首の皮一枚
一般に、金眼が亜人として冷遇されるのは、その特異な見た目のためであるようだ。多くの金眼は耳や尾、爪といったような部分に現れる動物らしい特徴を隠すことができない。
一方で、オスカーが風竜の金を持っていながら、普通の人間と変わらない見た目をしているということには諸君もすでにお気付きだろう。これは私が意図的にそう見えるようにしているとかではなくて、彼が本当に竜としての身体的特徴をすっかり収納してしまっているだけのことなのである。頭に来れば鱗が表出するし、飛ぼうとすれば翼が生えるけれども。
また、エッタも同様に耳やら尾やらを収納できると思われる。その理由はずばり、彼らに十分な器―私は一体何度この話をすれば気が済むんだろう?―が備わっているからである。セレスティアに器を借りているオスカーに関して言えば、逆説的に、彼女の器の大きさが常人の比ではないことになる。ここには二重線を引いてくれたまえ。
いよいよ処刑の時が来た。必死の抵抗も空しく、テオはあっさりと断頭台に繋がれてしまった。その間も彼の目線はあちこちを彷徨っていたが、リーンやカイが助けに来てくれる見込みはないようだった。前方にはエッタがいて、まるで腐敗した肉塊を見るかのような目でテオの様子を眺めていた。このままではまずいと思ったのか、テオは口をついて出るに任せて言葉を並べ立てた。
「待て待て待て!えーっと…あー、わかった、わかった!俺がやったよ!うん。認める!あのー、ほら。事情話すからさ、な?一旦離してくれよ、まじで」
この場で出うる最悪の嘘ではないか?
「準備は済んだか?」
エッタはテオの戯言を無視して言った。断頭の支度を整えていたのはリヴァで、彼は罪人の上に吊るされた切れ味の悪そうな刃を見上げてからエッタに頷き返した。嫌な汗がテオの頬を伝った。
「ちょ…違う、俺じゃないって!」
「お前、さっき自分がやったって言っただろ。馬鹿なのか?」
と、エッタの横に立っているアメラが呆れ顔で言った。
「うるせえ、これが大人のやり方なんだよ!―なあ、エッタさんよお。こういうのを冤罪って言うんだぜ。犯人が俺じゃないとわかって、後悔するのはあんただ。よーく考えたほうが―」
「儂が情けをかけると思ったか、この阿呆め」
エッタは少しも揺らがない。当然だろう、彼女としては疑う余地がないのだから。エッタがリヴァに目で合図を送る。終わりを察してテオは脱力した。が、すぐにその瞳に生気を取り戻すこととなった。
というのは、エッタの領空を竜の翼が切り裂き、領土を咆哮が鈍麻させたからである。竜の背にはもちろん我が王女が乗っていて、彼女はアンドルーに貰った鷲目の緋石を覗き込みながらゆっくりと息を漏らした。
「間に合ったみたいね。…どうしてあんなことになっているのかしら」
オスカーは何かしら言わんとして唸った。その内容は今のところセレスティアにしか理解できないが、おそらくは、放っておいたらどうだ、とかそういうことを言ったのだと思われる。
「手厳しいのね。まあ、何をしでかしたかはさておき、テオも少しは痛い目を見たほうが良いのかもしれないけれど」
オスカーが再び低く鳴いた。まさかリーンとカイはこのために君を呼んだのかな?
