27:原生林の籠
原生林にとらわれてしまっているわけだが、仕方がないと諦めもつく。
俺はカイルだからな。
つまり、神聖なる夏の大聖霊様に近づきすぎたもの……そのための嫉妬を引き受けることも、道理であろう。
視界は暗い。
床をさわればざらざらした木の質感。
どうやら、原生林の頑丈な木で作られた籠の中にとらわれているらしい──。
原生林の空気だとすぐにわかる。魔力の質が島表よりも濃いからだ。いや、古いと言った方が正しいのかもしれない。新しいものやよそものが混ざることなく、脈々と受け継がれてきた、昔から変わらぬ、足腰のどっしりとした純粋な魔力。
夏の魔力は軽やかで明るい感触なのだが、ここの原生林の夏の魔力はといえば濃縮されたカオスであり、ここにいるだけで体が重苦しい。
たしか、と、ここに連れてこられるまでの様子を思い出す。
ホヌ様と共にいた時に、ふと、記憶が途切れたんだっけ──。
何かしらの意識干渉をくらったのだろう。
体のどこも痛くはないか。暴力では無さそうだ。衣服の乱れもない事から、むしろ丁重にこの場所まで運んでもらった、と感じられる。
ホヌ様のお心を乱さないためにも、彼女の前で、俺にひどい扱いをできなかったのだろう。そして彼女を悲しませないためにも、ここに運ばれて行く理由を言ったはず。
夜の守人族の人たちは、嘘をつかない。
ホヌ様が納得なさるほどの理由があるのではないだろうか。
「であれば、ここにいる俺も、まず安心と読める……」
口に出して言ってみれば、暗闇の中ざわめくような気配が3つほどあった。
見張りがつけられているらしい。
まぁ、そうだろうな。
では、これからその見張りを揺さぶるための事は口に出そう。そうではない事はのんびりと考えさせてもらうとしようか……。
何せ、最近忙しかった。
業務的にやらねばならぬことを終わらせるのではなく、自分がどのように動きたいのかとゼロから探さなければならなかった。それは心の中を深く潜っていくような孤独で難しいことだったし、見つけた本心を受け止めるだけの勇気も必要だった。
さらにこの島を傷つけるような出来事も同時に起こっており、俺の本心をフェンリル様たちに連絡もしつつ、事件ではうまく立ち回るためのポジションを探り続けた。
まったく、すべて自分で終わらせたほうが楽な位だった!
しかし……俺よりも上等な立場を持つ権力者たちがこの島には混在していて、メンツを潰さないように、実力の足りていない人はこの事件から経験値を得られるように、譲り、かといって取り返しのつかない失態につながらないようフォローしなければならなかった。
幸いなのは、小さな北の王子たちが政治的思惑に敏感でよく働いてくれ、フェンリル様たちが独自性を活かして味方してくれたことだ。
「あー……大変だったなあ。疲れた。この暗闇の中眠ってしまいそうになる。しかし原生林特有の、虫や夜の小動物が襲いかかってくるかもしれない中で、ゆっくり眠ることが危なかろうよ。俺ってば脆弱な都会人だしナー」
少しわざとらしかっただろうか?
しかし暗闇の中の気配が動く感じがあった。
おそらく、周りの小さな生き物たちを、俺に寄り付かないようにしてくれているのだ。
ありがたい。
ジオネイドとコーラルはこれからうまくやれるだろう。
ちらりと見たとき、決意を抱いたもの特有の表情をしていた。
誰かのことだけ考えているときに、あのような顔つきになる。自己中心的さがない顔つきは、きらめいて見応えがある。
興味を惹きつけられる。
かっこよくてさ。
だから、商店街の者たちもジオネイドとコーラルのほうをきっと見てくれる。
そうなれば、王族としての教育の活かしどき。
教科書通りの知識を、現実の経験にすり合わせていく時がきたんだな……。
唯一民衆に親しい血族という俺のアドバンテージはなくなってしまったが、それでもいい。
幼い頃、夏の王宮に誘われた時はもちろん期待もしたし、ジオネイドやコーラルよりも重視されている事は正直なところ気持ちが良かったさ。
でも、この島のためを考えるならば、ずっと島に尽くしてきた国王の正当な子孫たちに、良くしてやりたいと大臣や豪商は考えるし交渉もスムーズだろう。
親と同じ在り方を求められることはきついはずだ。
俺のように、例外的な子だから、という変化球も通用しないし。
父王と同じことをして当然と期待される。
プレッシャーは俺の想像を絶するのだろうな。
それでも、ジオネイドとコーラルは「やる」という表情をしていた。そのことをすなおに尊敬したいよ。
……まだかな?
