11:生命の浜辺
夏の王宮、アーチつらなる回廊。
左右には常向日葵が一本ずつ丁寧に植えられていて、夏風にさらされてゆらり揺れていた。その観察をする夏学者たちと商人がいた。
カイル、とかけられた声にみんなが振り返った。
およそ夏に似合わないほどどこか冷たく、けれどもっとも夏に居座るにふさわしいようでもあり、不思議な気配を持った無視のできない声だった。
そこにいた複数人はキョロキョロとそれぞれの顔を見た。
そして、あっ、と夏学者が一人の商人を指差す。
苦笑したその商人は、被り物をとった。ターバンのように巻かれた布地が外されると夏の王族特有の太陽色の髪が現れる。カイルだ。
周りは察する。
また、彼はこうして混ざっていたのだと。
あまりに混ざるのがうまいので商人は面白がって気を良くして、夏学者たちは慣れたもので(やれやれ)と肩をすくめる。
正体がバレたことで、カイルは訪問者に恭しい礼をした。
「フェンリル様。お一人で行動するのは珍しいですね。もしかして迷われてしまいましたか。行くところがあればご案内しますが」
「それは問題ない。熱妖精にここまで連れてきてもらった」
フェンリルが腕をまっすぐ前に伸ばすと、幅の広い袖口から、ひょっこりと熱妖精が顔を出す。ふだんは原生林でしか見ることができない上に夜の守人族が守っている熱妖精を目にできるものは少なく、夏学者たちは「うっひょー」と飛び上がったほどだ。
熱妖精は常向日葵のそばに行き、その花の種が詰まったところをベッドにして眠ってしまった。ふだん過ごしている場所に比べたらこの王宮は自然の魔力が薄くなっており、回復するためには、冬の妖精の泉に相当するこの向日葵のそばが適切だったようだ。
それは、カイルが察するところであり、おそらくフェンリルも分かっていることを目を合わせたその時に共有した。
カイルはじわりと汗をかいた。
(フェンリル様がそのことを仰ってしまったらどうしよう? この王宮に夏の気配が薄いとか、熱妖精が体力を回復しているということは言わないでおいてほしい。熱妖精が弱っているならば……と商人の悪い勘が働くことにもなりかねないし、夏の魔力の根源がこの王宮であるというイメージを壊されるのは困ってしまう。
──どちらも人の都合でしかないけど)
ひややかで幻のように美しい冬狼の青年を見ていると、そんな気持ちをカイルは抱いた。
自然の権化を前にすれば、自分達の身勝手を恥じるようになる。
フェンリルが口を開こうとした時、カイルは緊張した。
しかし、思いがけないことを誘われた。
「海に行かないか」
*
そしてやってきたのは、プライベートビーチ。
観光客向けに開放しているところではなく、王宮が管理している一帯だ。
ここには数が減ってしまった生き物や、幻とされている精霊種がひっそりと暮らしている。夏の四季獣である彼女がいつでも安心して波に乗れるところでもある。
もっとも綺麗で、もっとも静かなところだ。
そうカイルは感じていたが、今日は様子が違った。
至るところから生き物が顔を覗かせて、遠巻きながらも、たくさんの生き物の動きを感じ取ることができる。
それは活気のある夏祭りの商店街のようだった。
これまでフェンリルたちを案内したのは人が多い地域にのみだったから、気づけなかったのだ。しかし発展した夏の島にもこれほどの生き物が共に暮らしていることを、カイルは初めて肌で理解したような気がした。
思い出せば、このホヌ・マナマリエまで北の一団と共に帰ってきたときの旅の安定感というのは、多くの命あるものが”見守っている””手を出してこなかった”ために感じられたものだったのかもしれない。
その中で唯一、フェンリルたちを困らせるものがあったとしたら……。
それはいつだって人間の悪意だった。
どこか夢見心地になって砂浜を歩いていた、カイルの興奮が静かになっていく。
なんとなく自分が叱られているような気がしたのだ。
「オマエは繊細なのだろうな」
「はい?」
フェンリルがぽつりと言った言葉に、カイルは聞き返す。
フェンリルは(言葉を自分で抱きしめて考えてごらん)というように、ただ微笑を浮かべた。
「夏の海ははたして普段通りなのかと思ってな。このあたりの海はよく手入れがされていていいところだと感じられるが、他は不安定なように見えた」
