ミッション・インポシブルを決行せよ~ぼくらは前期高齢少年団~
〜ぼくらは前期高齢少年団第一話〜
一
「村井さん、第二診察室へお入りください。村井さん、村井さん……、おられませんか。村井さぁん」
「おい、吉ちゃん、呼んでるやないか。はよ行かんかい」
「ええっ?呼んだか」
「さっきから、何回も看護婦がおがってるやないか。だから、いつも補聴器をつけておけて言うてるやろ」
「でも、うっとうしいんや。こんなの入れてたら、耳が鼻づまりしたみたいで」
「耳が鼻づまりするか」
「いや、そんな感じなんや。それに、よう聞こえるんやから」
「どこが、聞こえてるんや。この間なんか、看護婦に『減量がんばってくださいね』と言われたのを『検尿がんばって』と聞き損ねて、またおしっこ持って行って笑われたやないか」
「いや、あれは単なる聞き損ないや」
「じゃあ、今日は何で看護婦の声が分からへんねん?」
「あの看護婦、いつも声が小さいねん。口と尻はでっかいけど」
「いらんこと言うてないで、早うせえ。でないと後回しにされるで。長いこと待ったのに」
「ほんまや。あのう、ちょっと、ここにいてまっせ、ここに。すぐ行きまっさかい、次のやつ先に入れたらあきまへんで」
ポケットから取り出した補聴器を耳に押し込みながら、吉造は閉まりかけたドアに駆け込んで行った。
ここは、大阪市内から少し離れたニュータウンにある病院である。いずこも同じ、診療時間帯は満員なのに変わりはない。待合室は主婦や老人たちでごった返していた。
ニュータウンといっても、開発が始まってもう四十年以上になる。もはや、この辺りは住宅で満杯だ。百坪近い一戸建てから、公団・公社の鉄筋アパートまで、低、中、高層の建物が肩を並べている。大都市圏の割には比較的緑が豊かなので住みやすい。
当初は、若い世代の集まりだったが、年を古るに従って、当然のことながら住民も高齢化し、老人が目立つようになった。吉造も八郎も七十に手が届こうかという年代である。
「吉ちゃん、まだ診察すまへんの?」
「おお、まあちゃん、もう終わったんか」
「うん、今日は検査もなかったから早かった」
「吉ちゃん、今入ったとこや。二、三十分はかかるやろ。まあ、座りぃな」
「うん、大きに」
勝は、荷物をわきに置いて、前列のいすに腰を下ろした。
「どうや、調子は」
八郎は、両ひじを前のいすの背もたれに乗せて、尋ねた。勝は後ろを向いて、
「相変わらずや。良うならんわ。朝、目ェ覚めたら腰が抜けるように痛うて、起きるのが一苦労や。長いこと座ってても、またあかんし。湿布薬のお世話になりっぱなしや」
と、貼り薬で膨れ上がったビニール袋を持ち上げた。
「八ちゃんは、湿疹、大分よさそうやん」
「そうか、この前もらった新しい薬がちょっと効いたみたいなんや。そうか、ほんまか。良うなったか。へっへっへ」
八郎は、天井の蛍光灯の明かりを頭であちこちに反射させながら、うれしそうに笑った。
彼は、皮膚疾患が治らず、もう何年も病院通いを続けている。原因はよくわからない。医者はストレスではないかというが、会社務めも終わり、そんなにプレッシャーを感じたり、ストレスのたまったりするような生活はしていない。
年金生活とはいえ、ちょっとした貯えもあり、楽ではないが、そう不自由でもない。子供も独立して、気がかりなことはあまりないのだが、ただちょっと家の居心地が良くない。
働くのをやめて日がな一日家にいると、どうも落ち着かない。なんとなくヨメはんの存在力が強いのである。亭主を差し置き、十三年飼っている三毛猫をさえ抜いて、いつの間にか家のヌシとなっていた。
まさか、あれがストレスの原因だとは思わないが、などと彼はぼんやり考え込んでいた。
「あ、吉ちゃん、終わったで。ほんなら、帰ろか、八ちゃん」
診察室から出てきた吉造を見て、勝は友を促した。だが、八郎は腰を上げようとしない。
「まだや、まだや、まだちょっとかかる。そうは簡単に帰りよらん」
「えっ、何でや」
「見てたらわかる」
診察は終わったというのに、吉造は内科の受付の前を行ったり来たりしている。
「あいつ、何してるねん。薬やったら薬局へ行ったらええし、もう何年も通うてるんやから聞くこともないやろが」
「まあ、黙って見てたり」
「あ、看護婦が出てきたら、うれしそうな顔でえらいぺこぺこして、何か聞いとる。あれ見たら、昔のおもちゃ思い出したわ。呉服屋のショーウインドーにあった、コップの水を飲んでは、ケツと頭をかわりばんこに上げたり下げたりする鳥の置き物や。あいつ、ワシにはいつもえらそうにするくせに、大きな違いやんか。どうしたんや」
