1:ホヌ・マナマリエ島へ。
大海原をゆく客船の甲板に、歌が響く。
おおらかな夏の歌だ。
お客様として招待されている私たちは、耳を傾けた。
私の目の前で、獣耳がふわりと揺れる。フェンリルがふと頭を預けてきたからだ。冬の大精霊であるフェンリルは移動のため人型になり、大きな狼の耳とそれに連なる髪を、夏毛である白金色に変化させている。
青空の下、私たち<北国フェルスノゥ使節団>は、誰もがみんな淡い色をもちさわやかだった。
夏の潮風と、冬の粉雪がまざりあう、とても幻想的な光景が生まれていた。
ーーー
あるところに小さな島があった。
小さな生き物たちが 小さな群れをつくり暮らしていた。
嵐があり、空が轟き、海が荒れ、大地が割れ、島はなくなろうとしていた。
そこに黄色の光が満ちて、ここを夏にしてもよいかと問う。
受け入れたとき、とても大きな島が現れた。
夏亀様の甲羅のうえで、小さな生き物たちは生きながらえた。
夏亀様が足踏みすれば、大地も踊り、島ができる。
甲羅にあたった夏の光から 常向日葵が咲きあふれる。
サファイヤの雨は 真水の泉をつくる。
ホヌ・マナマリエ。
ホヌ・マナマリエ。
ーーー
夏の大精霊がおわす離島ホヌ・マナマリエの第一王子・カイルさんが、礼をした。
弾き語ってくれたのはホヌ・マナマリエの民謡だそうだ。
(カイルさん、でもカイル王子、でも気まぐれに呼んでほしいんだって。気まぐれをゆるされる権利を持っていると、私たちに示すことと、島民にも周知するためなのだとか)
ウクレレに似た楽器をかき鳴らすと、音程が波のようにゆれる。とても包容力のある音は聞いていて気持ちがいい。
どうでしたか? と聞かれたので、島の物語はまるで別世界の話を聞いているみたい、と感想を伝えた。
ホヌ・マナマリエ島は夏のもっとも輝く土地で、私たちがやってきたのは冬のもっとも降り積もる土地だから、違いがよくわかるの。
カイル王子はにっこりと笑い「だからハネムーンに向いていますよね」と宣伝する。
「──なるほど、ハネムーンは新婚旅行であり、旅行というのは元の土地から旅することを言いますから、元の土地と違うほどハネムーンという言葉の真理なのかもしれませんね」
なーんて理屈っぽいことを早口に言った。
だって、フェルスノゥ王国の幼い双子王子・ジェニ・メロたちが嫉妬したように頬をふくらませていたから。
冬の大精霊フェンリルを崇める彼らからすれば、冬フェンリルの喜ぶことはなんでだって、”自分たちが”作ってあげたいと思うのだろうから。
そういう気持ちは少しわかるんだ。
私だって、好きな人の力になりたいタイプだから。
チラリ、とフェンリルを見上げる。
船の甲板でとなりあって座っている私たちは、とても距離が近い。
すこしでも身じろぎしたらすぐに視界の端に入る。
フェンリルは白金色の髪を揺らして、ん? というように首を傾けた。
「あ、えっと……。潮風が気持ちいいね、フェンリル」
「そうだな。冬とはまた違う、肌をつつむような独特の熱気があるなぁ…………」
「…………フェンリル?」
「…………」
「……顔が赤い。熱中症かも……!? みなさんちょっと氷魔法を使うので、寒さに耐えてくださいね〜!」
口にしてから、私はペンダントをひっつかむ。
緑の国ラオメイの近くで購入した、溶けない氷のペンダントだ。
これを握っていたら夏でも氷魔法がコントロールしやすい。
──私はフェンリルの後継者だけど、気持ちが焦っていたら魔法を暴走させてしまうこともあるから。ただでさえ私は魔力の量が多いからね。
