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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、遊弋する
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いまいくから

 能力の強弱は器の大きさによるが、器の許容量を無視することができる場合がある。それが緋眼の暴走だ。自分にしか及ぼされない能力の影響を他人に及ぼしたり―そのまた逆も然り―、普段ではありえない威力を発揮させたりする。暴走の連発は緋染病になる最大の原因だが、それにさえ気を付ければ、暴走はかなり便利な手段になり得るのだ。


…ああ、そうだとも。暴走は意図的に発生させることができる。使いこなすのは容易ではないが。そして我が王女があの女を殺してしまったときのように、無意識的に起こってしまうこともある。そういう場合は発動者でさえ制御ができない。我々緋眼が最も恐れるべき事態だというわけだ。



 カイは走っていた。全力で。彼の動きは思ったよりも俊敏だ。だが人よりは暗闇で目が利くカイでも、幾度となく木の根や長すぎる雑草に足を取られた。転んでいる暇などないのに。しかも、途中で儀式を行っている広場を避けるために迂回しなければならなかった。あんなところに怒涛の勢いで突っ込んだら騒ぎになることは免れない。


何故リヴァはもう大丈夫だと少しでも考えてしまったのだろう?何故リーンを置いていくなんてことをしてしまったのだろう?カイにとって、自分が死の危機に瀕することなどは大した問題ではなく、むしろ待ち望んでいることであった。しかし、リーンがそうなるのは話が別だ。


カイは彼女を守ることが義務であると勝手に感じていた。だから彼はこうして柄にもなく必死に走っているのだった。同時に祈っていた。リーンが、あの馬鹿が無事でいますように、と。もっと早く動けない自分を呪ってもいた。息が切れ、速度が落ちる。体力には自信があったってのに、何だってあの天幕はこんなに遠いんだ?


「…くそ!」


カイは汗を拭い、命を削って体力を回復させた。不思議な出来事というのは、こういうときに起こるものだ。再び速度を上げようとしたカイは、自身の身体がひどく軽いことに気が付いた。先ほどよりもずっと速い。体力を使っているような気もしない。疑問を感じている場合ではないにせよ、カイはきっと考えたことだろう。彼風に言うなら、俺はいかれちまったのか、と。



 カイには馬鹿だと言われるが、リーンは大人しく襲撃に遭うような娘ではなかった。彼女は随分早くから異変に気が付いていた。殺気を帯びた何かが大勢こちらに向かってきている。一度は気のせいかと考えたが、すぐに思い直した。


「まずい…逃げよ、リヴァ」


「逃げるって、どこに?だ、誰か来たんですか?誰の匂いもしませんけど」


「噓でしょ!?気付いてないわけ?さっきからずっと―あー、説明は後!いいから早く!」


リーンは苛立ったようにリヴァを急き立て、腕を引っ張って天幕の外へ連れ出した。リヴァは訳が分からないといった様子でされるがままになっている。駆け出したリーンは、茫然と突っ立っているリヴァの元に戻ってくると、怒鳴りつける形で尋ねた。


「あんた死にたくないんじゃなかったの!?」


「そりゃ死にたくないですよ!けど、僕には何がどこから来てるのかさっぱり…」


「あたしだって何かはわかんないよ!でも、あっち。確かお墓があったほう―」


リーンは言いかけながらはっと息を呑んだ。死体を操る王女。墓場に眠っている白狼族。殺気を放ちながら一直線にこちらに向かってくる謎の集団。さすがのリヴァも気付いたらしい。


「墓地って…まさか!」


「まずい、ほんっとにまずい!」


リーンはまたもリヴァの腕を掴むと、無我夢中で走り出した。彼のほうがもちろん足が速いので、すぐに引っ張る必要はなくなった。


「どうしましょう?どこに逃げれば…」


ここに来てリヴァはいやに冷静だった。正気を失いかけていたのはむしろリーンのほうで、彼女の思考は空回りを繰り返していた。


「わかんない…森の中に隠れて―だめだ、あいつらきっと鼻が利くはず。広いところのほうがいいよね…違う、他の人を巻き込むことになる。どうしよう、セーちゃんはどこにいるんだろ?皆も気付いてるんだよね、多分。エッタさんならあたしたちを見つけてくれる?それまで逃げ続けられるかな?」


