連中がいることを話したと思うが、どうせ彼らのことを諸君に教えるなら、今のほうが良かったに違いなかった。何故なら、そういった輩の中でも最も性質が悪い者たちが、互いの醜さを研磨し合う集会なるものが、ゾルギック城下町では頻繁に開催されているからである。


『浄眼連盟』という名がついているその集団は亜人を迫害の対象とすべきとしており、上層部の人間―極論、より過激な思想を持つ者ということであるが―に至っては緋眼さえ目の敵にしている有様だ。こんな連中がのさばっていることを許すとは、まったく信じがたいことである。



 叙任式の日、テオは城に赴く支度をしていた。それにはセレスティアが同行することになっていた。オスカーは知っている顔がいたら困るという理由で布団に包まっており、ジリアンは雑務を言い訳に屋敷に残ることに成功した。言わずもがな、アメラは来られないだろうと思っていたテオだったが、外衣を腕に掛けて現れたセレスティアはアメラを横に従えていた。アメラ自身でさえ、何故外に連れ出してもらえるのかわからないようである。テオは本人に聞かれるのも憚らずにセレスティアに向かって言った。


「おい…大丈夫なのか、連れてって」


「ええ。耳や尻尾を見られなければ問題ないはずでしょう。だから、ジルに作ってもらったの…」


と、セレスティアは持っていた外衣を広げた。てっきり彼女が着るために持っていたのだと思ったのだが、よく見ると子どもの丈に合わせて作られたもののようである。彼女はそれを包み込むようにアメラに着せてやった。仕上げに頭巾を被せれば、怪しげではあれど、一目で亜人だとはわかるまい。アメラは目の辺りまである頭巾をいじりながら訝った。


「これを着てれば、外に出ても良いのか?」


「それでも誰かと一緒じゃないと心配だけれどね。これで少しは不自由がなくなるかしら」


「ほんとのほんとに出ても良いんだな?」


アメラは依然として疑うような目を向けてきている。セレスティアは屈み込み、その目を覗き込んで頷いた。


「ええ。でも、約束して。一人で出かけないこと。そして、外では絶対に脱がないこと」


「うん!約束する!ありがとう、セレスタ!」


途端に晴れやかな表情になったアメラは、裸足のまま外に飛び出してしまった。扉が閉まるのを眺めながらテオは苦い笑みを浮かべる。


「…本当にわかってんのか、あれ」


「賢い子だからきっと大丈夫。まだ小さいのに我慢ばかりさせるのも酷でしょう」


「俺も甘やかされたいもんだな」


「どうしようもない人ね。―行きましょうか」



 叙任式は何事もなく終わった。テオは手続きのあれこれのために城に残らねばならず、セレスティアはアメラを連れ立って先に屋敷に戻ることにした。彼女が馬車を探しながら歩いていると、広場に人だかりができているのが見えた。


都の賑わいを狙ってやってきた大道芸人が見事集客に成功したようである。彼女が大道芸を見たことがあるかと尋ねると、アメラはぽかんとして、その言葉の意味を知りたがった。見せてやったほうが早い。セレスティアはアメラの手を取ると、苦手としている人だかりのほうへ歩いて行った。子どもを連れているのを―緋眼であるのを―見て、何人かが彼女に道を開けてくれ、二人は大道芸が見える位置に着くことができた。


諸君、また私が無駄話をしていると思っているなら考えを改めていただかねばなるまい。そこで彼らが目にしたのは、三本のナイフを器用に両の手で弄ぶベッファの姿だったのだから。道化師は彼らを見つけてあの不愉快な笑みを顔に張り付けた。セレスティアははっとして強くアメラの手を握り直したが、そのときにはもう遅かった。アメラは彼女の手を逃れ、すでにベッファに飛び掛かっていた。


「同胞の分!」


その一撃は虚しく空を切った。今更驚くまでもないが、ベッファは大勢に囲まれていてもなお、いとも容易く姿を消してしまったのである。代わりに人々の中心に立ったのは、飛び掛かった勢いで頭巾が取れてしまった白狼族の少女だった。その場にいた人々には、道化師が突然白狼族に変化したかのように見えたことだろう。そしてその場には奇妙な熱狂が巻き起こった。


