第四話:俺と蝉と花火と [下]
まとわりつくような湿気と照りつける日差しによってもたらされた暑さは、俺の周囲はおろか、街のすべてさえも包みこんでいる。
ようやく、たどり着いた家の中に入ると俺のラブリーな妹。錦がいた。
しかし、錦の目線は握り締めている雑誌に向けられている。
そこには『小物をチェンジでサマーはモテモテ』などといかにも花畑大好き女子が好みそうな言葉か並んでいる。
━━━ときどき入ってくる英語はなんなの? この雑誌を出した出版社はあれか、なんとか大柴さんでも雇ってんのか?
などと、一つ声に出してツッコミを入れそうになったが、それどころではない。
何故ならばこの後、春と花火を見に行かなくてはならない。いや、正確にはその映像を撮りに行くのだが、そもそもあの事件以降、花火を見ることはおろかその音を聴くことさえも嫌になっている。
どうにかサボる口実を絞りだそうとしていると、錦が持っていた雑誌を置き、こちらを向いて恐ろしいことを述べ始める。
「お兄ちゃん、さっき春さんから電話があったよ。花火、見に行くんでしょ」
━━━さすがは春だ。錦に話を通せば俺を操れるとわかっていて電話を入れたみたいだ。
しかし、二人だけで行くってのもな。
屋台もたくさん在るだろうし、たまには三人で行ってみるのもいいかもしれない。
「錦も行くか?」
そんな俺の言葉に錦は、一瞬目を輝かせたがすぐに曇らせる。
「うれしいけど⋯⋯やっぱ、いい」
意外や意外。まさか断られるとは思わなかった。
「春が許してくれたら、一緒に行くか?」
「⋯⋯いい⋯⋯の?」
「ああ、電話してみる」
期待を寄せた目で見てくる錦の隣で、春に電話を掛ける。
しばらくの呼び出し音に続いて春が出た。
「もしもし嵐。どしたの?」
「花火に錦も連れていっていいか?」
「⋯⋯そっか。わかった。じゃあ、少し早めに行って屋台でも回ろっか」
「それじゃあ、6時くらいだな」
そう言って電話を切ると、横からものすごい圧がかかってくる。錦に向かって小さくOKサインをしてやると、階段を駆け上がって二階の自室へと入ってしまった。
「5時50分ぐらいに行くからな」
二階に向かって言ってやると、錦は大きな声で返事をしたが、既に準備を始めたのかものすごい足音が聞こえてくる。
ふと時計を見ると針は12時を過ぎている。
昼食をどうするべきか、どうせ向こうに行ったら何か買って食べるだろうし。おにぎりぐらいでいいか。
そう思い立って作り終え、錦を呼ぶと返事と同時に階段を降りてくる音が聞こえ、扉が開いた音も聞こえた。
早くもテーブルに着いた錦はそこに置いてあったおにぎりを食べ始めている。
俺も席に着いて食べ始め、錦に一つ尋ねてみた。
「なぁ、二階で何していたんだ?」
錦はその言葉を聞くなり、何でもないと言ってまた自室へと引きこもってしまった。
━━━そんなに引きこもるなんて妖怪のせいなのかな? ウオッチして、メダルに⋯⋯おっと、誰か来たようだ。
残されたおにぎりを食べ終えると夕方まで宿題をする事にした。
テーブルいっぱいに広げたそれを見ると至極やる気が削がれる。多い。
ともかく、取りかかる事にした。
***
気が付くと西から差し込んだ光が顔に当たっている。かなりの熱さに今まで気付かないほど集中していたのか。
さすがは俺だな。
一つ背伸びをすると、時計が5時45分を指そうとしている。
俺は鞄に会長から託されたカメラを入れ、玄関に向かいつつ錦を呼んだ。
「行くぞ」
「ちょっと待って」
錦を待っていると、階段を降りる音がして扉が開いた。そこには、水色の浴衣を着た錦が立っている。
「錦、それ」
「どう? 似合っているでしょ。お母さんに買ってもらったんだ」
━━━ほーん。二階でどたんばたんと大騒ぎしていたのはこれが原因だったのね。
「悪くはないな」
正直な感想を伝えるとあまりに気に入らなかったのか、やや膨れている。
ぶーぶー言いながらも、錦は下駄箱から下駄を取り出して履こうとしている。
それを履き終えた錦を連れて家を出て駅へと向かう。そこに近づくにつれて人が多くなってきた。
家族連れに明らかなカップル。
そんな雑踏の中から、俺たちを呼ぶ声がする。
その声に聞き覚えがあったが、それらしき人は居ない。少しその声の主を探していると、笑顔でこっちに手を振ってくる浴衣の少女が居た。
その少女が春な訳がないと思ったが、あまりにもしつこく手を振ってくるので、誠に不本意ながらそちらへと向かった。
「嵐、おっそい」
「そうだよ。お兄ちゃん」
━━━おっと、急に俺が不利になりましたね。というか、錦。お前のせいで遅れたんだからな。
そんな事を俺が考えていると思ってさえいないのか、二人はやれ浴衣が可愛いだの、俺に何を奢らそうだのと言い合っている。
━━━うん? 何で俺が奢ることになってんの? 不思議だな。
とりあえず、三人で会場の浜へと向かって歩き始めた。
先を行く二人は楽しそうにしているが、後ろをついていく俺は置いていかれないようにそれでいて離れすぎないように足を早めたり、遅くしたりして後を追った。
会場に近づくにつれて、さらに増えていく人々。
それが造り出した人波に軽く吐き気を覚えながら、さっきと同じように二人のあとを波をかき分けながら進んでいく。
するとぽつりぽつりと左右に屋台が現れてきた。
先行く二人はそれを一つ一つ吟味しながら進んでいるのか、若干スピードが落ちている。
ふと立ち止まった二人は振り返って早く来いと言わんばかりの表情を浮かべ、手招きをしている。
俺が慌ててそこへ駆けていくと二人の指は同時に同じ屋台を指し、奢れと言ってきた。
━━━はぁ、『たません』ね。昔、あれの目玉焼きだけ落として、屋台のおじさんに新しいのを載せてもらったのはいい思い出だな。というか、錦はともかく、どうして春の分まで買わないといけないのだろうか。どうしてこんなことになったのかな~。
「ほら、嵐。早く買ってきなさいよ。あっ、私、玉子二個ね。」
春が言い放ちやがった言葉に唖然としていると、錦も輝いた目でこっちを見てくる。
━━━わかりましたよ。買ってきますよ。
屋台に向かい店主にその旨を伝えると、結構な金額を請求された。
財布がかなり軽くなって、二人の下へと戻ると笑顔で受け取ってはくれたが、すぐに食べ始めている。
━━━あの、分けてくれませんか? だめですか。
二人にそんな事が伝わるはずもなく、あっという間に完食している。
少しの間、その光景に固まっていると春は突然走り出した。
春が向かった先を見ると、そこには会長と副会長が居た。
━━━何か嫌な予感がしなくもない。
また、固まっていると春がこっちに来て、俺たちを会長の所へと連れていく。
近くで見た会長方の浴衣姿も素晴らしいもので、少し見惚れてしまった。
「おい、三室。どうしてさっきから固まっていたのかね? 隣にいる子は君の彼女なのか? 詳しく教えてくれ」
矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。
「えっとですね。固まっていたのはお二人の浴衣姿に見とれていたからで。隣にいるのは妹の錦です」
「そうか」
会長らと錦が挨拶をしていると海の方から一つ大きな音が響いた。
どうやら、それが打ち上げ開始の合図だったらしく、周りの人たちは皆、見易いところへと移動していく。
俺たちもその波に乗って開けた所へと向かい始める。
俺は鞄の中にしまっていたカメラを握りしめて駆け出した。
人波をかき分けてたどり着いた所でも多くの人が居て、皆空を見上げて、いつうち上がるか、それを待ちわびている。
俺はそれの後ろに陣取ってカメラを回し始めた。
やがて、空に一発大きな花咲いた。
それはまるで光を纏った鯉が、滝を登り、龍に成り、咆哮しているような、そんな力強さがあった。
それを皮切りに次から次へと連なっていく咆哮に、人々は魅了されていく。無論、俺もその中の一人となった。
撮影を忘れて花火に見いっていた。
やがて、花火大会も終盤へと向かっていた。
最後に打ち上がったのは、今までで最も大きなものだった。
それが闇の中へと消えて行ったとき、周囲の人は皆、残った火薬の匂いと頭の中で響き続ける音に余韻を感じているように立ちすくんでいた。
もう一度集まった俺たちは、その場で解散し、各々の帰途へとついた。
更新遅くなり申し訳ありません。
この後、最終話を投稿いたします。




