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その瞳には、毒がある  作者: 小娘
その娘、転落する
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さらば我が息吹よ

 もうじき空が白み始める頃合いだ。私は後から彼女の軌跡を追っているので、この日のこの時分に彼女が去ってしまったなどとは思ってもいなかった。そもそも彼女がこの国を去るなんてことすら欠片も考えていなかった。むしろ王族として舞い戻ると思っていたのだ。


私はジェローム王子が嫌いだ。子ども染みていると思うかもしれないが、とにかく嫌いなのだ。彼の母親も嫌いだった。憎き毒蛇。


だが私は彼が陛下を手にかけるのを、止めもせずに間近で傍観した。私はその瞬間、運命を感じていた。永劫の終焉!


だからこそ残念でならない。彼女ともう一度話したかった。会って責め立てられたい。何故陛下の死を黙って見届けたのか―彼女は私がそうしたということを理解しているに違いない―と。ああ、なんて浅はかな願望だろう。こんなことを考えるはよそう。



 雨が降り出した空を彼女は眺めている。今しがたテオが到着したところだ。セレスティアは彼が馬車に同乗することを了承した。というより、興味がなかったからとりあえず頷いた、という感じがした。オスカーは何も言わない。この状況はテオにとっては居心地が悪かった。だから彼は無視されるのも覚悟の上で口を開いた。


「ジリアンはいいのか?」


セレスティアはすぐには返事をしなかった。少ししてから彼女はゆっくりとテオのほうに顔を向け、そこに彼がいることに驚いたかのように目を見開いた。そして馬車の話を思い出し、今の質問のことを考えた。ようやく答えが返ってきた。


「ジルならウィリアム様が面倒を見てくれるはず。それに今頃失神してるでしょうから」


「失神って…どういう状況だよ、それ」


テオは苦笑いしたが、セレスティアはにこりともせず、別にと短く返した。そこにリーゼルは存在しなかった。再び沈黙が走った。テオはオスカーに見られているのに気が付いた。声をかけようかと思ったが、あの姿を見た後では躊躇われた。


だからテオは肩をすくめて挨拶の代わりにした。オスカーは微笑んだ。それは改めて見るとリーゼルがした笑い方に似ていた。テオもきっとそう思ったことだろう。私と彼は気が合いそうだから。


ふと、オスカーが遠くのほうを見やった。アンドルーがよろめきながらこちらにやってくるのが見えたのだ。オスカーはセレスティアに声をかけた。彼女も振り向いてその姿を見止めた。彼らはアンドルーが近くまでやってくるのを見守った。


「俺が彼を止められていたらどんなによかったか…」


辿り着くなりアンドルーはそう口走った。それは半ば独り言のようだったが、その目はまっすぐにセレスティアを見据えていた。声の震えは動揺のせいだろうか、それとも畏怖なのか。


「こんなことになるなんて、誰にも予想できなかったわ。それに、きっと私が悪いの。私は何もかも駄目にしてしまった」


彼女の答えは平々凡々としていた。それは本心なのだろうか、と考えずにはいられない。アンドルーは弾かれたように瞳に生気を取り戻して叫んだ。


「あなたが悪いかどうかなんて、俺にはどうだっていい!」


セレスティアはなんて答えるべきか思案し、結局口を閉ざした。雨が一層強くなった。他の三人が雨をしのぐために屋根の下まで移動しようとしても、アンドルーだけは頑として動かなかった。気付いた彼女が手を引いて導こうとすると、アンドルーはすぐにその手を振り払った。


彼は怒っていた。それと同時に泣いていた。彼女はアンドルーと意見が食い違うことはあっても、睨みつけられたことはなかったし、悲しみを露わにするところは見たことがあっても、涙までは知らなかった。だからセレスティアは茫然として、一緒になって雨のなすがままに身を許した。


嫌だったんです、と彼は囁くように言った。彼女は聞き返した。


「…だから、嫌だったんです。あなたには、陛下の後を継いでただあの場所に鎮座していて欲しかった!もしそうなっていたなら、あなたのその瞳は美しく在るだけで済んだのに!怒りに燃え、そして燃え尽きたあなたの瞳は、俺には濁って見える!」


アンドルーがそう捲し立てる間に馬車がやってきた。御者台にイーサンが座っている。オスカーはテオの肩を叩いてから馬車に乗り込んだ。テオもそれに従った。セレスティアは馬車が来たことにまるで気が付いていないかのように、ひいては自分が雨でずぶ濡れなことすら忘れてしまったかのように、アンドルーの前で立ち尽くしている。


アンドルーが言ったことは、彼なりの罵倒だったのだと思う。だから彼はすぐに後悔してたじろいだ。二人とも、もう何も言う気配がなかった。


時機を見てイーサンがセレスティアに声を掛けた。最後に何か言いたいのに、言葉が見つからない。彼女は諦めて馬車に乗り込んだ。馬車は走り出す。オスカーが雨で冷えた彼女の肩にそっと上着を掛けた。ややもするとセレスティアは眠りについた。



 セレスティアが目を覚ましたとき、馬車は国境付近にある憲兵の詰め所に停まっていた。だからそう長い間眠っていたわけではない。見ると、テオの姿が無かった。まだ眠気の残る声で彼女はオスカーに尋ねた。


