4:夏の街のお店屋さん
ホヌ様は自分の手足みたいにごく自然に空に水の道を作る。
こんなにも夏の魔法を自在に操れるのは、やはり長生きした大精霊だからこそなのだろう。
冬の雪山でフェンリルが見せてくれたあらゆる魔法が思い起こされる。
……ちょっと離れただけなのに、私やっぱりフェンリルが恋しくなっちゃうみたい。
ダメダメ、甘やかしてもらうのはあとで。
今は、楽しそうにしてくれているホヌ様の笑顔を守りたいな。
……おっと、仕事気質すぎかな?
つい予定をたくさん入れちゃってるってグレアによく叱られちゃってたもんな〜。気をつけよう。
水の道はそのまま流されているとウォータースライダーみたいだ。
水面ごしに街の様子が見られるのは、水のフィルターのよう。
「ザバーーン♪」
「うわ、勢いがはやはやはや早いですーーっ!」
いきなり水の道が白い石畳の床に降りていったものだから、私たちはほぼ垂直に降りることになってしまった。勢いよく水が弾け飛びきらきらと宙を舞う。
ホヌ様は慣れているし、私はフェンリル族特有の運動神経でひらりと一回転して着地できたけど、普通の人だったらこれ落下事故起きてるでしょう……。もー。
ちょっとだけ怒りながらホヌ様を眺める。
「スゴイスゴーイ。オオカミってしなやかな獣だって聞いてたカラ、楽しみだった♪」
「確信犯ですか~……。怪我をしたら危ないんですから無茶させないでくださいね」
「エルったら王族みたいなこと言うのネ。でもごめんなさい」
「いいですよ」
「ウフフ!」
「?」
「ごめんなさいって。ごめんなさいだって。本で読んだことがあるの、"ごめんなさい"。謝る時の言葉なのよネ。ごめんなさいって言っちゃった!」
「わ、わ、それくらいで。言い過ぎないようにしましょう」
「はーい」
ごめんなさいって言ってみたかったの? でも大精霊だから言う隙がなかったみたいな……? ホヌ・マナマリエのみなさんは真面目な印象があるから、ホヌ様にそんなことを言わないように頼んでいそうだなあ。
でもそれは窮屈だとも思う。
だって人の話す言葉にホヌ様はずいぶん興味があって、近くにいてくれるんだからさ。
──私は、彼女と友達になりたいので。
ちょっと気軽に接してみよう。
人と対峙するときの当たり前の丁寧さは損なわずに、けれど距離を近めに明るく。
「どういたしまして」
「どういたしまして?」
「ありがとう」
「ありがとう!」
「いえいえそんな」
「イエイエソンナ~」
ホヌ様はひまわりみたいに笑ってくれている。
そして街からは何らかのお知らせなのであろう鐘の音が聞こえてきた。港に入ってきた時にも鳴っていた鐘だ。ということは一時間ごとに鐘が鳴る、とかのルールがあるのかもしれないね。
日本にいた頃のチャイムを思い出すよ。
この島は、おそらく大勢が暮らすための文化が発展しているんだなあ。
ホヌ様は私の腕をぐいっと引いた。
「こっちに来てチョーダイ。街に入っていくネ」
「わかりました。実はこの街で買い物をしてみたかったんです。お財布も持ってきていますよ」
「エルは大精霊だからお金いらないんじゃない?」
おーっと……夏の民のみなさま、これは、ホヌ様を特別扱いしすぎていますね?
