29:国王というもの
夏の夜の王宮、屋上にて──。
海を一部持ってきたかのように広いプールは水が抜けていて、それなのにぼんやりと眺めながらゆりかごの椅子に体を横たえる国王の姿があった。
護衛もなにもいない。
ただ今はひとりになりたかった。
「なぜ、これまでお支えし続けてきた我らの手のひらからホヌ様が抜け出てしまわれるのか。神秘の自然と、うねる人の社会の”調和”こそを、我々はずっと目指していたではありませぬか。これまでも、これからも。我々は身を粉にして、夏の島が諸外国に消されないように尽くします。
島裏にて──いつの間にか流れ着いた人たちが知りもしないうちに消されていただなんて、おぞましい。世界が認めるはずもないでしょう」
独り言のようでいて、他の気配を感じ取って、わざわざ口に出したのだ。
ひょっこりと、迷子を装った双子の小王子が顔を出した。
2人はお互いを眺めて、
(いきなり現れて、空気の主導権を握るつもりだったのにね)
(シリアスな独り言を聞かされてしまったら、彼の意見を無視することはできないよね)
ずいぶんと外交にも慣れたのは事実だが、それは彼らとしては成長したということで、凄腕商人十人をまとめたほど人に会い続けていた夏の国王は、簡単に攻略できないラスボス級だ。
その経験の豊富さは幾重にも育った木の年輪のごとく、彼を頑丈にし、また同時に柔軟になりきれないでいる。
「「こんばんは! 夏の国王様」」
「お二人様、このような姿勢で申し訳ない。膝が悪くてな」
「うかがっております。夏の民は海で泳ぐことにより身体能力をキープできるのですけれど」
「ここ最近はホヌ様の体調がすぐれず海は泳ぐため使われず、また国王陛下はお忙しくおられたのですよね」
「父にも申し訳ないっていつしかジオイド王子がこぼしておりました」
「僕たち、とっても仲良くなりましたよ」
「そうですか。今後ともよろしくお願いいたします」
国王は昼間に比べて、まるで横たわる大樹のようでもあった。深く自分の内面に沈み込んでいるようなのだ。
体の表面に、夏の魔力がうっすらとある。
夜の冷気を体に届けず、暖かな夏の恵みを体に満たしてくれる。
けれども、それは国王の深いところにまで届きはしない。
体は、生き物である。生き物である以上、生きている部分にしか魔力は届かないものなのだ。
病気も抱えている。
国王は死期を想う。
そして、その体の痛んだところにさえ染みこんだものはといえば、これまでの経験だ。島からは目を細めたって見えないくらい遠くの、様々な国の使者に重なる約束事。若いときには時に喧嘩にもなりながら、必死に繋いできた縁がからまりながら沈殿し、たまに弱った心にも浮かび出るのだ。
咳をした。
何気ない風を装ったが、双子の王子はまた顔を見合わせた。
(この子たちは感覚が鋭い。大勢にもまれ始めてはいるが、体の芯にあるのは北の厳しい自然なのだろうな。野生動物かのように違和感のある咳を嗅ぎ分けてみせるのだ。政治の言葉は面白がって遊んでいるだけ……でも真剣さがやっと垣間見える頃、か……。
値踏みしてすまない。
きみたちは儂が隠したい事を言わないでくれているのに。
なんて、涼しげなのに暖かい眼差しだ)
夏の国王はようやく心が落ち着いてきた。
さっきまでは、考え事をしていると、この島で育った一人の男子としての自分ではなく、大世界での常識がわんわんと左右から意見をぶつけてきて、頭が割れそうに痛かったのだ。それがやわらいだ。
鳥が空を飛んでいく。
翼のうごきに目を奪われる。
あれは、鳥そのもののはばたきの美しさと、空を流れゆく風もあらわれているのだ。月からふりそそぐささやかな光の反射、その恩恵を受けられていない腹の色は影。
「美味しそうだよね〜。まるまると太って」
「北国だったら、氷の槍で仕留めて丸焼きだよね」
(こ、この子たちは、雪山での狩りの心得があるのだろう)
「「ミシェーラお姉さまなら一撃だぜ」」
(女王陛下が!?)
まさか、そこまでおてんばだとは思っていなかったため、国王はぎょっと目を剥いた。
(そのようなことが事実だとして、淑やかなレディを求める世界から見ればきわどいエピソードだろうに、口に出しても良かったのか。この子どもたちは無邪気そうにしているが、時として、わかっていて隙を作ることもあるのだ)
反射的に国王は思う。
(欲しい。婿に取るには……?)