「テオが捕まりでもしたの?」


「まさか。でも彼の武器は捕まってたみたいだよ。それを取りに寄っただけ。だからもう少し寝ていても大丈夫だよ」


「平気。眠いわけじゃないの」


「そう?寒くはない?」


セレスティアは首を振った。オスカーはそれを見て微笑むと、ずり落ちそうになっていた上着を掛け直した。困ったような顔をして彼女が言った。


「ごめんなさい。あなたの上着なのに、濡れちゃったわね」


「それが嫌だったら貸してないよ」


そんな会話をしているうちに、二本の剣を手にしたテオが戻ってきた。彼はセレスティアが起きているのを見てぎこちなく笑った。


「よう、起きたんだな。ちょっとこいつら取りに寄ってもらったんだ」


「そう。―ねえ、テオ。あなたはこれからどこに向かうの?」


「さあな。特に決まってない。あんたらは?」


テオは二人の向かい側の座席に腰を落ち着かせながら尋ねた。彼らは目も合わせずに各々考え込んだ。その間にゆっくりと馬車が動き出した。セレスティアが先に口を開いた。


「私たちも行く当てがあるわけじゃないから、特別どうということはないわ。何にせよ、旅をすることにはなるんじゃないかしら」


「僕はてっきり、どこかひっそりとしたところに落ち着くんだと思ってたんだけど」


お互いにきょとんとしながらも、二人はやっと目を合わせた。テオは意外そうな顔をした。かなり仲が良さそうに見えるからだろうが、私に言わせればこの意見の不一致は当然だ。というのも、この二人はあらゆる部分が真逆と言っていいほど違うのである。確かにそれなりの関係性を築いてきているわけだが。ああ、この話はどうでもいいか。


「落ち着くって、どうするの?」


「何か考えてるわけじゃないんだ。ただゆっくり羽を伸ばすのも悪くないかなって。でも君が旅をしたいなら、喜んでついていくよ」


「旅をしたいというか…」


セレスティアが口ごもると、すかさずテオが割って入った。


「なあ。話の途中で悪いけど、もし旅をする気なら俺を連れてってくんないかな」


テオが突然そんなことを言い出したものだから、二人はますます拍子抜けした顔で彼を見つめた。慌ててテオは付け足した。


「あ、いや、違くて。別にお二人さんの邪魔をしようってんじゃないけどさ、俺ってほら、それなりに使える…はず、多分。用心棒…はいらねえか。何だろ、雑用とかさ!な?」


「もしかして、こき使っていいからお金をくれ、とかそういうこと?」


「話が早いな、オスカー!なーんかここのところ財布が軽くてさ。絶対損はさせないから!頼む!」


テオは膝に両手をついて頭を下げた。潔さだけなら満点だ。


「なんて言ってるけど。どうする、ティア?」


「どうかしらね…ほとんど赤の他人なわけだし」


その一言は、ほんの少しテオの自尊心を傷つけたようだった。が、彼は向きになって言った。


「どこかでひっそり暮らすか、二人で旅をするか、俺込みで安心安全快適旅を楽しむか、だ!さあ、選んでくれ」


「急かさないであげて。本当に安心で安全で快適だっていう保証はないし、こういうことは慎重に決めないと」


「そうよね。そもそも信頼に欠けるわ」


「それ、目の前で言ってくれるなよ…」


テオがおどけて顔をしかめてみせたとき、イーサンが外から声を掛けてきた。


「セレスティア様。国境を越えましたが、どちらに向かわれますか」


彼女は小さく欠伸をしていた。皆が答えを待っているのを気にも留めずに、背中を軽く反らせた伸びも決め込む。それが済むと、セレスティアは目を閉じながら言った。


「テオ、行先はあなたが決めて。やっぱり諸々のことは後で考えましょう。今は後先のことを気にする気分じゃないから」


やはり眠かったらしい。彼女はすぐに寝入ってしまった。改めてイーサンが行先を尋ねると、テオは学術都市カルツァを提案した。オスカーは賛同する代わりに微笑した。馬車が少し速度を上げた。少しして、沈黙に耐えかねたのか、テオが口を開いた。


「やっぱり、お前って用心棒なんかじゃなかったんだな」


「まあね。そういう風に言うってことは、勘づかれてしまってたのかな?」


「そりゃ、あんなに留守にしてたらな。守る気がないのかと思ってたぜ」


「あはは。それで、そのうち彼女が僕を首にして、君を代わりにする…なんて想像でもしてた?」


お前というのは、そんな意地悪な笑顔も作ることができるのか、オスカー。テオがふてくされてしまうではないか…ああ、言わんこっちゃない。


「…馬鹿で悪かったな」


「そんなこと言ってないよ」


馬車には再び沈黙が走った。語ることもない二人はそれっきり会話を交わすことはなかった。セレスティアはオスカーにもたれ、人形のように眠り続けた。



 かくしてセレスティアは永劫都市アーテルニアを後にした。父アルフレッドの亡き今、彼女の拍動は止まりかけているも同然だろう。私は彼女が生きる縁を見つけてくれることを祈ることしかできない。だからこうして悪趣味な覗きを続けていくのである。諸君もしばらくお付き合い願いたい。

2025.1.10

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