5:夜の守人族
民族衣装の女の子が乱入してきた。
わちゃっと勢いよくホヌ様に抱きついている。
ホヌ様はそれを抱きしめ返してあげていて。
この島は本当に大精霊と住んでいる人たちの距離が近いんだなあ。
女の子はココナツの皮のような薄茶色の髪を三つ編みにしていて、その長さは足首ほどまであった。こんがりと小麦色の肌に墨で民族文様のようなものを描いている。もしかしたらタトゥーなのかもしれない。
パッチリとした瞳は濃い緑色。
これはこれで夏の生命力を凝縮したような女の子だ。
手織りの布を重ねたような服装で、胸元と腰を隠していて、足は編み上げのサンダル。いくつも重ねたシーガラス(波打ち際で角を取られたガラスが丸くなったもの)のアクセサリーがしゃらりと揺れた。
「ホヌサマ。金属ナンカニ、触ラナイデ。ズット綺麗ナ、ママガイイ」
「ふーン? ママガイイ、そういうことネ」
どういうことなの……!?
二人だけで見つめあって微笑んでいる。
私が困っていると、ホヌ様は説明をしてくれた。
「この子、ボアナ」
「コンニチハ〜!」
「こんにちは」
「ボアナたちはネ、古き良き夜の守人というやつなのー。使う言葉がちょっぴり古風で夏の嵐のようなうねる音がある。体には夏の夜露を溶いた塗料で文様を描く。そして島の裏側で生活をしていて、夏亀が眠る夜を守っている部族なんだヨ」
「伝統があるんですね」
「フフン! ダカラ、ホヌサマ、夜ニハ必ズ、コチラクル!」
それが誇らしいんだろうな。ホヌ様の腰に抱きついて譲らないと言わんばかりだ。女の子だから可愛らしくもあるけど、ちょっと動物的な牙が覗いていた。いろんなものを噛み砕けそうだ。
「ン? 昼にはあちらにいるけどネー。王族たちは島の表のほうにいつもイル。そっちで商いをしてよその国との交流をして過ごす。交流こそが力になるだろうから、と──ずっと彼らからは聞いている。それに納得するし、ただちょっとうるさい時もあるカナ」
「縁で島を守ってるんですね」
「違ウモン! 王族、ヤダモン」
ボアナちゃんはぷくーーと風船のように頬を膨らませる。
なんて肺活量……!あとで聞いたところによると、敵が来たことを知らせる笛を大きく吹く為に、この子たちは幼い頃から呼吸の訓練をするんだって。
「(あんまり仲良くないのかな)そっかそっか。けれど、あんまり嫌いって言われると傷つくと思うよ。苦手、くらいにしておかない?」
「……アッチ、味方スルノ? 敵?」
ボアナちゃんは急に目つきを鋭くした。
腰にくくられていた小さな筒を引き抜くような仕草。
……ナイフだ。
まずい。
ナイフはまずいよ。
このくらいなら私にも止めることができるだろう。氷の壁でも作ればいい。ボアナちゃんは運動神経が良さそうだけれど、フェンリル族の獣の勘を持っている私の方が、俊敏に動けるだろうなって分かる。
けれど、ナイフを私──冬フェンリル族に向けていることが問題なんだ。
もしも外部に漏れたなら、それすなわち、国際問題になるでしょう。それも一国対連邦のような、強硬手段になってしまうのではないだろうか。
春の国のように内乱状態だったなら、混乱で済ませられるところ(実際そのような口裏合わせをジェニメロ双王子たちがしていた)、平和なこの夏の島では、”故意に””冬フェンリル様のみを狙った”という解釈をされかねない。
……私はもうただのノエルではなく、大精霊になる冬姫エルという立場ある人なんだよね。
もしかしたら国家の縁にヒビをいれてしまう原因になってしまうかもしれないという、自覚が甘かったかもしれないな。
だからこそ、ここでビビっていてはいけない。
