他人のミスなのに給料減額、ボーナスカットされた。ふざけんな! 社会弱者の私を嵌めた社長の息子に復讐してやる。
※作中に登場する名称は全てフィクションです。
「君のチームは長く関係が続いていた大手取引先の信用を失墜させ、今後の取引を中止に追い込んだ。この件は我が社の業績低下が確実な話だ。だから、残念ながら君の査定は最低に変更せざるを得ない」
社長の太鼓持ちをやっている部長から、営業の不手際を理由に今年度のボーナスカット、それだけでなく給料の減額まで言い渡された。
ふざけんな!
失態を犯したのは社長の息子だろうが!
あのボン太郎のミスの所為でどうして私のボーナスがカットされなきゃならない!
ただでさえ少ない給料が減額されるって、どうやったら生活できるのか教えて欲しい!!
私は怒りに震えて唇を噛みながら部長の顔を見たが、奴は言いたいことだけ言うとすぐに目を逸らして会議室から出て行った。
あの部長だって本当は社長の息子が大ポカして、得意先を激怒させたんだと知っているんだ。
でも、オーナー社長が息子のボン太郎をかばって私をスケープゴートにしやがったようで、社長が決めた私の処分をあの部長はロボットの様に忠実に実行しやがった。
このクソみたいな零細ブラック企業はオーナー社長が神のように振る舞い、逆らう者は容赦なく処刑されてしまう。
だから、ハイハイ言って平伏しているのが一番なのはよく分かる。
だけどだ!
他人のミスのせいで私だけが責任を取らされ、収入が減らされるなんてどうあっても納得いかない!
狭い会議室で怒りに震えながらも、それでもこの状況を耐えなければならず将来が暗闇でしかないことに絶望した。
私は就職氷河期で会社に就職できず、完全に世の中の濁流に飲み込まれて人生を見失った一人だ。
それでも別に仕事をしたくない訳じゃなく、人並みの幸せを望んでバイト生活を続けていた。
そんな私がようやく巡って来たチャンスだと勘違いしたのは、超ブラックなオーナー会社への正社員採用だった。
勤務時間や労働内容の過酷さはなかなかだ。
毎週、土日を休むために平日は終電近くまで残業するが、だいたい金曜日の昼頃には諦めて土曜日に出勤することを覚悟する。
日曜日も二週に一回は出勤しているだろう。
前なんか土日は電車が空いていてラッキーとか思ってしまい、自分のことながら末期だと感じた。
しかし一番問題なのは、オーナー社長が思い付きで社員を振り回し、まともな業績査定制度もなく昇進も降格も社長の気分次第であることだ。
それで不安になり友人の話を聞いてみたけど、世の中の大半の会社はそれが普通の様なので諦めて日々の仕事に邁進していた。
ところがだ。
三年前のある日、私にとって悪夢の始まりのような出来事が起きた。
社長の息子が入社すると決まり、私とチームを組まされお守りをさせられることになったのだ。
この社長の息子が絵に描いたような典型的二代目の我儘ボンボン息子だった。
とはいえ従業員十人の零細企業の二代目なので、いくら社長の息子とはいえボンボンと言うほどの金持ちでもなく、まあ世間的に言えば半分のボンがいいところだと思っている。
その彼の名前は太郎という如何にも日本男子で真っすぐな名前なのだけど、性格は日本男子とかけ離れていて要領だけが良くて卑怯でいい加減な奴だった。
一緒に働くとあまりに腹が立つことばかりなので、私は奴を心の中でボン太郎と呼んで僅かばかりだが溜飲を下げていた。
そんなボン太郎と働き始めて起こったトラブルの数々の中でも、今回の給料減額を引き起こした奴の失態が度々思い出されて、私の心をぐちゃぐちゃにかき乱したのだった。
◇◇◇
「この前、注文を受けた金属加工品について先方の所へ納品を兼ねて、今後の打ち合わせに行きましょうか」
「前にも言ったけどさ、そういうのは俺が行かなくてもいいよ。単なる納品でしょ? それに打ち合わせの内容なんて解んねぇし」
「聞いている内に解るようになりますから」
「だ~か~ら、そんな細かい仕事は俺には関係ねぇって何回も言ってるだろう。どうせ親父の後を継いで社長をやるんだからもっと全体的な……、帝王学ってヤツ? そういうのを身に付ける方が先決なの!」
「帝王学なんて学んでいるんですか?」
「う、うるせぇな、これからだよこれから。俺はなぁ、実業家としてテレビで紹介されるのが目標だから、デカい仕事しか取り組む気がないの! という訳で、そんな地味な打ち合わせに俺は行かねぇから。後、これから野暮用があるから帰るし。部長によろしく言っといてな」
ボン太郎は私が客先へ出発するよりも早く帰宅してしまった。
実業家としてテレビで紹介されるのがボン太郎の目標なんだ……。
まあ、頑張ってくれ。
うちの会社は町工場で特殊金属加工業をやっていて、私は営業兼技術担当として事務所で勤務している。
今日はいつも相談を持ち掛けてくれる得意先で大手住宅メーカーの研究開発者を訪ね、変わった形の加工品の納品と今後の打ち合わせをする予定なのだ。
