20:違法滞在者
違法滞在者であろうよからぬ気配。
そして腕の影が鞭のようにしなって、夜の守人族らしき女性が倒れた。
フェンリルは私を支えていた手を離した。
いっておいでって、許してくれた。
あんなことする人たちに冬姫エルは負けない。
そうでなくちゃあって。
「”夏の夜の雨よ、聞き届けて。冬の魔法を使うことを許して。夏の空気を乱すものがある。巡り巡ってそれを元に戻したい。今がそのときなの”ーー”氷の檻”」
どのようにすればこの夏の島に降る雨を扱わせてもらえるかしらって、想像をしてみれば言葉はすらすらと私の口から現れた。
呪文のように人が確立した技術ではなく、四季の魔力をもっともその身にたくわえた大精霊として、語りかけるだけでも自然の魔力は動いてくれるだろうって。
1秒がもっと長く感じられるくらいに、感覚がとぎすまされていく。
熱妖精のどこか楽しげな<ねえ、どこの夏の水分を、どれくらい、どのようにしてみせてくれるの?>という気持ちが伝わってくる。
雨粒を編むようにして、線をつなげたら、あやしげな影が重なる地面に覆い被せるみたいにつむぎあげる。
倒れた女性も、同じように。
そうしないと怪我をしたまま逃げてしまうかもしれないし、暴れさせてしまっては怪我はひどくなるだろうから。
驚くような声が上がる。
けれど、押し殺されたような低い音……トラブルもあって当然ってくらいに覚悟を持ってこんなことしてるんだろうか? そんな覚悟があるなら、いいことするのに体力使いなさいよっ。
私の鼻に血のにおいが触れる。
嫌な気持ちになる。
けれど、心を乱さないように気をつける。
フェンリルも一足遅れて降り立った気配を感じた。
どうやら少し離れたところにいた見張りのような人をねじ伏せたみたいだ。私たちは人型になっていても、大きな狼ほども力が出せるので、どんな大男相手であっても美しいフェンリルが力負けすることはない。
倒れている女性の怪我を見ようとした。
「っ……!」
嫌な予感がした。
夜目をきかせて一瞬見えた彼女の表情は、こわばっていて、疲れきっていたから。涙をにじませたあとのような痛々しい目元に、うっすらとクマが影を落とし、しかし唇はポカンと開いていた。
開いていた?
嫌なにおい。
「”唇を凍らせて”」
「!!」
「ごめんなさい。乱暴なことして。すぐにやめます。……あなたが自害のようなことをなさらなかったら」
これは共鳴のようなものかもしれない。彼女がそう動くかもしれないことが、なんとなくわかってしまうような。本当になんとなくなの。私はまだやったこともなくて経験則でもないんだけど、いつか疲れきってそうなってもおかしくはなかった。
彼女の手を握った。
氷の檻は彼女の付近はゆるめにしてあるから、私の手を潜り込ませることはできる。
きれいなブレスレットが嵌められた手首、色のつけられた爪、けれど、少し肌荒れがめだちはじめている。
「死なないで」
「……」
「死のうとしないでください。今回のことは自然な事故なんかじゃない。あなたがまだ自分で決められること。私たちは間に合ったし、これからきっと現状は変わっていく。それを一緒に見てくれませんか」
瞳がこちらを見た。
戸惑っているようで、だから私はなんとか笑いかけた。
安心してもいいとは、言えない。なんだかんだここに彼女がいることは事実だし、薬を飲み込もうとした行動を考えればやましいところもあるのだろう。でもここで死んでしまうよりはマシな未来にできるように、頑張っていくつもりだよ。そんな気持ちをまなざしに込める。あと、繋いでいる手のひらの魔力から伝わればいいな。
彼女は頭を縦に振った。
すると、丸薬のようなものが地面に転がった。
それを自ら遠ざけて、反対の腕で口を指差した。
「……冷たい、治った、どうも」
「はい」
「……助けて」
「そのつもりです」
「夜の守人族を、助けて」
あ、彼女、泣いてしまった。
落ち着いてもらってから、話を聞くことにしよう。
フェンリルはあまり近くに寄ってこないつもりみたいだ。
檻の反対側に、夜にかがやくような彼の姿が見えている。
檻の中の人たちは「ピーー」のような罵倒を口にしていたし、うげっと思って私は獣耳を伏せていたんだけど、私のその態度からフェンリルには伝わってしまったのか(彼は外国語の全てはわからなかっただろうけど)黙らせることにしたらしい。
首根っこを捕まえていた見張り役を、思いきり檻に向かってぶん投げた。直撃。これくらいで氷は砕けませんけども、いやまって、みしっていった、みしって。
骨のいくらかは折れているのでは。
雪山で狩りをする狼、容赦がない。
これはまごうことなき生物戦闘なんだろうな……おっと、人間社会の黒いところにズブズブであろうみなさん、びびっています。そりゃそう。お上品な王子様のような人がここまで野生味あふれる獣だとは思いもしなかったでしょうよ。
しだいに混乱から反射的に出たのであろう罵倒はなくなり、仲間たちと連携を取ろうとするような言葉に代わっていく。私はすぐにあっちに応対することはできない、倒れた彼女と手を繋いでいるから。耳を澄ませる。
「ここらが潮時ってことか。こいつはただの精霊じゃあなさそうだ」
「はあ!? あんまりにも早いだろう、まだ、搾り取ることができるぞ」
「ホヌ王族との契約だってまだ完了していない。くそっ、なんだっていまだに王族が商業権まで握っているような国があるんだか! これだから未開の地は面倒なんだ!」
