19:あたたかい雨と溶けない氷
「あのね、ホヌ様はなんだかんだ上手くやってくれると思うの!」
「私も、カイルはなんやかんやと上手くやれる男だと思う」
「じゃ、三日月の内側の浜は成立だろうね?」
「ああ」
フェンリルが笑っている。
クリスやグレアのように教育しがいのある人が育ってくれたときと同じ顔をしている。
はるか冬から遠い夏の島で、そこまでの期待を呼び寄せて応えたカイルさんはすごいものだよ。なんていうかこう、ひとところの土地だけでなく広く評価されるものを持っているんだろうと思う。
世界をめぐる風のような。
春の王子が今目指しているそのもののような。
そしてそれは、島から出ることを望まないホヌ様のこれ以上ないお楽しみになっていくだろう。
ホヌ様は私に教えてくれた。
「外のことは気になるの。知らないことは憧れなの。それよりも、この夏の島が大好きなの」って。
こうして旅立ったフェンリルもまた、冬になれば北国へ帰るものなんだよね。
四季獣はそれぞれに、いるべきところにいることを誇りに思っているから──。
胸が震える。
今は、私たちのいるべきところへ。
「海岸裏に行くとしようか。エル」
「……あっ、声が聞こえるね。波に混ざって人の悲しい声がする。夏の妖精たちの苦しむような音が聞こえる……獣耳の方がざわざわとするよ。勘だけれど、"こっち"のほうに行くのが私も正解だと思う。アジトとはまた違うんだろうけど」
「勘は大切だ。北で教えたことをよく覚えていたね。そしてアジトとは違うらしいがという意見に同意だ。不穏な音だが、音の数が少なすぎる。少数精鋭なのか様子見舞台というところか。けれど、いるべきではないところに人の気配がある」
「島の裏に、どうやって行こうか。……大雨ーーー!?」
ドジャアアアアアン、とまっすぐに槍が降るかのごとく、雨!!
これは島の異常気象なんだろうか?
でも爽やかな感じがする。いや、爽やかを通り越して甘酸っぱい。まてまて、甘酸っぱい南国果実のような香りだけでなく、みょうにあたたかい。暑いくらい。
しばらく前の冷たくて悲しいスコールとはまたわけがちがうような……。
私たちは王宮裏の崖から島全体の様子をうかがっているわけだけど、島の真ん中のほうだけドームになったように雨が届いていない。
いやさらに、まって、えーとね、島の真ん中の浜から噴水のようにまっすぐ空に水が噴き出して、それが弓なりに地上に降り注いでるってかんじ!
なぁにこれー。
「エル。手を繋いで」
「照れます、照れますって。どうして?」
「私たちの方も熱っぽくなればこの雨の温度に馴染むのではないだろうか。ハネムーンだし」
「強引! でも効果あるかも……ね? この雨を似たような温度の私たちが凍らせようとしてみれば、透き通って今にも割れそうな薄氷になるよ」
「けれど溶けない氷にしてしまえばいいので」
「ちょっと安売りしすぎなんじゃないですかね……?」
「春の国でもうやったことだしなあ。夏の島でもやっておいた方が平等でよいのではないだろうか」
「うーん、まあ、夏の島を訪問しましたよって同盟の証は残せるのかも。でもでも、本当にやっちゃっていいのかな!?」
「私の勘がやってしまえといっている」
「この冬の大精霊! でもなんだかんだ楽しみだな。薄氷のウォータースライダーってことだもん!」
王宮裏のもっとも高いところから、島の後ろのほうまでゆるやかなウェーブの滑り台が出来上がる。
流れる水はたっぷりの雨、おそらく感極まった夏の島の喜びの波なんだろうな。
滑り降りていくよぅ、いやっほーーーーーう!!
こんな楽しい仕事があっていいんでしょうか?
こなせるなら楽しい方がいいじゃない、って大精霊の業務方針に癒されています。
私が前に、フェンリルが後ろにいて、その表情はふりかえらないと見えないけれど、きっと楽しそうにしているんだろうなあ。ちらり。
フェンリルは白金の髪の毛もさわやかに、夏の喜びに濡れながら口角を上げていた。
私がテレビ会社に勤める権力者ならできる限りの放送権を握ってこの光景を広めようとするかもしれないと思いました。あまりにも人類の宝すぎるご尊顔です。そして贅沢で申し訳ないのですが、彼の番は私なのでここだけの光景にさせてもらいますね。
やばすぎる。
顔が赤くなる。
この幸福に報いるべく、冬姫エル、もっと働きますーーー!