昨今は金属用3Dプリンタが出回り始めて、うちの会社の仕事が減るかに思われたけど、剛性が求められる部品の試作なんかだと切削加工じゃないとダメらしく何とか仕事がもらえている。
※切削加工……素材の塊を削り出して成形する加工
ちなみに製品化が決定してその部品を量産する場合、剛性がそれほど要求されずに複雑な形であれば鋳物、剛性が要求されるのであれば鍛造加工が採用されるけど、うちの会社はそれらの加工が出来ないので主に試作品や一品物の受注がメインである。
とにかくボン太郎なんて居ても役に立たないし、ちゃんと一緒に行くように言ったのに断ったのは本人なのだ。
客先への出発前に事務所を見回すと、三カ月前に入社した眼鏡でマスクの事務女性が一人、凄い猫背でもくもくと仕事をしていた。
この女性も不思議な人で、少し背が高いのだが酷い猫背な上にわざわざ大きいサイズの制服を選んで着ているので、猫背の恰好でぶかぶかの服を着て変なのだ。
別に太っている訳ではないと思うが、余程スタイルに自信が無いみたいだ。
しかし、仕事は超出来ると思う。
私も自分ではやれば出来る子だと思っているのだけど、彼女は本当に仕事ができる。
なんでこんな零細企業に就職してきたのか。
いつもクセのある黒縁の眼鏡を掛けていて、一つに束ねた黒髪はシンプルな黒いゴムで縛っているだけで、髪留めなどの飾りを付けている姿は見たこともない。
更に業務中ほとんど口も利かないので、請求書の発行とかで少ししか話したことはないが、何となく世間に合わせて生きるのが苦手そうな印象を受けた。
きっと彼女も居場所を探した結果、たどり着いたのがココなのだろう。
おっと、もうそろそろ事務所を出ないと待ち合わせの時間に遅れてしまう。
「行ってきます!」
事務所内に聞こえるように出発の挨拶をしたものの、彼女は一瞬手を止めて眉を少し動かしただけで顔も上げずに事務仕事を再開した。
◇
「ちゃんと図面を送ったじゃないですか! 何で何も変更されてないんですか!」
「え? 図面? い、いやもらってないと思うんですが……」
納品先の住宅メーカー担当者から思ってもいないことを言われる。
「いーや、先々週に変更図面を送ったね。わざわざ先に電話したんだよ。そしたら君がいなくて、前に君と一緒に来た若手が電話に出たから、彼に説明して彼宛でメールしたんだ。送信履歴を見るかい?」
まずいな、ボン太郎へ送ったのか……。
きっと奴が処理せずに放置したんだな。
「……すみません。うちの会社の手違いです」
「おい! 明日から耐火試験を予定しているのにどうしてくれるんだ! あんなに納期通りに納品できるかどうか確認したじゃないか。これで確実に行政への申請が間に合わなくなる。もう、君の会社には発注しないから」
「すみません。今すぐ対応しますんで」
「また、同じことになったら困るからもう結構だよ、他所に頼むから!」
応接室から退室を促された後、担当者が立ち去ってしまった。
結局、受けていた注文は納期に間に合わず債務不履行という形でキャンセルされた。
この案件に続けて同じ担当者へ納品する試作品の相談を受けていたのに、全て注文しないと言われてしまった。
私のせいじゃない気もするけど、ボン太郎の教育係は一応私だし、部下ではないものの同じチームのメンバーのミスだから彼だけの責任にすべきじゃないな。
受け取り手の無くなった試作の部品を抱えながら落ち込んで会社に帰ったが、このときはまだ災いが自分に降り掛かってくるとは思っていなかった。
会社に戻ると慌てた部長が私の元へ来て、早口で捲し立てる。
「お前の担当のメーカーがもう我が社には注文しないと宣言してきたぞ! 一体どういうことだ?」
事務所内で説明してボン太郎のミスが知れ渡るのは可哀そうだと思い、会議室に移動してから部長に説明する。
「なるほどな、状況は分かった。でもこの件は売り上げに大きく響くから社長に報告するしかないな」
「彼も慣れて無かったんです。あんまり責められないようにしていただけませんか?」
二人して悲壮な顔をしながら会議室に出ると、社長が外出の準備をしている。
部長は少し躊躇っていたが、意を決したように社長へ話し掛ける。
「社長、少しお話が……」
「悪いが息子の活躍で大口の客が新たに開拓できそうでな、今から接待ですぐ出る。明日にしてくれないか」
「でも、できれば今日お伝えした方が……」
「お前は何年部長をやっているんだ。多少は自分で処理しろ! こっちは会社の将来の為に動いているんだぞ?」
そう言って社長が事務所を出ると、今回の当事者であるボン太郎がへらへら笑いながら社長の後に続いて事務所の扉を開けた。
ボン太郎はすぐ外に出ず、わざとらしく俺たちの方を振り返りながら言った。
「まあ、あんたらも俺みたいに大手住宅メーカーの新規開拓ができるように少しは頑張ったらどうだい?」
大手住宅メーカーって、さっき怒らした住宅メーカーの競業会社じゃないか!
