表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、暗躍する
16/60

夢見

 もしも別の世があるとしたら?どうにかしてそこに到達できるとしたら?私を長らく揺り動かしてきたのはこういった問いであった。私はこの愚かな考えを彼女に打ち明けたことがある。


それは延々と曇り空が広がる昼下がりで、常に肌寒い城の地下が余計に堪えるような陰鬱な日であった。彼女はいつものあの部屋で本を膝に乗せ、淑やかに座っていた。


私が訪ねていくと、今日は天気が悪いのかと聞いてきた。私が諾っても、彼女はこれといった反応はしなかった。しばらく突っ立っていると、彼女に椅子を勧められた。私が座ると、それが合図だったかのように彼女が口を開いた。


「聞いた、ルーク?シビル様がご懐妊なさったみたいよ」


シビルというのは王妃の名前である。彼女は王妃を母とは呼ばない。そういう偽装が嫌いな人だ。


「いいえ、殿下。じきに公表されるのでしょう。しかし、おめでたいことですね」


「国にとってはそうでしょうね。でも考えてもみて、生まれてくる子のことを。毒蛇の血を引き継いだ王族…嫌な響きだわ」


「ほとんどの人間は王妃様が毒蛇だとは知らないのですから、大した弊害もないでしょう」


「そうかしら。確かに、お兄様くらい割り切れたら辛くもないのかもしれないけれどね」


「恨みつらみを吐くような方に育たないといいですね」


「嫌味のつもり?」


私は肩をすくめた。


「自分の人生くらい、呪ったって罰は当たらないわよ」


そう、当時の彼女は少し自暴自棄な性格をしていた。年頃の娘らしいところもあったのだ。そういえば私の姉にもそんな時期があったか。


「もちろん構いませんよ。ですがあなたは時折、世の中丸ごと憎んでいるかのようなことをおっしゃる」


「そうでもないわ。あなたのほうこそ、この世にすっかり退屈しているじゃないの」


「御冗談を。それとはまったく違いますよ。別の世があったなら…そう思うだけです」


「そんなの退屈しているのと同じよ」


彼女は私の世迷言を鼻で笑った。たまには意地を張ってみようと、私は反駁した。


「この世は愉快極まりないですとも。私が言いたいのはですね、別の世の人間には私たちの生きるこの世界がひどく奇妙なものに映るかもしれない、ということなのです。必死に命をかき集めて、延命に延命を重ねて、死にたくないとほざいておきながら、治るからいいんだと平気で怪我をする。ひょっとしたらおかしなことなのかもしれませんよ」


「そうだったとしても、私たちが生きているのはこの世界でしょう。他所に逃げることなんてできないの。―そろそろアンドルーが来るわね」


彼女は時計を見て呟いた。出て行ってくれと言われているようなものだ。仕方なく私は腰を上げた。何も私は逃げ出すための世界を求めているわけではなかったのに、言い訳もせずに立ち去ることしかできないなんて。そう思ったものだ。ああ、この独り言もすべて他所の誰かのためのものなのに、諸君―この呼びかけも空しい―が存在するのかも確かめられないとは、哀しいものだ。さあ、気を取り直して。



 日が暮れた頃、オスカーは約束通りペネロペを迎えに行った。見張りがあったので、彼もずっと学院にはいたのだが。彼女はすでに仕事を終わらせており、かなり前から落ち着きなく部屋を歩き回っていた。オスカーはカルツァで最も評判が良い料理店に彼女を連れて行った。店の奥の席に、セレスティアとテオが待っていた。テオがついてきたのを見ても、オスカーは最早驚かなかった。


「お待たせ、二人とも」


オスカーと、その横で緊張を隠さずに固まっているペネロペに気が付くと、セレスティアは立ちあがって微笑した。


「彼女はセレスティア。そっちはテオだよ。まあ、彼のことは気にしないで」


「お初にお目にかかります、ターメクレン先生」


「初めまして…セレスティアさん。ペネロペで構いません。ここは学院ではないですから」


セレスティアは少し首を傾げて頷いた。挨拶のために立ち上がることもしなかったテオは、見る限り少し酔っているらしい。ペネロペはオスカーに言われた通り彼を気にしないことにした。席に着いたペネロペは、誰も話し出さないのを自分のせいだと考えたのか、慌てて言った。