「お気づきになられましたか。恥ずかしながら……と自分達が言うのもおかしなことですよね。申し訳ないことではございますが。
ところにより夏の海が荒れています。かと思えば、凪いでいて出航できないこともあります。しかしそれはホヌ様がお心を持ち続けているあらわれなのだと受け止めております」
「ほう。それはまた冬の思想とはちがうようだ。冬狼はどれほどのことがあれど自分の感情を環境に反映させてしまわないことを学ぶ。夏亀はそうではないと」
「……おそらく。無遠慮に聞くことができない話題なので、直接うかがったわけではないのですが。そのような仕組みがあるとは、我々は人間ですからそもそも思い至ったことがなく、質問する機会もなかったのです」
「では夏亀が言わなかったのかもしれないな。かの夏亀は……」
「あの。ナツガメ、ではなく、夏の彼女ですとか、今だけ敬称を略しますがホヌの方で呼んでいただけないでしょうか」
「親そうな呼び名はエルだけにしてやろうと決めているから、ここではそう呼ばせてくれ。外では夏の化身などと呼ぶことにしよう」
「分かりました。遮ってしまいすみません」
「うむ。かの夏亀は、体調がわるいのではないだろうか」
ガン、とカイルはショックを受けたような顔をした。
聞きたいことが口から濁流のように出てしまわないよう、頬を膨らませて言葉を空気とともに飲み込み、頭を急速回転させている。
「体力的なもののようだとエルから話を聞いたから、休んでいれば体力が戻るのかもしれないな。毒などの心配はないようだ。それならばもっとこの夏の大地に影響が出るだろうよ。そうでないことは私が保証しよう」
フェンリルの慰めるような微笑みには、わずかに悔しさが混ざっていることに、カイルはめざとく気づいた。
そしてそれに気づかないふりをする。
(フェンリル様と築きたい関係性は決めてある。
ホヌ様と、ホヌ・マナマリエ島のために大精霊の力を貸してもらうこと。そのお礼ならばなんだってするということ)
カイルはあえて、冬の最敬礼をした。
片手を握り、片手を開き、胸の前で合わせて、腰を落とすようにしつつ頭を下げる。
おや、とフェンリルは言った。
そしてカイルの頭に手を置き、素直でいい子だねと伝えた。
(…………!?!? 危ない、非常に危ないぞこれは。冬の魔力に反応をしないはずの夏の民が、絆されそうになっている……!? この人柄の良さと、魔力の合わせ技は反則だろ!)
顔が熱くなっているのを感じている。
しかしこれが冬の民であったならば、もう涙を流してすっ転んで地にひれ伏すようにしてありがたがるのだから、ずいぶん落ち着いていると言えるのだ。
冬の民はきびしい冬を乗り切るために情熱を秘めており、夏の民はその熱気のなかでも冷静であろうとする理性的な性質である。なるほど商人に向いている。
「ん。沖の方が騒がしいような」
「もしや遠くの音が聞こえるのですか? 獣耳はすばらしい精度なのですね。もしかしたら……ああ、この風ですと、おそらく沖の方で船が止まってしまったのでしょう。よくあることですし、我々は慣れたものでゆったりと待つのですが、外国船はあまりに風や波の調子が変わることにイライラするのです。彼らの国では風や波は予測しやすいそうでして」
「そうなのか。カイルのように、私とて雪国に生まれフェンリルになってから雪国にいたから、そのような場所は知らなかったな。大精霊から離れると季節は一定になるのだろうか。ふむ。エルが関心を寄せそうな議題だから覚えておこう。教えてくれてありがとう。
それにしてもカイル。気にすることが多いと大変そうだな」
「そうです」
外国船のことはもちろん大変な悩みの種だ。
しかし、大精霊があまりに容易くありがとうなどと言うので、カイルの心臓が大変なことになっていた。
(ホヌ様もそうだ。春龍様もお優しい方だったとうかがった。ここまでデータが揃うならばもう確定していいだろう。四季の大精霊の方々というのは、とんでもない人たらしらしい!!)
沖を見ていたフェンリルは、ふとポンと手を叩いた。
「カイルに声をかけたのは、オマエを夏祭りに誘うためだ。そして夏の四季獣と踊ってくれるといいのだが」
(そして自由なんだよな!!)