「ちょ…落ち着いてください!そんなに喋ったら体力が持ちませんよ!」


「だってあたし…どうしたら…」


言わんこっちゃない、リーンは早くも息が絶え絶えになり、ついには立ち止まってしまった。彼女は普段は能力を使って飛び回っているから、実際に走るとなると元からそこまで長くは持たないのだ。リヴァも走るのをやめた。何かを迷っているかのように口を開けたり閉じたりしている。リーンは腰を折りながらリヴァの顔を見上げた。


「何?はぁ…何か言いたい…ことでもあるわけ?置いていきたいなら…置いていけば良いでしょ…」


「いや、そうじゃなくて…あの、乗るかなって思って」


「何に…?」


「僕に…?」


リーンは目を見開いてリヴァを見つめ、それから納得して呟いた。


「あんた、白狼じゃん」


「はい、一応…。金の力を使えばあなたを乗せて走れます。この姿で走るよりも速いですし」


「あんたはそれで良いの?」


「こんなときに、なりふり構ってられませんよ」


そう言うなりリヴァは金眼を輝かせ、白狼へと姿を変えた。亜人のときの様子から見違えるほど彼は立派な白狼だった。リーンがその背に飛び乗ると、リヴァは疾風のごとく駆け出した。



 何度棍を振るっても、セレスティアは一向にリオンの元へたどり着くことができなかった。それは言うなれば数の暴力で、潰そうが、斬ろうが、すぐに次なる刺客に襲われるだけだった。戦闘が始まったときよりは前進していることは確かだが、とはいえこれでは切りがない。彼女は何か手を打つ必要があった。それも、相手の意表を突くとびきりの一手を。


「どうした?ばててきたのか?!」


リオンは正しい笑い方を知らないかのような、不愉快な馬鹿笑いをしながら叫んだ。額に汗をかいたテオが悪態をつく。隙を見て距離を詰めたまでは良かったが、それも無駄な消耗に終わった。リオンがわざと蔦の襲撃を遅らせ、テオが仕掛けてくるように仕向けたからだ。リオンに近づきすぎたテオはあっという間に蔦に包囲され、危ないところをセレスティアに救われたのであった。


敵を仕留めるのにこの男は使えそうにない。囮にでもしようものなら、ものの数秒も持たないだろう。ふと、セレスティアはからくり人形のように繰り返していた反撃をやめ、迫りくる蔦を睨みつけて一掃すると、即座にテオに接近した。何か閃いたらしい。


「無駄遣いはしないことね」


と、テオの背中を軽く叩き、”命”を送る。テオは体力がみなぎるのを感じた―のがこちらまで伝わって来た―。


「応援か?沁みるな」


「集中して」


「わあってるよ。―何か作戦でも思いついたのか?」


セレスティアはそれには答えずに、唐突に棍を前方に投げた。真正面の蔦をテオが切り落とすのを待っていたようだ。テオは面食らって言った。


「何やってんだよ!?」


テオが驚きのあまり攻撃の手を緩めてしまったのにも関わらず、二人は打たれずに済んでいた。見ると、不自然に宙に浮いたあの棍が断続的に周囲へ彼女の風―あの、よく斬れる風―を送り出している。おかげで蔦はこちらにたどり着く前に地面に落ちてしまっているようだ。視界が開けると、彼我の距離がより鮮明に理解された。あの蔦の壁は分厚すぎた。テオは苦笑いをしている。


「そんなんできるならもっと早くやってくれよな…」


「あまり時間は稼げないの。リオンを見て。あの蔦は、当たり前だけれど、全部彼の身体から生えてきているわ。あの量の統率が執れているのはそのおかげでしょうね。つまり、あれらの蔦は彼の身体の一部ということよ」


「痛覚はないよな?」


「言っている場合?―とにかく、蔦は直接リオンに繋がっているの。彼を攻撃するのに、接近する必要なんてなかったのよ」


「俺が馬鹿だってこと、忘れてない?」


「これ以上説明している時間はないわ。とりあえず、片方貸してちょうだい」


セレスティアは手を差し出して言った。テオが躊躇いながら刀をその手に持たせたと同時に、浮遊していた棍が落下した。彼女の込めた風斬の効力はなくなり、一気に蔦が襲い掛かって来る。セレスティアは刀を構えた。それはウィリアムに教わった細剣の構え方で、テオの刀でやるとどことなく不格好であった。