「セレスティアさんは、普段は何を?」


「私、は…」


今まで人を殺して回っていた、などと言えるはずがなかろう。セレスティアは答えに詰まってわずかに動揺した。オスカーがすかさず援護する。


「彼女、ゾルギックで司法官をやってたんだよ」


よくも平然と嘘をつけたものだ。セレスティアは調子を取り戻して相槌を打った。ペネロペは本当に感激しているようで、目を見開きながら言った。


「まあ!司法官の試験に合格できるのはほんの一握りだと聞いておりますが」


料理が運ばれてきた。


「ええ。幸運でした。―いただきましょうか」


セレスティアはそう応酬すると、黙々と食事を始めた。オスカーもそうした。テオは皿が置かれた瞬間から貪っていた。食事のときに彼らがあまり会話をしないということにペネロペが気付くまで、そう時間はかからなかった。食事は穏やかに進んだ。


「セレスティア、胡椒取って」


途中、肉を頬張りながらテオが言った。セレスティアは手を伸ばし、塩の入った小瓶に触れた。


「あ、もう一個奥のほう」


彼女は今度こそ胡椒の小瓶を手に取ると、テオに渡した。ペネロペは目を瞬かせたが、何も言わなかった。食事が済んで紅茶が出てきたとき、口を切ったのはやはりテオだった。


「学院のほう、どうなってんすか」


ペネロペは質問の意味がわからず眉をひそめ、まさかと思ったのか、ちらりとオスカーの顔を窺った。彼らに話してしまったの?オスカーは微笑んだ。ペネロペは唖然としたまま、とりあえず当たり障りのないことを返した。


「じゃ、犯人わかってないんすね」


テオはそう言って紅茶を飲み干した。ペネロペの狼狽に気が付くと、セレスティアはため息をつき、さも申し訳なさそうに口を挟んだ。


「ごめんなさい。彼は私の助手で…場をわきまえるようにと、いつも言っているのですが」


「いえ、いいんです。―あなたも…?」


と、ペネロペはセレスティアの顔色を窺おうとしたが、包帯に阻まれてしまった。代わりにセレスティアは頷き、知っているということを―どこまでとは言わないまでも―示した。


「何かお力添えできれば良いのですが」


誠実な元司法官、か。良い役回りではないか?ペネロペは愛想笑いを浮かべ、適当に話を流した。頃合いだと思ったのだろう、オスカーはお開きにしようか、と一同の顔を見回した。反対する者がいるはずもなく、四人はさっさと店を出た。オスカーはペネロペを送っていくと言って聞かず、彼女は渋々それを承諾した。セレスティアと二人残されたテオは、頭を掻きながらぼやいた。


「俺、まずかったかなあ」


「そうでもないわ。どのみち、あの話題は出すつもりでいたから」


「まじ?」


「ええ」


同じ頃、ペネロペはオスカーを半ば責問するように言った。


「例の件を口外するのは賢明だとは思えません」


「君はそう言うと思ったよ。でも彼女は信頼できるし、実力も確かだ。きっと力になってくれる…あ、もちろん詳細は話してないよ」


「あのことについて言っても、彼女にはおわかりにならなかったでしょうが、それでも話す前に一言伝えてくだされば…」


「君は反対しただろうし、僕も結局は彼女に相談しただろうさ」


オスカーは悪びれることもせずに言った。そう言ったとき、彼は何か閃いたようであった。ペネロペは歩調を緩め、それに合わせて彼の動きが緩慢になったのに気が付いた。頬までもを緩めている場合ではない。


「…私が力不足だと?」


「まさか!役不足なくらいだ。ただ、君は一人で抱え込もうとするから。こうでもしないと目を覚まさないかと思って」


見上げると、暗闇に浮かびあげるようなオスカーの笑顔が見えた。ペネロペはわざとらしく顔をしかめてから、なるべく澄まして聞こえるように言った。


「あなたのおっしゃりたいことはわかりました。…思い当たる節がないとも言い切れません。事件への取り組み方を見直してみます。―ここまでで大丈夫です。今日は招待してくださり、ありがとうございました」


「うん。じゃあ、またね。おやすみ」


オスカーの背中が遠のいていくのを眺めながら、ペネロペは深呼吸した。彼女は決心した。もう、もたもたしていられない。



 翌朝、セレスティアは一同を引き連れて学院に赴いた。エイデンには、ペネロペの裏切りは確実だと伝えるつもりでいた。理由は単純で、掃溜めへの接触も不要であったほどだった。ペネロペが―それが何か重大な機密であることを知っていたとしても―、『黄泉忘れの禁』という言葉それ自体を知っているはずがないからである。


