(2)ケモノノホウコウ
「事実は小説よりも奇なり、ってね~♪」
屋上の仮面銃士こと五冬七夏と友達になれてご機嫌なのか、鼻歌混じりにさくらは言った。
「悪名高い屋上の仮面銃士も、蓋を開けて見れば、と~っても素敵で可愛らしい女の子だったんだね~! 驚き桃の木桜の木だね、しぃちゃん!」
チラホラと人影が認められるものの、まだまだ閑散としている静かな廊下を、クルクル回ってさくらが俺に同意を求めた。
「そうだなー。屋上を占拠したり人に向けて発砲したりするものの、それさえ無ければ良い人かもな」
ボロ雑巾にされた身でこんな事を言うのもおかしいのかも知れないが、憎しみや恐怖を超越した親近感を、俺は彼女に対して持っていた。理由や目的はどうであれ、真っ正面から勝負しあった仲だから……だろうか。
「だよねー!」
俺の答えがお気に召したらしく、さくらが今度は飛び跳ねた。そのさくらの激しい感情表現に動きを合わさせ、肩に掛かった2つ水筒も一緒になって踊り出す。そして、俺の答えに喝采を送っているかの様に、腰回りの水筒とぶつかり合って、大小様々な音を立てている。それが何だかおかしくて、傷は痛し退学の危機は未だに側にあるものの、俺は小さく声を漏らして笑う。
「で、さ。これから、どうしよっか?」
一頻り歓喜に身も心も躍らせていたさくらが、俺の隣に並んで聞いた。
「どこかでちょっと休んでく? それとも、校内探索でもして回ろうか?」
「出来れば少し休みたいかな。流石にあの銃撃はハードだったし」
自然と握られた手にドキリとするが、照れた様子はおくびにも出さずに俺は答えた。
「ん、りょーかーい。確か、校舎端の階段の近くに休憩スペースがあったよねー。そこに行こっか~」
さくらが言う通り神罰校の各階には、学業に勤しむ生徒達が授業の合間に寛ぐ為の、教室半個分くらいの広く開けた場所がある。受験生の時に参加した学校見学の際に一度だけ利用した事があったけれど、ラインナップの充実した自動販売機や座り心地の良いベンチ、更には壁掛けテレビまで有って、設備の豪華さに感嘆の声を漏らしたもんだ。
「それが良いな。今の時間なら貸し切りだろうし、ゆっくり休むには持って来いだ」
さくらが提案しなければ俺の方から言い出すつもりだったので、一も二もなく頷いた。
しかし、そこから少し進んだ所でさくらが止まる。
「あ、でも、その前に……」
顔を赤らめながらモジモジしているその姿は、明らかにアノ生理現象を我慢しているそれだった。まぁ、出会ってからの約一時間だけでも、実に十数リットルもの水分を補給している訳だから、行きたくなるのは当然だろう。寧ろ、今まで一度も行ってない事が不思議なくらいだ。
「あぁ、うん。待ってるから早く行ってきな」
俺はキチンと察してあげて、言外にさくらにトイレへ行くよう促した。
「鞄、預かってようか?」
絶対に手放せないと分かっている水筒については、確認を省いて俺は聞く。
「ううん。大丈夫、ありがとう」
俺に遠慮をしてか、さくらはやんわり断った。必要だから断った可能性もあるけれど、女子のトイレ事情に詳しくない俺には真意の程は分からない。知る必要も無いけれど。
「じゃあ、ちょっと待ててね~!」
まるで、どこか楽しい場所へお出掛けするかの様なハイテンションで、さくらは少し先に見えているトイレへ向かって足早に行く。こんな時でも廊下を走らないとは真面目なもんだ。
「……ふぅ」
さくらがトイレに入るのを遠目に見送った後、俺は小さく溜息を吐く。
「さて、どうしたもんか……」
体中が激しく痛み、眠気で少し意識が霞む。それに何より、七夏に敗北して一歩近づく退学の危機。まだチャンスは有るとは言え、気落ちしてしまうのも無理からぬ事だと思ってしまう。弱気になっても、泥沼に嵌まるだけなのに。
「七夏とは友達になったけど、これは、障害物を乗り越えた事になるのかな? 結果としてはボロ負けだけど……」
現状、希望が有るとすれば、その一点に尽きるだろう。七夏との唯一無二の友情が、俺の未来を明るく照らす。その考えは、甘いのだろうか。
