7:ひそやかな夜会
ちょっと状況を整理したいな。
ヤシガニ採りの帰り道、カイル王子がホヌ様に恋をしているらしいことが発覚した(私調べ)。
二人の間に割り入ったのは夜の守人族の青年、彼は嫉妬しているようなのでつまり、ホヌ様に恋をしているのではないか(私調べ)。
さらにやってきたフェンリルの私に恋している瞳を見てみると(私調べ)ああ、やっぱりこのようなまなざし。
どこかに視線が散っていかずに、私のところまでまっすぐ通った視線が私のところだけで停止してるんだ。
一途に見つめられる、という深い興味と、あきらかに甘い微笑み。──これが恋。
私たちの恋は実り、ここで二人ともに結ばれているわけですが、さて。
人と四季獣という間柄の、カイル王子と青年はどうなるんだろうか。
また、ホヌ・マナマリエ王族と夜の守人族という事情でもあるんだよねえ。
「ボアナ教エル。カレ、守人族、次期族長」
よりややこしい状況であるらしい。
──私たちは夏の王宮に帰ってきた。あっさりと。
フェンリルがさっそうと現れたら、カイル王子も夜の守人王子も(立場的にはこの認識でいいよね)目を奪われたからだ。
どちらもに邪魔されることなく、言葉が通じていないフェンリルは状況を察する必要もなく、ただただ私たちをまとめて北風で宙に掲げあげると、王宮に連れ去ってしまった。
雪を含んだ風は人を抱えられるくらいの力がある。
夕暮れからさらにあたりが薄暗くなっている中で、浮かび上がるような白金と白銀の色彩をまとった夏フェンリルは、人型をとっていてもそれは神秘の獣そのものだった。
熱くなっていた二人の王子の頭も冷えただろう。
少なくともカイル王子は、王宮に戻ってからすぐに、フェンリルに「エル様を遅くまで付き合わせてしまいすみません」と謝ってくれた。
その目をふと覗き見る。
もう、ホヌ様への恋は宿っていなかった。押し込めたみたい。
……と、観察してたらフェンリルが私の目を覆う。
おおっと。後ろから抱きしめられるような姿勢になっているのではないでしょうか。
「エルが仕事熱心なのは知っているが。そんなにも興味津々の目を向け続けるのは失敗につながりやすいんじゃないだろうか」
あ、それはまずい。
取り繕っているつもりだったけど、やじうまのような視線を投げかけてたなら申し訳ないし、嫌な思いをさせちゃうところだった。気をつけよう。
「私たちはハネムーンに来てるんだろう。だったら他を見るのと同じ以上に、私とも目を合わせておくべきだと思うよ」
「そっち!?」
「ん? ああ、仕事をエルばかりに任せずに私もこなそう。そうすれば一緒にいる時間が増えるだろうから」
「……ビーチでデートとか、する……?」
「それはいいね。気が乗った」
フェンリルは私の頭をおおらかに撫でてから、解放してくれた。フェルスノゥ語で囁いたから周りには聞き取られていなかったようだ。
……ちらり。
夏の王族の方々は、背筋を伸ばして真剣な面持ちになっていた。
すみません、そんな重要会議じゃなかったです。
デートの約束がされただけなんです。
なんだか気恥ずかしくてうつむき気味になったら、ジェニメロたちが指でハートを作ってこちらにアピールしてきて、いたたまれなくなった。
フェルスノゥ王国のみなさんは大好きなフェンリルの言葉を聞き逃したりしないのです。
「「フェンリル様! ぜひ手伝っていただきたい調査があるのですが」」
「我々二人と部下だけでなく、冬の大精霊としての感覚をお借りできないでしょうか。波打ち際、島と海の境目の温度調査をしたいのです」
「フェルスノゥにおいて国境は大精霊がおわす秘境としての役割を持っていました。夏の島でも同様であるのか調べてほしいとの要望です」
「昼に行くと観光客が多いですから、できれば夜にお願いしたいのですが……エル様はお疲れかと……」
「私が同行する。力になろう」
「「やったー! ありがとうございます!」」
あ、鮮やかな手腕ー。
これはミシェーラやクリスにはできなかった技だね。ジェニメロだから幼い無遠慮さを混ぜつつ、純粋な賞賛をもってお礼とする取引ができている。
それを意識してやれているところがすごいものだ。この二人がなぜ旅に同行させてもらえたのかわかる。旅についていく席はそりゃあもうフェルスノゥ王城勤務のみなさんで取り合いだったそうだけど、知略に加えて幼いゆえの許される範囲が広いこの双子に”知見教育のため”といういいわけを足すのがもっとも適切だ。
関心と驚愕で、獣耳がピクピクしてしまった私を相手にしても悪びれない。