驚いている勝の耳元に、八郎は顔を寄せてささやいた。
「な、おかしいやろ。ほらほら坂田の金時顔負けみたいな面になってきとる。黒い顔が赤うなって、まるで備長炭いこしてるみたいやんか。あいつ、あの看護婦が好きなんや」
「ええええっ!あいつが?」
「しいっ、大きな声出したらあかん。聞こえたら、お前またどつかれるで」
急に大声を上げた勝を、八郎はいさめた。
「そやかて、あいつ女嫌いで通ってるやないか。それで一生独身でいてるって、自分で言うてたがな。女いうたらブラジャー着けたサルやとか、ぼろくそに言うてるのに……」
八郎が直接勝の口を手で押さえた。
「声が大きい言うてるやろ、あほ。前のおばはんがえらい顔してにらんだやないか。おばはん怒ったら、吉ちゃんより怖いで」
勝は前の席をちらっと振り返って、首をすくめた。パンチパーマの茶髪女性が、ブラウスの豹柄といっしょに、横目でこちらをにらんでいた。
彼がおとなしくなったのを見て、八郎は続けた。
「それが不思議なんや。あの看護婦、この間どこかの病棟から移ってきたらしいけど、顔見たとたんに、吉ちゃんぽーっとなってしもうて、もうぐにゃぐにゃや。なんぼ聞いても、詳しいこと言いよらんのやけど、惚れてしもうたのに間違いない」
話を聞いた勝は、あきれたように受付の方を見やった。
「よく知ってるのに、次の診療日や医者の名前とか、薬の飲み方を何べんも聞きよるねん。それが、看護婦も毎回毎回親切に教えてやるんや。もうぼけとると思うて、可哀そうがってくれてるのかもしれんけど」
「そやかて、いくら何でも、あんな若い娘を。きっちゃん、もう六十八やで」
「ま、恋は思案の帆掛け舟っていうとこやな」
八郎は能天気に答えて、大あくびした。
二
三人の住まいは、もともと大阪市内だった。チンチン電車の走る南の方で、近所では悪童三人組で通っていた。成長してそれぞれ違った道を歩み、音信も途絶えていたが、三年ほど前偶然にもこの病院で再会した。
そして、近くに住んでいることがわかり、またもや徒党を組んで家の付近をはいかいする、幼なじみ三人組として活動を再開した。しかし、やってることは子供時代に毛の抜けたような行動ばかり。自分たちでは「前期高齢少年団」と名乗ってはいるが、案外燃え尽きてはいない彼らのバイタリティーをかんがみても、賞味期限切れ壮年団がいいところである。
八郎は妻と、猫が飼える分譲の十一階に住む。勝はつれあいを亡くし長女夫婦と一戸建てに、吉造だけが賃貸で独り暮らしをしている。それぞれ家にいても暇だから、毎日何となく集まる。大体が、ミニスーパーの隣で中年のおばさんが開いている、喫茶「ベルサイユ」である。
カウンターだけで、七、八人も入ればいっぱいの小さな、お世辞にもきれいとは言えない店に、なぜまたベルサイユというような大仰な名前がつけられたのか、謎である。現在の経営者は、居抜きで名前ごと前の所有者から買ったといい、由来は聞いていない。気に入っているわけではないが、看板の書き換えに金がかかるので、そのまま使っているのだそうだ。
とりたててコーヒーがうまいわけでなく、女主人がべっぴんであるわけでもない。駅前にはもっと小ぎれいで、味もまずまずのコーヒー店がある。だが、しゃれ過ぎていて三人には落ち着けない。それに、代金を受け取るときの若い女の子のしゃべり方が気に入らない。機械語的なのである。
「アリガトウゴザイマス。センエンカラ、オアズカリシマス。ロッピャクゴジュウエン、オカエシシマス。マタ、オイデクダサイマセ」
と言って、両手をそろえ、いんぎんに頭を下げる。変な抑揚で、マニュアル通りの味気ない発音、振る舞いが気に食わない。あれなら、すぐ隣にあるラーメン屋の古いレジスターが出す、風邪引きが舌をこむら返りさせたような「さんぴゃくほじゅううぇんで、ほざうぃます。どぅも、ありふぁとうほざうぃますぃた」という、合成音の方がずっと愛敬があって面白い。
病院を後にした三人組は、いつものように、そのベルサイユに足を向けた。ガランゴロンと青銅製のドアベルが鳴って、新聞を読んでいたママがシニアグラス越しにこちらを見た。
「いらっしゃい。また、病院の帰り?」
「そうや。あっちこっち悪くなって、年取ったら、あかんわ」
いつものまくら言葉をふってから、三人は南側の角に席を占めた。コーヒーを注文しておしぼりで顔をふいたら、みんなやっとくつろいだ気分になった。