昨晩の夕食後、彼らはようやくその矛盾に気が付いたのであった。あれのことを知っていて良いのは、カルツァでは学長だけなのである。ペネロペがそれの名を口にしていたことをオスカーが思い出していなければ、事態はもっと深刻になっていたかもしれない。


さて、門のところに立っていたのは初めに学院に来たときにいたのと同じ女性の守衛だったので、一行は煩わしい問答もなく学長室へと案内された。


守衛は扉を強めに叩いた。少し待ってから、念のため同じ強さでもう一度叩く。返事なんてものはあるはずがないので、守衛は平然と扉を開け放ち、中の光景を見て絶句した。オスカーは立ち尽くす守衛の肩越しに部屋を覗き見た。


「あちゃあ…」


何て微妙な反応をするんだ。異変を感じたセレスティアもまた中の様子をなぞり見た―という表現が最も近しいと思われる―。


「…悪趣味ね」


テオはというと、信じがたいものを見てしまった人がよくするように、見ればわかることを改めて口にした。


「何か…死んでね?」


その通り。エイデンは死んでいた。正確を期するならば、その心臓以外は死んでいたとすべきか。セレスティアが悪趣味と言ったのはまさしくそのことで、驚いたことに、彼の心臓は机の上で生前と変わらぬ拍動を続けていたのだ。短刀が突き刺さってはいたが。


エイデンは椅子に座り、新緑の瞳をひん剥いたまま天井を仰いでいる。喉が掻っ切られ、心臓も抉り出されたものだから、白衣を身に着けていたとは思えないほど赤黒く染まっている。しかし、どうしたことだ?一体何故拍動するのだ、心臓よ!それはちょうど現実の風刺のようで、とても目が離せる場景ではなかった。


茫然自失の守衛を押し退けてオスカーが中に入ろうとすると、守衛は夢から覚めたかのようにはっとして、それを跳ね返した。


「いけません、入っては!えっと…とにかく、人を呼ばないくては!―よろしいですか、このことは学院で処理しますから、どうかお引き取りを。…こんなときに副学長がいないなんて!」


守衛は狼狽えたり落ち着いたりを繰り返しながら、一行を部屋の外へと追い立てた。青ざめた顔で駆け出そうとして、オスカーに呼び止められる。


「待って!ペネロペがどこに行ったのか知らない?」


「知っていたらどんなに良かったか!」


そう叫ぶと、可哀想な守衛は今にも倒れそうな顔色をしたまま行ってしまった。一同は顔を見合わせた。


「彼女、図書館に行ったはずよね」


「うん。でもとっくに町を出てるかも」


テオは意外にも―そうでもないか―冷静な二人の間に割って入り、動揺を誤魔化そうとするかのように大声を出した。


「おいおい、悠長に話し合ってる場合かよ?とりあえず行ってみようぜ!」


「そうするしかないわね。―イーサン、ここに残ってくれる?」


「は。―セレスティア様。見たところ、亡くなってからそこまで時間は経っておりません。ご報告までに」


「わかったわ、ありがとう」


仕事の早いこと。


「申し訳ありません。副学長殿より、何人たりとも入れるなと仰せつかっておりまして」


大図書館の守衛はお堅いことで有名だ。三人は厳格さの滲み出た顔つきの男に門前払いを喰らった。


「そんなこったろうと思ったぜ。けどさ、兄ちゃん。俺たちは遊びで言ってるわけじゃねえの。ちょっとばかし目を瞑ってくれたら―」


賄賂も効かないのに、テオの引きつった愛想笑いが何の役に立つだろう?


「我々もこれが仕事ですから」


「あのなあ―」


「無駄よ、テオ。行きましょう」


食って掛かろうとしたテオをセレスティアは遮った。そのまま彼の腕に手を掛けると、有無を言わさず人気のない路地へと引っ張っていった。ようやく解放されると、テオはふてくされて言った。


