28:長であるから
長なのだから、と、呼吸を整える。
大口を開けているカイルの向く方を眺めるまでには、しばしの時間が必要でもあった。
何やら得体の知れない空気が近寄ってきている、とは察した。
しかし、酒で頭が回らない。
夜の守人族の長もいうものが、実は、酒に弱いだなんて悟られてはならない。威厳を失いかねないため、そのような疑いをごまかすための作法を身につけた──。
そのように取り繕ってきたことを、思い知るようでもあり、内心酷く落ち込む。
「あの、いいのですか? いや、よくはないでしょうけど! フェンリル様たちにこちらから声をかけるなど、一緒に試みてみますか? あっ、なんかフラフラして……風に流されかけているんですかねー!?」
など、慌てたカイルの声がかかる。
ここで、仕方がないな、と言わんばかりにようやく緩慢に動いた。あえてゆっくり待っていたというように、下の視線は斜め上にかけてじっとりと、にらみをきかせた。
相手方は大精霊の方々であるとはいえ、夏の聖域への侵入者でもあるのだから、これぐらいの態度でも、彼女たちならば、しかたがないと理解を示してくださるのではないか。
あのような白く膨れ上がった雲のような……南では見たことがないほど繊細な、雪雲とはあのようなものだろうか? 幼き肉食獣らしき造形のこぢんまりした鼻先がぼんやり見える。この辺りよりももっと北の、空気すら凍えるという土地を想う。
ぼんやりした視界でも、やはり冬の大精霊であるとわかる。
あの雪雲は、フェンリル族の中でも引き継ぎをしている姫君の方であろう。
あれほどの魔力を扱う超自然的な存在が、我らのような木端をめがけて、風の震えを言葉に変えてまで語りかけてくることには、不思議な気持ちになる。
薄青の瞳はひたりとこちらの檻を見て、しかし決して睨んだりはしていなかった。だからといって獣のような知能清らかでものを考えない瞳というわけでもなく、じっとこちらをわかろうと見つめてくる視線に気まずさを覚えた。
森の伝統に深く浸かり汚れも含むこの体で、言えぬことも悔やむこともたくさんあることを、申し訳なく思う。
「え、ホヌ様」
「カイル〜!!」
体の芯から冷えていった。
──自分は、あの白い塊のうしろにホヌ様がいると気づくこともできなかった!
周辺全体が冷たい空気で包まれていたから、と、言い訳も頭によぎるが、それでもカイルは気づいたのだ。
こちらはできなかったのに。
自分たちより、よほど薄いつながりのはずだ。
夜の守人族の長というのは、夏亀様のことを第一に想う意思を継いだ、末永い継承者である。何代にも渡り繋がっていたのだ。
それでも選ばれたのはカイルだ。
……魅力的な人間である事は、これまでの会話で嫌になるくらい思い知っている。
近くにいれば、気持ちを明るくさせる人柄や、表情の使い方、絶妙な空気の運びかた。冷たい水たまりで泥にまみれてもまた起き上がる熱いエネルギーを持ち合わせている。夏の魔力に愛されて、多くの夏の魔力を体に秘めて生まれた。
どうだろうか? 妻のすべてと自身を合わせて一丸となり、ようやく魔力の同量に達するかどうか……という感じがある。
──そんな逸材をホヌ様は見つけやすいし、ホヌ様のことを見つけやすいのもまたカイルなのだろう。
ため息の1つぐらい許されたい。
ホヌ様は、檻の向こう側から木の柵のすきまに腕を入れて、カイルに手を伸ばした。
「今、カイルがいないと熱くなれない」
「そうなのですね。承知いたしました。お側に」
おい、もっとましな言葉を選べ。
……まぁ、仕方がないのだ。商才などもろとも一代で身につけた男だから、恋愛遊びなどしていなかったのだろう。軟派の男よりはマシだ。
カイルも手を伸ばし、ホヌ様と指をからませる。
くそ、あいつ体幹が保たれていて、ずいぶん酒に強そうだな。
こんなのはただのやつあたりだ。わかっているさ。
気に食わない。あいつは優れた奴なのだ。
そうしているうちに、縮みはじめた雲のような、幼い狼が前脚をふってこちらにアピールしてくる、
彼女にしか理解できないであろう言語を選ぼう。
潰れた声で、話しかけた。
『こちらは強い酒に酔った状態だ。まともではない対応をしかねないから、フォローしてくださらないか』
青の目はふわふわと瞬かれた。