「病院て、何であんなに込んでるんやろ。待つだけで疲れるわ」
「それに、自分のときはすぐすむのに、前のやつらは長いこと診てもろうとるのに腹が立つ」
「半日つぶれてしまうがな」
三人が口々に愚痴をこぼしていると、ママが茶々を入れた。
「時間がつぶせて、ええんとちゃう? どっちみち何もすることないんやし」
三人は顔を見合わせ、さびしくうなずいた。
「その通りや。病院終わったら何もすることあらへん」
「そやなあ。家帰ってもしょうがないし」
「子供のときみたいに、木登りやチャンバラするわけにもいかへんからなあ」
みんなしんみりした口調になった。
「もう、あんな元気あらへん」
「体がたがたやもんな」
「あちこち、ゆるみっぱなしや」
「そやそや。おしっこの切れかて、悪いいうたらあらへん。最後ようきばってるのに、ズボンにしもうた途端ちょろちょろや」
「ほんま、かなわんなあ。この間も駅の便所で、後で漏らしたらあかんと思うから、ぶるんぶるん振りまわしてたら、勢いつき過ぎて、しずくが隣へ飛んでぇな」
「えらいこっちゃ。それで、どこへ飛んだのや」
「いいや、隣で用を足していたおっさんの手へ……」
何とかここまで聞いていたママも、とうとう我慢し切れなくなって怒鳴った。
「そんな汚い話、家へ帰ってしてんか」
気がつけば、スーパー帰りらしい主婦二人がカウンターの向こう側でコーヒーを前に、しかめっ面している。
「ごめん、ごめん。もうせえへんから。あ、すんまへんなぁ。つい、声が大きうなって」
主婦らにも頭を下げながら、彼らはママに謝った。ここのママは、気はいいが、客であっても遠慮会釈なしに怒鳴るのがタマに傷である。
しばらく三人は黙っていたが、ほとぼりが冷めると、また声を落としてしゃべり出した。
「最近、目も利かんようになってなあ」
「わしも、老眼鏡なかったら、近くはさっぱりや」
「いや、それがなぁ。昨日一階の郵便受けにポルノビデオのチラシが入ってたんや。家へ持って帰ったら、ヨメはんに怒られるからエレベーターの中で見ようと思うて。わし、近眼の上に老眼やろ。眼鏡かけてたら近くが見えへんねん。それで外したまま十一階のボタン押したんや。ところが、エレベーターが着いてドア開けよとしたら、カギが合えへん」
「なんでや。別のカギやったんか」
「いいや、わし家のしか持ってない。何回かガチャガチャやってから、ふと表札見ると知らん人の名前や。壁に目をやったら、一階下。チラシの写真に気を取られて、行き先階を間違うたらしい。そのとたん、急にドアが開いて、おばはんが顔出しよってん。すんまへん、すんまへんと言うて、謝りながら、またエレベーターに飛び乗ったんやけど、おばはん、うさん臭そうな目でこっちをじいっと見つめとった。空き巣に間違われたんかもしれん」
「団地住まいは、階が違うと付き合いが無うて顔も知らんからなあ」
八郎のしくじりを受けて、今度は勝が話を引き継いだ。
「エレベーターいうたら、この前わしもえらい失敗してん」
「お前もドジやからなあ。それで、何してん」
「二女の家へ泊まってたときのことや。ごぼうのキンピラを食い過ぎたんかなぁ。ちょっと腹ずつない(苦しい)から、その辺散歩でもしてこうと思うて、エレベーターに乗ったら、下腹が張って来てん」
「お前、小さいときから食い意地が張ってたから。親父がふざけてお前の卵焼きをぱくっと食うたら、サルみたいに口を無理やりこじ開けて、取り返そうとしたらしいやないか」
「古い話持ち出さんといてくれ。いくら何でもこんな狭い所ではと我慢したんや。ところが、辛抱しきれんようになって、もらしてしもうた。こうなったら、もうしょうがない。下まで息を止めとこうと必死になってがんばったけど、とうとう途中でたまらんようになって、一息吸うたとたん目まいがくらくらっと……」
「しっ、あかん。ママはんまた怖い顔してこっち見とる」
八郎が、ママの渋面に気づいて勝を制した。三人は首をすくめた。今度は怒られなかったが、もう一言二言続いていたら、またもや大落雷があっただろう。
「もう体の話はやめよ。どうしても下へいってしまうから……。そういうたら、吉ちゃん、最近あっちの方はどないしてるねん。碁仲間の寄り合いには、毎週行ってるんか」