競業に手を出すなんて、試作品の図面をもらっている手前、秘密保持契約の違反になるからまずいと思うんだが……。
だいたい、他の住宅メーカーだって日頃から付き合いのある加工会社があるはずなのに、どうやってコネを作ったんだろうか……。
◇
そして今日の朝、社長に対してボン太郎のミスで大手取引先を怒らせて今後の取り引きを中止されたと部長が説明したところ、私のボーナスがカットされ、給料が減額されたのだ。
もう、いっそこんなクソ会社など辞めてやろうか。
それでもサラリーマンの悲しい習性でいつもの様にたまっていた見積もりを処理して、その後に現場で加工品の進捗と出荷可能日の把握を済ませた。
腹立ちや悲しみ、絶望に苛まれても、やることをやらないと後で自分が苦しむことになる。
出来上がった部品が図面通りの寸法か最終確認していると、いつの間にか定時になり現場の人たちが帰り支度を始めた。
現場の人たちに挨拶をして見送ってから事務所に戻ると、もう黒眼鏡の女性しか残っていなかった。
一体何なんだこの会社は……。
私は何でこんな会社で人生をすり減らしてるんだ。
何処にも就職できず、やっと正社員で雇ってもらったときは心底嬉しかった。
この恩に何とか報いたいと本気で思った。
でも、会社が大事にするのは、会社のために頑張る人間じゃないんだ。
社長にとって都合が良いか悪いかだけなんだ。
多く売り上げる奴が優遇されるならまだ分かる。
でもここで優遇されるのは身内か、耳障りのいいことを言うご機嫌取りだけで、いくら真面目に頑張ってもそれは何の価値もないんだ。
黒眼鏡の女性のカタカタというキータッチの音以外に聞こえない静かな事務所で、私は無表情のままつっ立っていたが、知らないうちに頬を涙が伝っていた。
「もう辞めよう。頑張っても、努力しても意味なんてない。ようやく世の中の仕組みが分かった……」
いつの間にか呟いていた。
心底落胆し、無意識に心の声が漏れたのに後から気づく。
そしてその直後、私の呟きに予期しない返事があった。
「いいえ、これは世の中の仕組みではないわ」
急に話し掛けられて驚いた。
どうやら黒眼鏡の女性が私の呟きに返したようだが、当の彼女は先程と同じように極端な猫背でパソコンに向かったままだ。
彼女が何か話すのは珍しいので呆気に取られていると、ゆっくりとこちらを向いてからハッキリとした口調で言った。
「もう、この会社に未練はないのですか?」
「え? ……まあ、もういいかなと思って……」
「辞めるんですね?」
「ええ。部下でもない他人のミスで、私だけ給料を減額するような会社に未練はありません」
その言葉を聞いた黒眼鏡の女性はじっと私の眼を見てから、ゆっくりではあるがハッキリとした口調で聞いてきた。
「彼らに復讐する気はありませんか?」
あまりに唐突で突拍子もない彼女の提案に驚く。
私の答えを待っているのか、彼女は身じろぎもせずにずっとこちらの反応を伺っている。
「そりゃあ復讐してやりたいよ。でも、相手は社長と息子だからねぇ……。黙って会社を辞めるしか手は無いんじゃないの?」
「あなたにその気があるのなら、これまでの真相と復讐の手段をお伝えします。復讐する気が無い様でしたら、この話は忘れて静かに退職することをお勧めします」
まるで悪魔から選択を迫られているように感じた。
でもこの選択は、どちらが善でどちらが悪であるかという話ではない。
そして、彼女は私に復讐を選択して欲しいと思っているみたいなのだ。
「復讐を選択して欲しいんですよね?」
「そうですね、出来ればですが。その場合、私もこの会社を辞めることになります」
どうやら私を利用して会社の居心地を良くし、自分だけ居残る気ではないらしい。
復讐をしてもしなくても辞めることに変わりないのだけど、気になったのは彼女が言うこれまでの真相というヤツだ。
一体どういうことだろう。
得意先住宅メーカーから受け取った修正図面の件は、単にボン太郎のミスじゃなかったのか?
これがミスじゃなく仕組まれたことだったら……。
自分の身に起こった不幸な出来事が実は意図的なものであった、この話に私は頭を強く殴られたような精神的衝撃を受けた。
辞めるにしても、せめてこの真実を知りたい。
そして、それらの事態を引き起こして他人の気持ちを蔑ろにし、責任を被らせて搾取するのを何とも思わないあいつらに……思い知らせてやりたい。
私の気持ちは固まった。
「私はあいつらに復讐する。真実を教えて欲しい!」
社長親子への復讐話を黒縁眼鏡の女性と事務所でするのは避けたいので、誰にも話を聞かれない個室へ移動することにした。
私と黒縁眼鏡の女性は会社を出て近くのカラオケボックスに入る。
いつもマスク姿の彼女の素顔が見られるかもと思ったけど、別に歌を歌う訳ではないのでマスクは外さなかった。
「実は私、今回トラブルがあった得意先住宅メーカーの関連会社の人間なんです」
「え!? そ、そうなんですか!?」
ということは、彼女はうちの会社とその関連会社の両方に所属している訳なのか……。
確かうちの会社は副業が禁止されていないから問題ないのかな?