「おい、見ろ!亜人だぞ!」


「あの道化はどこにいったの?」


「そんなことどうだって良いじゃないか!亜人…しかも子どもだなんて!」


「白狼族って、ベラディールの土地に住んでるんだよな?何でこの国に?」


「子どもってことは、ひょっとして両親もこの辺りで暮らしてるんじゃ…嫌だわ、恐ろしい!」


アメラは理解した。数日前にテオが放った言葉の意味も、セレスティアの悲しみに満ちた微笑の意味も。もちろん、何も知らないわけではなかった。エッタから散々聞かされていたことだったし、その話を信じていたからこそ、彼女はニンゲンを毛嫌いしていたのである。


今の仲間たちは偏見を持たず、持っていたとしても態度には出さず、温かく彼女を迎え入れてくれていた。アメラはそれを幸運と知った。今直面しているのはいわば現実であり、エッタの生きてきた時代というのが未だ御伽噺にはなっていないという何よりの証拠である。


好奇と、それに味をつける畏怖の眼差しに晒され、アメラは金縛りにでも遭ったかのように指一つ動かせないでいた。一方セレスティアは、正面切って助けに向かうのは困難だと見なした。人波に呑まれ、彼女はとうに輪の外へ追い出されてしまっていた。亜人が強靭であるという共通認識が幸いして、群衆の誰もアメラに近寄ろうとはしないでいた。


しかし、いち早く彼女を救出しなければならなかった。ゾルギック城下町には、「彼ら」がいる。


「おい!亜人が現れたというのは本当か!?」


随分素早いことだ。人混みをかき分けるようにして、大柄な男が輪の中へ割り込んだ。その言葉、血走った眼からして、明らかに彼らの一人である。浄眼連盟…亜人を嫌悪するならば、どうして現場に乗り込んでくるのだろう?連盟の人間の登場に拳を握りしめ、セレスティアは周囲を見回した。見渡す限り野次馬ばかりで、使えそうなものはない。


「亜人がここで何をしている?」


輪の中の様子は見通せないが、男の高圧的な声は聞こえてきた。これ以上大事になる前に手を打たねば…。


「やァ!」


ふと背後から聞き覚えのある声が聞こえ、セレスティアは睨み殺そうとでもしているかのように振り向いた。


「…ここで何を?」


「道化の仕事さァ!」


ベッファは身振り一つ付けずに答えた。続くようにして、また男が怒鳴った。


「何とか言ったらどうだ!」


セレスティアは優先事項を定めた。


「あなたの仕事、じゃないのかしら?」


「アタシは芸を披露してただけだァよ!あの犬が勝手にオイラに突っ込んできたんだァね!」


「言葉は話せないか、ええ?」


「訂正なさい。彼女も同じ人間よ」


「ボクの知ったことじゃないんだァよ」


「何だ?穢れた眼で睨みつけて来やがって!」


「…いつまで私たちを泳がせておくつもり?」


「いつまであの子どもに犬かきさせておくつもりだァよ?」


「亜人のくせに生意気な!来い!お前には然るべき罰を与える!」


セレスティアはとうとう道化師との対話を諦め―初めから無駄だとわかっていたことだ―、人だかりのほうに向き直った。奇妙な感覚を覚えて振り返ったが、そのときにはベッファは姿を消していた。しかしいい加減、奴に気を取られている場合ではない。いっそ突風でも巻き起こして…などと考えていたのだろうが、彼女が手を打つ必要はなくなった。


「何事ですか?」


気迫のある澄んだ声が広場に響き渡った。ざわめきが遠ざかるように消えていく。人々が声の主のために道を開け、輪が乱れたおかげで、セレスティアにも連盟の男と白狼の少女の姿が見えた。次いで声の主も視界に入ってきた。なるほど、人々が恭順さを見せているのにも合点がいく。噂の聖騎士カーラではないか。