八郎は「危険」を避けようと、吉造の趣味に話題を転じた。彼は、現役のころ職場仲間でつくっていた同好会の関係から、毎週木曜日、バスに乗って少し離れた町の囲碁クラブへ通っている。気短で、口より手の方が早い吉造が、なぜあんなじっくり思考を続けなければならない碁に打ち込めるのか、二人は不思議でならない。
「うん。そやけど、最近いやなことがあって、行くのがちょっとうっとうしいんや。いや、会のことやない。行きのバスのことや」
吉造が、おいちょかぶでインケツを引いたときのような顔に変わったのを見で、二人は身を乗り出した。
単調至極、坦々たる毎日を過ごしている彼らにとって、変化は人生最大の調味料である。落ち込んだ吉造に反して、二人の目は逆に生き生き輝き出した。小さいころからの習性で、何かアドベンチャーがネギを背負ってやってくるような予感が体の底から湧き上がって来たからだ。
「どないしたんや。できることやったら、力になったるで」
八郎は、いかにも友を心配しているかのような口ぶりだったが、目が好奇心で充満していた。勝も、うんうんと首を振って先を待っている。
「『碁の精神をきわめ、技術をみがく会南大阪支部』へ行くときに……」
「ちょっと待て。なんや、その碁の何ちゃらいうのんは?」
「会の名前やがな」
「なんやえらい長うて大仰な名前やなあ。それで、南大阪支部いうからには全国にあるんか」
「いや、ここだけや。小さく生んで大きく育てようというので、支部から始めたんや」
「勝手にせい」
漫才師よろしく八郎は合いの手を入れた。
「とにかく、支部へ行くには近南電車を乗り換えて上町駅へ出て、バスに乗る。そこに、いつも一緒になる若い男がおるんや」
「うん、それで」
男の話と聞いて、少々気落ちしたものの、八郎はあいづちを打った。
「そいつ、毎日ヘッドホンをして音楽を聞きながら、大また開きで二人分のシートを独り占めするんや。そのくせ、そのまま寝てしまいよるねん。寝るんやったら消しときゃええのに」
「おるおる、周りの迷惑考えよらんやつ。多なったなぁ」
勝は、吐き捨てるように言った。
「この間、たまりかねて注意したろうと思うたんや。声をかけても聞こえなかったみたいやから、寝てる男のヘッドホンを外しかけたとき、運悪うにバスがガタンと揺れた。そしたら、コードが手に引っかかってプレーヤーが床へ落ちてしもうてん」
吉造はテーブルの水を一口飲み、憤りを冷ますかのように一息ついてから続けた。
「何さらすんや、この爺ぃ、と叫ぶなり、あいつワシのひざを思いっきり蹴りやがってん。年いったとはいえ、いつもやったらあんな若造に負けてへんけど、相手の持ち物を壊したかもしれんという引け目があったから謝るほか無うて……。あとでズボンめくったら、えらい血ィが出てて」
「そやそや、吉ちゃん、けんか強かったからなあ。隣町の番長を暗い裏通りへ連れ込んで殴りつけたときなんか、相手が手ェ出す暇もなかったの覚えてるで。あのときワシ気分がすっとしたわ。吉ちゃん、やりよったぁと跳び上がったとたん、犬のフン踏んづけて……」
またもや、脱線しかけた勝の口を八郎がふさいだ。
「あとで、乗り合わせた周りの客に聞いたら、男はいつもそんな風で嫌われ者らしい。ちょっとくらいたしなめても、無視するか寝てる格好するんやて。そのときも、最初から聞こえてたのに知らんふりしてたみたいや。下手に注意したらからんでくるので、皆もうあきらめてるらしいワ」
「そやそや、まあ人間あきらめが肝心や。君子危うきに近寄らず。ウチの八十九で死んだバアさんがいつも言うてた。ものは言うまい、もの言うたために父は長柄の人柱てな」
勝はうなずきながら言った。
「何や、その長柄の人柱て?」
吉造の問いに、勝は
「知らんか? むかし長柄橋が架けても架けても流されたんや。それで、人柱を立てようということになった。ところが、選ばれたのは言い出しっぺの男。犠牲となって川底に埋められたという話や。何かことがあっても、いらんこと言わんと知らんふりするのが長生きの秘訣やという、ありがた〜い教えなんやで。触らぬ神に祟りなし。金にならんことは、せんのが一番」
「そら黙ってたらあかん!」
突然大声で立ち上がった八郎に一瞬みんな驚いた。
「そいつの将来のためにもならん。社会のため、お国のため、天誅を下さなあかん。よっしゃ、わしら三人の出番や」
その目はぎらぎらと燃えていた。勝はぶるぶるっと震えた。あの強い三人組が戻って来る、という予感で。
三
次の木曜日、朝から八郎は吉造に付き添って「碁の精神をきわめ、技術をみがく会南大阪支部」へ出かけた。とりあえず、下見をするためである。はかりごとは、周囲の状況をきめこまかに把握しないと失敗する。七十年間生きてきた人生の教訓だ。