彼女ならば北国のよそ者だし、それ以前に大自然そのものであるので、夜の森人族の恥や外聞なんて当てはまらない。恥でしかないが、この場で最も助けを求めやすいのは、彼女である。
冬姫エル様は首を傾けた。背に控えていたフェンリル様と触れ合うことで、何やら意思疎通をしたようだ。
「私、少しずつ小さくなるから、全体が見えやすくなるまで、ちょっとお話ししませんか?」
……その話し合いは、カイルじゃなくてもいいのだろうか。いや、カイルの誘拐犯だからこそ、夜の守人族の長を指名してきたのかもしれないが。
いや、いやいや……。
…………。
…………。
カイルがホヌ様にまとわりつかれており、忙しそうだ。認めたくはないが、隣でイチャイチャとしているため、長しかないと判断されたのだろう。
腕をからめたり、頬を近づけてみたり、これは結ばれたばかりの夜ならば仕方がないだろうが、見たくはない。
視界に彼らが入らないように距離を空けながら、空気の中に鋭く声をひそませた発声で、口をわずかに動かし、相手の耳まで声を矢のように飛ばす。
『カイルの隔離はご不満でしたか?』
「え! まぁ、はい、そうですね。いきなりのことでびっくりしました。とはいえ、今夜の状況に至った理由はわかります。あなたはジェラシーに囚われて暴走する人じゃないと思ってる。考えがあったのだろうから話そうと、そのまえに、道中にホヌ様に相談に行ったんですけどね」
ここで直接会いに行けてしまう。
しかもそれが同格として理にかなっているとは、未だ信じられない心地だ。大精霊が大陸を移動するなど想像もしなかった未来だ、
「ホヌ様、すごく寒がっていて、夏の海辺にいたのに青くなって震えていたんです」
後悔が押し寄せるが、謝らない。
やるべきことだった。
しかし…………!
口を引き結んでいると、冬姫様は続けた。
「恋は気づいた時が一番燃え上がるものでしょう?」
知らんがな。
「”その時”を逃してしまって、しかも人の動きを優先してホヌ様は我慢してしまったから、調子を崩しました。
え、フェンリル、何?」
言葉を切り替えたのかもしれないが、彼女の声はどのようなものでも理解ができた。
以前から不思議だったが、自然の真理の存在であり、かつ四季姫としてなじむ途中であるらしいから、どのような者にも伝わる言葉を持つのではないか……と推測している。
「あのですね! いずれにせよいつかきたことなんですって。ホヌ様はたくさん我慢していたから、このような不調が起こって当然だと、フェンリルから伝言です。せめて手の届く今のうちに、不調を教えてもらえてよかったと……」
カイルがいなければ。
そのような気持ちはずっと、あった。
執念深い疑いが、霧散していく。
ようやく胸のつかえがとれた。
彼女はこちらの様子に目ざとく気づいた。
不安や疑心という状態に、殊更敏感な方だと思う。
「みんな生まれてきてよかったし、傷ついたなら直せるように協力していきましょうね〜! どうですか?」
「ご意見を求めて下さるのならば。嫌いなものに対してもそうおっしゃるのですか?」
たまらず口をついて出た。
カイルも驚愕の表情でこっちを見ている。
しまったなと思うが、我慢がむずかしいとはこうなのだろう。
フェンリル様が不愉快そうにしておられる。もはや働きを間違えた長など、彼の一存で罰してくれれば、などと投げやりになりかける。体温がひどく冷めていき恐ろしく気分をナイーブにさせていた。
ふと肩のあたりがあたたかくなる。ホヌ様がこちらに手を向けて、熱を送ってくれていた。彼女らの優しさに触れていつも驚くのだ。
冬姫エル様が言う。
「私は嫌いなものでも、他の人は好きかもしれない。そういうつながりをたどっていけば、いつか自分の好きな人たちにもつながる……。だから、皆さんが幸せでありますようにと願いたいよ。フェンリルとしてもこの姿になる前の私としても、今は、そう思うようになったの」
ハッとさせられる、
彼女たちが今の姿になる前、普通の人間からなるのだ。
そのようなこと、あまりに美しく神秘的な姿を見ていれば、人は簡単に忘れてしまう。彼女らは完璧だと錯覚するし、憧れに目を膨らませ、彼女たちを傷つけた結果が、今の不調……なのかもしれない。
そういえば、なぜだか、冬の女王は男子のようだが。まぁ、いかなることにも、例外はあるものだ。