「そこの者、何を騒いでいるのです?」


「見てわからないのか!?亜人が出たんだぞ!」


「それがどうしましたか?」


「なっ…」


「特定の国籍を持つ者及び特異な能力を持つ者の入国を正当な理由なく拒絶してはならない。知らないとは言わせません。つまり、白狼族がこの国にいたところで何ら不思議はないということですが?」


彼女が述べたのはアルフレッドの律の一つである。ちなみに、受入国が戦争状態にある場合は例外とされる。何、ルーセチカはどうなのだ、と?我が国には何も問題はない。分け隔てなく、異国人の入国を拒否しているからね。さて、男が引きつった笑みを浮かべて負けじと言い返した。


「連盟を軽んじるようなことがあれば、立場が危うくなるのではないか?」


連中は帝国書記官に賄賂を支払うことで彼らを味方につけているのだとか。実力至上主義国家とはいえ、彼らを敵に回すのは手痛い。しかしこれで引いては、聖騎士の名が廃るというものだ。


「私を脅しますか。良いでしょう。あなた方の素行は目に余るものがあります。これ以上許容される範囲を超えた身勝手な振舞いを続けるならば、私は断固としてあなた方と戦うということをここに宣言いたしましょう。そして、私がその権限を確かに持っているということ、どうかお忘れなきように」


そう言い残し、カーラは颯爽と広場を後にした。人々の白い目に耐え兼ね、男も悪態をつきながら去っていった。そして群衆は、何事もなかったかのように日常へと帰っていった。アメラは茫然と立ち尽くし、緋い瞳をしたセレスティアだけが彼女を見つめている。目が合うと、少女は他人のように顔を逸らし、被った頭巾を両手で引っ張りながら駆けて行ってしまった。



 テオは月が出た頃に城からまっすぐ帰って来た。庭にセレスティアがいるのが見えたが、彼女は彼の帰宅はおろか、人の気配にも気付かず、その晴れた夜に君臨する月を独りじっと見上げていた。何となく放っておいたほうが良い気がして、テオは黙って二階に上がった。オスカーの部屋の扉は半開きになっていた。そのまま押し開けて顔を覗かせる。


「よう、戻ったぜ」


寝台の上で本を読んでいたオスカーは顔を上げ、束の間不思議そうにテオを見つめた。まあ、本当に束の間のことだ。


「おかえり。首尾はどう?」


「上々だな。城に居さえすればいつでも会えるってんで、何日か城内で訓練を受けろってお達しだ」


そう言いながらテオは部屋に入り、後ろ手で扉を閉めてそこにもたれた。それに従ってオスカーも本を閉じる。


「なら、しばらくは安泰だね。ただ、城では態度には気を付けたほうが良い。上の人間の気に障ることを少しでもしたら、あっという間に国境警備に回されるからね」


「そんときゃ皇子様が助けてくれるだろ」


「君を贔屓してると思われたら色々と面倒でしょ?とにかく、兵士っぽくね。命令通りに動けば目を付けられることもないはずだよ」


「はいはい。俺ってば、面倒な仕事ばっかり押し付けられてんだから。―つかお前、セーちゃんと喧嘩でもしたわけ?」


テオは先ほど見たセレスティアの様子を思い出して言った。寂しそうな横顔をした彼女が人を寄せ付けない異様な雰囲気を醸し出していたのは、オスカーが隣にいないからに他ならない。そのオスカーは何でもないように肩をすくめた。


