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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、暗躍する
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運命は裏切り

 学術都市カルツァ。世界各地の学者が集い、討論に花を咲かせる。大図書館で見つからない書物はないと言われており、大図書館に隣接するカルツァ学院は老若男女問わず多くの院生を集めている。まさしく学問の楽園だ。


どの国に対しても中立を守っているため、戦とは無縁の地でもあるが、犯罪者の引き渡しが行われないことから、流れ者達が巣食う”掃溜め”が形成されている。カルツァの上層部の人間はそのことを別段気にしているわけではないようだが。


現在カルツァを率いている者―すなわち学長―はエイデン・ミガニカ。初代学長のエドガール・ミガニカの子孫であり、極めて聡明な人物であるが、自信過剰なところが鼻につくと思う者も多いようだ。また研究熱心でもあるため、滅多に人前に現れない。よってあらゆる事務作業を捌くのは副学長たるペネロペ・ターメクレンなのだとか。



 一行は昼過ぎ頃にカルツァに到着した。馬車を降りたとき、セレスティアはイーサンに尋ねた。


「あなたはアーテルニアに戻るの?」


「いいえ。旦那様はこちらの馬車をあなたに譲渡するとともに、私をその御者に任命なさいました。ですから私は、あなたのご命令に従う所存でございます」


イーサンは表情一つ変えずに答えた。ジリアンよりも機械的な人間で、ウィリアムに呼ばれるとすぐに現れる。それにウィリアムが雇っていたのは、ジリアンを例外とすると彼一人なのだ。いつ彼が休んでいるのだろうかと不思議に思わずにはいられない。セレスティアは馬を撫でながら言った。


「そう。それならこの子達はどこかに預けて、あなたもついてきて」


「かしこまりました、セレスティア様。―お待ちを。これをお渡しするのを忘れておりました」


イーサンは一本の包帯を彼女に手渡した。もちろん、彼女が目を覆う用のものだ。紫苑の瞳で歩くわけにもいかないし、かといって緋眼でうろつくのも褒められたことではないのである。思わずテオは呟いた。


「あんた、準備いいのな…」


イーサンは後から合流するということで、三人は先に町に足を踏み入れた。アーテルニアののどかな雰囲気とは異なり、カルツァはかなり活発で、そこここに人がいる。ごった返すとは言わないまでも、ルーセチカ国民が見たら目を丸くするのは間違いないだろう。ざわめきと雑踏。意外にもそこまで不快ではない。


「さてと。どうしようか、ティア?」


「さあね。…やるべきことがないって変な感じがするわ」


「いいじゃん。何だか知らねえけど、解放されたってことだろ?」


テオが後ろから声を掛けると、オスカーは振り向いて目を少し見開いた。まだいたんだ。そんなことを気にするテオではない。


「やることがねえなら観光に尽きるぜ!大図書館とかさ。そうだ、学院も洒落てたっけ」


「カルツァには来たことがあるの。というか、少しの間暮らしていたのよね」


「目新しくないってわけね。えーっと…あ、だったら商店通りはどうだ?流行の最先端だぜ!」


「あそこは人が多すぎて苦手よ」


「酒場でも行くか!?良い店が―」


「遠慮しておくわ」


テオ、完敗。彼女から小遣いをせしめるのは難しいのではないか?テオが何か良い手札がないかと考えを巡らせていると、三人の元に見知らぬ男が近づいてきた。彼は人好きのする笑顔を顔に貼り付け、やけに語尾を伸ばしながら声を掛けてきた。


「あのお、そこの旅人さんたち。今、大図書館がどうとかおっしゃっていましたよねえ。観光に行かれるのですか?」


「いや、却下されたとこ。何でだ?」


「おやおや。実はですねえ、今日、大図書館は閉鎖されているんですよお。ですから、先にそのことを忠告して差し上げようと思いまして」


「君は?」


と、オスカー。男は癇に障るほどしなやかに一礼してみせた。


「これは失礼。私はそこの宿屋を経営している者でしてねえ。まあ、名乗るほどの者ではございませんが」


「へえ、そうなんだ。それで、何で大図書館が閉鎖されているの?僕の記憶が正しければ、あそこは創設以来一度もそうなったことがないはずなんだけど」


「ええ、ええ、おっしゃる通りで。ですが、残念ながら私はその事情を存じ上げないんですよお。わかっていれば、迷わず教えて差し上げるのですがねえ」


どことも取れない方向を向いていたセレスティアは、ゆっくりと身体を男のほうに向け、首を傾げた。


「宿屋を営んでいるのに知らないのね?」


それは質問というより確認で、確認というより威圧だった。その口元に微かに浮かぶ笑みは、男の嘘を見抜いている証である。宿屋というのは、時に酒場以上に情報が行き交う場所となり得る。それは主人の腕前次第といったところだろうが、この明らかに目ざとい男にそういった手腕がないと考えるほど、我が王女は愚かではない。