「おい―」


「いいから、見ていなさい」


そしてセレスティアは蔦の中へと突進した。リオンは彼女の手に届かないよう棍を跳ね飛ばし、勝利を確信したように彼女を嘲笑った。


「作戦会議の結果がそれか!?」


蔦はあっという間に彼女を取り囲み、残りはテオのほうへと伸びてきている。またも悪態をつきながら、テオは一本の刀を軽やかに振って蔦を撃退していく。二刀を振るうときとはまた別人のようだ。


さて、もう後がないセレスティアはどうしたかというと、目の前に伸びてきた太い蔦に迷うことなくテオの刀を突き刺した。ただ刺しただけだから、その蔦を切り落とすことはできないし、周りのも当然ぴんぴんしている。だが彼女は笑っていた。勝利を確信しながらも、上品に。


右手で握った柄に左手を添える。緋眼が輝きを増す。周りの蔦が彼女の自由を奪おうと身体に巻き付き始める。刀の刺さった蔦が首に伸びてきた。絞殺されそうになってもなお、彼女は柄を離さず、瞳は燦然と輝いている。彼女が考えていたのは一つだけだ。奴を殺す。


「セレスティア!」


何とか攻撃を凌いだテオは、身体のほとんどを蔦に覆われたセレスティアの姿を目にし、愕然として叫んだ。しかし同時に刀が、そしてそれが刺さった蔦が目に入り、また驚愕した。何してやがる?


「どうした!諦めたのか!?」


リオンが騒いでいる。セレスティアの表情が険しくなった。さすがに息が持たない。というか、先に首を折られるかもしれない。胴体を丸ごと潰されるかもしれない。もっと速く。この呼吸が途絶えるよりも速く。この骨が砕けるよりも速く。この鼓動が止まるよりも速く。集中しろ。細く鋭い刃で奴の身体を切り刻むために。この蔦が途切れることはあってはならない。だからもっと細く。芯をなぞれ。道を辿れ。その先に、奴の生きた内蔵がうごめいているから。


「俺の勝ちだあああああ!!」


いいや。お前の負けだよ、リオン。そうでなければ、何故お前の身体から血が流れ出る?何故身体が燃えるように痛む?リオンは信じられないといった表情で膝から崩れ落ちた。彼の身体は内側から破壊された。セレスティアに巻き付いていた蔦がだらりと垂れ下がり、朽ち果てた。


セレスティアは刀を落として激しく咳き込み、深く息を吸った。テオが茫然とその光景を眺めている間に彼女は持ち直し、一歩一歩踏みしめるようにしてリオンに近づいて行った。血溜まりの上に崩れ落ちる体躯…吐血…いつか見た光景。妹も腹に穴を開けられて死んだ。裏切りの代償なのだろうか?


「ちく…しょう…」


そう呻くとリオンは再び血を吐き、目を閉じようとした。だが眠ることは許されない。セレスティアは片膝をつくと、少しだけ彼の傷を癒し、肩を持って身体を起こさせた。血に塗れたリオンの虚ろな顔をまっすぐに見据える。


「知っていることをすべて話して」


リオンは何も言わなかった。そしてあの下卑た笑みを浮かべるつもりかと思いきや、彼はあろうことか泣き始めた。しきりに痛い、痛いと繰り返す始末だ。セレスティアは茫然とその様を見ていた。自分の刀と彼女の棍を拾ってからやってきたテオもまた、呆れて物も言えないといった様子で立ち尽くした。リオンが泣きじゃくりながらか細い声で言う。


「死にたくない…嫌だ…!痛いのも、苦しいのも、もう嫌だ…!」


セレスティアはため息をつくと、肩を掴んでいた手を頭に回して彼をそっと抱き寄せた。むせび泣くリオンの耳元で、しー、と息を漏らす。そしてまるで母親のような調子で囁いた。


