Side M : 初恋の記憶
その夜、布団に入った海華は、ニヤニヤしていた。
彼女の両手には「先輩攻略大作戦」と記されたノートが大事に抱きしめられている。ノートの中には──
予定 12:30 ユニシロを出る。
実績 12:37 ユニシロを出た。
メモ 先輩に服を選んで貰えた。幸せ。
予定 13:00 回転寿司到着。
実績 13:04 回転寿司到着。
メモ 先輩あまり寿司が好きじゃないのかもしれない。
──という具合に、その日の予定と実績、そして感じたことなどがギッシリと記されている。
彼女はノートを枕元に置き、代わりにスマホを手に取った。そして、電話帳に記された真新しい項目を見つめる。
「先輩の電話番号、ゲットしちゃった~!」
実に狡猾な女である。
「先輩、次の引っ越し六月か。ちょっと遠いけど、それなら、タイミングを合わせて一緒に、なんてことも……むへへ」
海華は他人には見せられない顔で笑う。
「……今日は、本当に、最高だったな」
彼女は今日一日を嚙み締めるようにして言った。
「……良い夢、見れそう」
彼女は目を閉じる。
そして、先輩と過ごした一日を思い浮かべながら眠りに就いた。
その夜、彼女は夢を見た。
* * *
親ガチャという言葉がある。
当たりか外れか、あるいはレアリティを議論する声は無数にあるが、点数を明確に定義する方法は示されていない。
海華は思う。
そんなもの、たったひとつの質問で分かる。
──とある人物が実の親を殺害しました。この人物に対する嫌悪感に点数を付けてください。最も嫌悪感が大きい場合を100点、最も小さい場合を0点とします。
この質問に対する答えが、親の点数だ。
幼い頃の彼女ならば迷わず100点と答えた。しかし大人になった彼女は、きっと0点に近い点数を付ける。
彼女の家族は、酒によって壊れた。
当時の彼女が知り得たのは酒が原因ということだけだった。
なぜ? どうして?
彼女はずっと疑問だった。
やがて彼女はスマホを得た。
そしてインターネットの存在を知った。
直ぐに調べた。
なぜ、あんなに優しかった家族が壊れてしまったのだろう。
彼女は知った。
飲酒は脳細胞を破壊する。
多くの脳細胞を失った者は、まともな判断をすることができない。
有名な事例はアイドルグループのT〇KI〇だろう。
飲酒により大きな失敗をしたY氏は、仲間と話をして、二度と同じ失敗をしないと誓った。しかし、その約束は守られなかった。
信じられるだろうか?
長年一緒に努力した仲間の信頼を裏切って失敗を繰り返したのだ。
なぜ? どうして? 答えは簡単だ。
彼には、まともな判断を下せるだけの脳細胞が残っていなかったのである。
他にも無数の事例がある。
世界の天才達が人生を賭けて集めた証拠が、インターネットで簡単に手に入る。
海華は家族が壊れた理由を知った。
そして思った。もっと早く知っていれば、もっとみんなが、当たり前のように情報を得ていれば、きっと私の家族は壊れなかった。
海華は情報の虜になった。
同時に、とても理屈っぽい性格になった。
その言葉は常に正しく、常に他人を傷付けた。
そして他人を傷付ける度、海華の口数は減っていった。
彼女は会話に恐怖を覚えるようになった。
人間は非合理的で、正論を告げると怒りだす。
ならば何も話さない方が良い。
無理に会話しなくても、スキルを磨いて結果を出せば良い。
彼女はどんどん会話が苦手になった。
反対に、会話を必要としない能力が著しく向上した。
やがて彼女は社会人になった。
そこで出会ったのは、いつも薄っぺらい笑みを浮かべている男性だった。
(……つまらない人)
それが第一印象だった。
ハラスメントを極度に恐れる彼は、それはもう、虚無だった。
(……壁と話してるみたい)
仕事を教わる立場だから、会話の機会は多かった。
当然、質問には返答がある。しかし海華は壁と会話しているように感じていた。
やがて、ひとつの仕事を依頼された。
「業務について説明します。まずはブラウザをふたつ開いて、それぞれ次のURLにアクセスしてください。……はい、開きましたね。それでは左側のブラウザの、このテーブルに書かれた数値を、右側のブラウザの、このフォームに入力してください」
仕事のレベルが異常に低いと感じた。
こんなもの、ほんの少しプログラムを書けば自動化できる。それを手動でやってるなんて信じられない。そして、その程度の会社にしか入れなかった自分が情けない。