この子たちは強かに育つだろう。
そしておそらく、カイル王子も強かに育ったのだ。
だからこそ、恋をしているなんてこと、言い出せないしその気もないんじゃないかなあ。自分の気持ちひとつだけなのだ、恋というものの利点って。
国のため周りのためを思うなら、崩さないのが最適解だと導き出してしまっているのだろう。
……おっと、またカイル王子を見すぎるところだった。
フェンリルの方を眺めておこう。
わーお……下から見上げるアングルがまたカッコイイ。
「エル、手伝いに行ってくるよ。その間はよく休んでおくといい。仕事のついでにビーチの下見をしてくるよ」
「わかった。気をつけていってらっしゃい。でも夜の間に一人きりはちょっと寂しいかも……何か身に付けてるものを貸してくれない?」
「では布を。ストールというのだったか?」
フェンリルが貸してくれたアイスブルーのストールからは、冬の匂いがする。冷たい水ですすいだようなさっぱりした匂い。彼が身につけたことで冬の魔力を含んでいるからだ。
ええ、フェンリルがいないと眠りにくくなりましたとも。
特に、遠くにやってきたらいつもの枕としてフェンリルのモフモフが欲しくなるのですとも。
──夏は冬から遠い感じがするからね。
……これをもっと自然につなぐのが、夏の島において私たち冬フェンリルがやることだよね。きっと。
問題のなさそうな栄える夏の島、その夜。
四季獣である私たちは、なぜか遠い寂しさを覚えている。
フェンリルたちが海辺の調査に向かった。
彼はなにも持たず、行く。
早く帰りたくなる心をそのままにしておくそうだ。冬のオーロラのようなゆらめく気持ちを楽しんでいられるほどの、心の余裕があるからできることだよね。その点、私はまだ幼い。ストールを首に巻いて苦笑する口元を隠した。
「わ。わ。今のやってみたいナ~……」
ホヌ様がホワワンと呟いた。
視界の端でそっちを見てると、カイル王子がそわそわとし始めてる。けれどなかなか声をかけない。
それくらいの思い出はいいんじゃないだろうか?
やってあげたら? でも私が言うとお節介だよね?
まどろっこしい~、でも期待しちゃう~、と悶々としていたら、王様が声をかける。
「カイル。昼間にお前宛ての報告書が届いていたよ。夏至の前なんだから何が起こるかわからない。備えておくために、早く終わらせなさい」
そっちか! 離すつもりなの?
「うわ、まるでお父様みたいなことを仰いますね。幼い子供に戻ってしまったみたいな気持ちになる。もちろん行って参りますよ」
カイル王子は眉をハの字にしながらも、少々ホッとしたようでもあり、ホヌ様に深く礼をすると、エントランスから去っていった。一度も振り返ったりしなかった。
あとにはポツンとホヌ様が残されている。
彼女は毛先をくるりといじり、足のつま先を床にこすりつけて爪先で引っかいた。
私は覚えておこう。
きっとこれはガマンの合図だ。
そしてホヌ様を大切に思う国王なら、これに気づいていないはずがない。
国王に視線を送ると、彼は息子以上に眉尻を思いきり下げて「かわいそうな顔」をしてみせた。
そのふっくらした体と相まって可愛げが生まれるから、なかなかずるいというか得な人だ。うん。
「冬姫エル様。もしよろしければ、このあとお茶でもいかがでしょうか。快い睡眠のためにぴったりの夜蝶々茶がございますので紹介できれば幸いです。蝶々の翅のような形の青色の植物がありまして、透きとおった青色になるのですよ。暑さが残る夜に体を冷やしてくれるのです。冬の皆様にも好まれるものかと」
「興味があります。ご一緒させていただけると嬉しいです」
「ええ、是非。まだこの島でお一人で動くのは不安でしょうから、この場にティーセットを揃えてもいいですし、興味があれば屋上で星を眺めながらというのもオススメですが」
「夏の星を見てみたいです。冬の星と見比べてみたいなって思いました。屋上にお願いできますか? ……あ、私一人って、ホヌ様は?」
彼女を見ると、手を振っている。
もう帰ってしまうようだ。
そして海水の道を作り上げると、原生林がある方に宙を泳いで帰っていった。夏亀様だから魚の尻尾はないはずだけど、人型と相まって人魚姫のようだった。
「ホヌ様は夜になると夏の魔力が濃いところにお帰りになります。ですのでお一人とお誘いしました。フェルスノゥの王子たちは海岸沿いに行かれましたし、貴女以外に格が合う人がこの場にはもうおりません。不安でしたら……とうかがったのはそのためです。心配をおかけしたくないというこちらの気持ちを汲んでいただけると幸いです」