「この加工会社は得意先住宅メーカーから、試作の金属加工を受注して納品しています。が、三年くらい前から帝王住建という住宅メーカーの特許出願に、得意先住宅メーカーの試作品と同等技術の出願があるのを確認しました」
「特許出願ですか?」
「ええ。同じ市場を奪い合う住宅メーカー同士なので、同じような商品開発や改良を目標にすることもあるでしょうが、それにしては掲げた課題や解決するための技術思想が似すぎています」
「あの、あんまり特許は詳しくないのですが……」
「特許は出願されてから一年六カ月以降に内容が公開されます。帝王住建の公開された特許出願を調査したところ、複数の同技術について、得意先住宅メーカーよりも帝王住建の方が一足早く出願していることを確認しました」
「それは分かりますが、うちの会社と何の関係があるんですか?」
「今のところ状況証拠だけですが、この加工会社が得意先住宅メーカーから入手した図面を、帝王住建に横流ししている疑いがあります」
「え!?」
いつも受け取る図面は外部に漏らしてはいけない秘密情報扱いであり、先方がパスワードを掛けて送って来るので取り扱いを慎重にしている。
法律はそこまで詳しくないが、得意先住宅メーカーの言いなりで交わした分厚い秘密保持契約書には、秘密文書の定義に図面が含まれると書いてあったと思う。
「ちょっと待ってください! 横流しなんてしてないですよ!」
私が慌てて否定すると彼女は分かっていると頷いた。
「図面を横流しをしているのは社長の息子のようです」
ボン太郎の奴か!
「社長の息子は明らかにあなたが居ないタイミングを見計らって事務仕事をしていて、顧客の電話を受けたり、自分から電話をしています。それだけなら単に営業行為のように見えますが、この加工会社の取引相手とは違う会社から入金がありますし、社長親子の領収書に普段使わない飲食店も見受けられます」
そういえば、この前も新しい住宅メーカーを取引先に加えられそうだと言いながら、社長親子で接待に行っていたな。
「つまり社長も容認しているのか……」
「この前の得意先住宅メーカーとのトラブルもそうです。社長の息子が仕様変更で受け取った図面ですが、自社の加工現場へは伝えていません。ですが、帝王住建へは図面を横流ししたと思われます」
あいつ……、あいつ、あいつ、あいつ!!
どんなクソ野郎なんだ!
ボン太郎の悪事を聞いたせいで、やっと落ち着いた感情が逆撫でされてイライラしたが、深呼吸して気持ちを落ち着ける。
復讐するにしても荒れた心では上手く行かないだろう。
気持ちが落ち着いてくると急に疑問が湧いてきた。
「一つ質問ですけど、うちの会社が図面を横流しして技術漏洩しているという疑いが出たなら、わざわざあなたが偽装就職なんてしないで、うちの会社に契約違反で損害賠償を請求すればよかったんじゃないですか?」
「……鋭いですね? 質問されなければ黙っていようと思っていました。実際は秘密保持契約なんて何の役にも立たないのですよ」
あの分厚い契約書が役に立たない?
どういうことだ?
「損害賠償の算定額は本来得られたであろう利益になるのですが、漏洩した技術を使った新商品が将来どれだけ売れるかなんてまず算出できません。営業PRや広告宣伝の費用をどれだけ掛けるかで違いますし、そもそも新商品が大ヒットするか、鳴かず飛ばずで終わるかは販売してみないと正解が分かりません。メーカーは大ヒットさせるつもりで開発しますけど」
つまり、明確な根拠に基づき損害賠償額を計算できないから、裁判所の認定額も満足できる金額は期待できず、訴訟するだけ無駄ということかな?