「電車いうたら、こんなに人が乗るものやったんやなあ。いっぱい立ってるやんか。会社やめて長いことなるから、ラッシュアワーなんて久しぶりや」
電車の中で、八郎はもの珍しそうにきょろきょろしている。その行動を見て、吉造が注意を与えた。
「あんまり不審な行動はとらんように。両手は必ず上の方に挙げとくんや。そう、つり革をつかんどくのがエエ」
「なんでや、片手くらい下ろしてもええやろ。手がだるいがな」
「いや、あかんのや。電車が揺れて、万が一女のおしりにでも当たったらえらいこっちゃ。事故ではすまんで。痴漢や言われたら、おしまいや。否定できる証拠はあれへん。昔と違うて、男は弱い立場にあるんやから」
確かに、近ごろはわいせつ犯罪のニュースが多い。それかあらぬか、電車で女性の近くに立つと、なぜか相手に意識されているように感じられてならない。年寄りのひがみでなければよいが。
八郎は気が重くなった。定年延長せず、早めに会社をやめてよかった、彼はそう思った。
電車を降りた二人は、駅前からバスに乗った。こちらは、路線ぞいに大きな事業所や学校がないようで、そう込んでおらず何とか座れた。
「あそこにおるやろ。あの手すりのすぐ横で、ヘッドホンかけて居眠りしてる若い男。ほら、赤いセーター着たおばはんの横や。サルの絵かいた動物園の広告の下。いぃや、赤いセーター着たサルがどこにおるねん。違うがな。アタッシェケース抱えたサラリーマン風のがおるやろ。なんで、アタックナンバーワンやっ! 違う違う。あの黒いかばんを持った男の、そやそや、あいつや、わしをけ飛ばしやがったやつ」
吉造の説明に、八郎はそちらに目をやった。大また開きで、しりを前にずらしたうえ、長くもない足を横の通路にまで投げ出して行き来する乗客の邪魔をしている男が見えた。
八郎は持ってきた大きなかばんを開けて、調査機材を取り出した。
「なんやねん、それ」
不思議そうに、吉造は尋ねた。
「あいつを善導する作戦を練るためのもんや」
「ふうん、カメラとテープレコーダーやんか。そんなもんで何するねん」
「まあ、だまって見とき。ところで、あいつどこで降りるんや?」
「酢昆布会館前や。十五分ほど行ったとこにあるわ。わしは、その二つ先まで行くねん」
八郎は、小型レコーダーのスイッチを入れ録音状態にしてから、市内の地図を広げた。
「準備ええんやなあ」
吉造の驚きの声にも耳を貸さず、八郎は一心不乱に地図と、止まっていく停留所の看板を見比べている。そして、バス停でストップするごとに時計の時間を確かめ、付近の写真を取り続けた。同時に、男の動きを事細かに観察している。
酢昆布会館前に着いて、停留所名を告げる車内放送が流れたとたん、習性にでもなっているのか、今まで眠っていた男はあわてて跳び起きた。そして、運転手に定期券を見せ、足早に降りていった。
「うん、なるほどそうか」
八郎は一人うなずいた。
「何がそうかやねん」
わけもわからず、じっと彼の動きを見守っていた吉造の問いに、八郎は自信ありげに答えた。
「まあまかせとけ。お前のカタキは取ったる。これからその細かな計画をまとめるから。明日お前のアパートへ行って相談しよ、勝も入れてな。ほんなら、もうちょっとこの辺のバス停見て回るから次で降りるで」
こう言い捨てると、彼は次の停留所で飛び降りてしまった。吉造はあっけに取られて、元来た方向へ戻って行く八郎を窓から見送っていた。
四
次の日、吉造は勝と自宅のアパートで八郎の来るのを待っていた。三人組の定期集合日は月、水、土となっていたが、今回の事件のため臨時呼集がかかったのである。
「遅いなあ、八ちゃん。自分から呼んでおきながら、わしら待たして」
勝はぼやきながら落花生の殻を割っては、南京豆を口に運んでいた。昨晩、吉造がビールのアテにしていてテーブルの上に残したのや、じゅうたんに転がっているのを拾って食べているのである。大体この男は食い意地が汚い。床に転がっているものでも平気で口に入れてしまう。
この間も、食事中、足元に落ちていたカツオ節の一片を口に入れたら、なにやらくにゃくにゃして、かみにくい。出してみたら、水虫にかかっている足の裏の皮だった。つい先ほど、自分でめくって床に落としたままだったのを忘れていたのだから情けない。
「いろいろ作戦立ててるのとちゃうか。あいつは策士やから」