動いて。みんなのために。私が動くことが、きっとみんなのためになるように。
「ホヌ様助けて!」
「ウン」
「ッ……!?」
ホヌ様がかるーく「ほいっ」と足先を上げただけで、夏風のミニストームが地上から空に向かって吹き上がり、ナイフを飛ばして、そのまま少し離れたココナツの木に刺してしまった。
太陽の下でナイフの刃が沈黙する。
ボアナちゃんは、ヘナヘナと座り込んでしまった。
すぐには近寄れない。
──私も自分を反省しよう。そして、対策をしないとね。
これまでの旅路で見てきた傾向がある。
どこの土地に行ってもあるのは、異国のお金持ちだろうとみた嫉妬の敵意。
もしくは、自国の誇る文化がバカにされたように感じた人は保守の敵意をみせる。
私が今受けたのは後者。
ホヌ様の威厳を守ろうとしたゆえの威嚇を受けていたのだ。
「手荒にしてごめんね。あなたはホヌ様のことを守ろうとしていたんだよね。ホヌ様は、助けてくれてありがとうございます」
「ウン! 頼ってくれて胸がドキドキしたヨー。これが……恋??」
「違うと思います。ホヌ様が本を読んで憧れていた恋以外にも、胸をドキドキさせてくれるような出来事っていろいろあるんですよ。お礼を言われたことが嬉しかったんじゃないでしょうか。私にもそんな経験がたくさんありますよ」
「そう……カナ? ウフフフ」
ホヌ様のはにかみ顔はパイナップルみたいに甘酸っぱいキュートさだ。
彼女が介入してくれて助かった。
夏の島のトラブルを、夏の島の人が解決してくれた。
私はそれに関わりそうになっただけ。
よし、これで言い訳がしやすいだろう。
言い訳になってくれ。
頼む!
……フェンリルには知られたくないなあ〜。
……ううん、でも言おう。私がフェンリルだったら教えて欲しいと思うだろうから。教えてもらえなかったらショックを受けるだろう。知らないところで好きな人が傷つくかもしれなかったなんて、耐えられない。
けれど伝える言葉は選ぼうね私。べらぼうに慎重になろう。うん。
ぐすんぐすん、と鼻をすすっているボアナちゃんにハンカチを差し出した。もう気力は無さそうだとにおいでわかる。
受け取ってはもらえない。
けれど、気持ちを伝えることが大事だから。
私に素手を差し出されるよりは、ハンカチの方がまだ心理的にラクだろう。
「ウウウ、グスグス、フアァン……! ホヌサマ、ホヌサマ、攻撃ナサッタ。ツイニ、変ワッテ、シマッタノ? 冬ノセイデ、変ワッタノ?」
子供っぽい癇癪で、キッとホヌ様のことも睨もうとして、けれどどうしてもできないというように、ボアナちゃんは眉尻を下げている。
ホヌ様は顎に指先にあてて、言葉を探した。
「変わったんじゃなくて、たゆたっているだけダヨ。外から来た波に乗っているの。波に上手に乗ってこその夏の民だモン。ネ?」
「グス……グスン……デモ、デモ……」
「ウーン。エル、あれを作ってちょうだいな。氷菓子」
「わかりました。じゃあフルーツ氷にしましょう」
ただのフルーツ氷だと、見慣れていなくて食べてもらえないかもしれないな……。
ただでさえ警戒されているわけだし。
だったら彼女の興味を引けるように工夫しよう。
元社畜のこのエル、販売員手伝いの経験もありますとも!
というわけで、氷の鳥を飛ばして、ココナツを木から落とす。それをまた氷の鳥にキャッチしてもらう。ここでボアナちゃんの目は釘付けになり、首がくるくると横を向いた。
「ホヌ様。ココナツ菓子にしますので、割って頂いても?」
「ウン!」
まさかの、ココナツを両手でぐわしと掴んでから、膝で、蹴り上げて割る!