「マーメイドやらくらいの精霊なら前にも捕まえられたじゃないか。金持ちに売ったあとに死んだのだから、それまでは生きているってことは、あの精霊のような奴もよお」
「は!? 後ろからも殺気が、気をつけろ」
へえーーーーー。
フェンリルをーーーーー。
売るですとーーーーーーーー。
前にマーメイドを売った成功体験があって、白金髪のフェンリルはまるで夏の精霊のようだから、また美味しい思いをできるかもしれないって欲望が生まれたのかあーーーー。
ふうーーーーーん。
きらいだなあーーーーー。
怒ったりしないですよ。
感情的に怒ったりしないですよ。
人の社会の歪みに怒ってしまっては、生物のしくみを整える大精霊としてのおしごとができないじゃないですか。ええ。
冬姫業というのは大精霊のなりわいを練習する新入社員のようなものですので、よそのジャンルに夢中になっていては自分の手元がおろそかになってしまうのでね。
心の中にグレアを召喚する。
私以上に怒ってくれるので。
<ハアーッ!? 偉大なるフェンリル様に対して数十年しか生きていない人風情の何たる傲慢、矮小な欲望があまりに醜い形をしているのでユニコーンの耳と目が潰れそうなのですがあ? 反吐を煮詰めたらお前たちのようになるのかもしれない、そこが生物の最下層だ。生命尽きて死んだ後も安楽に浸らせまい。不快ではありますが俺がお前たちの魂のありかを覚えておいて赴いてやるから泥の底で待っていろ、あと”ピー”>
おちついた。
そこまで言わんでも。いやグレアなら言うかもな。私たちがハネムーンに行っている間に人格が変わるほど変貌を遂げてたら別の見解を述べるかも…………ないな。フェンリルへの侮辱はガチ怒りだろうな。
このまま内心グレアを召喚しておいたら、<なんですぐ手を出さないんですゥゥ!?>とかこっちにまでナイフを向けてきそうなので、退場いただこう。
頭の中がすっきりしました。
私の感覚が研ぎ澄まされている。
遥か遠く、私たちフェンリル族が全力疾走しても一時間はかかるだろう距離に、この人たちと同じ”におい・雰囲気”をまとったグループがいることがわかる。
「漁港の倉庫、王宮裏の客室、夜の守人族の休憩小屋」
「ーーーー!?」
私が発した言葉は、彼らにも通じた。
なにか、指先をはじいた。
それぞれの場所で何らかのアクションがあるだろう。
けれど、王宮にはジェニース・メロニェースがいる。
夜の守人族の小屋には、回復した族長が駆けつけるだろう。
そして、漁港のような商業の要のところで事が起こったらホヌ・マナマリエ島の役人の仕事が問われる。街の人と協力をして王族はうまく立ち回ることができるのか。できるようになってもらおうじゃないの。
波が打ち寄せる音が聞こえる。
ホヌ様がおられるこの夏の間は、しばし「入海」の時期だと聞いている。波が島に向かうので、自然界にある夏の魔力エネルギーがくるくると集まり満ちるのだと。それがあつまって島を潤したあとには、台風がやってきてあつまったエネルギーを拡散して、秋に交代をするのだという。
秋になるころの「外洋波」……それまでは夏の島から出られない。
彼らがあのように必死に氷の檻から出ようとするわけだ。
しかも夏の島で想定されていた魔法ではないため、対策もされていないみたい。
おそらく夏祭りで悪目立ちして見せたのは、夏の島の中心地で騒ぎを起こすことによって、南の漁港・北の原生林・丘の上の宮殿から目を逸らさせたかったのかもしれないね。
感覚が 冴 え て い る。
私 に は わ か る。
いつのまにか、瞳孔が海よりも濃く分厚い氷のような濃い青色に染まっていた。
そして手のひらで目を隠された。穏やかな暗闇が降りてくる。
「エル。集中のしすぎだ」
「……フェンリル……」
「私たちはこの世界のはるか遠くにまで、感覚を追いつかせることができてしまう。おまえがおそらく遠くの獲物にそうしたように。しかしやりすぎだ。冬姫でいる今は、良いものを見るぶんには疲れきるまでやってもかまわないが、悪いものを深追いすることはやめなさい。それは私がやろう。なに、いずれ教える、そんな表情をするな」
「お子様扱いされましたああ〜……」
「ははは。場合によってはな」
フェンリルは後ろを指差した。
私、彼がどんなことをしていたのか、見れていなかったな。
遠くのほうばかりを見て、近くのことをおろそかにしていた。
反省です。
どのようなことがあったのか、打撲跡が腫れている大柄な人たちがうめき声も上げられず転がっていた。
ぎりぎり生きているというかんじだ。生命力の残量の判断ってこういう荒事のためにも使えるんだな。
「よそに目移りはしていたけど、手元の命は守れたようだな」
「うん、それだけは、しないといけなかった。私だからやれることかなって。疲れすぎた人に必要なのはビタミンなので」
「ビタ……ミン?」
「体内の調整をしてくれるための成分かな。この世界の人の体においてそれは魔力の質だから、バランスを整えておきました。舌が喉に落ち込まないような姿勢にして、呼吸を確保。血が流れ出ている傷口は血液の成分を固めてかさぶたに、空気中の水分を体内に。そんな感じにしていたの」
「私がわからないところまで知っている。エル、すごいな」
獣耳がぴこぴこと反応してしまう。
とってもすごいフェンリルに、そんなふうに褒められたら、よーしこれからも頑張っちゃうぞー!って気持ちになりまーす!