「須賀さん、以前お願いした仕事、そろそろ慣れましたか?」
「自動化しました」
「……はい?」
海華は指示を無視した。
これまでの経験から「余計なことをするな」と怒られる未来を予想していた。
しかし彼は怒らなかった。
むしろ海華を褒め、より高度な仕事を任せるようになった。
(……そっか、新人だから、軽い扱いだったのか)
海華はそのように解釈して、どんどん能力を発揮した。
そして、ある日のこと。
「いや、流石に作り直す必要は無いんじゃないかな?」
「いいえ、根本的に修正すべきです。これから根拠を説明します」
海華は重要なシステムの性能改善を任された。
それは社内で初の内製開発システム。様々なデータを持ち、そのデータを必要とする別のシステムへ届けるAPIとして機能していた。
稼働が始まった当初は問題なかったが、最近では「応答が遅い」などのクレームが頻発していた。このため、原因を突き止め性能を改善したい、というのが海華に依頼された仕事だった。
海華はソースコードを見て、目を疑った。
まるで夏休みの自由研究だった。それは社内において重要な役割を持つシステムと聞かされていたのに、とても古い技術を用いて、とても拙いスキルで作られていた。
「こちらの図が、ログを元に算出した応答時間です。見ての通り、指数関数的に遅延していることが分かります。このままだと、一年後には平均応答時間が一分を上回ります」
「……そうですか」
「原因としては細々としたロジックの不備が考えられますが、そもそもの問題として使用している言語やDBなどのバージョンが古過ぎます」
「バージョンを変えるだけで解決しないかな?」
「不可能です」
海華はバッサリ言った。
これまでなら、彼は海華の発言を全面的に信じて、深く追求しなかった。
しかし今回に関しては、海華がどれだけ説明しても、なかなか納得しなかった。
(……それだけ重要なシステムなのかな)
海華はそのように解釈して、丁寧に説明を続けた。
「──このように、新環境で構築した後に宛先を切り替える方法ならば、夜間に行うことで業務影響を出さずパフォーマンスを改善できます。改善後は、十年後まで応答時間を100ミリ秒未満に抑えられる見込みです。私に任せて頂ければ、来月までに開発できます」
海華が提案すると、彼は考え込むようにして目を閉じた。
実際、一分近く返事をしなかった。やがて目を開いた彼は、柔らかい笑みを浮かべて言った。
「分かりました。お願いします。それまで、他の業務はストップして大丈夫です」
「……はい!」
そして海華は、宣言通り一ヵ月で開発を完了させた。
それは彼女が事前に示した通りの性能を発揮して、その圧倒的な技術力を社内に知らしめる結果となった。
ある日、海華は別の社員が会話しているのを聞いた。
「お前、あの新卒の話聞いた?」
「ああ聞いた聞いた。信じられないよ。最近の子やばいな」
鼻高だった。彼女としては「できることをやっただけ」という認識だけど、やはり褒められるのは悪くない。
「その子が凄いのはもちろんだけど、立花さんも凄いよな」
黙って通り過ぎようとしていた海華は、その言葉を聞いて足を止めた。
(……立花って、あの人の名前だよね?)
何が凄いのだろう?
悪いとは思いつつも聞き耳を立てる。
「元々のシステム、あの人が作った物だろ? プレゼン内容聞いてたけどさ、全否定じゃん。よく許可出したよなって」
「確かに。当時、彼すごい頑張ってたし、心情的に気持ち良くはないだろうね」
「だよね。お前、同じ立場だったら同じことできる?」
「そらもちろん。新人の頑張りは尊重しないと」
「ほんとかよ。よしんば尊重できても、自分の作った物を否定しながら上にアピールできるか?」
「あー、それ凄かったよね。上も新人の意見ってことで乗り気じゃなかったのに、全責任は自分が取るとか言ってさ──」
海華はその場から離れて、直ぐに古いソースコードを見直した。
最初は「夏休みの自由研究」と表現して切り捨てた稚拙なプログラム。だけど改めて見ると、節々に努力の跡が感じられる。
(……夏休みの自由研究なんかじゃない)
海華には分かった。
それは、初心者が独学で必死に作り上げたものだった。
(……私、酷いこと言ってた)
途端に背筋が震えた。
(……謝った方が良い……よね?)