「おい、どうする気だよ。まさか諦めるつもりか?」


「違うわ。でも騒ぎになって人を呼ばれても困るでしょう」


「んなこと言ったって、あいつを退けなきゃどうにもなんないだろ」


「そうだけど、強行突破は得策じゃないよ」


反論の余地なし。テオは降参だと言いたげに両手を上げた。


「そんなら、どうしましょ?」


「仕方ないわね」


セレスティアは突然両腕をオスカーの首に回した。オスカーのほうは彼女に目配せを返す。テオ、開いた口が塞がらない。


「いちゃついて解決するかっつの!糖分足りてないぞ、セレスティア」


「…何を言っているの?」


「いいからこっちおいでよ、テオ」


そう言っておきながら、オスカーはいきなりテオを鷲掴みに…はしていないが、軽々と小脇に抱えてしまった。そしてもう一方の手でセレスティアの腰を支えると、当然の如く空へと飛び立った。テオは必死にオスカーの腕にしがみつきながら叫んだ。


「飛ぶなら先に言え!」


竜はさも愉快そうに笑っている。窮屈な路地を抜けだすと、その漆黒の翼は陽光を受け、どこぞの城を思わせるほど壮大な大図書館の外壁に影を映した。知らない人が見れば悪魔と見紛うであろう光景だった。


その外壁にあった手頃な縁に、オスカーは速やかに降り立った。三人は所狭しと並び立つ。背後には大きな窓があり、中の荘厳な雰囲気に日光を添える形になっている。オスカーは辺りに人っ子一人いないのを確かめて言った。


「人が全然いなくて良かった。見られるとさすがに面倒だ」


「だろうな。―にしても…あー、まじで焦った。縮んだぜ…」


「とにかく中に入りましょう。急げば間に合うはず」


セレスティアは触れるまでもなく窓を割った。案外脆いものだ。三人揃って割れた窓から侵入した。砕け散った硝子が足元で嫌な音を鳴らす。


「つか、場所わかんないとどうしようもないけど。知ってんの?」


「ええ。念のため、とエイデンが教えてくれたの。…本当にこんなことになるなんてね」


セレスティアは巻いていた包帯に指先で触れ、鬱陶しそうに切った。彼女の秘密が露わになり、秘密の守人は力なく硝子の上に落ちた。次にセレスティアは建物の内側で大きく円を描いている手摺―それぞれの階の中央には穴があり、一番下の階まで見通すことができる設計だ―から身を乗り出して自分のいる場所を確認した。そして一つ下の階の、彼女から見て右前の方向を指さして言った。


「エイデンが言っていたのはあの辺り。壁際の本棚に仕掛けがあるの。―待って。変だわ」


「どうしたの?」


「…間違いない。ここにいるのは私たちとペネロペだけじゃないわ。もう二人分の気配がある。用心して」


話している時間も惜しいのか、セレスティアはすでに階段を降り始めていた。テオとオスカーは顔を見合わせてからそれに続いた。ちなみにおそらくだが、彼女の緋眼はこのときにはもうその二人の正体を見抜いていたのだと思う。それだけ彼らは特徴的だから。


三人が階段を下りきり、先ほど彼女が示した場所に駆け付けると、素っ頓狂な声が図書館中に響き渡ることとなった。


「あれ!?あんたたちは、こないだの!…え、そうだよね?なんか今日は包帯してないし、一人増えてるけど」


リーンはびっくり仰天といった様子で早口に言った。オスカーは小声でセレスティアに知り合いかと尋ねると、彼女はちょっとね、と肩をすくめた。カイもまた唖然としているが、どうやら別のことに驚いたらしい。


「その目は…?」


誰もアルフレッドの娘の存在は知らないというのに、例の知らせの後では余計にややこしい。何はともあれ、セレスティアは意図的に二人に紫苑を晒したようだ。そんなことはお構いなしにテオが口を開いた。