「それ、ストレートに言ってよかったのでしょうか? 自分がややこしい性格をしていることはもうご存知でしょう。冬姫エル様と我が国王、その他みなさんが企んでおられそうなことは想像しております。たかが想像ではありますが、合っていると自負していますよ。その上で、自分はこのような行動をしているわけなのですが」
カイルが苦笑する。
フェンリルは人身掌握が得意なようだし、それを天然でやっているのではなくある程度狙って話しているようだったから、ストレートな勝負に出てきたのが意外だと思った。
搦手を使ってきそうだと想定していた。フェンリルがこのようにカイルに関心を寄せるなら冬姫エルの願いを聞いてのことだろうし、それならば願いを叶えてやるために外堀を埋める会話をしてくるのではないかと。彼女が願っていたのは夏と冬の仲を深めることだから、強引な手にも出ないだろうと思っていた。
しかし先ほどフェンリルが見せた人たらしの言動のように、まだ知らないところがたくさん潜んでいそうだ。それはフェンリルが恋人にかかりきりの時ではなく、一人きりになったときに大精霊らしい側面として現れたのだとカイルは判断した。
気を引き締めようとした。商談のときのように。
……いや、無理だった。
──フェンリルの周りの空気は、自然体でいることをすべての生き物に思い出させる。
「カイルは夏の四季獣に惚れているんだろう」
フェンリルがいえば、カイルは真っ赤になって奥歯を噛み締めた。
軽やかでいて冷静な表情を作れなくなってしまい、本来の感情が顔に表れる。いつもに比べてずいぶんと子どもっぽい。
「本当にストレートに仰いますね……!? 自分は……! ……”彼女”に幼い頃に会いました。その当時は夏亀様だと知らなかったんです。知能もおぼろげで教育もゆるかった頃でした。だから、まったく素直に初恋をしてしまいましたよ」
満足ですかー! と小さく叫ぶ。
せめてもの理性で絶叫はとどめた。
フェンリルはこの青年の小さなプライドが可愛らしく見えたので、くつくつと笑った。
「吐き出してみるといい。いくら自分でわかっているつもりでも、胸に秘めたままだといつの間にか変質してしまうことがあるからね。それは勿体無いと思わないか?──さて。この辺りの空気をつむじ風のようにまとめて音が外に漏れないようにしたわけだが」
カイルは己を解放した。
「だって”そう”でしょう!? ホヌ様は──あんなにもお綺麗で、髪なんてキラキラ輝くようですし、夜闇の中でもそこだけ月のように光って。でも昼間は地上の太陽みたいで。
顔立ちは上品でプリンセスのような気品があり、微笑んだらあどけない幼さがあるんです。無邪気ですよ無邪気。それからグンと伸びた脚のスタイルが良くてどのような服装も似合う。自由に海を泳ぎ回るところなんて幻のマーメイドみたいだった。かと思えば眠っている彼女の周りはものすごく魔力が安定していて近くにいるだけで夏の幸福の全てを感じることができる。からりとした美声に、キョロキョロと見渡す瞳には好奇心旺盛さとともにこちらを好意的に見てくださる心の美しさを感じるんですよ。性格? いい! すごくいいですよ!!
他にも山ほどありますが……フェンリル様の生温かい表情的にこの辺りにさせてもらいます」
「まあ、その情熱具合、冬の民を思い出して懐かしくてな。カイルは私たちとも波長が合うようだ」
「こんなに素敵なホヌ様を好きにならない人がいますか? いや、いない! みんなホヌ様のことが好きだ! でも俺が一番好きだ!! でも、俺が一番好きになっちゃあいけない」
カイルは肩で息をした。
身体にマグマが詰まっているのかと思うくらいグツグツと熱い。
それが涼しい冬の微笑みで冷やされてゆく。
「……あなたには隠すことができない。この場で全て収めてしまったほうがいいというただの取捨選択の結果です。どうかお気になさらずに。忘れてしまってくれませんか」
フェンリルはしばらく、顎に手を当てて思考にふけった。
しばらく──といってもいい時間をかけたが、あまりにもフェンリルがそうする姿が様になっているので、白金色の髪がなびくところや瞼が伏せられるところをぽーっと眺めているうちにあっという間に時間が過ぎた。
カイルが見出された本質はそこにある。
観察眼と価値を測る正確さ。対象への熱量。
そして入れ上げないところだ……が、それは大精霊の魅力の前には通じなかったが。王族兼商人の彼の欠点とされているのはそこだけだ。