「そうじゃないと良いわね。―行きましょう。あの調子じゃ、本当に首をはねられてしまうわ」
そう言って、セレスティアはジリアンお手製の目隠しをつけた。オスカーは一直線に処刑場へ降下していった。エッタは怯む様子もなく、何の用だと言わんばかりに竜を一瞥した。テオは歓喜の声を漏らそうとしてすぐにやめた。オスカーに睨みつけられている気がしたのだ。
セレスティアが大地に降り立ち、元の姿に戻ったオスカーがその背後に立った。彼女はエッタを探し当て、言った。
「久しぶりね、エッタ。私がわかると良いのだけれど」
エッタは彼女に見覚えがあるというわけではなさそうだった。が、その頭から爪先までを嘗め回すように見ながら鼻を利かせているうちに、何か懐かしい匂いを嗅ぎ分けたようであった。エッタは耳をピンと立て、疑り深い目線を向けて言った。
「…セレスタ?」
「ええ、流石ね。…私、変な匂いでもするの?」
「何を言うか。ただお前の匂いがしただけだ。―それにしても、久しいのう!元気にしておったか?」
先ほどまでの冷酷さはどこへやら、エッタの表情はひときわ明るくなり、嘘偽りなくセレスティアとの再会を喜んでいるようであった。しかしエッタはすぐに処刑の真っ只中であることを思い出したらしい。うんざりしたように上を向いて首を振ると、セレスティアの返答を手で制した。
「ああ…待て。今はそれどころではなくてな。見ての通り、あの阿呆に罰を下すところだ」
断頭台の下でテオがはにかんでいる。オスカーがもう一度睨んでも、テオはますます間抜け面を晒すだけであった。心底安心しているに違いない。セレスティアは仕方なく尋ねた。
「…彼は何を?」
「奴は儂らの同胞を手にかけおった。それでいて、ほれ、あの態度だ。万死に値するわ」
エッタは忌々しそうにテオを見て、吐き捨てるように言った。セレスティアはわずかに躊躇っているようだったが、やがて頬に手を当てると、やはり仕方なしといった様子で切り出した。
「ねえ、エッタ。彼、実はちょっとした知り合いなの。何かの間違いなんじゃないかと思っているのだけれど」
「馬鹿を言うな、セレスタ。儂らの鼻を疑う気か?」
「まさか。でも、少しで良いから時間をくれないかしら。確かめておく必要があるの。―オスカー、リーンたちを探してきて」
セレスティアはある程度リーンとカイ、テオまでもを信用していたから、テオがここまで馬鹿な真似をしたとも、リーンたちがこのためだけに彼女を呼び出したとも考えていなかったのである。オスカーは素早く飛び立った。
彼を待つ間、処刑を見に来ていた白狼たちはざわめき始め、とくにアメラはひたすら不平を漏らし続けた。少女はずかずかとセレスティアに近づいて行き、ふてくされた顔で彼女を見上げると、威嚇するように言った。
「お前、何のつもりだ?邪魔するならアメラが追い返してやるぞ」
「やめとけ、がきんちょ。その姉ちゃん、おっかねえぞ」
と、テオが茶々を入れる。少しは大人しくできないものか?セレスティアはそれを無視して片膝をつくと、アメラに優しく語りかけた。
「ごめんなさい。あなたたちにとって、これが我慢ならないことだということは重々承知しているわ。けれど、これからきちんと説明するし、それでも疑いが晴れないようなら、これ以上処刑を止めたりしない。だから―」
彼女が下手に出たのを見て取ると、アメラは当然のごとく嵩高な態度になった。何だろうか、どちらかの位置が下がれば、もう一方は上がらなければならないとでも思っているのか?
「お前に何の権利があるんだ?」
「それは…」
セレスティアが言い淀むと、それだけでアメラは勢いづいて捲し立てようとした。その口角は嫌味に持ち上がり、子どもが経験したとは信じたくないような過去を私に想起させるのだった。
「ほらな、ニンゲンはいつもそうだ!自分たちのことばっか押し付けて、アメラたちが―」
「これ!よさぬか、アメラ!」
予期せぬエッタの一喝にアメラは怯んだ。エタだってニンゲンのことは嫌いじゃないか!アメラは動揺し、涙で潤んだ瞳で族長を見上げた。エッタは怒鳴ってしまったことを恥じるように咳払いすると、落ち着きを取り戻して言い放った。
「…勝ち誇るのは負けを意識する者だけだ。まったく、目も当てられぬな」
痛いところを突かれたのか、いよいよ涙が溢れ出したアメラは、エッタを無視してリヴァの元へと行ってしまった。そうでなくても彼は、断頭台の隣でどうしていいかわからずに困り果てていたというのに。エッタはセレスティアに向き直った。
「すまぬな、セレスタ。あやつもまだ幼くてのう」
「いいえ、あの子の言っていることはもっともだわ。…後でもう一度謝らなくては」