「あんたら、何でこんなとこにいるんだよ?悪いけど構ってる時間ないぜ」


横を通り過ぎようとしたテオを、カイが突き飛ばした。二人が睨み合う。


「何しやがる、このデカブツ!」


「お前たちが何者で、何をしに来たのかは知らないが、ここを通すわけにはいかない」


「あ、そうだよ。嫌でも構ってもらうんだから!」


目的を思い出したリーンは、胸を張って立ちはだかった。その表情から察するに、今回の事態をかなり楽しんでいるようだ。セレスティアはわずかに顔をしかめた。


「ペネロペに雇われたのね」


「名前までは知らないけど、まあそういうこと。わかったら、尋常に勝負!」


リーンはこらえきれない笑みを浮かべながら、愛用の匕首を構えた。今にも飛び掛かってきそうだ。しかし、オスカーは好戦的な敵の様子に物怖じする素振りすら見せない。


「うーん。でも、こっちのほうが人数は有利だよね。―ティア、先に行ってて良いよ」


「ちょっと、そこの新顔!良いわけないでしょ!?…ほんっとにもう、舐めてかかると痛い目見るよ!」


「リーン、口じゃなくて手足を動かせ」


「はいはい。ま、このリーン様に任せなさい!」


そう叫ぶと、リーンはまずセレスティアに狙いを付けた。彼女が逃げてしまいそうだったからだろうか?それとも、きっと敵わないであろう相手に刃向かうことで生まれる戦慄、あの緊迫感を味わいたいからだろうか?どちらにせよ愚かなことだ。セレスティアはリーンの初撃を容易くかわしてしまった。しかし反撃する様子はない。


一方、テオはデカブツことカイに斬りかかった。その一撃は確かに腕に命中したし、軽度とはいえ出血もしているのだが、どういうわけか、それ以上斬り下ろすことができない。戸惑うテオの顔をめがけて容赦なく振るわれた拳は、オスカーによって間一髪阻まれた。


「どうなってやがる!?鉄でも斬らされてるみてえだ」


「ふん。間違っちゃいないさ」


「…どういうこと?君は今能力を使ったわけじゃないよね」


オスカーは眉をひそめた。どんなに鍛えても、文字通りの鋼鉄の体を手に入れることはできない。となれば緋眼であるとしか考えられないわけだが、カイの瞳は一瞬たりとも緋く輝いていなかった。古今東西あらゆる人物を見てきた私にも、その仕組みはわからない。


「お前たちに教えてやる義理はない。―さあ、全力でいくぞ」


カイは拳を大きく振りかぶった。依然として茫然としているテオは、またもオスカーに救われた。蹴りという形で。彼は尻もちをついたテオを呆れたように見下ろした。


「何ぼさっとしてるの?僕、彼女の相手をしないと」


「…ああ、わりいな。こっちは一人でなんとかするから、気にすんな」


満足のいく返事を聞いたオスカーは、おまけとしてカイを突き飛ばしてからリーンを止めに行った。何としてもセレスティアに先を急がせたいのだ。さてそのセレスティアはというと、ひたすら身をかわすのに徹していた。攻撃する余裕はあっても、その気が無ければ決してしないということか。当然リーンは憤慨している。


「このっ…もう!いつまで避け続けるつもり!?」


「あなたが邪魔をやめるまで」


「馬鹿にしないでよね。あたしはあんたみたいなのと戦いたくてこの仕事を引き受けたんだから!」


「それが目的なの?」


「そうだよ。暇つぶしの一環。そりゃ報酬もあるけど、はした金だったし。学院って意外とお金ないんだね」


話している間も、リーンは前から後ろから、ときには上から襲い掛かったが、すべて不発に終わった。と、そこにオスカーがやってきて、リーンの右手首を掴み、軽々と匕首を奪ってしまった。


「あっ…」


「はい、没収。―ティア、早くペネロペを追いかけて」


「わかったわ。殺しちゃ駄目よ」


リーンは慌ててセレスティアの腕を掴んだ。二人の顔を交互に睨みつけながら怒声を上げる。


「待ってってば!何なの、二人そろって。正々堂々勝負してよ!」


「いいよ。彼女を通してくれるなら、僕が相手するよ。これも返してあげる」


オスカーが手に持った武器をちらつかせると、リーンは眉間に皺を寄せて言った。


「えー…あんた、強いの?」


「どうだろうね。試してみなよ」


そう挑発するオスカーの瞳は黄金に輝いている。それを見ただけで、リーンはあっさりとセレスティアから手を離してしまった。何故か紫苑の瞳を持つ凄腕の女よりも、初めて目の当たりにした金眼のほうが心が躍ったのだろう。セレスティアはオスカーに向かって無言で頷くと、ペネロペの後を追って駆けだした。オスカーから匕首を返してもらったリーンは、興奮気味に言った。


「ねえ、それ金眼でしょ!?凄い、ほんとにいるんだ!それ使って相手してくれるんだよね?」


「もちろん。二言はないよ」


オスカーは微笑んだが、どうやらこの状況を煩わしく思っているらしい。当然といえば当然だ。彼ほどの強者―そう呼んでも差し障りないだろう。類稀なる実力と、規格外の能力を併せ持つのだから―にとっては、いたぶるのが案外難しいものなのだ。

2025.1.14

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