「ふむ」と、フェンリルが顔を上げた。
その瞬間カイルの時間も動き出した。
フェンリルはゆったりとリラックスして話した。
「私からすれば、正直エルを止めようという気持ちもあったんだ。はたしてオマエたちの心を暴いてしまうのは正解なのだろうか。心ではなく意志で動くというのもまた、人の心だから。
エルはどうにも”何かしなくてはいけない”という意志に囚われ過ぎる所もあるし。ああ、清い善意ゆえ、許してやってくれ。まだなめらかに世界を見つめるまで至っていないんだ。行き過ぎたら私が嗜める。その判断をしようとしているのが、今だった。
しかし、もう止めようとはしないことにした。カイル、先ほどのオマエの叫びには偽りも感じられた。長く胸で温めすぎていたためだ。ほどよく外に出し冷やさねばなるまいよ。
というわけで、冬フェンリルがオマエに頼もう、夏祭りに出てくれないか?」
「……断れないじゃないですか」
「そうなのか?」
「ホヌ様に不調が現れるようなら、断ることができます。しかしフェンリル様は、オマエたちの心と仰いました。外に解放しなければ、ホヌ様のお心も危険なのではないでしょうか。でしたら夏祭りに出ます」
「なんだ。気づいていたのか」
「なんとなくは。彼女のことはずっと見ていますから。いらっしゃるときはお姿を、いらっしゃらない時には常向日葵の健康を通して、遠く離れているならば自分の夏の爪先を眺めます。
しかし若年の自分の判断のどれほどが正しいのでしょうか。こうだろうと思うことは、自分が生きているうちのホヌ様の比較によって行われているだけなのです。異変があるように見えて、ホヌ様が100年間で当たり前にある揺らぎなのかもしれないでしょう。
フェンリル様にそう言われるまで実感が持てませんでした」
「細かいところまで見る目を持っているな、カイル。しかし細部を見過ぎて大きなところを見落としているぞ。私は四季の大精霊だが、夏亀とは数日会っただけであり、夏の民の方がよっぽど彼女をわかっている可能性があるよ。元は人なのだ。心の部分はそう変わらないんだ」
エルに似ているな、とフェンリルは思った。
だからカイルを多めに気にかける気になったのだろうと。
「四季獣はそれなりに惚れっぽいぞ」
「ままま誠でございますか」
「変な言葉遣いだ……」
カイルはけして鈍くない。
しかし”いけない”という自意識が彼のなめらかな動きを阻害して、ギクシャクとした人形のようにしてしまっているだけのようだ。
(カイルはそういえばもらわれ子なのだったか。王族の血を引いている遠縁の一般人が産んだ子なのだとか……冬の双王子が言っていたな。あと……治安の悪いところで暮らしていたのを王宮に拾われてきて、怖がっているところで、初めて信頼できたのが夏の四季獣。
その時ようやくうっすら黄色がかっていた爪が黄金の如く光ったのだという。カイルは夏の民の中でもとくに強い魔力を持ち、将来有望。しかしそれゆえに後継問題で恨まれてもおり……。ああ、ややこしいな。クリスのようだ。しかし妹のミシェーラのような豪傑はいないらしい。それは苦しいのだろうな。
まあ頑張ってくれるだろう。冬の民みたいに情熱的なのだし)
フェンリルのスパルタスイッチが入った。
応援すれば、応えてくる生徒は、フェンリルが非常に好む素質である。
もう一発言っておこう。
「なぜ私がここまでカイルを気にかけることにしたのかというと。この海が元に戻ってくれないと、私がエルとデートをできないからだ。このように大精霊だって遊びたがることがあるし。あー、デートができないと悲しくなりそうだ」
「冬の大精霊様が悲しみに暮れそうでいらっしゃる!?!?」
カイルはその場で夏の舞いをぐるりと一度。決めポーズ。
「夏祭り楽しみます!!」
次の日、太陽がさんさんと微笑んだのは言うまでもない。
読んでくれてありがとうございました!
3月25日のコミカライズはおやすみです。
先月の描き下ろしがたっぷりありましたので、そちらを改めて見てもらえたらと思います₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑
小説更新もたっぷりとなりました。
フェンリルとカイル王子に話してもらったら、どんどん会話がでてきて驚くくらいでした。伏線まで話そうとするので困りました…笑
また、更新しますね!(`・ω・´)ゞ
それでは。