「でもそれだと、単に加工先をうちの会社から他所に変更する以外にないんじゃないですか?」
「帝王住建はこの加工会社だけでなく、他所の加工会社からも図面の横流しを受けているようなのです」
「ということは、かなりの開発技術が帝王住建に不正に取得されたってことですね……」
「ええ。複数の新技術を盗まれたようなので、彼らから受けた損害はかなりのものです。証拠を掴んで帝王住建の不法行為を世間へ明らかにしなければ、彼らは同じ過ちを続けるでしょうし、……何より報いを受けさせなければなりません」
「報い……ですか?」
「あ、すいません。私は冷めた人間ですので正直そこまで思っていないのですが、私の上司が彼らに報いを受けさせたいらしくて……」
少し迷惑そうに本音を語った彼女は、私と同じで上司に振り回される点が少しだけ似ていて親近感が湧いた。
「でも、どうやって社長親子や帝王住建が不正している証拠を掴むんですか? 一緒に不正している帝王住建の担当者の名前も分からないんですよ?」
「ですので、この計画では得意先住宅メーカーから社長の息子へ囮図面を送ってもらい、それを社長の息子から帝王住建に送らせる必要があります。ただ、私では得意先住宅メーカーの協力を得ることが出来ません」
「関連会社のあなたなら協力を仰げるのでは?」
「同じグループ会社ではありますが、私の会社も得意先住宅メーカーも大きな会社です。私も相手の方も末端の従業員なので、対会社で急に繋がりを作ろうとすると周りの社員に話が広まってしまうでしょう」
対会社同士で協力を仰げば関わる人が増えるから、この計画が漏れる恐れがあるのか。
そうだな、被害を受けている得意先住宅メーカーに裏切者がいないとは言えず、そっちからこの計画が漏れることも懸念しておかなければならないか。
黒縁眼鏡の女性はUSBメモリを私に差し出した。
「この中にウイルスを仕込んだ囮図面が入っています。今まで関係を築いたあなたなら、きっと得意先住宅メーカーの担当者の方も協力してくれると思います」
「……それが昨日、その担当者を激怒させてしまってかなり厳しい状況なんですよ」
小さい事務所なのでトラブルの概要は伝わっていると思うのだけど、私の説明に彼女は首を横に振った。
「確かにトラブルで担当者の方も大変な思いをされているでしょう。でも、相手も昨日は勢いであなたに強く接しただけかもしれません」
「いや、確か耐火試験に間に合わないって言っていました。住宅資材の耐火試験って何カ月も前から試験会社に予約して、かなりのお金を掛けて臨むそうなんです。それなのに、私は彼に迷惑を掛けて面目を潰してしまった……」
私もひどい目に遭ったが、あの担当者も今頃会社で責任を追及されて大変な目に遭っているかもしれない。
彼には本当に悪いことをしてしまった。
「あなたは今まで誠実に対応してきました。それを、担当者の方はよく理解されているはずです。きっと大丈夫ですよ」
落ち込む私を励ましてくれる彼女の声は、先程までの説明口調とは違って優しく聞こえた。
「入社して三カ月のあなたに、私が誠実な対応をしてきたかどうかなんて分からないでしょう?」
いい大人なのに気遣いされたのが少しむずがゆくて、反発的に言い返してしまった。
すると彼女は目を細めて眉を下げた。
「いいえ、三カ月でも分かりますよ。だから、安心してください。長く付き合ってきた相手の方は、きっと分かってくれています」
さっきまで事務的だった彼女から、優しく深く包み込む慈愛のようなものを感じた。
「……話してみます。たとえ許してもらえなくても、しっかり謝罪したいと思っていましたから……」
◇
次の日、得意先住宅メーカーの担当者に電話して、きちんと事情を説明して謝罪したいと伝えたら会ってくれることになった。
急いで先方へ出向くと、逆に向こうから感情的になってすまなかったと謝罪されてしまったので驚いた。
早速、口外無用とお願いした上で今回のトラブルの経緯を説明してから、社長親子とライバル住宅メーカーの悪事を暴きたいと伝えると計画を聞いてくれるというのだ。
「社長の息子がライバル住宅メーカーへ図面の横流しするのに、会社のパソコンを使ってメールで送っているようなのでこれを利用します。ウイルスを仕込んだ囮の設計図面を用意して、御社から社長の息子へメールしてもらい、社長の息子のパソコンをウイルスに感染させます。そして、社長の息子がライバル住宅メーカーへ囮図面をメールする際に、一見して分からない内部的処理として、私宛にもそのメールが送られるようにします」
「なるほど。図面横流しのメールを証拠とするんですね?」
「一回の横流しメールでは間違って送ったと反論されるでしょうから、複数回分の証拠が欲しいです。それまでの間、そうですね……複数のやり取りで不自然でない期間ですから、三カ月で何回分かの証拠を取りたいです。
「……分かりました。ご協力します。不正をする帝王住建にダメージを与えるチャンスですしね。……でも、こんなことをしたら御社は倒産するんじゃないですか?」
「いいんです。これは私にとってのケジメの付け方なんです。仕事はまた頑張って探せば済みますから」
それを聞いた担当者が私の手を握った。
「今の生活を守るのに必死な私に、自社の倒産を覚悟した戦いはとても出来ることではありません。……この計画、成功させましょう」
「はい。協力していただけるなら、きっとうまくいきます!」