「してないよ。ティアは落ち込んでるだけ」


「何を言ったら俺たちの王女様を落ち込ませられんだ?」


「何で僕のせいって前提なの?」


「冗談だよ。で、何があったって?」


オスカーは彼女から聞いた通りに事のあらましを語った。


「どうりでアメラが静かなわけだぜ。外出を許された矢先にそれじゃ、しばらくは引きこもりだろうな」


「ティアは自分が甘かったと思ってるみたいでさ。そうじゃないとは言ったんだけど」


「実際、何て言ったんだよ?」


「危険が伴うのは承知の上だったはずだし、提供できるものはしてあったんだから、責任はティアの手を離れてるでしょって」


「お前は女心がわかってないな」


テオは訳知り顔で首を振っている。オスカーは立って窓際まで歩いていきながら答えた。


「その点では君と肩を組んで歩けるよね。今は女心とか関係ないと思うけど」


と、庭を見下ろす。彼女はもういなかった。後ろでテオが何か言っている。


「いーや、あるね。女は考える生き物なんだぜ?」


オスカーは微塵も興味を示さずに相槌を打った。もう出て行ってほしいようだ。テオは息を吐き出ながら扉を開けた。


「…じゃ、そんだけだから」


「うん。明日から頼んだよ」


オスカーはすでに寝台に戻って本を開いている。テオは苦笑して部屋を出た。さて、少々小腹が空いたが。あの侍女はどこにいるのやら…。流れるように階段を降り、厨房を覗きに行こうと歩みを進める。と、玄関のほうからばたばたと騒がしい音がした。聞き慣れた声が廊下に響き渡る。


「ただいまーっと。あー、疲れた!」


「座ってただけだろう?」


「長時間固いとこに座ってたら節々が痛くなるもんなの!何回目、この会話?」


リーンは眉を寄せて相棒を睨みつけた。テオが廊下の先から声を掛ける。


「よう。お早いご帰宅だな。何盗って来たんだ?」


「今回はそーゆーのじゃないの。詳細はこちらのトリアタマ男爵に。―皆は?」


「いつも通りだぜ。あー、いや、いつも通りじゃないかも」


「どういうことだ?」


「詳細は二階のイシアタマ伯爵に」


「あたしたちがいない間に色々あった感じ?ちぇっ、乗り遅れたね、カイ」


「今んとこ、お前らがやることは別にないけどな」


「あ、そ?なら良いや。暇に越したことないもんね」


と、リーンは荷物を放り出したまま自室に引き上げた。その荷物を運ぶのは相棒の仕事だ。鞄を肩のところで指先に引っかけた彼の背中を軽く叩きながらテオは尋ねた。


「で、カイ・トリアタマ?何してたんだよ?」


「リーンに聞け」


「あいつの要約力に期待をかけろってか」


「お前も近況を報告してくれるんだろうな?」


「オスカーに聞け」


カイは呆れたように天井を仰ぐと、さっさとその場を立ち去ろうとした。テオはその正面に慌てて回り込む。


「わーった、わーった。こういうのは公平にやらなくちゃな」


「…そんなに俺たちが何をしてたのか気になるものか?」


「俺って若いから」


よく言う。カイはおどけるテオを鼻で笑うと、荷物を置いてくると断ってから階段を上がっていった。その間にテオは応接室に入って長椅子に寝転んだ。眠気が彼を襲ったが、誰かが部屋に入って来た音に怯えるように、それはたちどころに消えた。身を起こして見ると、立っていたのはカイではなくセレスティアだった。彼女は首を傾げて控えめな笑顔を浮かべた。


「寝るなら自分の部屋に戻ったら?」


「いや、今からカイと駄弁るんだ」


「やっぱりあの二人が帰って来た音だったのね。どこに行っていたのかしら」


「まさにそれを聞くとこ。一緒にどうだ?」


「素敵なお誘いだけれど、邪魔をしたら悪いわ」


「何が悲しくて野郎二人で喋ろうってんだ?いてくれよ。オスカーと仲直りしに行くってんなら無理にとは言わねえけど」


テオが試すようにセレスティアの表情を窺うと、彼女は怪訝そうに彼を見つめ返した。


「…私、彼と喧嘩した覚えはないわよ」


「ふーん…やっぱ違うのか。じゃ、居残りだな。ここ座れよ」


テオは長椅子の上に投げ出していた足を下ろしながら言った。セレスティアは迷いを見せたが、結局その隣に腰かけることを選んだ。テオは靴を脱ぎ、片膝を抱えるような姿勢で座り直した。


