SF、それは「少し・◯しぎ」の略
スピリチュアルでも科学でも、どっちでもいいと思う。
面白ければなんでもいい。だからどっちも読む。ただし面白ければ!これ大事。
「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」のだよ!誰かが言ってた。多分。
わたしはネット初心者だ。
会社ではネットぐらい使った事もあるし、多少はどのようなものかも分かっていると思う。
だが、こうやって自分の言葉を載せたり、誰かと交流したりするのは初めてだ。
まだネット上で活動するようになって半年にもならないが、いつも不思議に感じている事がある。
それは、自宅でぼんやりしながらコーヒーを飲んでいるわたしが、日本中の、それどころか国外にいる人とまでやり取りをしているという事だ。
何を当たり前の事を、と思うだろう。
わたしもそう思っていた。
ネットでは世界中の人と繋がる事ができる。
頭ではもちろん分かっていた。ネットとはそういうものだと。
けれど実際に始めてみると全く違うのだ。
相手の顔が見えない。
男か女かも分からない。
もしかしたらネットで親しくなった人は、わたしがリアルで軽くバトった人かもしれない。
何よりわたしはコミュ障で引きこもりのオタクだ。
人となんて話さないし、話す必要があるときでも最低限で済ませたい。
わたしのリアルはコミュ強の皆様の優しさでできているのだ。
そんなわたしがネット上では会話をしている。
嘘をついているわけではない。
ゆっくり考える時間があるので頭の中身を文章に起こす余裕があるだけだ。
そして自分の見た目からくるイメージや普段の言動、立場などに関係なく話せるだけだ。
これはすごい事だと思う。
肉体とそれに付随する全てのものに意味がないのだ。
男である事に意味はない。
女である事にも意味はない。
年齢も、国籍も、人種も意味がない。
それでは一体何に意味があるのだろうか。
きっと心だとわたしは思う。
ネット上でわたしはありのままに生きている。
他の人たちもそれは同じだと思う。
様々な人がいる。
楽しそうな人。
弱っている人。
一生懸命な人。
傷ついている人。
辛さを抱えて、懸命に生きようとする人。
感情がまっすぐ伝わってくる人もいれば、
感情はしっかり包み込んで人にあまり見せないようにしている人もいる。
それはきっと、魂が表にあらわれている、という事なのだと思う。
わたし達は、ネット上で顔が見えず、その人にリアルで紐づけられた情報が何もない中で、その人の魂を、心を見て会話をしている。
これは言い過ぎかもしれない。
でも、実際にわたしはネット上で自由に生きている。
子供の頃から負担だった、思うようにならない肉体と無関係に生きている。
人はいつか肉体を捨てて、バーチャルの世界に生きるようになるのかもしれない。
そう思った。
万物に魂が宿るのなら、言葉にも魂が宿るのなら、0と1の羅列にも魂が宿るかもしれない。
おそらくその時に大事なのは、自分という意識をどうやって保護するかだ。
電気信号の中に魂を持って生きる事ができるのなら。
わたしは、そんな研究が絶対世界のどこかでされていると信じている。
SFを読む人間なら、きっと考えた事があると思う。
いつかバーチャルの世界で生きる事ができるのではないかと。
いつか肉体を捨てて生きる事ができるとしたら。
そのとき人間が考えないといけないのはきっと、不死に耐えられるかだ。
今の自分がずっと生き続ける。
人間はそんな事に耐えられるのだろうか。
みんなそんなに自分好きか?
わたしは…うん、どうだろう。
この肉体がなくなって、男でも女でもないものになって、何にでもなれるものになって。
そうしたらわたしは、ずっと永遠に生きていたいと思うのだろうか。
ありのままの、魂が表に出る世界で。
多分雑草として生きていくと思う。不老不死の雑草。永遠に枯れない花。ホラー?
いや、ただ邪魔なだけか…。