「あ!」
「どうした?」
「波の様子が変わってるよ。見たことのないような、内側から外に向かって逆向きの海流になってるの。ふつうは浜に波が打ち寄せるものなのに。
以前、会社の出張所手伝いで海に行ったことがあって、波が変わると船の操縦がしにくいって聞いたことがある。普段は宝石のような明るい海中のおかげで夜も漁に出ている漁師さんがいるってカイル王子が言っていたから、そういう人たちに注意を伝えなくちゃ……! おそらく一時的なものだから無理に逃げようとしなくていいものだ、ってことだけでも、なんとかできないかな」
「ジェニース・メロニェースに頼めばいいだろう。夏の食べ物を口にして随分経つし、夏に馴染み魔法が使いやすくなっているはずだ。風にメッセージを乗せることは、吹雪の中の伝達手段としてよく使われている。うまくやるだろう」
「わかった。じゃあ熱妖精にそのことを伝言してもらおう」
このあたたかい雨によって湧くように現れた熱妖精たちは、きらきらとしたひまわりの花びらを集めたような"翼"を持っている。本来はそんな姿をしていたんだね。
私たちの会話を聞いていたようで、すぐに十体が膝の上にやってきてくれた。
そして伝言を聞いたら空中を泳ぐみたいに飛んでいく。
「ジェニメロ、夏の言語を練習していたから、熱妖精の言っていることがわかるはずだね。あっ……それとも熱妖精に直接船に行ってもらうのが良かったかな?」
「どのあたりに出港する船がいるのか、王こそが把握をしているはずだ。そちらに相談をしてからでも問題はあるまい。まだ時間も宵の口、北の王子たちも起きている。私たちが干渉するのだとすれば、急を要することでない限り王宮を通すほうがよい。彼らこそがこの島で生きてゆくのだから」
フェンリルの腕が私の腰に回った。
けっこうな、カーーーブ!
からの、ウェーーーーブ!
グレアに乗って北の山を爆走しておいて良かった〜!
めちゃくちゃダイナミックなアクティビティ。ジェットコースターも乗れなかった柊ですが、今ではこういうの楽しめます!
王宮に行った熱妖精たちが、もう海の方へと折り返した。
黄色の軌跡が華やかに浮かび上がる。
「そしてこれから島で生きていく覚悟もない滞在者には、あの輝きは訪れはしないのだ」
「船があるのに、熱妖精がきていない、それが……」
「違法滞在者」
「よくないね」
「ああ。せっかく地元のものが守ってきた文化や信用を、一時的な利益のために壊滅させてゆく、滅びの悪魔だ」
フェンリルがそんな言葉を使ったことに驚いた。
悪魔とか天使とか、そういう概念ってあるんだ?
私と離れてカイル王子と政治的なことを語っていたときに、なにか聞いたのかも知れない。宗教的な概念がある地域のことなど。
けれど、悪魔、という表現はぴったりだとも思った。
嵐、台風、そんな表現はフェンリルにとってはともに歩む自然物だ。自然のことわりを理解して四季の大精霊はこの世界をすみずみまで管理する。
悪魔といえば利己的で己しか考えない心持ち、そのもののような感じがする。きっとこれは大事な仕分けなんだろう。
許すことのないものだ、という覚悟を感じる。
私も一層気合いを入れ直した。
島の裏側が雨のすきまに見えてきた頃、大きな質量が倒れるような音がした。
人が人を殴ったんだ。
桟橋の上、不法滞在者であろう大柄な影は威圧的に五つあり、殴られて倒れていたのは夜の守人族の女性のようだった。
読んでくれてありがとうございました!
2024年1月25日のコミカライズはおやすみです。
別作品【ドリームジョーカー】シリーズが完結していますので、みなさまの楽しい読み物にしていただけると幸いです₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑
では、また25日にお会いしましょう!