頑丈な体なんだな……。
器用にココナツジュースが残ったまま半分に割ってあり、両手に殻を持って彼女は微笑んだ。
そのジュースを直接凍らせる。
ココナツからは甘い匂いがしているからそのままでも甘みがあるはず。さっきの商店街で南国風ココナツジュースを飲んでいる人もいたから馴染みがあるだろう。凍らせすぎると甘みを感じにくくなるから、半解凍くらいで……しゃりしゃり食感に。
懐かしく思い出すのはハワイの習慣。あそこではココナツは神聖な果実で、無礼な扱いとみなされる場合もあったはずだ。
こちらではどのような扱いになっているのか私は知らなくて、ともすれば余計に怒りを買うことにならないように、ホヌ様に割ってもらった。対策はできているよね。
商店街のココナツジュースにも添えられていたお花が道端にあったから、器に盛り付ける。
スプーンはないけど、木の棒二つでお箸のようにしたらいいんじゃないかな。
にっこりと微笑んでホヌ様とボアナちゃん、二人に語りかけた。
「完成ですよ」
「ほあああ……北国の涼やかさネ。早く食べないと溶けちゃう。さあボアナ」
「エッ……。ト、溶ケル……? ンヒャ。指先、ツメタイ」
指先に溶けてかかったココナツジュースを、ボアナちゃんはぺろぺろと舐める。
それがいつものココナツの味と同じで安心したのか、恐る恐る、二本の棒の先っぽにつけた氷を舐め始めた。
ぱちぱちと大きな目を見開いて、次は大口でほおばると、キーンと冷たくなったのか、頭を振っている。けれどこれは私の攻撃ではないことが、身体能力の高い彼女だからこそわかったみたい。一時的な温度変化のためなんだろうって理解してくれた。しげしげと氷を観察してる。そして溶け始めちゃって慌ててる。
にこにこパクパクと完食したホヌ様が、ぺろりと口の周りを舌でさらった。
「良いものデショ? これは嫌なものじゃない。だから遊ばせてもらっているダケ。波に乗るサーフィンと一緒。小舟とも一緒。ママガイイ、変わらナイ」
「ママガイイ。……ハイッ」
こくんと頷いたボアナちゃんも、がっついて食べ始めた。
まだ子供だから口が小さくて、食べ終わるのには時間がかかりそうだ。
その間に聞いておこう。
「ホヌ様。ママガイイ、というのは初めて聞くので教えてください。変わらない今のままが素晴らしいね、という言葉なのでしょうか。このホヌ・マナマリエの美しい景色や気候が変わってしまわないようにって祈りのような印象を受けました」
「エル、そんなふうに表すのネ。それすっごく綺麗。きっとそんな言葉なのでしょう」
ホヌ様は、ボアナちゃんの氷を人差し指の先っぽでつまんで、それを私の唇に触れさせた。
うん、思った通りのおいしい味だ。
ボアナちゃんは「アーッ」てもったいなさそうにしてくれてて、それは申し訳なかったけど、またしても嬉しい。
しっかりボアナちゃんが私を見てくれるようになった。
食べ物を分け合うのは彼女たちにとって重要なことだったみたい。
あんなことがあったばかりだけど、彼女ははつらつとした子供で、態度が変わってくれるのも早かった。興味深そうに私の周りをくるくる回ってる。なついてくれそうだ。
よしっ。
「コオリ、オ礼。ヤシガニ採リ、イコウ」
「お出かけのお誘いありがとう。でもちょっと待ってね。連絡をしておくね。私の帰りが遅いと心配してくれる人がいるから。
ホヌ様、緑妖精と連絡をしてもいいですか」
「ウン」
斜めがけにしていたポシェットから、それまで気配一つ出さなかった緑妖精が飛び出す。
本来であればラオメイにいるはずの四季妖精だ。けれど今回はついてきてもらっている。夏の気候に合わせて髪が黄色くなっており、けれど姿は緑妖精のまま。
この子たちが何をしてくれるのかといえば、
『──エル』
「──フェンリル! 聞こえてる? 通信状態、オッケー?」
『──ああ。可愛い声が聞こえてるよ』
遠距離通信の練習だ。
うまくいけば、空気中の魔力の流れをよくよく見れる妖精たちの連絡をとおして、私たちは四季の四地点を結ぶことができる。
そのテストとして、気候が違う土地について妖精たちに学習してもらっているのだ。
フェンリルの言葉が二人にも聞こえてしまいひやかされたのは、恥ずかしいなっ。
読んでくれてありがとうございました!
9月25日のコミカライズ更新はお休みです。
次のお知らせをお待ち下さい₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