宿屋の主人はあっさりと負けを認め、卑しさが滲み出た笑顔を浮かべた。


「…おっと。そのことで小耳に挟んだ話があるのを、すっかり忘れていましたよお。そうですねえ、私の宿に泊まっていただけるのでしたら、お話しする時間もあるかもしれませんが…?」


そういうわけで、セレスティアとオスカーはその男の宿に、それぞれとイーサンの分の部屋を取った。テオもそうした。どこの宿に泊まったって良いだろう、というのが若干渋い顔をしたオスカーに対するテオの言い分だった。


そして彼らはさっそく、見るからに時間を持て余している主人の元に集った。オスカーが改めて事情を聞くと、意外にも男はもったいぶらずに話し始めた。


「詳しいことは本当にわからないのですがねえ、今度のことは、どうやら学院で問題が起きたことが原因みたいなんですよお」


「その問題とやらの情報も仕入れてるんだろうな」


テオは呆れた顔をして言った。宿屋の主人は手を揉み合わせ、三人の機嫌を取ろうとでもしているかのように腰を曲げている。


「さて、どうでしょう。…はは、冗談ですよお。何でも学院内で死人が出たとかでしてねえ。ターメクレン副学長が調査に乗り出しているんです」


「副学長が?」


と、セレスティア。男は彼女に勢いよく顔を突き合わせると、満面の笑みを浮かべ、声を張り上げるようにして言った。


「そうなんです!教員なら他にもいるでしょうに、副学長が、わ・ざ・わ・ざ、ですよお?それに、関係ないはずの大図書館まで閉鎖して…。どうも怪しい匂いがするでしょ?」


男はオスカーに向き直り、それはそれはゆっくりと、挑発でもしているかのように眉を動かした。腹が立つ。オスカーが適当に相槌を打つと、宿屋の主人は今度は―ほかに誰もいないのにも関わらず―声を潜めた。


「そこで、御三方に提案があるんですよお。この件、ちょっとばかり調査してきていただきたいのです。もちろんお礼もご用意いたしますよお?」


「どうして僕たちがそんなことを?」


「やるやる!やるに決まってんだろ!」


驚くことでもないが、オスカーとテオの二人は両極端な反応をほぼ同時に示した。そして二人はぎょっとしてお互いを見合った。すぐにオスカーは言い直した。


「ああ…彼がやってくれるみたいだから。僕たちは手を引くよ」


そしてすかさず微笑む。セレスティアは何も言わず、ただ椅子の肘掛けの部分を指で撫でている。宿屋の主人は拍子抜けして言った。


「おや?あなた方はお仲間であるのだとばかり…」


「お仲間みたいなもんなんだけどな。―なあ、ちょっとだけ手組もうぜ!いいだろ?面白そうじゃねえか!な?」


「こういうことには首を突っ込みたくないんだ。―ねえ、テオ。僕たちは良い友人同士だと思うよ。だけど、これ以上行動を共にする必要はないんじゃないかな」


オスカーは標準装備の微笑でテオの説得を試みた。


「そう固いこと言うなよ。アーテルニアで過ごした日々を忘れたのか?」


アーテルニアで彼らが顔を合わせたのは片手で数えるほどだっただろうに。


「僕は真剣なんだけど」


オスカーは笑顔を脱ぎ捨ててしまった。おそらく彼は頭に来ている。声を低くし、一音一音をはっきりと発音した。テオは思わずたじろいだ。ついでに宿屋の主人も。仕方なくセレスティアは椅子を離れ、オスカーの傍まで歩いていった。目元を覆った彼女が迷いも躓きもせずにそうしたものだから、その光景はかなり奇怪だった。


「ねえ、向きになるのはよして。この話はやめにしましょう」


「ティア、僕は―」


「部屋に戻ったら聞くわ。―悪いけれど、今の提案は聞かなかったことにするわね」


セレスティアは主人にそう言うと、オスカーの腕を取って部屋に引き上げた。テオはひどくがっかりしたようで、うなだれ、考えさせてくれ、と一言呟いて自分の部屋に向かった。惜しい獲物を逃したようだ。男は舌打ちした。