吉造は、解説書を片手に碁盤を見つめながら答えた。そこへ、八郎が両わきにかばんと大きな紙を抱えながら入ってきた。
「すまん、すまん、遅うなって。あちこち店屋へ寄って材料買い込んできたもんやから」
荷物を横へ置き畳に座るなり、八郎は二人に向かって宣言した。
「今回は、スパイ大作戦でいく」
勝は、びっくりしたように八郎を見つめた。吉造も碁盤から目を離し、老眼鏡越しに彼を見た。
「なんやねん、スパイ大作戦って。昔テレビでやってた『ゥ例によって、君または君の仲間が捕まり、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで』という番組のやつか」
吉造もけげんな顔をして、八郎を見つめた。
「そや、あのスパイ大作戦や」
二人の顔をゆっくりと見まわす八郎の声は、自信あふれるものだった。
ここで、その「スパイ大作戦」について、お話ししておこう。大多数の方は、もちろんご存じのことと思うが、まだカラーテレビがそう普及していなかったころの外国TVドラマである。
毎回テープレコーダーによる指令が謎の秘密機関のもとに届く。録音は必ず「おはよう、フェルプス君」で始まる。フェルプスはリーダーである。任務の説明があったあと、「例によって……」で終わるが、その「例」が少々巻き舌なので「ゥれいによって」と聞こえるのである。
ドラマでは、ゴムマスクによる変装や大仰な仕掛けで相手を欺くシナリオが作られる。例えば、睡眠薬を与えた相手の眠っている間に、部屋を数十年前の形に改装し、手にはその時代の日付がついた新聞まで持たせておく。半混濁状態のまま目を覚まさせ過去にワープしたように感じさせるといった具合である。
また、発車した敵の乗った客車だけを車庫に引き込み、いかにも列車に乗って移動しているように思わせる。相手にばれないよう、車両を油圧で振動させたうえ、走行中の列車から撮影したフィルムをスクリーンに映し出して、窓の風景が流れて見えるようにするなど、手の込んだトリックを用いる。
子供だましといってしまえばそれまでだが、みんな引きつけられ、毎週わくわくしながら見たものである。
最近、リメークされた「M:I(Mission Impossible)」(ミッション・インポシッブル)は、その劇場版だが、三人にとっては、テレビ版の方がインパクトは強い。マッチで火を付けられた導火線が燃えながら始まるタイトルシーンの、あのタンッタッタターラ、タンッタッタターラという音楽がたまらない。それを、今回自分たちがやろうというのだから、びっくりすると同時に胸をはずませた。
秘密指令を聞く場面こそないが、八郎はテレビであったように仲間にミッション・インポシブル(遂行不能指令)の説明場面から始めた。
「吉造君はもちろんよく知っているが、これが敵の写真だ」
ドラマの主人公になりきっている八郎からは普段の大阪弁が消え、標準語で勝に話しかけた。昨日写してきたバスの中の写真である。ヘッドホンをつけたまま例の若い男が座席で居眠りをしている。
「ふうん、こいつか。えらそうにしてるなあ。大きいにマタ広げよって。人の迷惑考えんかい。こんなやつやから、ひどいことしよるんや、なあ、吉ちゃん」
同意を求められた吉造はそれに答えず、八郎に尋ねた。
「それで、どないするねん。その方法は」
「まあ、あわてないでくれたまえ」
と彼を制してから、八郎はわきにあった変装道具を取り出した。予算不足だから、テレビのように精巧なゴムマスクとはいかないが、古くなった筆をばらして作った付けひげと、去年三人で出かけた海水浴のとき、海の家で買ったサングラスである。
「吉ちゃんは、あいつに顔を覚えられてるからこれで変装や。こっちらは、知りよらんから素顔でええ。わしが持つこのテープレコーダーが威力を発揮するんや、ひっひっひ。あ、勝は工作班で、当日はこれから作る器材と脚立を持って我々より一足先に現場へ飛んでもらうで」
一言二言話すと、もう地元の言葉に戻ってしまうフェルプス君ではあったが、計画はそこそこ手が込んでいるようだった。
「あれから何回かバスに乗って調べてたら、同じ会社で働いてるというオヤジに会うてなぁ。いろいろ話を聞いてみたんや。そしたら、あいつバスで寝込んでしもうて、よく乗り過ごしよるらしい。たびたび遅刻するから会社でも評判が良うないんやて。今月、もしもう一回始業時間に間に合わなんだら、新入社員と一緒に研修を受け直しせえ、と部長からきつく申し渡されとると言うとった」