算段を打切るには胆力が要った。
(面白くてうらやましい。今は、それだけにしよう)
しばらく耳を傾ければ、くるくると会話が二人の間で巡る。
「鳥は丸焼きもいいし、バラバラにして骨で煮込んだスープもいいね」
「もしまずい肉だったら、その辺の獣にあげちゃうかも。雪が降り積もってくだされば、冬には周りの栄養にもなるしね」
「そういえば、雪の中で見つかったものって人間の遺体もあったなぁ」
「フェルスノゥに向かって迷子になる人がいつもいるよね。どこの誰だか知らないけど、まぁでも埋葬してあげるだけいいじゃーん」
今咳き込んだのは体調不良のせいではない。
(この二人、絶対わかって言っとる)
おいおい、と、けっこうな露骨さに苦笑したつもりで、傍目から見れば、シワを刻んだ口元は微笑んでいた。
双子はすっかり話に盛り上がり、グレア仕込みのニヤリとした表情を浮かべた。
「勝手に国境またいで来たんだもん。侵略とみなされてもしょうがないね」
「まぁね、いちいち保護して直して差し上げても、うちの国が寒い貧しい退屈だって文句が多かったことも」
「それに比べたら、雪に埋もれて冬の一部になれるだなんて、誰かの手を煩わせなくても済むし、光栄なことだから、わざわざ雪山を訪れた人にとっては幸運なんじゃないの」
「あ、でも、今時は人は丁重に扱いなさいってミシェーラ姉様は言うかもしれない。クリスお兄様の真似をしてさ」
「クリスお兄様の考えの方がバランスいい時があるってたまに言うよね。お姉様は自分が雪国女王っていう珍しい立場を活かして、強行突破ってところに才能があるし」
「内心はミシェーラお姉様こそ思っていそうだよね、冬の一部になれるなんて光栄なこと、国境侵害してきたのはそちらだし、雪山において皆平等に生き物であるのに人だけ特別扱いされるのはおかしいって!」
(知らんかった遠方国家の内情、おもしれええ〜。たまらんわい〜!)
夏の国王のテンションも上がる。
「生き物が寒さに負けて栄養になる。それは実に美しい流れだよね」
「僕らだって、いつその流れに飲み込まれるのかわからない。みんな同じなのにね」
(これがこの子らの価値観なのじゃな。ふーむ……)
こほこほと咳をして、国王は喉の調子を確認した。
少しなら話せそうだ。
「聞こえてしもうたので、少しいいかい? その意見は、おそらく大勢に違うと言われてしまうよ。生き物という点でみな同じ、人という点でみな同じと言いつつ、身に付けているものや装備が違えば、何事かが起こったとき助かる確率が上がるだろう。それでは同じと言えない」
「わあ、お話ししてくれるの?」
「まだ世間知らずだから教えて!」
「あのねあのね、獣は、大きな牙を持つものも、小さな爪すら持たないものも、どんなものもいますよ」
「生きるもの全て救われてしまえば、肉食による連鎖はどうすれば良いのですか」
「野生動物にも差があるのですもの」
「それなのに、装備や身なりなんて意味はあるんでしょうか」
「「まだ子供だからわからないのです」」
「凝り固まった老人の考えだと思って、そのまま受け止めてくれなくてもいい。だが、より多くの人が持っている考えとして頭の片隅に置いてくれるか?
多くの人は、自分のことを獣よりも特別な存在だと思っている。
言葉が話せる精霊よりもなぜだか特別だと思っているところがある。大聖霊様に選ばれたのが人の姫君である、けれどもっと前から傲慢な生き物だったのではないだろうか。
そして、立場や見なりを強く持つもの、王族や貴族、豪商、それらは同じと言われることを嫌うものだ。誰かと違う存在であろうとしているのに、それを否定されるわけだから。
同じではない、と言うものは、同じではないと言うことにしておいてほしいんじゃよ。明言しなくとも察してわきまえていて欲しい。そのような大人が多いんじゃ」
「「納得できない〜!?」」
「納得できることの方が少ないんです」
ほっとしたように、国王は目の周りの力を抜き、シワの掘りを深くした。だらりと脂肪が下に垂れる。それと同時に生命エネルギーも発散されてしまったかのように、しおらしく感じられた。
恥じてもいるのかもしれない。積んできてしまった人の在り方を。
「でも、知ってることは多い方がいいもん」
「そんな考え方があるんだって教えてもらった」
「「ありがとう。同意はしないけど!」」
「聞いてくれてありがとうね」
国王は再び目を開く。
「お二人はお気をつけなされ」
「「何に……?」」
「このような考えを持つ者が確実にいること。人数が少なく見えても、ありとあらゆる金融や物流、戦力を駆使して、雪崩のように押し寄せてくることもあるでしょう」
「「どうして自然に近いままでいられないんでしょう?」」