「実際、あいつが気に障ることないのか?」


「オスカーのこと?ないわ。どうして?」


「いちいち理屈っぽいだろ、あいつ」


「そうかもしれないわね。でも、彼が理性的でいてくれるのはありがたいわ。私は時々まともな判断ができなくなってしまうから」


テオが何か言いかけたところでまた扉が開き、張り切った様子のリーンと、それに続いてカイが現れた。テオはリーンを見て言った。


「よう。お前も来たのか」


「暇だし。あんたらの話聞きながらのほうがよく寝れそうじゃん?―あ、セーちゃんだ」


彼に向かって悪びれもせずに言ったリーンは、すぐにセレスティアに愛想よく挨拶をした。セレスティアは首を傾げて微笑んだが、その態度の変わりようにテオは思わず苦笑した。扉を閉めたカイが言う。


「てっきりお前の部屋にいるもんだと思ったんだが」


「野郎とこそ泥は入れねえ」


「大盗賊様なんですけど!」


案の定、リーンが不服そうに言った。テオは大盗賊殿の予想通りの反応に笑いながら答えた。


「どっちにしろ入れねえよ」


「結構なことだな。―セレスティア」


カイは挨拶代わりに頷いた。彼女もそうした。


「おかえりなさい。私もここにいて良いかしら」


「構わない。どのみち、あんたには今回のことを話すつもりだった」


テオが身振りで不平を示しているのをカイは無視した。リーンがテオの向かいに座り、カイが座るであろう場所に両足を投げ出した。相棒は慣れた様子でその足をどけて腰かけたが、結局その足は彼の膝の上に置かれるのだった。リーンは眠たげに、何も置かれていない卓上を眺めた。


「あんた、誘っておいてお酒の一つも用意しないとか、ありえないんだけど」


「お前を誘った覚えなんかねえし、ここに俺が飲んでも良い酒もねえんだよ。―おい、カイ。早く本題に入りやがれ」


テオがぞんざいに促したのを、カイはまた鼻で笑った。そしてもったいぶるように―本人にそのつもりはないにせよ―ため息をついた。セレスティアは身じろぎもせず、どこともつかぬところを見つめている。テオは焦れているようだ。リーンが早速寝息を立て始めたとき、カイは何の合図もなく話し始めた。


「…俺とリーンはザクに行ってたんだ。侯爵の令嬢に会いに行くためにな」


「そんな知り合いがいたのか?」


「ああ。知り合いと言っても、関係は良好じゃなかった。俺はあの女に飼われていたんだ。玩具だった」


セレスティアは眉をひそめたが、何も言及しなかった。カイは続けた。


「俺は当時のいざこざを解消したかった…んだと思う。だが、結果から言って、それは上手くいかなかった。あの女は何も変わっていなかった。誰かを見下さずには生きていられないような、醜い性格のままだった。彼女が個人的に出資して町を見違えるほど整然と造り変えたと聞いたとき、俺はあの女が善良になったことを期待した。向こうの酒場で聞いた話じゃ、それも意中の相手に取り繕うための手段でしかなかったらしい。それで無駄と悟って、こうして戻って来たんだ」


話しぶりからして、内容は馬車に揺られている間に練り上げてあったのだろうが、テオがいるためにおそらく簡略化されている。


「おい、待て。そんな何の生産性もない話に俺は今付き合わされてたのか?」


「ああ」


だからお前には話したくなかったんだ。カイは表情は変えずに、目でそう呟いた。それからセレスティアを見やる。


「俺はあんたがどう思うか聞きたい。俺がどうすべきだったのか。あの女が間違ってるのか、そもそも俺が間違ってるのか。教えてくれないか、セレスティア」


「…何故私なの?」


彼女は至って不思議そうに尋ねた。彼女は自分自身を何か真っ当なことを言うことができる人間だとは思っていないのである。カイは迷いもせずに答えた。


「あんたは俺が今まで出会ったどんな人間とも違うからだ。あんたは何が正しいかわかってるんじゃないか?」


「そうね。あなたと同じくらいには」


カイは怪訝そうに眉をぴくりと動かした。だが努めてそれ以上顔に出さないようにしている。まるで天使の啓示を受ける敬虔な信者のように。


「正しさなんて人それぞれじゃないかしら。私が天使アストルを信じているのに対して、彼らが天使エリシアを信じているのと同じことね。だから、私が示せるのは私にとって正しいものだけよ。それでも良いの?」