二人の間にしばしの沈黙が流れ、ややもするとオスカーがリーンとカイを乗せて戻って来た。カイほどの大男を小脇に抱えるなどという芸当は、さすがのオスカーにも出来なかったらしい。言うまでもなく、リーンは非常に機嫌が良かった。彼女は竜の背に乗ったことで今の状況をすっかり忘れてしまったかのように、満面の笑みを浮かべてセレスティアに飛びついた。
「あ、セーちゃん!良かったあ、来てくれなかったどうしようって思ってたんだよ!」
「ちょっと、リーン―」
「あれ、なんか痩せた?前より顔色悪くない?」
「リーン!」
セレスティアが語気を強めると、リーンははっとし、慌てて両手を離した。
「あっと、ごめんごめん。今はそれどころじゃないよね…」
エッタに半ば睨みつけられている―彼女にそんなつもりはないのだが―のに気が付くと、リーンは愛想笑いを浮かべながらセレスティアの後ろに隠れてしまった。オスカーが短く唸った。
「カイ、下りてほしいみたいよ」
誰かが背に座っているままでは、オスカーは元の姿に戻れないのだろう。カイは本当にただぼんやりとしていただけのようだが、セレスティアに言われてようやく夢から覚めたように動き始めた。謝るカイに、人の姿を取り戻したオスカーは微笑んだ。エッタは今度はカイを品定めするように眺めた。
「こやつらもおぬしの知り合いか?」
「ええ。この子がリーンで、そっちはカイ。私がここに来たのは、この二人に呼ばれたから…よね?」
リーンが背後で必死に頷いた。
「…そう、だから先に、二人から事情を聞きたいの。テオのことはその後で判断してほしい」
エッタは熟考し、やがて長いため息をついて言った。
「良いだろう。おぬしに頼まれては敵わぬわ。―リヴァ、そやつを放してやれ。だが目を離すなよ」
集落に戻った後、リーンはなるべく事細かにこれまでの出来事を並べ立てた。テオの分別のない行動には、セレスティアもオスカーも開いた口が塞がらなかった。
「…つまり、あの阿呆は本当にただの阿呆だというわけか?」
エッタが一言でまとめてくれた。というより、呆れてそれ以外に言葉が出て来なかったのだろう。
「まあ、そういうこと、かな…」
リーンは気まずそうに言った。暫しの間、誰も何も言わなかった。まあ、とオスカーが切り出した。
「彼の間抜け具合はさておき、敵の動きがわかったのは良かったんじゃないかな。あの道化が現れたということは、相手がエッタに何か仕掛けようとしてるってことだからね」
「儂にか?」
エッタは怪訝そうに片眉をあげた。エッタに手を伸ばすということは族長である彼女に勝負を挑むということでもあるから、あながち間違いではない。一応セレスティアは訂正した。
「あなたの領土に、ね」
「ふうむ、なるほどのう。だが、そやつの目的は何だ?儂らからは大したものも盗めぬぞ」
「それが問題なの。私がリーンたちに偵察を頼んだ理由でもあるわ」
それだけが理由ではない。
「ほう?言ってみろ」
エッタがそう言うと、カイはリーンを促して席を外した。セレスティアが彼らのいる前でそのことを口にしようとしないとわかっている以上、わざわざ頼まれるまでもないというわけだ。従者としては良くできた男ではないか?
セレスティアは二人の気配が十分に遠のくのを待ってから事のあらましを話し始めた。この話は随分長くなった。というのは、エッタがアルフレッド前国王の身に起きた悲劇について詳細に聞きたがったからだ。彼女はアルフレッドに恩があるので、当然と言えば当然だが。
セレスティアは何とか元の話題に軌道修正し、敵の狙いが黄泉忘れの禁であるというところまでこぎつけた。その頃にはエッタはすっかり上の空になっていて、恩人の死が相当堪えているようであった。
「そうか…あやつは死んでおったのか。何故息子に王位を譲る気になったのかと、ずっと考えておったのだが…」
「ええ。もっと早く伝えに来るべきだったのはわかっているの。けれど、不用意に動けばあなたにも迷惑をかけることになると思って…ごめんなさい」
セレスティアが俯くと、エッタは気を取り直すように数回首を振った。
「いや、構わぬ。おぬしにも事情があったのは今の話でよおくわかったからな」
「…そう言ってもらえて良かった。―それで、その道化…ベッファのことだけれど。奴が現れてこの騒ぎを起こしたのは、おそらく別に目的があるからなの」
エッタは難しい顔をして黙り込んだ。オスカーがすかさず付け足す。
「道化はこじつけてテオを始末すること自体を目的にしていたわけではなく、あなたや僕たちの注意をとあるものから逸らしたかったんじゃないか、と僕たちは考えているんです」
「おお、そういうことか。感謝するぞ、竜族。名は―」