現にホヌ様が、檻を頭突きでたたき割り、中に入ってこられた。これはまたカイルに夢中であられる。
これまでの彼女にはなかった攻めの姿勢に驚愕するも、懐かしい。
長に成るものとして初めて彼女と会った時、水を弾いて現れた力強さ、近年めっきり穏やかになられた姿に上書きされて忘れていた原初の憧れが、色鮮やかに蘇る。
「カイル、カイル」
「は、はい。俺は何をすればいいですか?」
「抱きしめ返して、恋人がするみたいに」
「こうですか?」
「亀の甲羅がきしむ位に」
「結構、背中が、硬、い、で、す、ね、しかしご要望には応えたく……!」
「お二人さんちょっと待って、隣にいる長がびっくりしちゃってるから、それぐらいにしておいてあげて。せめてもうちょっと目の届かないところにしましょう? よろしくお願いします!」
「余計な気遣いを」
正直助かったな。
しかしホヌ様は恋する姿も綺麗だ。
人のような心は、お可愛らしくもある。
ああ、酒も抜けてきた──。
人型になった冬姫エル様に向かって、姿勢を正す。
「この檻はもう意味をなさない。カイルがお望みとあらば、彼を返しましょう。大自然のご意志なのであれば、樹林の伝統も取り下げます。償いが必要であれば、我が命も捧げましょう」
「長! ソンナコト 言ワナイデ……」
「やっぱりお前か。ボアナ」
ちんちくりんの娘が駆け寄ってくる。長の前に出る時は礼を忘れるなと教育されているはずが、あわてんぼうのあの娘らしく、そんなことも忘れて寄ってきては腕を引っ張る。
そして、ただ頭を横に振る。
「ワカラナイ ワカラナイ ドウヤッテ言エバイイの この気持チ。樹林ノ言葉ジャ足リナイ。言葉ニナイ イッパイノ気持チ ドウシヨウ!?」
フェンリル様たちといることで表の言葉を覚えてきてはいるようだ。
守人族が街へ出ていく理由の大半は、これだ。
意味を変えてしまわないように厳粛に繋がれてきた言葉や文化は、昔は新しく華やかだったろうが、世代が進めば、古くつまらないものに感じられてしまう。その上、我らの伝統文化が花開き、賞賛を浴びるような場所を作ることもできていない。
そうするには、表の者たちとの交流が必要だからだ。
「あ、それならちょうどよかったんじゃないですかね」
「待っ……お待ちを。なぜ、そのようにこちらの考えを知ることができているのですか」
「あー、お酒飲んだんですよね? そのせいかな、長の魔力がものすごく濃くなっていて〜」
受け継がれてきた伝統酒は、今この時に力を発揮したらしい。
少し脱力する。
「どのようなことを考えて活動しているのか、私たちには手に取るようにわかりますよ。ホヌ様にも」
合わせる顔、ないのだが!?
何やら手の指を2本だけ立てたポーズをされる。ピース、と言っているが、知らない文化だ。新しいものがことさら美しくまぶしく見えてしまうのは、仕方のないことなのかもしれない。
彼女を守る方法も、おそらくこれから変わる……。
どうすればいいのかわからないのはボアナだけではなく、俺も同じだ。伝統は彼女を守るためにあり、これからは新しいルールを作っていくしかない。
そのようなことができるのだろうか。
足がすくむ。また酔いに負けてしまいたくなる。
しかし、それでは、妻や子供、親族など、共に生きてきた者たちへの義理が立たぬ。
立ち上がる。
「かっこいい人だよな。ほんと……」
カイルが、溜め息とともにつぶやく。
お前にはこちらの情けない内心が届かなくて、よかったよ。
恐ろしくも新しい夜明けがやってくる。
月の輝きを海が吸収して、驚くほどに光っている。ホヌ様の心の喜びに、夏の島は包まれる。みな、夏の魔力をもつものは、心に楽しいさざ波が訪れる。
「夜の守人族の長。あなた、さまざまなこと、これからのこと、きっとうまくいく」
「はい」
「気をつけてくれてありがと」
「っ」
「私、遊びたいナ」
「あなたのためになるのでしたら」
「遊ぼう! あなた達は樹林チーム」
「……………………??」
ホヌ様は、暗闇を次々に指差して、見張りたちの方を向いていた。見つめられた我らが同胞はあっけなく舞い上がり顔を真っ赤にする。大精霊に見つけていただいたのだから、その歓喜はどのような言葉でも言い表せるものではないだろう。この感覚を言語化するなどおこがましいまである。