「そうかもしれませんが、でも私は、お金を払いますよ? 毎回フェンリル族だってことを説明するのも大変ですし、お店屋さんごっこって楽しいものですし」
「そーなの~?」
実感が伴っていないらしい彼女に、お店やさんごっこの楽しさを見せてあげましょう。
日本の子どもだって幼稚園で夢中になって遊ぶくらいなのだ。このシステムはきっと楽しく感じられる。
街に入って、ホヌ様にまっさきに声をかけてくれた店番の方の方に行く。
ここは島の上の方にある商店街なので、日差しがかなり強くて、それを遮るために大きな木が店の後ろ側に並んで植えられて、店と通路の日陰になるようにかぶさっていた。
お店の上に看板をつけているけれど葉っぱがかぶさって見えないから、カラフルな旗が店先に立てられている。私はそれを読むこともできた。
”産直フルーツ”だ。それはいいなあ。
ホヌ様は店先からいくつか手に取り、私に渡すと、毒味をしてみせるようにかじってみせた。口元から雫が垂れそうになると舌で舐めとる。
舌の色が青い!
思いがけないところで彼女の人外らしさを見つけた。
「こんにちは。夏の観光にやってきました。彼女オススメのフルーツをカットして器に入れてもらえますか? おいくらになりますか?」
「おや……。お嬢さんホヌの言葉がお上手だね。フルーツ一つにつき土色のコイン一つだよ」
「では白のコイン一つでもいいですか?」
「それだと土色のコイン二枚のおつりだ。ありがとうさん。それからこれはオマケだよ」
「ありがとうございます! なんていう果物ですか?」
「買ってくれたのはパイナプ、メルル、サマーチェリー。オマケのはハジケ真珠って名前の低木の木の実でシュワシュワする」
ヤシの殻で作られた器に、カットフルーツが彩りよく盛られた。
「……。……エル、さっきのコインこっちにもちょうだい?」
「いいですよ。二人分のお小遣いを持ってきているので」
「”ありがとう”。ウフフ。アノネ、エルと同じのをちょうだいな」
「へ、へい」
お店屋さんは驚いたみたいだ。
そしてホヌ様のキラキラ笑顔にホワーっと見惚れてる。
そして商売人として立派に持ち直し、私とちょうど同じくらいのフルーツ盛り合わせをホヌ様に渡した。
最初はかなり多めに盛ろうともしていたけど、ホヌ様だって食べきれないだろうし、お店の経営が心配になっちゃうから私が止めておいた。同じの、って言った彼女の言葉をそのまま受け取ってもらったほうが今回は嬉しいと思います、って。
「見て、見て、エル。買えた、買ったのネ」
「買えましたね。楽しいでしょう?」
「うん、うん」
ホヌ様はほんとうに楽しかったみたいだ。
彼女がぱああっと笑うのに合わせて、本来なら季節外れだったのであろうおおいかぶさった大樹の花が、やわらかく咲いた。ジャスミンのような香りがする。
「ひゃあ。この木は影ができて便利だけど外来種だから花は咲かないって聞いてたのになあ……」
「夏の魔法にかけられたのじゃ。夏に寄ってきてくれたのだろう。そうさおいら達の夏は素晴らしいからな」
「ホヌ様ばんざーい!」
「果物屋ばんざーい!」
「おうっ、じゃあお前さんたち誉れある果物屋で買い物してってちょーだいや」
「「「調子に乗るな」」」
どわわっと豪快な笑いが渦みたいに沸き起こった。
とっても気分がいいなー!
ホヌ様も楽しくなったのかステップを踏んで踊り始めちゃっている。
私は、どうやら獣耳がピンと立ったらしかった。
頭にかけていたスカーフがふわりと落ちてしまう。
あっ、と思った時、誰かが私の頭にとっさに帽子をかぶせた。
驚いて振り返ると、街の人に扮したカイル王子だ。
(こっそりついてきていらしたんですね……?)
(まあそうだろう。あなたたちを二人きりにするわけにはいかないし、ホヌ様はふとした時にエル様から目を離してしまったりするはずだと思っていたから。我らが島で危険があってはいけないですからね)
(過保護では?)