それからメールで送信する図面ファイルについて少し説明した。
設計作図用ソフトのファイル形式だとデータ容量が大きいので、社長の息子が外部サイトの大容量ファイル転送サービスを利用する恐れがある。
だから、簡単にメールで横流しし易いように、容量を小さく偽装したPDFファイルになっていることを伝える。
「それではこれから三カ月の間、よろしくお願いします」
「ええ、やれるだけのことはやってみましょう!」
◇
三カ月後、私は黒縁眼鏡の女性に呼び出されて、都内にある巨大なビルの受付に来ていた。
東京駅からすぐ、丸の内にある巨大なビルに彼女の会社があると言うのだ。
得意先だった住宅メーカーも凄い大企業で、営業に行く度にこんな会社で働けたらと思ったものだが、それを遥かに上回る企業規模なのは間違いない。
私はビルの受付の前で、問題ばかりだったこの三カ月間を思い出していた。
元々、偽装就職してきた黒縁眼鏡の彼女により、悪事の下調べや証拠奪取の計画が入念に準備されていたので、私は育ててきた人脈に頼みこむだけで全ての歯車が綺麗に噛み合った。
予定の三カ月は嘘の様に問題なく過ぎて証拠集めは上手くいき、全ての情報やデータを彼女に送ることが出来た。
問題があったと言えば、証拠集めの際のトラブルではなく、私にとって社内での居心地が最悪だったことだろう。
心は吹っ切れていたし、復讐の証拠集めが順調に進行していたので気持ちは晴れやかになり、会社に通い続けるのは苦にならなかったけど、私への待遇と社長や息子からの接し方が最悪を極めた。
最初に言い渡されたボーナスカット、給料減額だけでなく、名前だけは係長だったのに役職まで降格されて平社員にされてしまった。
さらにはボン太郎の部下に成り下がり、顎で使われる始末だった。
使われると言っても、ボン太郎は仕事が出来ないのでまともな指示など出来る訳もなく、ふわっとしたもっともらしいことを言うだけであったが。
これでもし、最初から退職するつもりで復讐の準備をしていなければ、ボン太郎に顎で使われる屈辱で精神が崩壊しかねないところだった。
まあ昨日退職したので、今日からはあいつらの顔を見ることも無いのだが。
ビルの受付で受け取った来客用セキュリティカードのヒモを首に掛けていると、急に受付の女性たちが色めき立つ。
彼女たちの視線の先には、ビルの内部からこちらに向かって歩いてくる女性がいた。
黒のスーツに黒のヒールを履いており、グラマーというよりは細身のスタイルの良い女性だ。
綺麗な姿勢で歩いて受付まで来ると私の前で立ち止まった。
黒く長い髪は艶があり、派手ではないがポイントを抑えた化粧が品の良さを引き出している。
一言で表すなら凄い美人だ。
「ああ、先輩は何時も素敵だわ……」
「私もいつか先輩みたいな仕事ができるかしら」
「どうやったらそんなスタイルになれるの?」
受付の女性たちが小声で話しているけど、私たちに丸聞こえである。
少し苦笑した黒髪の美女は「ようこそ。ご案内しますので付いて来ていただけますか」と一言だけ話すと受付を後にして歩き出した。
◇
気まずい。
とても気まずい。
私を応接室に案内した黒髪の美女は、私に奥のソファを勧めると、どこにも行かずに向かいのソファの脇で立っている。
応接室の中央には漆黒の応接テーブルが置かれ、部屋の角の台座には高そうな壺があり、壁には絵が掛けられている。
更に100インチはあるかというテレビが、絵とは反対側の壁に取り付けられていた。
だいたい地上四十階の応接室って、明らかに一般来客用じゃないだろう。
なんでこんな高級な応接室に案内されることになったのか。
それに案内してくれた、明らかに私より社会的地位の高そうなこの女性は、何処にも行かずにずっと立ったままなのだ。
私みたいなのが座っていて彼女が立ったままなのが、何だかどうしていいかと困ってしまう。
私を今日ここに呼んだあの黒縁眼鏡の女性は、一体どういうつもりなのか。
そもそも彼女は来客にこんな応接室を使える立場なのか。
座ってすぐに別の女性が運んでくれたコーヒーは、緊張でとても飲むことが出来ずにそのまま置かれていた。
「すまんすまん。しゃんしゃんで終わるはずの経営会議にちゃちゃが入って長引いた」
「もうすぐテレビで会見が始まります」
いきなり入室してきた白髪の老人が杖を黒髪の女性に渡した。
なんかだか偉そうな人が入って来たので、とりあえず立ち上がる。
「して、あなたが今回キーマンとして活躍してくれた方ですな? どうぞよろしく。今回のご協力には大変感謝しているよ」
「こ、こちらこそ、よ……よろしくお願いします。……あ、あの、私は加工会社で一緒に働いていた女性に呼ばれて来たのですが……」
「ふむ?」
「え、えと、その女性は何処に……」
「? そこに居るではないか」
「? え? どこに居るんですか?」
見回しても、さっきの黒髪の美女とこの白髪の老人しかいない。
急に白髪の老人がかっかっかと笑い出して、振り返りながら黒髪の美女に言った。
「お主、また業務以外の説明を省いたな?」
黒髪の美女は少し照れくさそうにしながら、口元を片手で覆った。
「……お久しぶりです。と言っても私は一週間前にあの会社を退職したので七日ぶりですね」
「……あっ!」
彼女の口元が手で隠れると、一緒に悪だくみをしたあのマスク姿で黒縁眼鏡の女性の面影があった。
