疑わしきは見つめよ
そういえば、金眼の話をろくろくしていなかったのではなかったか?エイデンが得意の問わず語りで何やら並べ立てていたような気もするが。金眼とはずばり、神獣殺しのことである。また訳のわからないことを言い始めたと思ったことだろう。
神獣の話をする前に、また別のこと、すなわち”命”を扱うに当たって禁忌とされる行為について触れなければならない。どんな家庭でも、子どものうちに叩きこまれるものだ。『人間以外の生き物に命を分け与えてはならない』。
なぜなら、一度命の味を占めた動植物はそれに依存するようになり、果ては凶暴化し、人間を殺してでも命を得ようとするからである。要するに、人間と何ら変わらない欲深く愚かな化け物になってしまうというわけだ。困ったことに動植物には人間の言葉が通じないから、討伐するしかない。
しかし、それがまた骨の折れることで、不思議なことに、命を与えられ続けた動植物は凶暴化するに留まらず、身体が変形―例えば蜥蜴から竜になる、とか―してしまうのである。その体躯は見上げなくてはならないほど大きくなり、爪や牙は鋭く、瞳は黄金に輝くのだとか。
創世期より存在する伝説のように思われがちだが、すべてが現実に起きることなのである。禁忌を破った人間によって生まれた神獣は、大抵ほどなくして強者に心臓を穿たれる。そしてどういうわけか、神獣殺しは神獣の力を得ることになるのだ。
これこそが金眼と呼ばれる者たち、風竜オスカー、白狼エッタ、毒蛇ジェローム―彼に関しては、毒蛇殺しの遠い遠い子孫というだけなのだが―などといった人物なのである。
さて場面は変わり、セレスティアとテオはとある豪邸の客間にいた。というのは―いちいち説明しないでもおわかりだろうが―彼女の思惑通り、優秀な鼠を飼いたいと申し出る成金が現れたのである。そこは目新しい調度品が並ぶ大層趣味の良い屋敷で、もしセレスティアがそれらを直接目にしていれば、きっと抑揚のない声で素敵なところだと呟いたに違いなかった。
とまあくだらない話はさておき、かなり待たせておきながら家主が悠々と部屋に入って来たところから始めようか。その男は惰性の権化とも言うべき身体を揺さぶりながら進み出て、開口一番こう言った。
「こっちは毎仕合お前たちが負った傷の完治を保証する。その代わり、獲得した賞金の八割を頂くぞ。契約するなら、今後すべての仕合に出ろ。飛んでもすぐに見つかるから、馬鹿なことは考えないこったな」
「おいおい、今八割っつったか?そりゃないだろ」
テオはまるで本気で契約する気であるかのように言った。目的を忘れてはいないか?男は腹立たしそうにテオを一瞥すると、二人の正面に音を立てながら座った。
「ここは平和ボケした馬鹿どもの楽園じゃねえ。お前が大怪我しただけでこっちは破産するかもしれねえんだ。ちったぁ物を考えてから言いな」
平和ボケした馬鹿どもの楽園というのは、もちろんルーセチカのことだ。我が国はよくこういう風に揶揄される。致し方のないことだ。言い返そうとしたテオの腿を軽く叩き、セレスティアが口を開いた。
「面倒な交渉をする気はないの。本当は何割で手を打つつもり?」
「つれねえ嬢ちゃんだ。―貰えるもんなら八割貰いたいところだが、お前らの実力は昨日の鼠闘でよくわかったことだしな。六割…いや、六割五分でどうだ?」
「それなら六割ね」
「けっ、いいだろう。さあ、とっとと契約書に署名しな」
男は厄介な奴が来たと言わんばかりにため息をつくと、おざなりに契約書―という名の紙きれ―を彼女に押し付けた。が、セレスティアはそれを突き返す。
「その前に、あなたが飛ばないと信じるに足る根拠が欲しいのだけれど」
「んなこと、鼠如きが気にする必要はねえよ」
「そう。交渉決裂ね」
セレスティアが早々に立ち上がると、男は狼狽し、一緒になって腰を上げた。
「わかった、わかった!…ったく、糞鼠が」
最後の一言を聞かなかったことにして、セレスティアは満足気に振り向いた。そしてぼけっとして座ったままのテオの隣に戻る。