「大丈夫よ。何もかも良くなるわ。あなたは知っていることを話せば良いの」


「何でいつもこうなんだ…何にも上手くいかなくて、自由なんかなくて…何で俺はいつもこうなるんだよ…?」


「てめえの妹を裏切ったからだろ、馬鹿が」


テオは吐き捨てるように言った。リオンは哀願するように叫んだ。


「しょうがないだろ…ペネロペは無力だった!あいつには俺を救う力なんかなかったんだ!」


「だからベッファの手を取ったの?」


セレスティアに尋ねられると、リオンはやけに恍惚とした声音で答えた。


「そうさ…アストルの創った世界をぶち壊すんだ。エリシア様がすべてを創り直してくれる…!」


「略奪の天使…?」


さすがのテオでも聞き覚えがあるらしい。エリシア―世界を破滅に導こうとした天使。アストルが正義なら、エリシアは邪悪だった。そのまた逆も然り、というわけか。他のどの天使でもなく、最後に倒れたのがエリシアで、最後に立っていたのがアストル―そして聖女クレア―だったというだけのことだ。


「…あなたたちの目的は、天使エリシアを復活させること?」


セレスティアはリオンをなだめるのをやめ、彼の両肩を持ってその顔色を窺った。嘘をついているわけでも、錯乱しているわけでもなさそうだ。


「間違ってるのはお前らだ!アストルなんか信じやがって!この世に君臨すべきはエリシア様なんだ…!馬鹿な奴らだ、そんなこともわかんねえのかよ!?」


吐血などお構いなしに喚きたてるリオンからセレスティアは手を離し、立ち上がった。彼の身体は支えを失って再び血溜まりに倒れ、テオの足元にわずかに血が飛び散った。


「何をどう信じようとあなたの勝手だけれど、思想は押し付けるためにあるわけじゃないのよ。残念ね。誰にもそのことを教えてもらえなかったなんて」


そう言い捨てると、セレスティアは震える唇を噛みしめてリオンに背を向けた。今の出来事をなかったことにしようとしているかのように足早に歩いていく。テオは何やらごちゃごちゃと呟いているリオンの横に立ったまま、彼女の背中に声をかけた。


「とどめは?」


「じきに息を引き取るわ」


「どうすんだよ、何かの拍子に生き延びたら」


「…それもそうね」


足元で肉の斬れる音がした。彼女は執拗に首を斬ったようだ。彼女の風は鋭いが、人間の首を斬り落とすことができるほど強靭ではない。だからたまにこういう惨い死体が転がることになる。だが、それぞれの斬り口は綺麗なものだった。テオはしゃがみこんで感心したようにそれを眺めてからセレスティアに追いついた。


「大丈夫か?」


「今はぐだぐだ言っている場合じゃないわ。…私は墓地に行かないと。あなたは広場に戻って」


「いや、俺も一緒に―」


「駄目よ。エッタの応援に行って」


セレスティアは断固として言った。何も聞き入れるつもりはないようであった。テオは深々とため息をついた。


「…あいよ。ちゃんと戻って来いよ」


彼女は驚いたように目を見開くと、固く頷いてから墓地へと駆け出した。テオはその背を見送り、自らは広場を目指して走り出した。



 リーンは最早何も考えていなかった。こんな右も左もわからない状況で、一体何を考えればいいというのか?どこに向かっていても、腐臭が着実に迫り来ているのを肌で感じるのだ。リヴァはほとんど疲れを見せずに走っていて、時折立ち止まり、匂いを嗅いでは逃げる方向を変えていた。二人が口に出さずとも共有していたのは、逃げ場などなく、戦闘は免れないだろうという認識であった。防戦一方になることも疑いの余地はない。助かる見込みは?考えたくもない。


天幕を出た後、彼らは近くにあった森に逃げ込んだ。しかし彼らは自身がどこにいるのかさえわからなくなっていた。暗闇と腐臭で、集落の方向さえ判断がつかないのだ。ふとリヴァが立ち止まり、逃げ場を探そうと匂いを嗅いだ。そして自身の鼻を疑っているかのように、もう一度鼻をひくつかせた。背に乗ったリーンのほうに顔を向け、吠える。


「あたし、狼の言葉わかんないんだけど!」


リヴァはもう一度吠えてみたが、彼女には伝わらない。彼は困ったように耳を垂らした。リーンも困惑してその顔を見つめた。


「…ひょっとして、降りろってこと?喋れないから元の姿に戻りたい、とか?」


当たっていたらしい。リヴァは耳を立て、しきりに首を縦に振った。狼が頷くとは、ひょうきんな。リーンが地面に降り立つと、リヴァは即座に亜人の姿に戻って言った。


「何かが焦げた匂いがするんです。それを伝えたくて…」


「焦げた匂い?火なんかどこにも見えないよ」


「はい、かなり遠いので。だけど規模は大きいみたいです。あっちのほうから…もしかしたら、集落の方向かもしれません」


「嘘でしょ?集落が火事になってるってこと?」


「断定はできませんが、多分…。グゥヴァのときは、最後にいつも天灯をあげるんです。火を使うので、そのときに襲撃に遭ったとしたら、火事になっていてもおかしくないですよ」