「丘の上は、王族チームで」
「白黒はっきりつけろということでしょうか?」
「違うの。第三勢力として、私とカイル。それに原生生物たちの精霊チーム」
「なんですって?」
じゃーん、と冬姫エル様が前に出れば、彼女の背後には、これまで姿を表すことがなかった原生林の精霊などが一斉に見られた。
もう、あたりに魔力が満ち満ちて息がしづらいくらいだ。
「それから、第4の勢力は街の力自慢チームでしょう。第5チームは観光チーム」
「ここに我々も入ろう」と、おそらくフェンリル様の手を挙げるしぐさ。
「一体、何をするおつもりで……?」
すわ、戦か?と畏れながら尋ねたのだが。
つやつやと調子がよさそうなホヌ様が、はつらつと説明してくださる。いい声だ。
「みんな子供の頃に一度はやったことあるよね。丸い木の実の殻をボールって呼んで、蹴ったり叩いたりしながら、パスをしていく。そんなゲーム。私も……おそらくやったことがあるんだ……。はっきりは覚えていないけれど、すごく歴史が古い遊びで、夏姫に成る前にも流行っていたはずだから」
ホヌ様は両手で軽くボールを投げるような仕草をしてくれた。
「それでゲームをする、と? しかし失礼ながら、表のものと裏のものでは身体能力に大きな差があり、勝負にもならないでしょう。また魔法を使うならば、大聖霊様達の圧倒的有利となりますがよろしいのですか?」
「君はいつもフェアに物事を見るね。えらいね」
「そのようにおっしゃられてはならないかと」
「そうだね。夏亀はこんなふうに個人を贔屓したらダメだって言われてたけど、我慢しすぎたらもっと調子が悪くてダメになっちゃったから。少しだけ、許して」
すらすらと本当に調子がよさそうだ。
「もちろんでございます」
大精霊様が願うことを止める権利など誰にもあるはずがない。
この方はこのようなささやかな願いさえ、我慢されてきたのだと、我々も無意識に要求してきたのだと思い知り、ゾッとする心地だ。
これからは。
きっと。
「あのですね、場所をできるだけフェアになるように、プレイは砂浜! どうですか? みんな慣れていない土地です。
さらにルール追加。
四角形の枠をふたつかいて、間仕切りをたてます。間仕切りをはさむ形でボールを投げ合い、相手の四角線の中にボールを落とせたら一点。時間内に、多くの点を取った方が勝ちです」
「ビーチバレーっていうんですって! あなたがたもやりましょう」
うなずく以外にない。
「王族との調整はしておくからね」
かゆいところにも手が届く対応だ。
「カイルを連れていくね」
「……どうぞ。ふつつかな奴ですが……」
「え、ちょ、そうくるんですか」
「このものは、ホヌ様のおわす夏島のためならば、捕まることも厭わぬ立派なものでした。夏の民として、夜の守人族の長として、このものの人となりを保証します」
ホヌ様はあの綺麗な夏の月よりも輝く太陽よりも、綺麗に笑う。
「ありがとう。また、一緒に、夜の散歩などしましょう」
「えぇえ〜!?」
カイル、アホ面はやめろ。
自分も同じような顔になっていないか心配だが。
「みんなで」
カイルの方もいいなりと見せかけて、ホヌ様に意思表示くらいはできるらしい。しっかりしていてくれよ。
「またこちらにいらっしゃる機会もあるのでしょう? 今は失礼ながら今体調が万全ではなく、散歩はまたの機会に。貴女様に失望されたくないのです。お許しください」
「わかった。でも、失望なんてしないよ。あなたたちも自然の一部。失敗ではなく、いつもと違う結果があったというだけ。一緒に生きていきましょうね。」
騒がしく大勢が去った樹海の森──。
昨日までと同じとはまるで思えない位、木々のささやきは柔らかく、たゆたう空気は風通しよく、きっとあの怒涛の来訪が、この樹林に立ち込めていたよどみを吹き飛ばしてしまったのだ。
ビーチバレー。
一族で練習してみるか。
みながそろう遊びなど久しぶりだ。
ボアナと共に集落に帰って説明をすれば、歓喜の声が沸いた。
読んでくれてありがとうございました!
2024年11月25日のコミカライズはおやすみです₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑
来年、おたのしみに待ちましょう!