……まだ周りからのアクションはなく、俺はほったらかし。もうしばし夜闇の中で考え事をできるのだろうか。闇は安らぎとはよく言ったものだ。
俺は、
ホヌ様のおそばで働こう。
王族ではなく。
夏の商人連合のためでもなく。
夏の大聖霊たるホヌ様がいらして、彼女の存在に俺は感銘を受けていて、彼女が暮らすこの夏の島を健全に保つための努力をしたい。
する、という決意や義務感ではなく。
したい。
俺が心の奥底で見つけ出した気持ちである。
受けとめたよ。
でも、今だってまだ、おそろしい。
一方通行でもない。
望まれてもいる。
信じられない心地だ。
正直訳がわからないよ。
想像もしなかったことが起こる時、人の顔に現れる”ある表情”があった。春の国であの細面の王子が浮かべていたような表情を、今の自分はしているのではないだろうか──。
彼の場合は、国が悪くなるのはしょうがないと思っていたけれど・思いがけず良い未来がやってきて、心地よいあきらめに遭遇した晴れやかな顔。
だから俺もおそらく──。
籠の外に、荒々しい気配が現れた。
「なんだ、カイル。怒ったような顔をしているな」
自分のことを見誤っていたらしい。
「怒ったような顔でしたか。すみませんね。夜の守人族の長どの」
「していた。不満そうだ。何が不満だ?」
「うーむ、不満そうって自覚もなかったもので、これから探していくことになります……。自分は不満に思っていたのか。それならば何が不満なのか」
「商人の煙に撒くような語りは嫌いだ」
「少しでも気を抜けば、あなたの望む方向にいつの間にか意見が引き寄せられる傾向があるんですよ。長どのは、あまりにも話をするのが上手い。カリスマ性とかセンスとか、そういうのに魅了されてしまいます」
「……それが国王にも通じれば良かったろうにな?」
皮肉だ。
獣のように長は笑い、しかしそれもまた人を惹きつけるリーダーシップとなるので心底感心する。
「カイル、怒った表情でセンスなどと言われたら、けなされているような気がするぞ?」
「ええ、俺ってまだ怒った表情してるんですか……? 困ったな……夜の暗さで見えなかったってことになりませんか」
「ならない」
「残念」
「でも、お前がこれまでそのような表情を向けた事はなかった。面白い」
檻の中に、長が入ってくる。
俺は少し後ずさって、彼が十分に座れる分のスペースを開けた。
そうでなくとも、檻はそれなりに広く、成人男性が2人いてもゆったりできる。
また、大木の上に檻は設置されている。
大木の幹と、枝分かれしている安定した場所に、頑丈な木の籠を乗せるようにしてあった。安定感がある。
地上からは3メートルほどだろうか。
こんなところまでちょっとしたジャンプ一つで登ってきた夜の守人族の長は、体の使い方がとんでもない、春の一族の体使いにも似ている。
と、降ってわいた勘ではあるのだが……。
長はこの身体能力を持って、ホヌ様のための側近みたいなことができるのではないだろうか。聞けば北のフェルスノゥ王国には、冬の大精霊の側近としてユニコーンがいると言う。それは人間の姿に変わるそうだ。
彼は首を傾けた。
「? 今度は奇妙な表情をしている。眉間がむずむずと動いて、さては、呆れるほど大量の思考をしているな。カイルはそういうところがあるんだ。こっちへの疑問があるなら解消してやろうか。さて、質問は?」
「もしかして精霊の姿になれたりはしますか?」
「…………。おいおい。攫われたことについて、だと思ったのだぞ」
長は、これまでどこを旅しても見たことがなかったほど表情を歪めに歪めて、嫌そうな顔をした。
あ、これ当たりか。
「…………。お前はこちらの味方か?」
「ホヌ様のお心を曇らせるようなことをしたくない、信念はそこに」
「いいだろう。しかたない。無断で連れてくるようなことをした詫びだ。だからこれで許せよ。さて、精霊になれるのか、だったか。そうして利用価値を探りに来るところや、言知を取ろうとするところが、商人だよ。お前は」
「今は恋する若者のつもりです」
「やかましいわ」
それゆえにホヌ様のためになるかを知りたがっている、商人の動機ではない、ということでここはひとつ。
俺が怒った顔をしていたならば、それはおそらく、ホヌ様がご無事であるのか彼女に会って確認したいだとか、その、つまり、愛情の発散をしてしまっていたのかもしれないので……。
「少し心構えがいる。この話をするのはな。深呼吸するから、まて。ふーーーう……」
さっきから俺の周りに気配が増えており、人々が耳をすませている。
長は檻の出入り口にもたれかかりながら、言った。
「別の姿に変身できる、原生林に伝わる夏の魔術でな」
「魔術! それぞれの人が己の力を使うことを魔法とするなら、場所と手順によって行う変化を魔術というのでしたね。濃度が濃い自然魔力の助けを借りてようやく行うことができる強力なしくみ。
この島にもあったとは知りませんでした」
「わざわざ言っていない。公にすれば、商売的な視線で俺たちを見ないと言えるか」
「誓えませんね」