八郎は座り直し体をぐっと二人の方に押し出すと、いつにない真剣な顔つきになった。
「ええか、これからやり方を説明するけど、正確に行動せんとあかんで。わずか数秒でも狂うと作戦は失敗や。今日から来週の水曜まで何回もリハーサルするから、間違わんようにせえよ。ええなあ」
念を押された二人も、真顔で深くうなずいた。
「ほんなら、もうちょっと近くへ来い。他人に聞かれたらまずい」
「聞かれたらって、この部屋には三人しかおらへんやないか」
「ぶつぶつ言わずに、早う耳貸せ。壁に耳あり障子に目あり、はかりごとは密なるをもってす、や。どこでだれが聞いてるか分からん」
八郎は勝の文句をおさえながら、小さな声で二人に耳打ちした。
「ウン、ウン、フン、フン、フフフフン、ウフフフなるほど。そら、おもろい。けっさくや。よっしゃ、やろう。八ちゃんやっぱり頭ええわ」
衆議一決、満場一致で大作戦の決行案は可決された。
「それで、その場所なんやけど、この写真見てんか」
前日バスの窓から撮影した停留所の写真を並べ、八郎は二人の意見を求めた。
「ここは、よう似てるんやけど位置が悪いんや。こっちの方はお好み焼き屋の看板が目立ち過ぎるし、この三つ手前のところが最適やと思うんやけどどうやろか」
「ほんまや、そこがええわ」
吉造が相づちを打った。
「そやけど、ここは一つ難点があるんや。変なところに電信柱が出っ張っとって、撤収のときに邪魔になるから、まあちゃん気ィつけんとあかんで」
「わかってる、わかってる、まかしとき」
勝はやせて薄い胸をドンとたたいた。
「大丈夫かいな。まあ、ええわ。これから器材の製作や。まあちゃん、そこの紙と絵の具貸してんか」
紙を広げた八郎は、撮ってきた写真を見ながら何やら書き始めた。その昔、彼は映画館の看板を描いていたから、絵も字もうまい。
「さあ、完成や。これなら、本物と変わらへんやろ。どうや」
「ほんまや」
みごとな出来映えに、二人は満足げにうなずいた。
「これから毎日、ここへ集まるんやで」
「よっしゃ」
三人の目は、子供のころのようにきらきらと輝いていた。
五
いよいよ決行の日がやって来た。
いったん吉造のアパートに集合した三人は、丹念に機材のチェックをし、最後の打ち合わせを済ませた。そして、全員の時計を合わせたあと、勝は脚立と円筒状に巻いた大きな紙、セロハンテープなどを持って一足先に出発した。
次の電車に乗った二人は、さすがに緊張していた。
「わくわくするなあ。小学校の運動会のときみたいや。そやけど、うまいこといくやろか」
サングラスに口ひげで変装した吉造は、格好に似合わず不安そうにつぶやいた。
「大丈夫や、まかせとき。ワシの計画に狂いはあらへん」
太鼓判を押す八郎に自信のゆらぎはなかった。
駅に降りた二人は、バス停へと向かった。ところが、いつもなら乗客が列をつくっている停留所へすでにバスが到着している。
「しもうた。電車がちょっと遅れたんか、バスがもう来てる。こらあ、思った席が取られへんかもしれんで」
「えらいこっちゃ、もう計画が狂うてるやないか」
一瞬棒立ちになった二人だったが、
「ま、とにかく乗ろ。後のことはそれから考えよ」
と、八郎は友を促し発車しかけた車に飛び乗った。
バスはそう込んでいなかったが、座席はもういっぱいで、数人がつり革につかまっている。
「やっぱり、あかなんだなあ」
「そうやなあ」
若い男は一番後ろの席でヘッドホンを頭に引っかけ、すでにもう居眠り状態に突入している。その前は若いOL風の女性が席を占めていた。
「どうしよう。今日は計画を中止するか」
慌てる吉造に、八郎はしばらく考え込んでいたが、
「いや、実行や。ええ考えがある、こうせえ」
と言って、吉造の耳に口を近づけ計略を授けた。
うなずいた彼は、OLの横に立ち、少しの間外の景色や窓上の広告をながめる仕草をしていたが、急に頭を手で支えるようにしてふらつき始めた。それを見た八郎が、心配するように声をかけた。
「大丈夫か」
「うん」
吉造は、弱々しい作り声で返事をした。
「また、貧血か。弱ったなあ。座席のひじ掛けを持たせてもらってしゃがんどき。ちょっとしたら、良うなるやろ」
八郎は、体を抱えるようにして吉造をかがませた。これを見た若い女の子は、どうぞ座ってください、と座席を譲ってくれた。二人はニヤリとほくそ笑んだ。ミニスカートからすらりと伸びたふくらはぎに息がかかるほど顔を近づけてくるジイさんを、彼女は嫌がったのである。作戦成功!