「わかっていますよ。受け取りました」
夏の王族は、一見、平民とまったく同じ視線に立つような印象を与えてくる。けれど自然な”分け方”をするところにこだわりというか、譲れないものを感じさせもする。
そして、私がそれを感じ取っていることも気づいている。
その上で知らんぷりをすることが出来るのだ。
まさに損得勘定。
目の前の、優しそうな王様が、歴戦の商人であることをしっかりと学ばせてもらうことになった。
「こちらへ」──と案内された屋上テラス。
大きなプールに星空が映されていて、下を見ても上を見てもどこまでも夏の夜空が続くようだ。
そこで飲むお茶がまた、ひんやりとして冬の民の私には特別美味しい。大丈夫、一人でもリラックスできている。フェルスノゥの護衛の方々はいるしね。
「たしか、昼間に商店街の方に行かれたそうですね。そこではフルーツ氷なるものを作っていらしたとか。歓声は王宮にまですぐ届きましたよ! 土地の植物で新しい産業が生まれるなんてこんなに嬉しいことはありません」
「そこまで喜んでいただけたら、屋台の方に簡単なレシピを伝えた甲斐がありました。たとえ氷魔法が使いにくくとも、物を冷やすのには塩を使った方法もありますからね」
「塩ならこのホヌ・マナマリエでたくさん作られますからなあ。まろやかで舌触りの良い塩がとれます。そこに交易で入ってくる香辛料を混ぜるとまた美味しくて。そのように探求していたら太ってしまいましてな。ホヌ・フラというダンスを始めました」
「今、ステージで踊り子さんが舞っているゆったりした踊りですか?」
「そうですそうです。汗水垂らして走り回ってばかりの王でしたが、ここまで生きて肥える余裕もできてようやく、ホヌ・フラの良さがわかりました。婆様には若い頃に、生き急ぐでないと言われていたことも思い出しましたねえ」
客先周りで足を痛めてしまって、と国王はいう。
その代わりにさらに舌が回るようになった、とおちゃめさを混ぜて。
この人……バツグンに話がうまい!
飽きさせないくるくる入れ替わる話題に、耳に心地いいちょうどいい抑揚。にっこり笑う表情につられて、私もいつのまにかニコニコしてしまう。
ごきげんに獣耳が揺れている。
そしてそれに気づかないフリをしてくれる王様。
計算だわ〜。
冷静になったぞ。
「こほん。あの……相談したいことがあるんです。解決したいことではありませんが、抱えたままだと不安なので貴方と共有したいことが。聞いてもらますか?」
「もちろんです。冬姫エル様がそのおつもりなら。ここだけの話というものをいたしましょう」
王様は静かな声で返事をしてくれた。
「ホヌ様に恋をしているカイル王子のことなのですが。どうやらみなさんはお気づきでありながら、見なかったことにしていたでしょう。それは、なぜなのかなと思って」
「仰る通りですな。なぜ、といえば、ホヌ様がもしもお心を乱してしまってはならないからです。夏が乱れてしまうという言い伝えがありますからな。
それに寿命も種族も違う彼女とどう恋愛成就するというのでしょうか。その未来は不透明で投資するに値しません。……きびしい物言いになってしまいましたが」
「いえ。フェンリル族が余計な干渉をしないように、気をつけるようにと先手を打ってくれたんですよね」
「ご理解を感謝いたします。理由は述べた通りです。それを成したとしてどのような未来になるのか、見えないでしょう? 未来を見据えて今やるべきことを選ぶ、それが夏の商人の道でございます」
「じゃあ、"今の気持ち"はどうすればいいですか?」
「そこを考えてくださるのですね」
王様はほんのりと笑う。
月に雲がかかり、少し辺りは暗くなった。
「ありがとうございます……。息子の気持ちを考えてあげられる者はこの王宮にはおりませんので。ホヌ・マナマリエは栄えた島となりましたが、そこに至るまでにはさまざまな荒波がありました。安定した今となっても大人は皆、その緊張が癒えていないのです。いつでもトラブルに対処できるようにと気を張ってしまう負け癖がついた」
「負け癖とは思いませんが……でも、疲れてしまうでしょうね」
「この夏の夜空を見れば、常向日葵の輝きを見れば、何よりもホヌ様を見させていただければ我々は頑張れます。疲れもふっとぶようですぞ。しかし、子らは……」
一言一言、言葉を選んでいるようだ。
あまり話し慣れないからだろう。王様はいつもの定型文ではなくて、自分の言える範囲で息子について正直に語ろうとしているのだ。
