不器用な部下と待ち合わせ
土曜日。それは社会人にとって至福の時。
昼に起き、夜に駆け、朝に眠る。そして翌日の昼に起きる。
怠惰な生活が許される一週間で唯一の日。
そんな土曜日を、俺は、不器用な部下に奪われてしまった。
許されない。絶対にだ。
残酷な提案をした部下も、それを拒絶できなかった過去の自分も……。
「切り替えろ。ここからは仕事だ」
目的地付近に到着した俺は、声に出して自分に言い聞かせた。
これは社会人になってからの十年間で身に付けたルーティンのひとつ。
どれほど困難な出来事でも、仕事だから仕方ない、という言葉で乗り越えられる。
「さて、まだまだ時間には余裕があるな」
腕時計を確認すると、約束の時間まで約ニ十分ある。遅刻したら何を言われるか分からないから早く来たが、もう二本くらい電車を遅らせても良かったかもしれない。
俺は時間を潰せる物を探すため周囲を見た。
ここは汐留駅を出て直ぐの場所にある……謎の場所。普段ならもう少し歩いて出社するところだが、今日の集合場所は会社の外である。
謎の場所はとても広い。
俺が入社した頃には、毎日のように大行列が作られていた。
しかし最近は寂しいものだ。
大企業の移転、在宅勤務の浸透。理由は様々だろうが、とにかく人が減った。
さておき、あらためて見ても、ただの道である。
中央にオシャレな草花が飾られている程度で、時間を潰せる物は何もない。
(……ソシャゲでもするか)
そう思った瞬間、誰かに背中を押された。
(……ビックリした。でも犯人、一人しかいねぇよな)
急な出来事に驚きながら振り返る。
そこには、予想した通りの人物が立っていた。
「先輩、早いですね。そんなに楽しみでしたか?」
須賀海華。
優れたIT技術と、俺の神経を絶妙に逆撫でする声帯を持った女性。
彼女の姿を見て、俺は少し意外に思った。
服装がスーツなのだ。量産型の女子大生みたいな外見だから、てっきり若者っぽいキャピキャピした服を着てくると思っていた。
「なんですか先輩。私のことジロジロ見て。お金取りますよ」
「ああいえ、すみません。スーツなのが意外だったので」
「先輩もスーツじゃないですか」
「それは、まあ……」
服が無かったからね。仕方ないね。
「やれやれ、私の予想した通りになりましたね」
「どういうことですか?」
「もしも私が可愛い服を着ていたらー? 周りからどう見えますかー?」
「なるほど……」
相変わらずイラっとする言い方だが、納得してしまった。
俺は他人からどう見られているかなんて気にしないが、彼女は違ったのだろう。
言われて考えると、まあ、怪しい関係だ。
しかし二人ともスーツなら、まあ、仕事中って感じだ。
それは俺に対する気遣いか、それとも自己防衛的な判断か……どちらにせよ、視点とか考え方が異なることを実感した。
「というわけで、服を買いに行きましょう」
「いや、俺は別にこのままでも」
「行きましょう」
「……はい」
俺は笑顔の圧に屈した。
彼女は満足そうに「よろしい」と言って、
「無難に新宿か渋谷辺りですかね?」
「……お任せします」
「じゃあ青山とか丸の内にある高級ブランドにしましょう」
「待ってくれ。それはちょっと、本当に待ってくれ」
高級ブランド。服一着で数万円が当たり前の世界。
ふざけろ。布だぜ? そんな金は出せない。全力で避けたい。
「これから沢山歩くわけだろ? 汚れても構わない安い服が良いんじゃないか?」
「冗談です。先輩の財布がスカスカなのは知ってますから安心してください」
彼女はイタズラが成功した子供のような笑顔で言った。
俺は安堵して……いや待て、まだだ。油断できない。
「普通に近くのユニシロにします。調べるので待ってください」
「ユニシロ? それは、あのセカンドリテイリングの子会社のユニシロ?」
「セカンドなんとか知らないですけど、普通のユニシロです」
「……そうか」
「嫌な反応ですね。何かおかしかったですか?」
「いや、その……若い子はユニシロを嫌っている印象があるので」
言葉を選んで言った。
俺の印象を素直に述べるなら、須賀さんのような量産型大学生は「ユニシロ?」「ださ」「貧乏」「ざっこ」みたいなことを言い出しそうなものだ。
「先輩、ほんと古いですね」
否定はしない。
「とりあえず高級ブランドなんて考え方、おばさんだけですよ。最近はコスパです。こんなにも可愛い服が、たったの千円! みたいな方がカッコいい時代です」
「……知らなかった」
「知っててください。とりま近場に一軒あったので、移動しましょうか」
彼女は会話を打ち切って、歩き始めた。
俺は少し離れた位置をキープして、その背中を追いかける。
「先輩、なんでそんなストーカーっぽい距離感なんですか?」
確かにストーカーっぽいかもしれない。
俺は反省して、彼女の隣、一メートルくらいの位置を歩くことにした。
「いやいや遠いですよ。もっと普通にしてください」
「……そ、そう?」
俺は嫌な緊張感を覚えながら、少しずつ距離を詰め、彼女の反応を伺った。
一足分……まだ遠そうだ。二足分……これもダメそう。ならもう少し──
「あーもう! 普通に隣歩いてください!」
彼女は俺に肩をぶつけた。
「普通、一緒に歩くならこの距離感じゃないですか?」
拳ひとつ分の距離で、彼女は目を細めて言った。
「……以後、気を付けます」
俺は彼女の反対方向を見ながら言った。
なぜって……何かその、甘い匂いがしたからだ。
「あーでも、この距離だと先輩って感じのにおいがしますね」
その言葉に二重の意味でドキリとする。
ビクビクしながら目を向けると、彼女は口元に手を当て、楽しそうな顔で言った。
「感想、聞きたいですか?」
「……遠慮する」
「えー、もしかしてー、怖いんですかー?」
彼女は口元に手を当て、相変わらず神経を逆撫でする声で煽ってくる。
「安心してください。鼻が曲がるようなにおいではないですよ?」
「……あはは、それはどうも」
その後、一キロくらい徒歩で移動した。
その間は意外と平和だった。理由は、なぜか彼女の口数が少なかったからだ。
……よく分からん。
かくして俺は、ユニシロへ入店した。
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