「まず名乗ったらどうかしら」
「…ブリーダー。俺の名を出せば掃溜めの奴らは誰でもすくみ上るぜ。契約するってんなら多少は使っても―」
「変な名前」
「愛称みたいなものね、きっと。―それで、ブリーダー?あなたの誠実さを証明してほしいのだけれど」
掃溜めに誠実も何もないというのを知ったうえで、彼女は皮肉交じりにその言葉を使ってみせた。ブリーダーは偉そうにしやがってとか何とか悪態をつきながら部屋をうろつき始めた。そして部屋の隅で立ち止まって喚き散らした。
「ふざけるのも大概にしやがれ!てめえの身分を忘れたのか?」
「忘れてないわ。糞鼠でしょう?―簡単なことよ、ブリーダー。質問に答えてくれればいいの」
ブリーダーは凄まじい形相で振り向くと、セレスティアに詰め寄った。いささか落ち着きを取り戻した、しかしどすの効いた口調で言う。
「くだらねえことを抜かしやがったらただじゃ置かねえぞ」
「ピットという人を知っているかしら?」
「ピット!あの学院の腐れ野郎!掃溜めの連中なら誰でも知ってるさ!」
ブリーダーは何がおかしいのか、哄笑してまた部屋を横切り、今度は窓辺に立った。
「あなたも知っているのね」
「ああ。―で、満足か?契約するなら―」
「しないわ」
「何だと?」
ゆっくりとセレスティアに向き直ろうとしたブリーダーは慄然とした。なんと喉元に刃を突き付けられているではないか。その剣の先にはテオがいて、その後ろに今や完全に主導権を握ったセレスティアが涼し気に立っている。
「おとなしく質問に答えるなら、命くらいは無事に済ますわよ」
「くそっ…お前ら、武器なんか持ってなかっただろうが!」
「ブリーダーさんよお、見えてるもんだけじゃ現実は成り立たないんだぜ?」
そう笑みを浮かべるテオは、先ほどまでと打って変わって、ひどく生き生きして見えた。余程退屈していたに違いない。ブリーダーは跪き、両手を頭に乗せた。賢い選択だ。
「覚えてろ、この溝鼠!…はあ、で、何が望みだ?金か?」
「言ったでしょう、質問に答えてほしいって。―そんなに身構えなくてもいいわ。子どもでも答えられるような、簡単な質問だから」
セレスティアは無様な巨体の目の前に立つと、まっすぐにそれを見下ろした。いや、厳密に言えば見下ろす構図になったのだ。彼女の目元は見えないのだから。しかしそれでも、彼女の眼光が包帯越しにブリーダーを貫いているかのような、奇妙な貫禄とも呼ぶべき何かが彼女にはあった。ブリーダーはそのまま痩せるんじゃないかと思うくらいには縮み上がった。
「学院のことを聞いた?」
ブリーダーは一瞬躊躇ってから頷いた。テオは脅しの意味を込め少し刃を近付けた。しかし首の皮膚が切れて血が滲んでも、ブリーダーはセレスティアから目を逸らせないでいた。
「ピットが関係していると思う?」
迷ってから首を振る。
「掃溜めは?」
今度は間髪入れずに首を振った。
「どうしてそう思うの?」
ブリーダーは答えようとして口を開けたが、上手く声を出せなかった。大方、口の中がからからに乾き切っていたのだろう。そして掠れた声で話し出す。
「…学院に何か起きたせいでカルツァの中立が崩れたりしたら、俺たちは生きていけない。ここにいる連中は、まああんたも知ってるだろうが、社会から見放されたごみ屑ばかりだ。祖国に引き渡されれば、大体の奴らの首が飛ぶ。だが掃溜めの外に出ないでいれば、学院が俺たちを守ってくれるのさ。だから掃溜めの人間は学院を貶めるような真似はしない。どんなに困り果ててもな。暗黙の了解ってやつだ」
「もっともらしいな」
「そうね。―それなら、事件の犯人、それか協力者に心当たりはない?」
セレスティアはしゃがみ込んでブリーダーに目線を合わせた。ブリーダーのこめかみを汗が伝った。しらばっくれることは叶わないと悟ると、ブリーダーは見えない何かの耳に届かせまいとするように、小声で答えた。
「ターメクレン…」
「ターメクレンですって?副学長の?」