兎にも角にも、友情の育み=クリアとなる事の確証が無い以上、残り二つの障害物の内、どちらかだけでも突破しないと、俺の高校生活は終わると思っておくべきだ。
「ウダウダと悩んでいる場合じゃない……な」
そんな暇が有るならば、次の障害物について思考を巡らせておく方が、何十倍も有意義だ。そう気持ちを切り替えて、俺は自分の頬をピシャリと張った。
「『ケモノノホウコウ』……か。なーんか、聞き覚えがあるんだよなぁ」
遠い過去に一度だけ、誰かの口から耳にした事がある様な、そんな記憶が朧気にある。何かイヤな思い出なのか、思い出そうとすると、頭……と言うか何故か顔と後頭部が痛み出す。
「多分、単純に『咆哮』ではないよなぁ」
仮にそうだとしも、思い当たる節は無い。
「『奉公』、『芳香』、『彷徨』……。一番関係有りそうなのは『放校』だけど……」
退学の類義語である放校が俺の現状にはピッタリだけど、いまいちピンとは来なかった。恐らく、正解ならば顔と後頭部の痛みが強くなると思うけど、その様な気配も全く無いし。
「う~む……」
手を伸ばせば望んだ答えを掴む事が出来そうなのに、その手は当て所無く暗闇の中を彷徨うばかり。或いは、過去の腫れ物に触れる事を、無意識の内に避けてしまっているのだろうか。
「防衛本能によって記憶に蓋がされていると考えるなら、トラウマに繋がる様な何かしらの強烈なショックを受けた筈……だよな」
それが、顔と後頭部の痛みの正体だろう。つまりは、過去に俺の顔と後頭部に大ダメージを与えた野蛮な獣が、時を越えて再び俺に襲い来る。……と、言う訳……か?
「……ん?」
俯いて考え込んでいた俺は、ふと、足下に何かが落ちている事に気が付いた。
「誰かの落とし物……だよな」
右膝を突いて拾い上げたそれは、新品同様に綺麗に磨き込まれたハンディスキャナーだった。じっくりと色んな角度で見回すが、名前はどこにも書いてない。
「何でこんな物がこんな所に落ちているかは置いとして……。これは、職員室に届けに行けば良いのかな?」
落とし主を捜す手立てが無い以上、それが最善策に違いない。時間は7時50分と入学式にはまだ早いけど、流石に教師の一人や二人はいるだろうしな。さくらが戻ったら、早速届けに行ってみよう。
そう思い、立ち上がろうとした所でそれは聞こえた。
「あ~っ!」
咆哮としか形容出来ない程の大音量で、聞き覚えのある女性の声が、遠くの方から響き渡った。
「この声は……まさか!?」
子供の頃の悪友の姿が頭に浮かぶ。顔と後頭部が疼く程の怖気と寒気に襲われる。先程から感じていたイヤな予感の正体が、確認せずとも明確となる。
「大狼……晶……」
それでも恐る恐る声のした方向に目を遣ると、数年振りに会う悪友が、こちらに向かって猛スピードで駆けて来るのが視界に写る。
「何で、お前がここにいるんだ……?」
ケモ耳の様な特徴的な癖っ毛に、牙の様な鋭い八重歯、童顔で子供みたいな小柄な体躯。上半身は裾の丈が短いワイシャツだけしか着ておらず、露出している綺麗で細いお腹には、ヘソを横一文字に切り裂く10センチメートル程度の古い傷が刻まれており、痛々しくて後ろめたくて目に耐えない。
これだけ独特な容姿をした奴を、たとえ遠目でも見間違える筈がない。それが悪友となれば尚更だ。
「――いや、それよりも」
再会の喜びは、この状況では殆ど無い。『悪』とは言えど『友』だから、楽しい思い出は沢山あった。けれども、今、俺の頭に流れているのは、唐突な再会のショックで思い出してしまった、とある一つの忌々しい思い出の映像だった。
つい先程まで固く閉ざされていた記憶の蓋が抉じ開けられて、封印されし遠い記憶が蘇る。その所為で俺は、こちらに迫り来る晶の姿を、障害物の一つとしてしか認識する事が出来ずにいた。
「早く逃げなくちゃ!」
こんなにも早く次の障害物が現れるとは、完全に予想外で油断していた。が、幾らすばしっこい晶でも、30メートルくらいの距離を詰めるには3秒前後は掛かるだろう。それだけあれば、避けるだけなら余裕で出来る。
そう思い、俺は素早く立ち上がる。
「……あっ?」
そして、立ち眩みが起きた。体がボロボロな上に脳味噌が眠気に侵されているこの状態で急に立ち上がろうものならば、こうなるのは当然の結果と言えるだろう。