実行しなくとも、まずそのような視線で彼らを測ってしまう事は避けられないだろう……。
意思やルールで気をつけようとしても、強欲に負けて実行に移すものが現れないとは思えない。各地を商人としてまわって気づいた。人たちが積んで高めた現代社会は、残酷な欲深さを生むのである。
「教えてくれてありがとうございます」
「ふん。そのようなこと、どうして知りたくなったのか聞いてやる」
「ホヌ様のところから俺を連れ去ったことと関係があるのかと思いまして……」
「連れ去ったのは伝統に乗っただけだ」
「その伝統は、とうかがえると助かるのですが。あなた方のところは神秘が多く、明かさないように気をつけられていますし」
「今となっては地位なしの小僧だから聞いてしまえということか」
そうです。
「伝統については教えられない。しかしこれについて、俺独自の考えを述べることならできる。ホヌ様に近づきすぎた人間を引き離すことは、その人間に別の人間が群がるのを防ぐという効果があるのさ」
あー……そっちか。
「俺がホヌ様への想いを心変わりすることなくとも、たとえば、家族や部下を人質に取られたり、いいことを装う甘言に騙されたり、俺がホヌ様の弱点になるのならばよろしくない。
そのような感想を抱きました」
「話が早くて呆れるわ」
長は、持ってきていた瓶に入った液体を、まずは彼が一口のみ、それから俺のほうに差し出してきた。
ためらってはいけないやつだな。
彼とはホヌ様を傷つけないことで同意している。
それだけは信じられる。だからやる。
瓶をもらい、ためらいなく同じくらいを飲む。
中身は水だったようで、味もなく、するりと喉を通り抜けた。
しかし、猛烈に体をふらつかせる感覚が襲ってくる。
原生林の魔力が溶け込んでいたようだ。
いかによその地域の水になれた胃袋の頑丈な俺とはいい、これは、きつい──!
「はは、原生林の生き物となった感覚が広がり、この森のことをどこまでも広く感じられるだろうよ。近づいてくる悪意あらば、木々がそれを教えてくれるし、原生林の仲間となったカイルを守るために生き物も動く」
「ありがとう、ございます」
「まあ、きついだろう。すまん。国王に対する反感はあってな」
「あんな風にあなたを見るべきじゃなかったですよね」
「全くそうだよ。カイルに代理で謝ってもらっても、イライラは全然収まらないね!」
「そりゃそうです。さて、祝杯を振る舞ってもらったからには、ここはプライベートの場ということでよろしいか」
「……お前、順応が早すぎやしないか……。
ったく、しかたがない。ここにホヌ様のお心を守る補佐とホヌ様の御身を守る戦士と彼女の存在を全て肯定する原生林が揃った。めでたいな! な?」
「え、俺の方が補佐なんですか?」
「少なくともその程度の体で戦士はやれない」
「ホヌ様は、商店街の方にも行くかも」
「行かないさ。お前がここにいるんだから、ホヌ様は原生林のほうにおられるのが本来自然なのだと伝統の歌にもある」
原生林に楽器の音が重なり響いた。
この”決着”に満足した原生林の住人たちが鳴らしたらしい。
表の者たちの歌とは程遠く。
一つ一つの音が、長ーーーく響く。不思議な音色の楽器、大昔の夏の夜はこうだったのではないかと思わせる。濃くて深い音色であった。
この島の裏と表が、昔は同じ血族だったなんて、不思議な気持ちになるほどだ。
俺は、ここでしばらく待とうと思った。
夜の守人族のように、生活を長く守ってきた者にとって、今回は様々なことが矢継ぎ早に起こりすぎていた。彼らには受け止めるための時間がいる。
その時間を少しずつ加速してあげるために、俺がここで長と様々な話をするのが良いだろう。人は語らい合うことによって考えを早めることもできる。
彼の心臓が驚くほど、ゆっくり脈打っていることがわかる。
そのリズムに合わせていつもよりゆっくりと言葉を紡いでいこう。
そして少しずつ、早く。
原生林の妻たちの間に、意思の乱れがあったとこぼせば、彼の心臓は悲しそうに震えた。
ホヌ様の心を支えるための新しい味方ができたらしい、そのように彼が口にしたときには、少しイライラしつつも歓迎の気配を感じられた。
彼からは原生林のゆったりした歴史の話を聞き、俺はまずは聞き役に徹しつつリアクション、そして語らい合う。
夜は、何十年にも積み重なった時を含むように濃密だった。
乾いた喉を潤そうと、また瓶の水を口にした。
慣れてきたらふつうに飲める。
頑丈な俺の胃袋に感謝。
檻の向こうに入道雲みたいに膨らんだ、夏フェンリル様の姿が見えた。
思いっきり吹き出してしまい、長はそれをかぶったら、きょとんとしていた。
フェンリル様たちはいつも俺の想定を超えてきやがる。失礼。新しい冷風を歓迎して、夏の島になじませることを誓います。
読んでくれてありがとうございました!
10月25日のコミカライズはおやすみです。
また来月会いましょう〜!₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑




