流れ行く日常
「あー。早く帰りたい」
穏やかな昼下がり、篠宮和也は机に顎をのせてうつ伏せにだらけて見せた。毎日がつまらない。自分は勉強なんてできないし、何をしても平凡。昼休みのこの時間、母親が作ってくれる弁当を食べてしまえば、もう学校に用はない。
早く帰ってやりかけのゲーム、マジカルンルンの続きがしたい。可愛いツインテールの女の子が杖で魔法を使い、モンスターを退治していくアクションゲームだ。篠宮はそのゲームをやりたいが為に、発売日には仮病を使って学校を休み、早朝から並んでようやく手に入れた。近頃は、このゲームに夢中なのだ。
「おい、篠宮」
「なんすかー?」
突然、教室のドアが開き現れた担任の出川が彼の名前を呼んだ。
「おまえ補習な、放課後残れ」
「えーー・・・」
まじかーと頭を抱えて悩む篠宮を前に、出川は当然だと言いながら補習で使うであろうプリント類をまとめていた。
せっかく早く帰ってマジカルンルンしようと思っていたのに。彼の楽しみは遠分まだ先のようだった。
静かな空気の中で、カチカチとそろばんを弾く音が聞こえる。
綺麗に整列された長机の上で、生徒たちはいそいそと目の前の問題集とにらみ合っていた。
「はい、そこまで」
腕時計を眺めながら、指導を行っている教諭が全員の動きを止めた。
それじゃ、次の問題解けた人いるか?
「はい」
迷いなく、ピンと手をあげる少年がいた。
「お、じゃあ保志」
「854672」です。
「よし、正解だ」
周りはこの少年、保志圭一に対して尊敬の眼差しを送った。
保志は有名な私立小の五年生だ。幼い頃から勉学に励み、幼稚園の頃にはすでにかけ算を全て覚えていた。保志にとって、そろばんで計算するのは、計算機を使っているのと何ら代わりはない。まさに頭脳明晰の天才少年だ。
しかし、保志もどこにでもいる普通の小学生だ。私立小の清楚な白い夏服は、淡いブルーのネクタイがとても似合っている。
今流行りの鞄は、厚手の紐で両サイドを閉じられランドセルとゆう名前が似合わないほど大人びたデザインだ。小さなポケットが沢山ついていて、授業で使う小道具などもスッキリと仕舞うことができる。保志はこの鞄がとても気に入っていた。
「保志くん、ばいばい」
同じ塾に通う美砂ちゃんが保志を見てにこっと笑い挨拶する。
「またね」
それに対して返事をする保志も、にこっと笑顔を浮かべて彼女を見送った。
学校が終わると保志はいつもこの塾に通うため、同じ学校の生徒と一緒に下校するとゆうのはなかなか難しいことだった。塾で仲良くなった美砂ちゃんも、隣町の私立小に通っている為に親の送迎があり、家も逆方向だった。
それでも塾に通うのは嫌いじゃなかった。保志は自分でこの塾に通いたいと両親に志願し、勉強を心の底から楽しんでいた。
「よし、帰って明日の予習しよ」
本当に勉強が好きなんだなとゆうことが分かる言葉だった。保志の日常は、勉強から始まって勉強で終わる。つまらない世界だとは思わない。頑張って勉強していれば、明るい未来は必ずやってくると信じているのだ。
夕暮れの赤い日差しが、咲いたばかりの秋桜を照らしている。歩き慣れたアスファルトの道も、この時間だけはまるで別な場所にいるように見えた。
保志が歩く左側で、穏やかな水の音が聞こえる。この川沿いを歩いて帰るのが日課だ。
「あーもう!こんなに遅くなっちまったよ」
少し急な坂道を、篠宮は走っていた。
補習がやっと終わり、早く帰ってゲームをしたいとゆう気持ちばかりが先走っている。
「まったく、出川のやつ!あんなにプリント出さなくてもいいのに」
急ぎながら彼の口からは担任に対する不満の声が溢れて止まらなかった。勉強はやりたい奴だけやれば良い。これは、彼の持論だった。そんなことを教師に言ったところで、篠宮が補習をするのには代わりないのだが。
迷いなく走っていると、急に目の前の夕陽が眩しく光だした気がして篠宮は片腕で目を覆った。
「うわっ、なんだ?!」
次の瞬間、坂道が終わり合流する左下の道から出てきた保志が、篠宮の姿を捕らえた。
「うわっ!!」
気づいた時には、篠宮はすでに保志とぶつかりそうな位置にいた。お互い身を強ばらせ、二人で一緒に宙を舞った気がした。
「おねがい、助けて・・・」
それと同時に、誰かが助けを求めている気がして、二人は「え・・・?」と顔を見合わせた。
宙を舞ったはずの二人は、そのまま激しい光に包まれて姿を消してしまった。
辺りには、何事もなかったと言うような静けさと、穏やかな夕焼けだけが残っていたのだった。