(わざわざエル様との接触距離感まで注文してきたフェンリル様には負けます)
ぱちくりと目を瞬かせる。ちょっと照れます。
なるほど、それで、カイル王子は私にけして触れていなかったのか……。
あくまで帽子をかぶせるだけだった。
そして用が済んだらまた民衆の中にみごとに溶け込む。
彼のけして奢らない民衆寄りの雰囲気と着慣れた平民服によって、成し遂げられた平和なんだなあ。
彼をじっと見ていたらせっかくの擬態が台無しになっちゃうから、私は目をそらそうとする。
そのタイミングでひらりとカイル王子から手が振られた。
どこかに行っちゃってもいいですよ~大丈夫ですよ〜ってことみたい。
せっかくのフルーツを食べる機会もこのままだと見送りになっちゃう。
街の人たちにかわるがわる話しかけられて、ホヌ様はそれにアイドルのように返しているので、フルーツを口に運ぶ余裕もなくなっているから。
人混みになってきて熱気が暑すぎるし…………よし、少しだけ涼しくしよう。
ほのかに雪を舞わせたら、みなさん宙を眺めるのに夢中になった。
その隙に私はホヌ様の手を掴み、走り出した。
「ウフフ、エルの足はどうしてそんなに早いのー!?」
「下半身をオオカミの足にしていたからですよ~」
そして変化をやめて、人の足に靴を履き直す。
反対の手に持っていたフルーツを冷やしてから、ニコリとして彼女の鼻先に持っていった。
「……わあ、ひやあ……って!ひやあって!これナニ?」
「アイスフルーツです。暑い夏には美味しいと思いますよ」
「ちょーだい」
「これは私のです。ホヌ様の方のも冷やしてあげましょう」
「やったー!」
「”どういたしまして”」
「”ありがとう”? ウフフ」
ホヌ様と私はそれぞれフルーツを口に入れる。
冷気が頬の内側をすばやく冷やして、きゅっと唇をすぼめて、夏らしくないけどかえって夏らしい、その冷たい甘味を堪能した。
お金のやりとりが楽しかったのか、ホヌ様は少しの間、コインをいじっていた。
これは金属製だしたくさんの人が触ているからあまり綺麗ではないかもしれないよね? ウイルス……がこの世界にどれくらいあるのか、ないのか、分からないけど、むやみに触り続けるのはよくないかもしれないからと手放してもらった。
この説明は難しかった……。
結果的には「エルが心配してるからやめとくネ」と言わせてしまったから、それはまた夏の王族のみなさまの心配と同じことをさせてしまったことになるし、うう~~ん調整難しいなあ!!と頭を抱える。
簡単に解決できることではないんだろうな。
それなら王族がうまくしてくれているはずだもん。
年齢的に大先輩で、しかも優しい大精霊を相手にしていたら、心配してしまうのは当たり前なのかもしれない。
でも、私がこの方に接するのは距離近めにするぞ。
気合いをいれないと圧倒されそうだ。
よーーーーーし!!ファイッ!!
……私がそんなことを考えているうちに、ホヌ様はフェンリル族の白金の夏毛が気になったのか、私の肩に頭を乗せて、白金の髪の毛先と自分の黄金の髪を比べて遊んでいる。
好奇心旺盛な方だから、伸ばしてあげたいと思うんだけど、それをどのように、どれくらい、って答えはまだ見えてこない。ゆっくり観察させてもらおう。
そうしてしばらく商店街の裏側の木陰でベンチに座っていると、ふと、小さな影が近寄ってくる。
民族衣装のようなものを着た女の子だ。
「ソーヨ! ホヌサマ、金属ナンカニ、触ラナイホウガ、イイ! アナタイイコト言ウ」
あの小声の会話を聞いてたんですかーー!?
どんだけ耳がいいの?
そして私はむしろホヌ様にお店屋さんごっこを勧めていた方なんだけどな。どうしよう。
おや、ホヌ様はこの子の事を知っているようだ。
読んでくれてありがとうございました!
8月25日のコミカライズはお休みです(。>ㅅ<。)
また告知をしますね〜!