25:お知らせ
商店が並ぶ海辺の街に行ってみれば、空気がすこしおかしかった。
いつも活気ある人たちが、おびえているように見えた。
私は、冬の使節団のエルなので。
もの知らぬふうに尋ねてみよう。
「こんにちは。みなさん、元気がないみたいですけど……?」
店先の服を畳んでいたおばさまは、私たちを見て、ホッとしたように顔を綻ばせた。けれど、私たちだってわかる前には、緊張していたような……。
「外の客人が悪さをしたらしいじゃないか。それも、波のない夜の海を荒らしたんだろう? ホヌ様の眠りを妨げたようなものじゃないか。敬意を持たず島におられたらむかつくし、そ奴らが全員捕まったのかもわからないしね。はあ」
なるほどね。
そういう認識で、夜の海に出ないように住民に周知しているんだ。
たしか、ジオネイド王子たちが事の顛末を商店街まとめ役に通してくれるってことで、まだ市民までには伝わっていないのかも。
(不安そうにしているから安心させてあげたい。けれど、発表のタイミングにも事情があるかもしれないし……)
<捕まえた 安心 いいよ>
フェンリルの手のひらで熱妖精が踊る。
フェンリルーーー!?
あ、
「おおい、みんなあ! 悪さをしたやつ捕まったらしいぞお! 捕まえられて今頃は、罰を受けているはずさあ! 今宵はホヌ様が安心して眠られるはずだな!」
商店街が沸いてしまった……。
フェンリルは涼しい顔をしていた。
「エル。自然現象だ」
「そうだけど、それでいいのかなって、んんんん~!」
「何事も目論見通りにはいかないものだ。予定外のことに対処していくことこそ、上に立つものには必要だ。私たちは内緒にしてくれと頼まれていないし」
「それは、そう。慎重すぎたのかな、私。……みなさんがほっとしていて、嬉しいよ」
「冬姫はみなそのような経緯で育つ。純粋に願い、学ぶとともに慎重になり、経験をつめば腹が座る」
「ふう。成長できているなら、それも嬉しい」
みんなが楽しそうにしている、今だ!
値札に「セール!二割引き!海の回復記念品!」と書き始めたハイテンションのおばさまに、話しかける。
「平和が戻ってきたから、楽しいことをしたいって思ってるんです。ホヌ・マナマリエ島の遊びについて、教えてもらえませんか? 何人かでやれるスポーツとか」
「スポーツ? 北の使節団なのだし、伝統を学びたいならこんなところではなく、もっとお偉いさんに聞いたほうがいいよ」
「いえ。今もみなさんが楽しくなるようなことがいいんです」
「へえ!」
嬉しげに、おばさまは他の人にも声をかけた。
そのついでに服を売り捌いていく。
さすがだ。
さっきまでふつうの服だったものが、記念品として買われてゆく。
いくつかのスポーツを教えてもらった。
商人の気質もあってか、複数人で集まれてルールも簡単、さらに人目を集める”映える”アウトドアスポーツばかり。
初めての人でも入りやすいようなものだと、縁ができるからね、という。縁は彼らにとって宝なのだろうな。
北国の子達は一人きりで凝った雪だるまを作ったり、ソリを作ったり、職人気質な性格が多かったっけ。土地の違いってあるんだなあ。私たちが知っていることだけでなく、現地の人に教えてもらえてよかった!