それでも何となく似ているという程度で、今のキャリアウーマン然とした彼女の綺麗な立ち姿からは、あの面影は僅かにしか感じられないのだけど。
「さあ、そろそろ放送が始まると思います」
そう言った彼女はそそくさとテレビのスイッチを入れた。
テレビに映ったのは、どこかのホテルの広間へ沢山の報道陣が詰めかけている様子で、画面の端には会場をリポートする別の番組のアナウンサーが見切れている。
『今から会見が始まろうとしています。あの大手住宅メーカー、ラクショウホームが帝王住建を相手取り、損害賠償と謝罪広告を求めて提起した民事訴訟に関する会見です』
リポートしていた女性アナウンサーから、会場正面のマイクが置かれたテーブルに画面が切り替わった。
『法務部を管掌している阿部と申します。この度は、ラクショウホームの記者会見にご参集いただきましてありがとうございます』
「うむ、阿部の奴、会見が初めてで練習したと言っていたが、なかなか上手くやっているな」
「当社役員の前で行った、昨日の最終確認の方が緊張していたように見えます」
「記者会見よりも親会社の役員を相手にする方が、プレッシャーを感じるのかもしれんな」
『弊社がこれまで開発してきた新商品の技術情報について、帝王住建が不正な手段で入手して複数の特許出願を実施し、また帝王住建がその技術を用いた商品を販売したことで弊社が損害を受けました。従いまして、帝王住建の担当者を不正競争防止法違反で刑事告訴するとともに、同社へ損害賠償を求める民事訴訟を提起することをお知らせします』
手前に座っている記者の一人が手を上げた。
『週刊東春砲の鈴木です。帝王住建がどうやって技術情報を入手したか掴んでいますか?』
『詳細部分は訴訟に影響するので控えさせていただきますが、弊社が外部委託していた加工会社の社長の息子を通じて、開発中の図面を入手していたことを確認しています』
『日刊ミライの大滝です。加工会社と帝王住建の間でラクショウホームの図面をやり取りした、という証拠はあるのですか?』
『既に複数の証拠を押さえており、帝王住建には要求書を発送しましたが、期日までに回答が無かったため提訴に踏み切りました』
ここで画面がテレビ局のスタジオに切り替わった。
『会見の途中ですが、ラクショウホームから開発中の図面を受け取り、帝王住建に横流ししていたと報道されている加工会社に取材陣が到着した模様です。現場の中村さん!』
『はい、現場の中村です。あ、たった今ラクショウホームの会見で挙げられていた、社長の息子さんが社長と共に会社から出てきました!』
『あんた方は一体何なんだ! 近隣に迷惑だろう』
あ、社長だ。
『あなたが社長さんですね? 息子さんがラクショウホームの図面を帝王住建に横流ししたというのは事実なんですか?』
どうやら提訴の話を知らなかったようで、社長もボン太郎も最初はきょとんとしていたが、社長の方はすぐ事態を把握したようで、迷惑そうに寄せていた眉間のしわが消え失せて顔色が真っ青になった。
それに対してボン太郎の方は察しが悪い様で、まだ状況を飲み込めていないみたいだ。
『な、なんだお前ら!? な、何でそんなこと知ってんだ!?』
『ラクショウホームは息子さんが図面を横流ししている明確な証拠を掴んだと言っていますが、やはり息子さんが実行したんでしょうか?』
『て、帝王住建の奴! ぜってえ平気だって言ってやがったのに何でバレてんだ……』
『お、おい太郎やめろっ! 余計なことを言うな!』
全国ネットで放送されているのに気付いた社長が、迂闊な受け答えをするボン太郎を慌てて制止する。
『今の発言は、帝王住建との関係を認めるということですね!?』
『え? あ、い、いや違う、図面を送ってやった帝王住建のことなんて俺は知らねぇ』
息子のあまりのグダグダっぷりに、テレビで観ていた私たち三人は吹き出してしまった。
『帝王住建の担当者と共に不正競争防止法違反で刑事告訴されましたが、逮捕状が出される前に自首するつもりは?』
『た、たたた、逮捕……!?』
逮捕という言葉で息子の方も初めて事態の把握ができたのか、表情が抜け落ちて口が半開きになった。
その後は更に現場に詰めかけた報道陣で社長とボン太郎がもみくちゃにされて収拾がつかなくなり、道路まで報道陣がはみ出して警察官が駆け付けていた。
特に愉快だったのは、警察官が駆け付けたのに驚いたボン太郎が「うわーっ!」と叫んで逃げ出したことだ。
逮捕されると勘違いして逃げ出したのは誰の目にも明らかで、色めき立った報道陣は最高の画が撮れると一斉にボン太郎を追い掛けた。
「おー! こりゃ映画よりずっと面白いな。あの小僧は逮捕状も出ていないのに何を慌てているのだか」
青い顔をして慌てふためくボン太郎の逃げ足は速く、報道陣を振り切って先の方まで走ったけど遠くの方でつまずいて転んだ。
もうすぐ三十歳になるいい大人なのに、あまりに酷過ぎる醜態を全国ネットで晒しているのを見て、私は声を出して笑ってしまった。
先程コーヒーを運んでくれた女性がまた来て、私と白髪の老人に新しいコーヒーを淹れてくれた。
せっかくなので、コーヒーを飲みながらボン太郎の醜態をテレビで眺める。
煮え湯を飲まされたボン太郎にこれ以上ない復讐を成功させたからか、やっと自分が受けた屈辱や仕打ちによる心の傷が昇華されていくのを感じることが出来た。
「よかったなボン太郎。実業家としてテレビに出たいと言う目標が叶ったじゃないか!」