「隣にいる子が死んでしまい、そうでもしょうがないと思いますか?」
「そういうこともあるでしょ?」
「僕たちは、生き物です」
「でしたら……我々に近い感覚を持っていそうな冬姫エル様でいらっしゃればどうなさると思いますか?」
「最後まであきらめないような気がします……」
「生きていてほしいってすごく力を尽くしてくれそうです……」
「けれどね、待って、彼女はまだ幼い冬姫です」
「フェンリル様であれば、そのようにはおっしゃりません」
「「人は生き物であることをやめられませんよ?」」
「辞めたいと思っている者たちもいる。覚えておいて、お気をつけなされ」
国王は深く息を吸い、言い切ったように、目をつむってしまった。
それから夏の風は椅子をゆりかごのように揺らし、彼を眠りに誘う。そのまま死なせてしまうためではない。まだこれからもやるべきことのために彼は眠り、細々とエネルギーを蓄えているのだ。
積み上げてきた。この経歴のために。
保ってきた。この夏の島のために。
カイルは取りこぼしてしまったけれど。
その穴埋めは、冬の国との縁で補えるならば……。
腹の底で思い描くのは、冬姫エルの姿。
言いくるめれば同情して理解を示してさえくれそうな、賢くてもからまわり、まだ幼く愚かな姫である。
二人はぶるりと震え、室内に帰ってきた。
そしてとぼとぼ、自分の部屋まで歩いて行く。
「なんだか、まだ上手にできなかったね」
「できることも増えたはずなんだけどな」
「ビーチバレーをするって約束は取り付けられたんだけどね」
「ジオネイド王子、ちゃんとやってくれるかな〜。お父様に言い負けませんように」
口をへの字に曲げて通り過ぎていくと、夏妖精が服の裾を引っ張り、廊下の角を指差した。
息を潜めて、声をさぐる。
──今後責めるのはその点で決まりですな。
──人を知らぬに消されていたなんてとんでもない、っと。しかも誰だかわからないなんて、ふふ、都合がいい。
──我々の商船だったら、どうなっていたと言うのか。これが一つ。そして自国の迷惑権力者をバカンスに連れてきて消し、罪を押しつけるのもいい。いくらでもできますな。
──安全確保されていないのは秘境の島だから、とか。
──冒険感を出す富裕層向けツアー、いいですなあ。どれだけでも金が余っている層からは搾りとり、世界に放出する金巡りこそが、人にできる”大精霊のかわり”。
──島裏の未開拓人の長というのが、馬鹿馬鹿しい見た目であることもよかった。あのような未文明を恥ずかしいものとして夏の国王に吹き込んだ甲斐もあり亀裂も走った。
──まだまだ、夏にははたらいてもらいたい。
──冬も手に入れられたらラッキーですな。
ジェニース・メロニェースが部屋に転がり込んでいく。
鳥の羽が入っていてリネンで包まれたさらさらした枕を、ぼふんっと、頭にかぶり、文句を叫んだ。
「ば──か! ば──か!」
「あんな大人になりたくない。あんな大人よりも権力を握ってやる」
「ボコボコにしちまえ。今すぐ殴りたい右の拳、未来にしとけって慰める左の拳。む────!!」
「でも、夏の国王が抱えているわだかまりの正体がわかった気がする」
「廊下であんなことをぼやいちゃう油断を誘うくらい、夏の王宮には他国の権力が及んでるってこと!? むーかーつーくー!」
「メロニェースはああいう人と約束事をすると思う?」
「僕はやらないし、ジェニースも、国王もやらないよ。約束したのは別の連中、でも身内かコネにいたバカを連れてきちゃったんでしょう」
「それでも約束事の利が大きいと読んだんだろうね」
「なんだって社会ってこうなのさー!! 雪解け水飲みたい!」
「ひとまず冷水を頭からぶっかけてやろうよ」
「あいつらに?」
「あいつらに。国王も含めて」
「弱った爺様、死んじゃうんじゃないか?」
「そのためにジオネイド王子が育ってるんだから大丈夫、なんとかなる」
「あれだね。僕は内側に向けてまずアクションするけどさ。ジェニースは外側に向けてアクションするよね」
「言葉にむかつくって出ないぶんね、動き始めちゃうんだよね」
「どうしたらいい? 協力する。ビーチバレーでしょ?」
「カイルお兄ちゃんにもさあ」
「あー」
「ね」
その夜、ジェニースとメロニェース双王子は早く眠った。
ぐっすりと。
そして早朝、ぱちりと目覚める。
入れ替わりで王宮に戻っていたエルたちに置き手紙をして、いざ外へ。
にこにこと駆けてくる双王子を見ることになったホヌは「あの子たち太陽みたいな笑顔ね」と言い、カイルは「覚悟が決まったやべーやつの表情じゃん」と頬を引き攣らせ「うちの島がすんません。そーなんでしょう」「「いえいえ両国の友好のためですものー!」」握手をしたのだった。