「オスカー・ネッシュと申します、エッタ様」
セレスティアから聞いて、オスカーはエッタが高貴な存在として扱われるのを好まないということを知っているはずなのだが、騎士としての誇りか、ただの礼儀か、彼は初めから馴れ馴れしくしようとはしなかった。賢明な判断だろう。
「ふむ、オスカ。そう畏まってくれるな。やりづらいからのう。―で、何だったか…」
「道化の狙いよ。順当に考えれば、それは黄泉忘れの禁だということになるわね」
「しかし、儂はそんなもの預かっておらぬぞ?」
セレスティアは一瞬言葉を失った。目隠し越しにでもその驚愕した表情が窺えてしまいそうだ。
「そんなはずないわ。あなたがベラディール王家から引き継いでいるでしょう?お父様に頼まれて…」
エッタは考え込み始めた。その様子をセレスティアは祈るように見つめていた。エッタがベラディール王家に任されていた禁を受け継いだのは確実であった。そういった点で我が敬愛すべきアルフレッド王は抜かりなかったのだ。
それを知らないとなると、どうだろう。エッタがどこかにやってしまった禁を、常識から外れた方法で探し当ててしまう輩が現れないとも限らないのだ。というより、セレスティアはそういうことができてしまう者を何人か知っているに違いなかった。さて、長考の末、エッタは愉快そうに笑い出した。
「ああ、思い出したわ!そうか、すっかり忘れておったわけだ!」
「ちゃんとあるのね?」
「うむ、心配はいらぬ。あれは儂が責任を持って埋めておいたわ」
「…埋めた?」
セレスティアとオスカーは声を揃えて言った。まさかそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかったのだろう。
「オーウェンの遺産と聞いたからな。墓に放り込んでおいたが、悪かったかのう?」
オーウェンというのはベラディール最後の国王の名だ。エッタは彼と馬が合わなかった。
「いえ…何であれ、それが無事なら構わないわ」
「案ずるな。墓守は長らくリヴァの仕事だが、あやつは良くやってくれておるぞ」
「そう、わかったわ。とにかく、相手にどう対応するかを考えなくてはならないわね。―オスカー、あなたはそろそろ戻って」
「やっぱり、僕も残ったほうが良いんじゃないかな」
「大丈夫よ。エッタもいることだし」
オスカーは両手を上げた。わかったよ。そしてセレスティアの額に軽く口づけすると、エッタには凝りすぎていないお辞儀を披露し、早々に飛び立った。エッタが呟くように言った。
「…あれが噂に聞いた竜族か」
聖騎士オスカーが竜を討伐したという話は有名だが、彼が竜の力を手にしたことは知られていない。オスカーが竜の姿で飛行する姿はごく稀に目撃されているが、それは一般には―馬鹿げた話だが―聖騎士に討伐された竜の亡霊とされている。
しかし金眼という概念を知っている者からしてみれば、神獣である竜の討伐は竜族の誕生を意味するため、オスカーは伝説的存在であるともいえるのだ。ちょうど、エッタと同じように。
「竜族って言っても、彼一人よ」
「はは、そうか。―それにしても、セレスタ。しばらく見ぬうちに竜と契約するほどまで成長していたとはな。そろそろ儂にも勝てるかもしれぬぞ?」
「まさか。とてもあなたには敵わないわ」
エッタは旧友の娘を懐かしげに眺め、上機嫌に笑った。そして彼女の手を引いて自分の目の前に座らせた。
「どれ。ちょいと顔を見せてみい。けったいなものを付けおって」
セレスティアは目隠しを外した。そこにあるのは、いつ見ても麗しい紫苑の瞳。エッタはその瞳をしげしげと覗き込んだ。
「…まったく、おぬしは本当にアルフにそっくりだな。事情が事情だが、会いに来てくれたことを儂は嬉しく思うぞ」
セレスティアは顔を綻ばせ、頷いた。エッタが肩に手を置くと、セレスティアはそれを合図に立ち上がり、族長の家を出ようとした。エッタは彼女を呼び止めた。
「忘れておったが、あやつ…テオといったか?…何でも良いが、とにかく奴は解放しよう。おぬしらの言い分を信じてな」
「ありがとう、エッタ。―亡くなった方のことは、本当に残念だわ」
「なあに。サラも安らかに眠ってくれるであろう。もうすぐ、グゥヴァの時期だしな」
グゥヴァン・キャミトゥトゥ、通称グゥヴァとは、白狼族が毎年決まった時期に行う鎮魂のための儀式のことだ。一人一人が魂に見立てた天灯を送り出し、夜空を光で満たす。その光景の美しいことといったら!我が王女もかつて一度だけその儀式に参加したことがあったが、そのときの幼い彼女の感激ぶりは本当に可愛らしく…などという話はどうでも良いか。
2025.1.24