心の声が思わず口に出てしまったのを黒髪の美女が聞いていたようで、ふふっと含み笑いをするのが聞こえた。
そのすぐ後に、元の調子に戻った彼女が白髪の老人に話し掛けた。
「これであの加工会社は倒産すると思われます。あの会社の従業員は可哀そうですが、泥船に乗り込んだのは従業員の選択ですから船長と運命を共にするのは仕方ありません」
「うむ。まあ、帝王住建の方は倒産までいかないと思うが、当分業績は低迷するだろう。悪は必ず成敗されなければならんからな!」
彼女が言っていた帝王住建に報いを受けさせたい上司とは、きっとこの白髪の老人なのだろう。
前の会社の従業員たちは困ると思うけど、別に私に良くしてくれた訳でもないし、困ったときに助けてくれた訳でもないから、もう仕方がないと割り切ることにした。
「帝王住建との訴訟は、和解で終結するのが最終的な落とし処だと思っています。彼らが盗んだ技術で稼いだ金額は販売期間が短くて大した金額ではないので、我々が得られる損害賠償額も請求を大きく下回る見込みです。訴訟を長く続けるよりは適当なところで和解した方が、訴訟費用が少なくて済みます」
「これだけあの会社のブランド価値を低下させたら十分だな。今後は技術の盗難も無くなる訳だしのう」
そこまで話した白髪の老人は、私の方に向き直ると丁寧に頭を下げた。
「今日はご足労すまんかったな。これにて今回の計画は終了だ。協力に見合った謝礼はさせてもらうからのう」
「いえ、こちらこそ。いろいろありましたが、社長と社長の息子にきっちり悪事の責任を取らせることが出来て心がスッとしました」
私が白髪の老人に気持ちを伝えた後、ソファの横に立ち控えていた黒髪の美女が老人の方へ一歩進んだ。
「副社長。このミッションが終わったら、要望を一つ聞いてくださるとのお話でしたかと……」
「お? おう、そうだったな。他所の会社に長期間潜入するというのはさぞ過酷であっただろう。それで、今この場で要望があるのか?」
「はい。私、部下が欲しいです。今回のようなミッションの必要性は分かるのですが、一人では出来ることが限られますので」
「なるほどのう。うん、まあいいだろう」
彼女と私を交互に眺めた副社長は、顎の白いひげを触っている。
副社長の様子を確認した黒髪の美女は、私の方を見ると微笑みを浮かべた。
「……あなた、私と働く気はありませんか?」
「え? い、一緒にですか?」
それって彼女の会社でということになるんだよな?
えーと?
当然彼女の所属はこのビルの会社だからラクショウホームではないよな……?
このビルの会社はラクショウホールディングスだから…………、え!? あの大企業ラクショウホームの親会社に転職することになるのか!?
「あなたは私が思っていた以上に法律的素養があるように感じます」
「あ、いや、勉強したんですよ。何とか底辺から這い上がろうとネットとかで……」
「それにガッツがあります」
「そ、そうですかね。まあ、現状を何とかしたいという気持ちだけはあるかもしれないです」
「ただし、一緒に働くと言っても私の部下というポジションです。女である私の下で仕事をするのは嫌ですか?」
そりゃあ、年下の女性の部下として働くってどうだろうと思う人もいるかもしれない。
でもそんな事が問題にならないくらい、今回のミッションにやりがいを感じた。
何だろう……、えーと、ほら何と言うか……。
そう! 充実感が半端なかったんだ!!
もしかしたら、私にはこういう仕事が性に合っているのかもしれない。
正直これだけ楽しく働けるなら、年下の女性の部下なんてまるで気にならない。
いや、そもそも実力のある彼女の下でなら、変なオッサン上司の下よりも納得して働けるというものだ。
私は立ち上がると丁寧にお辞儀した。
「是非、よろしくお願いします」
「こちらこそ。どうぞよろしくお願いします」
綺麗なお辞儀をした彼女が見せたのは、あの事務所で見せていた表情ではなく、今日のキャリアウーマン然とした表情とも違う、輝くような笑顔だった。
さっきまでの凛とした彼女とのギャップに驚いて思わず息を呑む。
私たち二人の様子を見ていた副社長が、白い顎ひげを触りながら頷いた。
「お主の仕事も増えてきたから丁度良いかもしれんな。なあ君、私からも頼みごとをするつもりだからよろしく頼むぞ」
その言葉を聞いた彼女がすぐに言葉を返す。
「その場合は直属の上司である私へ、まずご指示をお願いしますね」
「わ、私が直接頼みごとをしてはいかんのか? 構わんよな? お主は私の部下で、彼はそのお主の部下なんだから、私が直接頼みごとをしても……」
ひるんだ副社長が彼女の顔色を伺うものの、綺麗な瞳で真っすぐに見つめ返されてすぐに目を逸らしていた。
どうやら私の仕事は、副社長と女性上司の関係性を見極めるところから始める必要がありそうだ。
了
最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。
読者様のお時間を本小説に割いていただき、感謝申し上げます。
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また作中では2021年4月現在施行の実際の法律を適用していますが、法律に関してもし何かありましたら感想欄にお願いします。
今回はなろう小説で法律を絡めるという私的チャレンジをしました。
(作中関係法文:民法、刑事訴訟法、特許法、不正競争防止法ほか)