フェンリルの額に手のひらを当てる。
そうっと、熱冷ましをイメージしながら私の指先のほうを冷ましていく。
額の熱気がとれてきたら、頬をつつむようにして顔の熱を冷ます。そして首筋へ、ここは大きな血管が通っているから冷やしてあげたら全身の体調も治りやすい。魔力を帯びた血がフェンリルの全身に流れることで、体調は良くなっていくだろう。
「顔色がよくなって……ああ、よかったぁ。フェンリルは純粋な冬の大精霊だから、私よりも夏に弱いみたいだし、もしも体調がおかしかったらすぐに言ってね。ああそうだ、これまではフェルスノゥから出たことがなくて熱の影響を感じたこともなかったでしょう。そういう感覚を大切にしてみて。私が側にいるんだから、いつでも助けるよ」
「……ああ。ありがとう」
フェンリルは肩の力を抜いて、へにゃりと私の方に頭を寄せた。
表情よりもよほど雄弁な獣耳の様子を見てみると、ひくりひくり、と動いてる。これはちょっぴり照れがあるのかも、という感じ……。
なんて言ったらいいのかな。氷が溶けていくように、夏の島が近づいてきてからのフェンリルは人間味が増している。いや冬の大精霊が氷溶けたらだめなんだけどね〜。
おっと。
まわりのみなさんに声をかけておこう。
「みなさーん。危機回避です!おつかれさまでした」
「「「お、お疲れ様でした~……」」」
濃い金髪をもつ夏の民のみなさんは、アロハシャツに霜をつけた状態でぶるぶる震えている。けれど腕を組んだりなどすることなくいつも通りのポーズで、笑顔を保ってみせるあたり、お客様を前に気丈であろうとする営業マンの鏡だ……!
「「わぁお! さすがですエル様。ちょうどいい冷ややかさの冬の魔法ですねっ」」
「そうなのか!?」
ジェニ・メロ王子たちがきゃっきゃと喜び、カイル王子がツッコミを入れていた。
このあたり、彼らの種族性の違いがあるよね。
近くを通りかかった商船がとまり、こちらの船に近寄ってくる。
カイル王子が笛を吹く。ピューイ……トンビのような高い音。笛の合図は、交易をしようという合図なんだって。
ホヌ・マナマリエの原住民の方の船は特例的に、観光客との直取引が特別に許されているそうだ。そこで扱っているのはホヌ・マナマリエの奥地から持ってこられた島の特産品。茶色の木のカゴに入っていたり、ヤシみたいな葉っぱで包まれたりしている。
カイル王子たちが買ったのはトロピカルフルーツの盛り合わせ。
それを使ってミックスジュースを作ってくれた。甘ずっぱい果実100%ジュースを、冬の魔法でキーンと冷やしてあげると、とても喜ばれた。
ジュワーー、と体にしみこんでいく〜。
ビタミン的なものを摂取して、体力回復したので、元気を取り戻した私は甲板に立つ。
船の前方の柱につかまり、背伸びしてみると、カラフルな色合いが見えてくる。
島の周りをぐるりと囲むようなヒマワリの黄色と、色とりどりの屋台街、青い海と空。
ホヌ・マナマリエ島に到着だー!
「ようこそお越しくださいました」
船から降りるところに、観光客へのおもてなしをしてくれる人々がズラリ。
さわやかな白いシャツにブルーのスカーフ、腕章にはホヌ・マナマリエ特有の文字が書かれている。それから持っているのはヒマワリが笑っているようなイラスト。
なるほど、他所からの観光客が多くっていろいろな言葉が混ざるから、イラストで友好の気持ちをアピールしているんだね。すごく工夫されていて、面白いなあ!
