不器用な部下の気遣い
疲れた。
多分、一日の仕事と同じくらい疲れた。
なんというか、アレだね。若さを感じたね。
終始楽しそうな様子を見て、己がおっさんであることを分からされたね。
正直、十二階って聞いた時から嫌な予感はしてたよ?
だけど服選ぶだけで二時間って……まあ、仕方がない。これも仕事だ。
「先輩、馬子にも衣裳ですね。普段より、かっこよく見えますよ」
「ああ、うん、ありがとね。須賀さんも似合ってますよ」
「はー? そ、そんなの当たり前じゃないですかー?」
服は店内の試着室で着替えた。
元着ていたスーツは買い物袋に入れてある。
「とりあえず荷物をロッカーに置きましょう。ちょっと歩けば東京駅です」
彼女はスマホを手に移動を始めた。多分、地図を確認している。
俺は少し駆け足で隣に立ち、うんざりする程の人混みを歩いた。
(……土曜日でもこんなに人がいるのか)
普段この時間に家を出ることは滅多に無い。
休日に外出するとしたら日が落ちた後で、行動範囲も家の近くだけ。
(……買い物に来てるのか?)
彼らは、一体何を目的として、わざわざ休日の朝に外出しているのだろう。
不思議に思って観察していると、不意に袖を引っ張られた。
「先輩、何キョロキョロしてるんですか?」
「ああいえ、その、色々な服屋があるなと」
声をかけられ、なんとなく、別の話題を口にした。
すると彼女は何か哀れな存在を見るように目を細めて言った。
「先輩、服を買える場所は、ユニシロだけじゃないんですよ」
何も言い返せないが不服である。
そこで会話が途切れ、無言の移動が再開した。
(……意外と距離あるな)
五分ほど経ったところで、ふと隣を歩く部下に目を向ける。
(……荷物とか持った方が良いのだろうか)
彼女は左手に買い物袋を持ち、右手にスマホを持っている。
最初は速攻で荷物を押し付けられると思っていたが、それは無かった。
(……なんだこの、微妙な感じは)
会話が無いことに違和感を覚える。
直前まで喋り続けていたせいだろうか?
(……話題が無い)
思い付くのは仕事の話だけ。
この前のツール部長が褒めてたよ、とか。それくらい。
「先輩、お腹、空いてませんか?」
「……ああ、そういえば、良い時間ですね」
「近くに先輩の大好きな回転寿司がありますよ」
いや、そこまで好きなわけじゃないからね?
「なんですか、その目。他に何か希望があるんですか?」
「……いえ、ありません」
「じゃあ決定ですね。荷物を置いたら食べましょう」
「承知しました。でも、この時間って混むのでは?」
「予約してるに決まってるじゃないですか」
彼女は当然のように言って、俺にスマホ画面を見せた。
よく分からないが、恐らく店の予約画面が表示されている。
「へー、こんなアプリがあるのか」
「うぇ、それマジで言ってます? 普段どうやってるんですか?」
「普通に現地だよ。基本カウンターで一人だから、待たないし」
「うわー、先輩、マグロナルドの注文とかも物理列に並んでそう」
「え、並ばないの?」
「アプリ使いましょうよ……」
その後、自然と会話が弾む。
彼女からすれば、アプリの存在を調べることは常識らしい。
もちろん俺は違う。
店なんて、電話するか現地で順番を取ることが当たり前だった。
(……ほんと、たった数年で様変わりしたものだ)
現代社会は情報に溢れている。
しかし社会は丁寧に情報を教えてはくれない。
知っている者が得をして、知らない者が取り残される。そんな時代だ。
(……これからは、もう少し色々なことに興味持たないとダメかもな)
いつも以上にイラっとする彼女の声を聞きながら、そう思った。
それから数分後、駅に到着。俺達は空いているロッカーに荷物を入れて、回転寿司へ向かった。店の前には数人の待ち客が立っていたが、彼女が機械を操作した直後に席へと案内された。
(……手際が良過ぎる)
そこで俺は、ようやく気が付いた。
これまでの時間は、きっと事前に考えられていたのだろう。
彼女はスーツで現れた。俺がスーツで来ることを想定していたからだ。
その後、服屋へ行った。周辺に複数の服屋がある中で、彼女が選択したのは俺でも知っているようなユニシロだった。それからロッカーのある場所まで歩き、その近辺にある回転寿司へと足を運んだ。
あまりにも手際が良い。
事前に計画を立てなければ、ここまでスムーズには進まない。
(……意外と気を遣える奴なのかもしれない)
ふと、そんなことを思った。
服のことだけなら「スーツ着たおっさんの隣を私服で歩きたくない」みたいな理由かもしれないが、昼食に回転寿司を選択した理由は、俺に対する気遣いだと考える方が自然だ。
よくよく考えれば、彼女の欠点は発言がイラっとすることくらいである。
何か非常識な行動があるとか、仕事で嫌がらせを受けたとか、そんなことは無い。
頻繁に飯を奢らされることが迷惑と言えば迷惑だが、それはツールを作ってくれたお礼である。そもそも、最終的に奢る判断をしているのは俺だ。
「先輩、ここからが本番ですよ?」
テーブル席に座り、一通りの注文をした後で彼女が言った。
「引っ越し先の検討ですよね」
「はい。まず皇居まで歩いて、それから目黒辺りまで歩く予定です」
「目黒? 結構遠い気がするけど、何キロくらいあります?」
「徒歩圏内です」
良い笑顔だ。
俺の脳内地図では十キロ近くあるが、彼女が言うならそうなのだろう。
「ところで、先輩はどの辺りに住んでるんですか?」
「洗足池ですね」
「どこですかそれ……あ、一発で変換できた」
質問しながら検索するところがZ世代らしい。
これがおっさん同士の会話なら、知らない方がひたすら質問する流れだ。
「うわ、汐留まで乗り換え二回もあるじゃないですか」
「意外と楽ですよ。体感時間が短いので」
「そういう視点もあるんですね。でも、それだと勉強とかできなくないですか?」
電車で勉強するのが当たり前みたいな言い方やめて?
「家賃は安いですね。治安はどんな感じですか?」
「俺は悪くないと思うけど、女性の視点だと、なんとも言えないですね」
「へー、そうなんですね。因みに、ここも更新が来たら引っ越すんですか?」
「そうですね。次の場所まだ決めてないけど、来年の六月に」
「なるほどー」
言いながら思った。今回の「仕事」は俺にも利点がありそうだ。
ただ……こいつが考えてる場所、どこも家賃が高そうなんだよな。
「あ、お寿司来ましたね。って先輩、初手コーンですか?」
「美味しいから仕方ない」
「じゃあ私も次に頼みます。微妙だったら先輩の奢りということで」
「待て、それ俺に勝ち目無くないか?」
「さー、どうでしょうね?」
彼女は不敵な笑みを浮かべ、軽く肩を揺らした。
「冗談です。今日は私が付き合わせている立場なので、先輩の分も出しますよ」
「それはそれで気が引ける。普通に割り勘しましょう」
「あーあ、百年に一度のチャンスを逃しましたね」
どうやら次の機会は無いらしい。
「先輩、ピーペイやってますか?」
「はい、やってますよ」
「先に履歴作りましょう。とりま一円送るので、電話番号教えてください」
「分かりました」
その後、普通に食事をして、日が暮れるまで歩き回った。
解散したのは午後の六時くらいだったから、まさに仕事って感じの拘束時間だ。
ただ……こういう機会は新鮮だからだろうか? 隣でずっと騒いでるあいつを見ているのは……まあ、半年に一回くらいなら悪くないと、そう思える時間だった。
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