「あそこ、燃えるものしかないじゃん!最悪だね。森に火が移らないと良いけど」


それは誰もが願ったことだろうが、物語というのはそう都合良くできてはいない。リヴァははっとして周囲を見回した。


「に、匂いがどんどん強くなっています…!森から離れましょう、リーン!」


「ちょっ…落ち着いてよ。あんまり集落から離れないほうが良いって!誰かと合流しないと」


「だけど、僕が集落に戻ったら、同胞を巻き込むことに…」


「どうせもう巻き込まれてるでしょ!?あたしたちだけじゃどうにもできないもん。エッタさんか、セーちゃんか…とにかく助けてもらわないと」


「でも、僕に引きつけられて、少しでも敵がこっちに来てくれるなら、同胞は―」


「馬鹿じゃないの?こんなときにかっこつけないで!ほら、あっち…行こう!」


リーンが仰ぎ見ると、夜の闇の中、微かに煙が上がっているのが見えた。ずっと遠くが明るい気もした。あれが朝日だったら良かったのに。彼女はとりあえずその方向に向かって駆けだした。リヴァは仕方なくそれに従った。


死体の群れは依然として姿を見せていない。だが肌を刺すおぞましいほどの殺意が、敵がこっちに向かっているのは確実だと告げている。ならば何故いつまで経っても追いつかれないのだろう?嫌な考えが頭をよぎったのか、リーンは何かを否定するかのように首を激しく振った。残念だが、君の勘はよく当たるぞ、リーン。



 広場が襲撃に遭ったのは、リーンたちが集落を目指して走り出す数分前のことであった。そしてその襲撃は明らかに異様だった。あの屍たちは、広場にいた一族をいとも容易く包囲してしまった。エッタはもとより彼らの存在に気が付いていた。彼らは確かに広場にいた。匂いにしても、気配にしても。だが、決して目視することができなかったのだ。


エッタが相手に遅れを取ったのはそういう理由があってのことだった。勘の鈍い同胞たちは意気揚々と天灯の準備をしていた。彼女は敵の配置の把握を諦め、最早手遅れと知りながら、一族に告げた。


「グゥヴァは中止だ!」


一族は一斉に顔を上げ、気でも狂ったのかと言いたげに族長を見た。一人が当惑して言った。


「何だよ、エタ。ここからが楽しいんじゃないか!」


エッタは珍しく焦りを顔に出しながら辺りを見回した。


「気付いておらぬのか!いいから、おぬしら―」


「でも俺、もう火を点けちゃったよ」


と、別の一人がぼんやりと輝く天灯を掲げた。そのときだった。屍の気配が一気に近づいてきたのは。


「伏せろ!」


忠告するのが少し遅かった。どこからか現れた屍が、天灯を持った男に襲い掛かった。彼らは地面でもつれ合い、天灯が近くにあった大木の根本に投げ出された。あっさりと着火する。まるでそれを合図にしたかのように屍が次々に姿を現し、一族を襲った。


木が炎上するのと同じくらい簡単に人々は大混乱に陥った。いくつかの屍が同時にエッタに飛び掛かった。かわし、受け流し、反撃する。そして彼女は考える。一体どこに隠れていたのか?しかし、そんなことを考えている場合ではない。リーンの言った通り、ここには燃えるものしかないのだ。先ほどの大木が燃え上がりながら倒れたおかげで、炎はさらに素早く広がった。


「エタ!」


そこに、アメラが駆け戻って来た。おぞましい光景を前に、絶望的な表情をしている。


「ルーシャが…!」


「わかっておる!ここは良い、おぬしはルーシャを探せ!匂いはわかるな?」


「だけど、エタ…」


エッタはそれ以上取り合わず、屍の群れに向き直ってしまった。アメラは生死の交わるその戦場の合間を縫って、ルシアの匂いを辿り始めた。

2025.1.27

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