私にはどのような言語も聞きわけられる。
だから、歓迎してくれる言葉以外に、周りの人々がどのような噂をしているか、小さな声も聞き取れてしまう。
「それにしてもまた豪華な船がやってきたな。たいそうなご身分の方のお忍びなんだろうさ」
「背が高くてなんだかおっかないねえ。肌がまっ白で作りものみたいだ」
「まさか、北のほうからわざわざホヌ・マナマリエの真夏日にくるなんてねえ。へんな人たち」
「ね〜。女の人のスカートが長くてやぼったいよ〜。流行から遅れてるぅ〜♪」
私たちにわざわざ聞かせようと思っていない噂くらい、気にしない。
向けられた悪意じゃないなら、つっかかっていかなくても大丈夫。
そう処理してどうどうと立っていられる私になれて、よかったな。
一年前くらいなら、噂にビクビクしていたはずだ。
今の私になれてよかった。
だから、この島での活動も頑張っていくぞっと。
カイル王子が引きつった笑顔を保ちながら私に尋ねる。
「聞こえてましたよね。すみません!」
「いえいえ。見た目が目立つグループですから、噂くらいあるでしょう。不快な思いはしていませんし、それよりも、私たちを歓迎しようとしてくれている国のみなさんのお心に感謝します」
「ありがとうございます」
彼は胸をなでおろしている。
ちょっと大げさなしぐさは、パフォーマンスなのかもしれない。これほど気にかけたんですよって。でもしぐさが嫌味じゃないから、快く過ごさせてもらえている。細かいことをつつくのではなくて、夏のおおらかな空気に乗っかってしまおう。
歓迎団のみなさんから花の首飾りをかけてもらう。
この島では珍しいのだという、青色のハイビスカスの輪っか。
ひとつ。
ふたつ、みっつ、よっつ。……
埋もれてしまいますけど?
「ええと、それくらいで。お心遣い感謝します。……前が見えない〜」
「ワオ。この小娘ちゃん、こちらの言葉をこうも話すのだナ〜!」
シーーーン、と空気が止まる。
おっとお。何が起こっているのかな。私は花で視界が覆われて見えないんだけど。
よくないことが起こってるのでは? まあこれを調整するのは夏の島のみなさんの方だろうと思いますが。
フェルスノゥ人たちが迷惑をかけちゃっても、あとで気まずくなっちゃうしな。私も場を収めよう。
もらったものをいじるのはお行儀が悪いとは思いつつ、花飾りの上の方をぐいっともちあげて、視界を確保する。
そこでは、観光客向けの歓迎ガールが、せいいっぱい背伸びをしてまるで抱きつくように──
フェンリルにもたれかかっていた……。
用事はおそらく青い花飾りを首にかけることだろう。
ちなみにフェンリルはかがもうとする気配はなく、切り立つ崖のように直立している。
そのため、よいしょよいしょ、とのことのようだ。
だが。だけど。ねえ。
「ハッピー♪ サマー♪ サンシャイーン♪」
「それはダメです〜!!」
私が、フェンリルのフィアンセなので……!
私はフェンリルを後ろにひっぱる。
首からは貴重な花飾りがどさどさと落ちていってしまったけど、これだけは譲れなかったんだよ。
花を足で踏まないように気をつけながら後退する。
「すみませんすみませんすみません!!」
うん、これはすみませんかもしれないな!
カイル王子が、歓迎ガールの頭にチョップを落としている。
なんとなく北国のユニコーンと私を思い出すような光景だな……。
歓迎ガールが頭にかぶっていた山盛りの葉編みの帽子がどさりと落ちる。
まとめていた髪の毛がぶわっとおりてくると、目を奪うようなまばゆい黄金色だ。
この夏の日差しのような輝きの前では、繊細な白金色のフェンリルでさえも霞んでしまうくらいに。
よく日に焼けた肌に、サファイヤみたいな瞳が強く輝く。
「ヨウコソ、フェンリル〜♪ あなたもそなたもフェンリル〜♪」
陽気に歌ってみせた。
島特有の音をもつメロディだ。
というかこれのせいで、私たちが北のフェンリル族であるという疑惑で周りがざわついていますが。内緒にする予定だったのですけど、そこんところどうでしょうねカイル王子。という視線を投げかけておく。気の毒だけど彼が解決するっきゃないことですよ。
「……紹介します。夏の大精霊こと、夏亀様でございます……!」
そうだろうと途中から予想してたけどね!
私たちに依頼されているのは、彼女に広い世界の話を聞かせて楽しませてあげることだ。
さて、どう対応していったらいいかなぁ。
冬の代表国と、夏の代表国が、手を取り合う未来がかかっているのだから。
読んでくださってありがとうございました!
冬フェンリルシリーズは、冬編、春編、がグループリンクで繋がっております。
もしよろしければ更新待ちの間にそちらもお楽しみください。
まんが王国様にて、コミカライズされています。
マッグガーデン様にて、書籍化されています。
今後も楽しんでいただけると幸いです!