「これで、安心や」
「うん」
二人は胸をなでおろした。
停留所に止まるたび、「○○でございます。お降りの方はお早く願います」と、スピーカーから流れるいつも同じの機械仕掛けのアナウンスに、八郎は何か味気ないものを感じた。
昔は、ちゃんと車掌が乗っていて、ちょっと鼻声で「次は、○○でございま〜す。発車オーラぁイ」などと独特の調子をつけて案内したものだ。もちろん人によって声も、笑顔も違い、ときよってはブスッとした笑顔もあったが、それなりに趣があった。
年寄りが乗ってくると、手を取って「おばあちゃん、大丈夫?」と声をかけてもくれた。ワンマンカーは味気ないなどと、彼はしばし思い出にふけった。
「八ちゃん、次やで」
吉造が上着のすそを引っ張って、小声で促した。八郎は、はっと我に返り、かばんからテープレコーダーを引っ張り出して、スタンバイさせた。若い男は、自分が降りる停留所がまだ先のためか、天井を向いてだらしなく口を開け、うつらうつらしている。
次は、若い男が降りる「酢昆布会館前」より三つ手前の停留所である。双方とも大きなビルの前にあり、建物の色合いもよく似ているので決行場所に選んだ。
バスが止まって、ほん一呼吸おいた八郎は合図を送った。吉造も目配せをして身構えた。うまいことに、敵のヘッドホンはわずかにずれて一方が頭から半分外れかけている。八郎は彼の耳にテープを近づけてスイッチを押した。車内アナウンスの再生音が男の耳元で流れた。この前乗ったとき録音したものである。
「酢昆布会館前でございます。お降りの方はお早く願います」
若い男はうっすらと目を開けた。
その瞬間をとらえた吉造が大声で、
「あっ、酢昆布会館前や。早よ降りんとあかん」
と、あわてるふりをして、立ち上がった。男もうろたえた。彼の錯誤を誘うために、吉造がすぐ前の席へ座る必要があったのである。
でも、まだ早過ぎる、と彼は不審感を持った。習性というのは恐ろしい。体が車中における時間的経過を無意識のうちに計っているのだろう。
しかし、その疑問も窓外を見やったときに吹っ飛んだ。停留所の看板が、ちゃんと「酢昆布会館前」となっているではないか。男は、今度は本当にあわてて、立ち上がった。
「降ります、降りまぁす」
と叫んで、座席から飛び出したとたん、吉造は、
「あ、そうや、おれ今日は先まで行くのやった」
と、白々しいセリフを吐きながら座り直した。突然のことで慌てた男は、自らいすの脚につまずき、よろめいた。弾みでプレーヤーが、体から外れて通路の床を前の出口の方へと滑って行った。
男にとって、運の悪かったことは、たまたまその近くで相撲大会が開かれていたことだった。バスを降りようとしていた相撲取りは、その日の取り組みのことで頭がいっぱいだった。ああ来たらこう行こう、こう突いてきたらこうかわそう、などとシミュレーションしながら、両手を構え、足は軽く床を踏みつけながらステップの手前まで来たところだった。その利き足である左足の下に、音響機器は吸い込まれた。
われわれなら当然気づくだろうが、力士と呼ばれる人たちにとってデジタルオーディオプレーヤーは、ゴキブリを踏みつぶすに等しい。ぐじゅっという鈍い音とともに、バスの床にめり込んでしまった。もちろん本人は全く気づかない。
男も力士が相手では、物言いをつけることもできず、壊れた機器を横目にして情けなさそうにバスを降りていった。
これを見るや、物陰に隠れていた勝が飛び出した。バス停表示板にセロハンテープで留めた「酢昆布会館前」と書いた紙を引きはがし、バス後部の入り口へ走った。下から出てきた停留所名は三つ手前の「ゼニコンビルヂング前」である。
しかし、ここで彼の見通しの甘さが露呈した。八郎が懸念していた通り、歩道に出っ張っていた電柱が邪魔をしたのである。
根元に取り付けてあったキャバクラ看板から飛び出していた針金が、勝のズボンにからまった。これをほどくのにわずか暇がかかった。引きちぎるようにして針金を外し、バスの乗車口に達したのは、圧搾空気がプシュッという音を立てドアを閉め切った直後だった。
車内の二人はあわてた。
「しもうた。そやから、あれだけ注意したのに。あいつまたドジ踏みよった」
「あちゃあ、あの男小さいときからああやったんや。隣町までけんかしに行って、最後逃げ遅れてえらい目に遭いよった。あの若いやつが気づきよったら、困ったことになるで。わしらのこともばれるし。難儀やなあ」
八郎らは青ざめた。
その時だった。後部座席にいた乗客が大声を出した。
「運転手さん。あかん、ばあさんのスカートがドアに挟まってるで。開けてやってんか」
運転手はドアを開け直した。もちろん、勝も車内へ飛び込んだ。間一髪だった。
ふうふう息を弾ませながら、勝は二人のそばへ寄ってきた。
「ああ、しんど。冷や汗かいたわ」
「もうあかんかと思うたけど、ラッキーやったな」
吉造は勝をねぎらった。
「天網恢恢、疎にして漏らさず。天は正しい者の味方や」
リヤウインドー越しに男を見送りながら、八郎も胸をなで下ろした。
「あれ見てみぃ。あいつバス停でうろうろしてる。看板見たり、首をかしげたり。この辺はタクシーもあまり通らへんし、いくら走ってもバス停三つ分では会社に間に合うはずがない。上司にこっぴどく叱られよるで」
「研修受け直して、もうちょっと勉強したらエエ。大音量で音楽聴いて居眠りばかりしてたら、こんなことになるとエエ戒めになったのとちゃうか。通勤中も仕事に入る前の心構えや準備で緊張するのが大人や。だらだらしてたら良い仕事はでけへん」
二人の言葉に
「バスの中の態度も良うなったらエエんやけど……」
と、勝は顔を曇らせたが、
「いや、社会マナーの徹底も、新人研修の重点項目らしい。子供のしつけみたいやけど、社員の行動は企業イメージを大きく左右するから当然やろ」
という八郎の答えに、明るい表情を取り戻した。
男の成長を願っての作戦は、成功裏に終わった。
三人は満足の笑みを交わしたのである。
(おわり)
〔この物語はフィクションであり、実在の人物、団体とは関係ありません〕
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