「待て、確証はねえ。だが、学院の人間の中でありうるとしたらあいつだ。何でもターメクレンの奴、昔馬鹿にならない借金を抱えていたのを、誰かに肩代わりしてもらったらしい。その恩義を尽くすためなら何をしてもおかしくねえだろ?」
そう言って薄ら笑いを浮かべたブリーダーに、テオは改めて刃を近付けた。少しでも動いたら大事になりそうな位置だ。
「適当なことばっか言いやがって」
「待って、そうでもないわ。ブリーダー、彼女が怪しいと思う理由はそれだけ?」
「いや。ここだけの話、掃溜めでターメクレンを見たって奴がいてな。それも例の事件の前日にだ。どう考えても妙だろ?そもそも学院のお偉いさんが来るような場所じゃねえしな」
この状況から早く解放されたいのか、ブリーダーは早口にそう言った。セレスティアはやや考え込んで俯くと、立ち上がってブリーダーの元から離れた。
「…その借金って誰にしていたのかしら」
「そこまでは知らねえよ。だがその額が莫大だったのは確実だ。ターメクレンは元々掃溜めで暮らしてたから、その頃のことを知ってる奴も少なくねえぞ」
彼女はしばらく返事もしないで虚空を見つめていた。その間ブリーダーは、判決を待つ罪人さながら無力にたたずんでいた。やがて考えもまとまり、彼女はテオに向かって言った。
「もういいわ。そろそろお暇しましょう」
「はいよ」
おとなしく剣を納めたテオを見つめ、ブリーダーは目を丸くした。今まで矛先を向けてきていた人間が、立ち上がるのに手を貸してくれるとも思っていなかったようだ。セレスティアが扉の前で振り返った。
「情報をありがとう、ブリーダー。今日のことはくれぐれも内密にして」
「言われねえでもそうするが…なあ。お前ら、俺のことは…その、殺さないのか?」
「…?何、死にたかったのかよ?」
「なわけあるか!ただ…こういうときは、何だ、そういうもんだろ?」
「どうだって良いわ。さよなら」
「じゃあな、おっさん。―あ、ちょっと痩せたほうがいいぜ」
二人は颯爽と屋敷を後にし、そこには家主の行き場のない愛想笑いだけが残っていた。
「ほんとにあれでよかったのか?」
帰路につくとテオはすぐさま疑問を呈した。セレスティアは軽やかな足取りで少し前を歩いていたのだが、歩調を緩めることなく聞き返した。
「何のこと?」
「あいつの話。嘘かもしれないだろ」
「聞きたかったことは聞けたからいいの」
彼女は澄まして答える。テオは両手を頭の後ろで組みながら空を仰いだ。
「…副学長のことか?」
「ええ。エイデンは学外の人間にはあまり疑いの目を向けていないの。彼が強く疑いを抱いていたのは―」
「ペネロペだったってか。じゃああんたは借金の話も最初から知ってたわけ?」
「それは初耳だったわ。でも掃溜めの情報網は馬鹿にできないから、ブリーダーの言っていたことは事実でしょうね」
「なるほどねえ。なら、あとは証拠さえ見つかれば万事解決だな!」
「…そうだといいわね」
能天気なテオとは対照的に、セレスティアは俯きがちに呟いた。彼女には心配すべきことが尽きない。
「そんな辛気臭い返事よせよ。どうせ、オスカーとイーサンが何かしら調べてるんだろ?」
「ええ、まあ…」
「じゃ、あいつらが良いもん見つけてきてくれるって。俺たちはごろごろしながらそれ待ってりゃいいのよ。―そうだ、やることやったんだし、一杯やろうぜ!ほら、そこに酒場が」
昨日の鼠闘で懐が温まったテオは立ち止まり、浮かれた表情ですぐそこにあった酒場の看板を指さした。当然のことながら、セレスティアは見向きもしないし足も止めない。
「遠慮しておくわ。騒がしいところは苦手なの」
「そんなら買ってきてやるからさ。宿で待っててくれ」
いつも通りテオは食い下がってくる。セレスティアは彼がついてきていないのに気が付くと、戻ってきて呆れたように尋ねた。
「本気で飲もうとしているの?」
「考え事するよりはパーッとやったほうがいいに決まってるからな!なあ、いいだろ?」
「…一杯だけよ」
最後にはセレスティアが折れる。これもそのうち”いつも通り”になるのだろうか?