更によろめき小さく2~3歩後退り、俺はまた片膝を突く格好になってしまった。
「ヤバッ……!」
この体勢は非常に不味い。頭ではそう分かっていても、損傷の激しい体では脳からの命令を遂行するのは非常に困難だった為、痙攣こそすれ自分の意志では微動だにする事が適わなかった。
「汚い手で――」
そして、声が聞こえた次の刹那、ついにその時が来てしまう。
「ソレに触るなー!」
人の膝を踏み台にして、両手で頭をガッチリ掴む。次いでそのまま、勢いを殺さず跳躍すると、
「獣の放光ー!」
技名を叫ぶと共に、右膝を俺の顔面へと思う存分減り込ます。
「ぐはっ――!」
更に、最後の仕上げとして、その状態のまま俺の体を押し倒し、後頭部を固い廊下へと打ち付けた。
「がっ――!」
俺を殺すつもりかの様な無慈悲で無遠慮な攻撃により、俺の意識は数瞬の間途切れてしまう。幼少期の時に一度だけ、何だったかの理由でブチ切れた晶から喰らった時には、三途の川を渡り切る直前まで行ったっけ。頭部へのダメージとその件がトラウマとなってしまった事が原因で、今の今まで忘れてしまっていた訳だ。
掠れ行く意識の中、そんな事を不思議と冷静に考えていた。
「あー、良かった。無事に見つかって~! ……って、お前、もしかして、しぃか? しぃだろ? しぃだよな?」
俺の手からスキャナーを抜き取った晶が、今更気付いてそう言った。
「おー、久し振りだなー! 8年振りだっけか? お前も神罰校に入学してた何て奇遇だなー! いや、そんな事よりも、鴉怜美ちゃんは私好みに可愛く綺麗に育ったかー?」
自分の技によって俺が轟沈している様が瞳に写っていないのか、晶は四つん這いになって俺の顔を覗き込み、矢継ぎ早に色んな話題を振ってくる。当然、頭に入った側から瞬時に消えていくけれど。
「……今の攻撃、俺じゃなかったら、下手したら死んでるぞ」
そんな訳で、質問に答える余裕なんて全く
無かった俺は最後に、退学へとまた一歩近付いてしまった事へのせめてもの報復として、昔の様に晶を笑ってからかった。
「なぁ、晶よぉ……」
わざと名前を間違える。報復と言うには子供じみたおふざけだけど、昔の誼でこれで許してやる事とする。
「おー。懐かしいな、それ!」
子供の頃は若干怒って文句を返してきたけれど、流石に少しは心が大人になったのか、懐古の念から犬の様に尻尾を振らんばかりに燥ぎ出す。
「じゃあ、ボクも昔の様に突っ込んでやろうかなー!」
嬉しそうに晶が両手の指をバキバキ鳴らす。この遣り取りの締め括りとしてのお約束である、鉄拳訂正の準備動作だ。
その様子を見て懐かしさを噛み締めながら、歯を噛みしめて腹筋に最後の力を込めておく。これで、こちらの準備も万端だ。
「――せいっ!」
お互いの準備が整った所で、晶は一度大きく息を吐き、瓦割りの要領で腹に向かって垂直に拳を降り下ろす。
「――ぐっ!」
力加減はされていたし、こちらも衝撃に備えてしっかりと身構えていたけれど、それでも結構痛かった。
「もー! ボクの名前はアキラじゃなくてセイだって、何度も何度も叩き込んでやっただろー!?」
俺に覆い被さり、言葉とは裏腹に嬉しそうに笑う晶。その喜色満面な表情に釣られて俺も口だけ小さく笑い、力尽きて瞼を閉じる。
「……あれ? おーい、しぃ、どうしたんだ~? お亡くなりになるんだったら、有料で遺言聞き取るぞ~?」
キチンと聞いてくれるだけ、七夏よりも有情だろうか。
「……あ。これはマジでヤバいかも」
トーンダウンした晶の声調に、自分の体の不具合の程度に不安を覚えた。それを最後の記憶とし、俺の意識は完全に闇の中へと沈み行く。
時刻は7時53分。早くも2つ目の障害物に入学を阻害されてしまった俺は、強制的に無為な数時間を過ごす事を余儀無くされた。
噂のあった1つ目に、記憶のあった2つ目は、上手くやれば予め対処しておく事も、決して不可能ではなかった。しかし、最後の障害物に関しては、全くのノーヒントだ。それなのに、こんな散々な体たらくに陥る様な無様な俺に、果たして、乗り越える事は適うのだろうか――。