 セレスティアに半ば引っ張られるようにして彼女の部屋に入ったオスカーは、扉を閉めるや否や口を切った。


「僕は間違ったことなんて言ってないと思うけど」


「わかっているわ。彼を窘めるのが大変だからああしただけよ」


オスカーは曖昧に頷いた。セレスティアはオスカーの様子が少し異なることにすぐ気が付いた。


「彼が気に食わないのね」


「そんなんじゃないよ。ただ、信頼して良いのかわからなくて」


「信頼が必要なのは、窮地に立たされたときだけよ」


セレスティアが澄ましてそう言うと、オスカーは短く笑った。そしてため息交じりに呟いた。


「気付いたら崖っぷち、なんてことにならないと良いけど」


「別に、彼を信頼するとは一言も言っていないでしょう。―学院のこと、調べるつもりなのよね?」


包帯を取りながら、セレスティアは軽々と話題を変えてしまった。テオについて話し合っていても仕方がない。


「ペネロペが調査を指揮しているんだから、ただ事じゃないはずだ。見て見ぬ振りをするわけにはいかないよ」


「ただ事じゃなくても、私たちが関わる理由にはならないわ」


オスカーは片手で頭を抑えながら自分の足元を見つめた。心配事があるときはいつもこうだ。セレスティアが返答を待っているとわかると、彼は顔を上げ、彼女に鈍い視線を投げかけた。


「わかってるくせに」


一方セレスティアは閉口し、彼に鋭い視線を返した。彼女の返事はそれだった。時間を稼ごうとしているかのように―実際は手癖なのだが―、オスカーは彼女の髪を梳いた。そうして考え、ようやく口を開く。


「中立都市だからこそ、カルツァはあらゆる国にとって有利、それか不利になるものの管理を任されている。もし今度のことがそういうものに関わっているんだとしたら―」


「ただ事じゃないわね」


オスカーは苛立ちこそしなかったが、何を意味しているのか、ただ首を振った。セレスティアが続けざまに言う。


「結局言い訳でしょう?あなたは恐れているだけなんだから」


「そんなんじゃない。君が王家の人間で、僕が―」


「二人とも今は違うでしょう。だから理由にならないと言っているのよ」


こうなると、セレスティアは厄介だ。一度決めてしまうと、頑として動こうとしない。その分、明確かつ合理的な理由さえあればどんなことでもやり遂げるのだが。ちょうど、あの集落を滅ぼしたときのように。それでも厄介なものは厄介だが。


それでもオスカーは諦めようとしなかった。彼は何としてもカルツァの異変を調べたかったのである。それは彼女が指摘した通り、恐れに駆り立てられてのことではあるが、私に言わせれば彼の主張ももっともであった。彼らにはそうするだけの責任のようなものがあった。それが過ぎ去った時の残留物だとしても。


「ねえ、ティア。ここでカルツァを見放したら、きっと僕たち後悔するよ」


「見放す?まるでカルツァに自己再生力がないかのような言い方をするのね。ここには優れた人材が揃っているわ。他のどんな国よりもね」


「わかってるよ。そういうことじゃなくて―」


「それに、先に見放されたのは私たちのほうじゃない」


「カルツァは―」


「カルツァは関係ない。ええ、そうよね。何にせよ、私たちがこの世界に負うものなんてないわ」


「聞いて、ティア―」


「あの人のために『普通』を捨てて、この十数年を捧げてきた。後悔しているわけでも、無駄だったと思っているわけでもない。けれど、もう私の使命は終わった。他でもないあなたがそう言ったのよ。私は―」


セレスティアは怒っているのだと思う。行き場のない曖昧な感情は往々にして怒りに変容するものだ。彼女は父親への献身を犠牲だとは考えていなかった。だがそれも終わりだ。これは彼女なりの線引きなのだ。


しかし、彼女も頭ではわかっているのではないか?カルツァを置き去りにのうのうと生きることなどできないということが。世界こそが、彼女に一生付き纏う足枷なのだということが。今度はオスカーが彼女を遮った。


「それは言葉の綾だよ。僕は君の使命が終わっただなんて考えてない。彼に対する使命は終わったかもしれない。でも彼が守ろうとしたものに対する使命は残っているんだよ。君がアルフレッド様の娘だから。世界中が称揚した名君のすべてを受け継いでいるから」


セレスティアは目を伏せ、何か卑屈なことを呟いた。だが反論する気はないと見える。オスカーは再び彼女の髪を撫でながら、声音をさらに和らげた。


「ねえ、こうしよう。明日、二人で学長のところに行くんだ。事情を聞いてみて、介入する必要があるなら彼らに手を貸そう。そうじゃなければ、すぐにカルツァを出る。君が静かに暮らせるところを探そう。―どうかな?」


セレスティアは彼の目を見上げ、じっと覗き込んだ。まるで、その青空のように澄んだ瞳に映る自分を見つめているかのように。実際そうだったのだろうか?しばらく見つめ合った後、彼女は諦めて頷いた。それは、もう戻れないことに対する諦念だった。

2025.1.11

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