「どうしてここに?」
資料を整理しながらペネロペは言った。それは質問とも、ただの独り言とも取れるような言い方だった。
「理由がいるかな?」
オスカーは顔を上げずに返答した。彼は新聞記事を眺めていて、そこにはでかでかと『永劫国家、崩れるか』とかいうくだらない文言が飾られている。三日前、街中に売り子が配って回ったものだ。きっと普段の数倍は儲けたことだろう。
もちろん王位継承について書かれた、少しの事実と多くの憶測を混ぜ合わせて完成した記事である。前国王アルフレッドの死を仄めかす表現も多々見受けられ、それが出まかせに過ぎないと笑ってやれないのが残念でならない。
さて、オスカーがペネロペの元にいるのにはもちろん理由があった。昨晩の夜更けにもう一度セレスティアが会いに行ったとき、エイデンはこのような考えを口にしたのである。
「僕が思うに、道化は例のものを持ち出さなかったというより、持ち出せなかったのではないでしょうか。彼がどのようにして誰にも見つからずに学院に侵入し、教員を拷問、殺害したとしても、大図書館の警備の厳重さは学院の比ではありませんから。
セレスティア、あなたの話も統括して考えると、あの道化は化ける緋と言うべきでしょうか、それこそあなたの付き人のイーサンのように、身体を何か別のものに変える能力を持っていることは間違いありません。使用者としては非常に便利でしょうが、我々にしてみれば厄介な能力と言えます。
しかし、弱点もありますね。例えば影のない道があったとして、そこをイーサンが影の姿で移動してしまうと、誰から見ても不自然に映ります。そうでなくても、影が揺らめくだけでおかしいと思う人もいるでしょう。とにかく、化ける緋というのは見る人にどうしても違和感を与えてしまう能力なのです。
大図書館は貴重な資料が多い故、閉館中でも守衛をひっきりなしに巡回させています。大陸中から集まった選りすぐりの人員ですから、異変があればすぐに気が付くでしょう。それらすべての守衛の目を掻い潜り、聞き出した場所に到達。これまた聞き出した方法で開錠し、あれを持ち出し、再び気付かれずに立ち去る。
本当にそのようなことが可能でしょうか?否。危険が多すぎます。
―となれば、ですよ。道化はもう一度協力者を使おうとするのではないか?僕はそう思い至ったのです。そしてこれこそが、僕がターメクレン先生に疑いをかける理由です。例のものの持ち出し方を知っているのは、ピットと、僕と、彼女だけ。
ピットは無残な死を遂げ、僕は、まあ操られたりしなければの話ですが、もちろん潔白です。自然と彼女が怪しくなります。白昼堂々図書館に行き、あれを持ち出して姿を消すのではないかと、僕は危惧しているのです」
オスカーが監視のため会いに来ているとはつゆ知らず、ペネロペは今日も頬を赤らめたのであった。言っておくと、オスカーとて朝からここにいるわけではない。それではどんなに視野が狭い人間にも感づかれてしまう。オスカーは彼なりに手を尽くしてペネロペを監視していた。
そしてこの日、例のものが盗み出されることはなかった。エイデンの推測が正しかったということだろうか?ペネロペが潔白なだけか?セレスティアが頭を悩ませているのはこのことに違いない。
「カルツァには、お一人で?」
ペネロペはそう尋ねた。まるで話しかけてはいけないと思っているかのように、小声で。彼女の研究室なのに、これでは立場が逆だ。オスカーは持っていた新聞を畳み、机の上に無造作に置いた。
「いや、知り合いと一緒だよ。君にも彼女に会ってほしいな」
「まあ…機会があれば、ぜひ」
彼女、という言葉が何となくペネロペの心に引っかかったようだ。ペネロペは手にしていた書物を逆さまに本棚にしまった。オスカーは彼女のほうを見ていなかったから、気付いてはいまい。
「今晩は空いてる?彼女も一緒に夕食でもどうかな」
そう尋ねたオスカーの瞳は、ペネロペを丸ごと覗き込んでいるような独特の雰囲気があった。だから彼女は少し戸惑ってから、どうとでも取れる曖昧な表情をしてみた。
「あ…空いてると思います。ですが、そんなに急に約束しては…あの、ほら。その方のご予定とか」
「彼女は気にしないよ。じゃあ、迎えに来るから。ここにいるよね?」
何故なら元々ペネロペを招待する予定だったから。そのことを伏せたままオスカーは半ば強引に約束を取り付け、颯爽と部屋を後にした。ペネロペは閉まった扉を眺め、頬が緩むのを感じた。彼女には酷な運命だ。
2025.1.14