「ありがとうございました!」
「そのスポーツ、どこかでやるのかい?」
「はい。企画したいと思っています。延期になっていた夏祭りの再計画をしているところですから、その最中に、アウトドアスポーツをやってもいいかなと」
「へえ!」
「いただいた意見を参考にしますね」
「アイデア料はいらないよ。その代わり、誰でも参加できるようにしてほしいねえ」
「頑張りますっ」
拳を握ると、麦わら帽子を、獣耳がひょっこり押し上げた。
風に持っていかれないように、フェンリルが頭を撫でる形で押さえてくれた。
フェンリルはこないだまで「他言語がわからないまま北の女の子の横に突っ立っている兄ちゃん」と影で呼ばれてしまっていたらしいんだけど……(働いているかお金を落としていく以外の人には夏の島のみなさんはちょっと厳しい)
熱妖精を連れてきたことで、フェンリルは一転してまるでヒーローみたいなまなざしで見つめられている。
おじいさんが近寄ってきて、深く頭を下げた。
「懐かしいのう。懐かしいのう。熱妖精じゃ……子どもの頃に見た姿とはすこし違うが、今の方が元気そうじゃね。……近頃の熱妖精たちは、あなたさまのおかげかね」
おじいさんは濃い黄色の爪をしていて、そのような人ほど、大精霊の力というものが本能でわかるのだという。
フェンリルのスカーフの影から、髪の間から、さらに熱妖精たちがひょっこりと顔を見せた。
「行っておいで」とフェンリルは妖精たちを手放した。
<暑く しすぎない>
<寒く なりはしない>
<熱妖精 ここにいる>
<この地を あたたかくする>
<いずれ夏亀様が 来る>
<お通りになれる 地にしてみせる>
六体の熱妖精が飛んでいって、店の看板の上だとか、誰かの周りを回ったりと、土地の確認に入った。
このまま土地を管理してくれるならば、やがて管理者となり北の大地のように安定してゆくだろう。
商店街はさらにテンションが上がり、商品が三割引きになった。
これはすごいな。買いたくなっちゃう。でも次の仕事を……。
「エル。ちょっと見ていこう」
「い、いいのかなあーー!?」
「私たちがいる方が経済効果もあるだろう。熱妖精たちも落ちついていられるはずだ」
「時間ギリギリまで楽しませてもらいましょうっ。すみませーん! トコナツジュースくださーい!」
賑わっている商店街への道を降りていく人影がある。
ジオネイド王子とコーラル姫、北の王子ジェニース・メロニェースだ。
緊張している様子でジオネイド王子は足を止めた。
割引き! と聞こえてきたので早く行きたかったコーラル姫が、兄の背中で鼻を打ち、ぽかぽかと背中を叩いている。
「なんですのー! なぜですのー!」
「……どうすればよいだろうと思ってな。先にフェンリル様たちが足を運んでいるならば、何か起こしたりしたのかも。その場合、私はどのような声をかければいい? 民に何か尋ねられたら、返答はどのようにしようか……?」
「「考えても無駄ですよぅ」」
双子の王子が頬を膨らませていた。
「予測のしようがありません。パターンを考えたところで、違う事態がやってきます」
「絶対にできるだろう、って予習してしまえば、予想外のことが起こったときにパニックになりますよ」
「腹をくくるとよろしい」
「間違えたら責任を取る」
(この二人は、まだ幼いのに腹がくくられすぎではないだろうか)とジオネイド王子は苦い顔をみせた。
すこし頭を下げた。
「すまない。不安にさせてしまいました。しかしわずかに、腹をくくるにせよ時間をもらえないだろうか。話し相手になってもらえないか」
「「喜んで」」
ジェニ・メロは目を丸くして、けれど嬉しそうに返事をする。
コーラル姫はこっそりと姿勢を正して、咳払いをした。
さっきまでの態度がすこし恥ずかしくなったようだ。
「私がいく意味はあるだろうか」
「「ありますよ」」
「これまで挨拶をろくにしてこなかったのです。王宮で政治相手ばかりに声をかけてきました。商店街の民衆など私の顔もろくに知らないでしょう。意味はあるのだろうか、と心に問うてしまうのです」
「じゃあもう一度言いますね」
「意味はありますよ」
「「これまで足を運んでいなかった。でもこれから足を運ぶつもりがあるようだ。歴然とした違いであり、民衆が貴方を見る目が……加わります」」
ジオネイドは、街の屋根を見下ろした。
「加わる……か。これまでは無いものだった。経験したこともないのに想像上の悪い結果を恐れていた。しかし、これから作り始めていくだけなのだよな。実のところ、まったくのゼロから何かをやり始めるなど私には経験がないのだ。王族として用意されたものを上手く使うことだけで生きてきた。だから……震える」
「「エル様は、武者震いって言ってました!」」
「ムシャブルイ?」
「「戦い前の興奮によって、血流増幅で震えることです!」」
「あの可憐な冬姫様がッ!?」
ジオネイドは驚いたのち、くっ、とわずかに笑った。
「想像だけではわからないものなんだな。本当に」
「「ですです」」
「お二人ともありがとうございます」
ジオネイドはふと思い立って、周りのしおれたひまわり畑に向かって、黄色の──日差しとまざり黄金のようにも光る魔力を、薄布のようにかぶせた。
ひまわり畑は広いので、体中の力が抜けてゆく。
ひまわり畑にこのジオネイド一人如きの魔力では、ちっとも足しになりはしない。
……けれど、遠くの方でホヌは嬉しい気持ちを感じていた。
「行ってまいります」
ジオネイドは踏み出す。
「もう! これから歩くって前に、体力を消耗するなんてわけがわかりませんわっ。殿方はいつもそうです、プリンセスはね、大事なときにきちんと力を使えるように温存しておくというのに」
ぷりぷりとしながら、コーラル姫は兄の腕を引いて行った。
その様子も、遠くの方からホヌが愉快そうに感じていたのだった。
(僕らはね)
(片方がいつか大切なときのために)
(片方が足をすくませないように先に)
(協力していきましょうね)
ジェニ・メロは歩調を合わせて、坂を降りていくのだった。