「これからどうしようか、相談してもいい? この危なそうな人たちを引き渡すわけだけど、どうしたらいいだろう。王族の皆さんに託すには、正直まだ弱々しいような感じがしたんだよね。悪いけれども」
「思ったことを伝えればいいさ。大精霊の勘というのは時として予言そのものの精度となるほどだ。ありがたがる人こそいても、嫌がる人間は見たことがない。私が見たことがないだけなのかもしれないが……しかし、夏の王族であれば理解するだろう」
フェンリルも長い距離を旅してきて、ちょっと感覚が変わったところがあるようだ。
前よりも大精霊の力を客観的に見ていることがある。
「じゃあ、発言を控えることはしないようにする。第二の案として私たちがとらえ続ける方法、これは却下だと思う。影響力が大きすぎちゃうからね……。冬に見放されるかもしれないと思えば、この人たちはただただ見放されて終わる気がするの。トカゲの尻尾切りって感じで。勝手にやったことだからと祖国の組織にも突き放されて、すると、夏の島は商業上ギクシャクしはじめちゃうと思うのね……」
「エルがそう予感するならば、ありえるだろう」
「第三の案。これは心が痛いけど、そうしないといけないとも思ってる。夜の守人族に協力を求めること。良い点は、ここからもっとも近いしボアナちゃんたちは戦闘力も高いからきちんと隔離しておきやすそう。悪い点は、二つあって、夜の守人族と夏の王宮組織の関係性がゆらいでしまうかもしれない。どっちにどれほどの責任があるのかってことを人の社会は重視してしまうから。もう一つ、彼女が……」
私と手を繋いだまま、急激回復に気絶するようにして眠る守人族の彼女を、しょんぼりと眺める。
どのような事情があったのか、どのように後処理をしてあげたらいいのか。そのことを話し合って覚悟をする時間もないまま、集落に帰してしまうことになるかもしれない。
私が彼女に同情的すぎるという自覚はある。
ミシェーラのときと同じだ。
魔力を交流させることによって私たちは一時的に心がつながったようになり、悲しみや喜び、後悔や思い出などを、抽象的に共有する。これは男子ではなくて魔力量が高い女性同士でおきやすいもののようだ。四季姫に選ばれるのは魔力量が高い女性なのだから、その延長として私たちは近い存在であると感じるのかもしれない。
「よくないね、こういうの。ごめんなさい」
「エルはときたま人間社会に囚われる。そのたびに私が教えてあげるさ。雪山のように考えたらいい。その生き物はエルが助けたものだ。群れから離れて傷ついており、そこに大精霊が通りかかる幸運があった。助けられた生き物は大精霊に好感を持ちやすく、また、大精霊もそれほどの幸運があった生き物をすこしだけ特別に思う。おかしなことではあるまいよ。これもまた自然の摂理だ」
ホッとした。
大精霊の立場だからって、横暴になってはいけない、けれど、機械的に平等を振りかざすのもまたちがうのかもしれない。まだ、すべてを理解できたわけではなくてフェンリルの感性に甘えさせてもらっているけれど、今回は彼女のことを考える時間をもう少しもらおう。
雨が止んだ。
漁港の方はどうなっているかなあ──……。
読んでくれてありがとうございました!
2月25日のコミカライズはおやすみです。
ともにお待ち下さい〜!
謎解き、ともにおつきあいくださいませ。ここからホヌ様とカイル王子たちもよく動いてくれると思います。
来月また更新しますね〜!