カイはゆっくりと頷いた。セレスティアは考えるように視線を落とした。


「…どう思うか、と聞いたわね。私は、人はそう簡単に変わらないと思うわ。人は誰しもその人にとって大切なものを持っているの。他人が干渉して覆せるものじゃない、守り通したい何かを。傍から見たら馬鹿げていたり、理解の及ばないものだったりするかもしれないけれど、その人にとっては人生の要なのよ」


「…なら、どうしようもなかったのか?」


「どうかしら。共感を求めるのは悪いことではないと思うけれど。ただ、誰かの大切なものを破壊してまで自分を貫くのは得策ではないみたいね」


そう言ってセレスティアは息を吐いた。彼女がこんなことを言うのは、彼女自身の人生が過ちの連続なのだという意識の表れなのだろうか?


「俺もそう思うぜ」


退屈したテオが適当な相槌を打った。カイは呆れたように彼をみやりながら、そうか、と一言呟いた。突然、リーンが元気よく飛び起きた。


「それで?こっちでは何があったの?」


何故寝たふりなどしていたのやら。テオが頬を掻きながら答える。


「あーっと…皇子が謀反を起こそうとしてる」


「は?」


リーンは思い切り顔をしかめ、真偽のほどを確かめようとセレスティアに目をやった。セレスティアは当惑したような面持ちで肩をすくめた。


「私も、嘘だったら良いと思うのだけれどね…」


そう切り出し、彼女はミロの語ったイザベラの計画や、かなりの無茶を求められる謀反のこと、ついでにテオが内通者の役をすることになったことを簡潔に話して聞かせた。話を聞き終えると、リーンは能天気にもこう言った。


「あー、出かけてて良かった!あたし、兵士とか一日でも無理だもん」


「そこじゃないだろう?」


「わかってるよ。神獣の話でしょ?にしても、やだなあ。神獣とか、あたしには規模が大きすぎるんだけど」


「んなの、誰にとってもそうだろ」


テオは欠伸を噛み殺しながら言った。リーンはうんざりしたような顔をして、だらしなく長椅子に腰を沈めた。カイは物思いに耽っているのか、それとも何も考えていないのか、じっと押し黙っていた。セレスティアは短くため息をついた。


「とにかく、皇帝やミロ皇子の出方を見ないと、私たちにはどうしようもないの。黄泉忘れの禁のことがあるから、放っておくわけにもいかないでしょうし」


彼女が低い声で言うと、リーンはつと立ち上がって伸びをした。


「じゃ、今考えても仕方ないってことだ!だったら寝るに限るよ。おやすみ、皆!」


妙に納得のいったような顔をして、彼女は颯爽と部屋を出て行った。実際、彼女の言ったことは正しかった。彼らがここで悩んでいたところで、ミロやイザベラが考えを改めてくれるわけではない。カイも立ち上がり、また明日、と引き上げていった。


残ったテオとセレスティアは、何を話すでもなく、しばらくじっとしていた。どうも、テオには何か言いたいことがあったようだが、結局彼は諦めて立ち上がった。


「ま、俺も明日から早いし、寝るわ」


「それが良いわね」


セレスティアは微睡みの中にいるかのように―実際はかなり目が冴えていたに違いないが―ぼんやりと答えた。しかし、テオが長椅子を離れようとしたとき、彼女ははっと立ち上がって彼を呼び止めた。


「どうした?おやすみの―」


「黙って。テオ、約束してほしいの、彼に…」


そこまで言いかけたのに、彼女は言葉を続けるのをやめてしまった。口約束など何の意味も持たないのだと、そんな考えに妨げられたかのようだった。ただ、彼女は祈るような目をしてテオの瞳を覗き込んだ。


しかし、その紫苑は彼らのいる薄暗い部屋ではあまりに爛々としていて、夜空に浮かぶ月の如く、見る者の心ばかりを投影するのだった。だから、その麗しい眼差しは、テオにとって哀願の意味すら持たなかった。彼はふと、彼女の髪をその耳にかけた。我が王女はそれを拒絶し、素早くその場を後にした。

2025.2.2

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