海華は急に恐ろしくなった。
これまで彼女は、同じ失敗を何度もしている。
この世界は、正しいことが全てじゃない。
自分を否定された時、普通は誰でも攻撃的になる。
「……あの、先輩」
仕事の合間、海華は声をかけた。
「はい、何か質問ですか?」
彼は作業と止めて、いつものように薄っぺらい笑みを浮かべて言った。
「……聞きました。あのシステム、作ったの先輩だったんですね」
「ああ、聞いてしまいましたか。いやはや、お恥ずかしい限りです」
海華は唇を嚙み、一度良く考えてから、慎重に言葉を発した。
「……どうして、私の話、聞いてくれたんですか?」
「どういう意味でしょうか?」
「……私、全否定しました。普通の人なら、怒ってもおかしくない、ので」
ぽつりぽつりと、消え入りそうな声で言った。
「確かに、気分は良くなかったかもしれません」
彼はあっさりと肯定した。
海華は全身に鳥肌が立つのを感じた。また間違えたと思った。
「しかし、最も努力した人が最も評価されるのは当たり前のことです」
海華は思わず目を見開いた。
それは全く予想していなかった言葉だった。
「今後とも、よろしくお願いします。何か気付いたことがあれば、遠慮なく教えてください」
彼は当然のように言って、仕事を再開した。
もちろん、その言葉に深い意味は無い。彼としては、問題を避けるため無難な返答を選んだだけだ。しかし、海華は違った。
(……こんな人も、いるんだ)
最も努力した人が最も評価される。
当たり前の言葉だ。しかし、それを彼と同じ立場で言える人間は多くないだろう。
海華は席に戻った後、改めて彼のソースコードを見た。
とても稚拙で、素人が色々と試行錯誤しながら開発したことが伝わるモノ。
コメントに日付が記されており、少なくとも半年は開発が続いていると分かる。
一方で、海華の開発時間は一ヵ月に満たない。
どちらがより努力したのかなんて一目瞭然だ。
しかし彼は、海華の方が努力したと迷わず口にした。
(……面白い人)
その日から海華は彼の見方を変えた。
最初は壁と話しているように感じられた態度も、見方を変えることで、相手のことを気遣っていることが分かった。ひとつのことに気が付いたら、直ぐにまた別のことにも気が付いた。
「先輩、お昼、行きませんか?」
それから海華は、彼と会話する機会を増やした。
「先輩、好きな食べ物とかありますか?」
話す度、彼のことをもっと知りたいと思うようになった。
「先輩、この雑誌の二人だと、どちらが好みですか?」
いつの間にか、彼に良く思われたいと思うようになっていた。
──それ、その先輩のこと好きなんじゃない?
ある日、友人に言われた。
そして海華は、その気持ちの正体に気が付いた。
最初は少し意外だった。
彼女は恋を本とかドラマでしか見たことが無い。だから、何かこう劇的なモノだと考えていた。それと比較したら、この気持ちはどうだろう?
ちょっと嬉しいことがあった。
それから気になって、会話する機会が増えた。
会話する度、もっともっと相手のことが知りたくなった。
気が付けば、いつも、その人を考えていた。
緩やかに、無意識に──須賀海華は、初恋をした。
* * *
「……あれ、朝?」
海華は起床した。
直前まで何か夢を見ていたような気がするけれど、思い出せない。
「……きっと先輩のことだ」
海華は笑みを浮かべ、身体を起こす。
それから洗面台へ行き、洗顔などを済ませた後、寝室にある鏡の前に立った。
無線のイヤホンを装備して、教材を再生する。
「ざーこ。よわよわ。……んー、もうちょっと囁く感じかな?」
彼女は化粧をしながら、先輩が喜びそうな言葉を練習した。
べつに先輩はそちらの趣味がある方ではないけれど、彼女はその事実を知らない。
一通りの準備を終えた後、彼女は『先輩攻略大作戦』と記されたノートを開く。
そして彼女は、ボールペンを手に、とても楽しそうな様子で呟いた。
「今日は、どうやってアピールしようかな?」
ありがとうございました。ここで完結です。
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