だったら、ただのルールを押し付ける人ではない。
私も受け止める努力をしたい。
「その緊張の空気の中で育ててしまった。あの子らはおおらかに見えて、上手くやる術を身につけていっただけで、感情を抑えながら育ってしまったとも言えるでしょう。
自分自身のことを国だと思っている。人ではなく」
「人ではなく……だから……」
「恋なんてするつもりもなさそうでしょう。そのままの方が正直なところ国としても都合がよろしい。彼は、放っておけば国にふさわしいように動いてくれるのですよ」
それが"今の気持ち"に等しいと言いたいらしい。
けれどおそらくすこしズレている。
彼らが、ホヌ様とセットで考えていないからだ。
ホヌ様は崇拝される偶像ではなくて、感情ある美しい女子の面を持っていてそれを見るカイル王子の眼差しは特別だ。そういう話をしたいのだけど。
どう伝えたらいいだろう。
ううん、最初に、解決を求めるものではないと伝えてあるのだから、シンプルに言おう。
「だから、ええと、”夏の波に乗る”をみなさんはしていらしたんですね。けれどもう溢れかけているように見えました。カイル王子はホヌ様への恋心を表に出しかけています」
「なんと。貴女は鋭い……」
「いいえ、私はどちらかといえば鈍い方です。けれど彼ともう一人の青年がホヌ様に恋心を向けるところに居合わせました。ライバルがいたからより刺激されたのかもしれません……。
王様はお父様としてのお顔も持っていました。だから尋ねます。彼の"今の恋心"をどう見守るのが、夏の答えなのでしょうか」
「……美しい聞き方をしてくださるのですなあ」
王は砂糖をひとつ、ティーカップに落とす。
「地方によって感覚が違うと思いますし、王様としての回答はさっき聞かせていただいたので、夏の民としてのお心が聞きたくて。
このままだとみんなが苦しそうです」
「解決したいわけではない、のでしたな」
「はい。だってムリでしょう……すぐに対応することなんて。他人の大切な気持ちを私たちがどうこうできません。けれど、引き離すかどうかは、みなさんの姿勢次第なんですよね」
「ふむ。先に、冬の場合はどうなのかをうかがってもよろしいですかな」
こくりと頷く。ここまできたら言っちゃうか。
「クリストファー王子は冬姫である私に恋心を抱いていました。アプローチも受けました。結果としてフェンリルと結ばれた私ですが、彼はフェンリル族だからという理由では恋を諦めるところはなさそうでしたよ」
「なんですと」
「結果、今となってもいい友達でいます。伝えることは伝えて、コミュニケーションで解決したから。……でも恋心をひた隠しにされていたら、クリスの方が辛くて離れていってしまったかもしれませんね。そう周りは語りました。カイル王子はそうなってしまわないでしょうか?」
「こじれてほしくない。今のホヌ・マナマリエを守りたいのです。けれど世の中は動いてゆくのですな……。冬の大精霊がこの土地を季節風のように訪れたみたいに──」
王様はティーカップを傾けて飲み干した。
こういうとこ、ミシェーラにも似てる。
王族なりの気合の入れ方なのかも。
「答えが出ました。カイルをわざわざ引き離すようなことは今後しないことにしましょう。あれは器用な臆病者ですが、傷つきながら悩む時がきたのでしょう。ええ、見守るとしましょう」
よかった。
これでせめて、カイル王子の気持ちに無理がなくなるといいな。
ホヌ様がもしも不安定になりそうなら、それは私もフォローしよう。女子会とかするといいのかもしれない。日本ではやったことないけど、ミシェーラたちと話すときみたいにすればいいよね。
他にも考えることはあるけど、今夜整理するのはこのくらいでいいでしょう。
あ〜〜ドッと疲れた〜。
逆に、王様はすっきりした顔してらっしゃるわ。
「ほんと、いい月ですね」
「夏の月は明るいでしょう。自慢なんです」
恋するみなさま、あとは頑張れっ。
お待たせしました!₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑
読んでくれてありがとうございました。
そしてすみません!
前回、コミカライズの更新がありそうだと書いたのですが、再び作画担当様の不調でスケジュールが伸びております。
生身の人が作ってくれているものですので、届いた時に大切にする手紙みたいに、お待ちくださると幸いです。
それでは、今月もお疲れ様でございましたm(__)m