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(1)屋上の仮面銃士

 ①右手に嵌める

 ②必要となる魔力に応じて、適量の理性を魔技具に注ぐ

 ③②によって作られた魔力を消費し、欲望のままに魔法を使う


 魔技具に同梱されていた手書きの取扱説明書には、それしか書かれていなかった。

 故意に未来を変えてはならない。

 それに抵触するのを防ぐ為だろう。肝心要の名前や能力についての記載は一文字足りとも存在せずに、使用方法も抽象的に済ませてあった。

 あの呪理が意地悪して不親切な取扱説明書を寄越してきたとは思えないので、事の真相は俺の想像通りで正しい筈だ。

 説明書を一読してすぐにそう思い至ると、俺はこの限られた説明を元に何とかして魔法を使ってやろうと、起き抜けから試行錯誤を繰り返していた。そしてそれは、午前六時半現在、早目の登校途中の今でも終わらず、堂々巡りの試行が続く。

「……参ったな」

 かれこれ一時間近くも試しているが、何も変化は起こらない。これだけやっても進展ゼロでは、呪理や魔技具に対するお門違いの悪態こそは出ないけど、流石に弱音の一つも漏れる。

「どうやって使うんだよ、コレ……」

 説明書通りに魔技具を嵌めた右手を掲げ、朝日を反射して眩しく輝くそれを見る。

 銀と黒を基調としたこの魔技具は、メカテクターと呼ばれる、ボウリングの道具に酷似していた。

 デザインだけで能力を想像するのであれば、攻撃魔法か防御魔法が妥当だろうか。だとしたら、少し困るな。

 その様な系統の魔法が活きるのは、やはり、戦闘時こそが相応しい。と言う事は、退学を防ぐ為には、誰かと戦う必要があるかも知れないと言う事だ。腕に多少の自信はあるが、出来れば平和的に解決したい。ケンカには悪い思い出が沢山あるし、それに何より、入学初日から波風立てる様な、目立つ事はしたくないしな。

 そう思いつつも、俺は覚悟だけはしておいた。あくまでも可能性の一つとして考慮したに過ぎないが、その際に、心のどこかで、確信に近い胸騒ぎを感じていた。

「う~む」

 兎にも角にも、先ずは、この魔技具を使える様にならなきゃな。

「……もう一回、試してみるか」

 俺は右手で握り拳を作ると、改めて、説明書の②と③の内容を思い返した。

 言葉通りに受け取れば、魔法を発動する為には、使用者の理性を魔力へと変換し、それを消費する必要がある訳だ。しかし、この、理性を魔力に変換する方法が分からない。魔技具にエネルギーを送り込むイメージで右手に力を込めるけど、魔技具はうんともすんとも反応しない。もうずっとこんな調子で、俺は苦戦を強いられていた。

「ダメ、か……。もういっその事、魔技具無しで立ち向うべきなのかな……」

 使えない道具に頼りきっていると、いざと言う時に、何も出来ずに終わってしまう恐れはデカい。だとしたら、魔技具はあくまでもオマケのつもりで、自分の力だけを頼りに挑んでいくのが最前だろうか。

 呪理には申し訳ないと思いながらも、俺は魔技具の使用を諦めかけた。

 気分が沈み、右手と共に視線も降りる。

「ん……?」

 そして、少し先の地面の上に、横たわっている人を見つけた。

「あれは、同じ高校の生徒だな」

 私立神聖罪罰高等学校。俺が今日から通い下手をしたら退学となる高校の制服に身を包んだ女子生徒は、アスファルトの上で俯せになっていた。

 ジュースを買おうとして、自動販売機の下に小銭を落としてしまったのだろうか。

 早朝なので俺以外の人目は無いし、落としたのが五百円玉だとしたら、俺でも恥も外聞もなく同じ事をしているだろう。

「……変だな」

 勝手に共感して様子を見守っていた俺は、十秒近くも経ってから、漸く彼女の異変に気付いた。

「って、もしかして、病気か何かで倒れているのか……?」

 彼女はお金を探していないどころか、指先一つ動かす事すらしていなかった。

「おい、大丈夫か!?」

 慌てて駆け寄り、大きな声で呼び掛ける。

 消え入りそうな弱々しい呼吸と微かに震える全身が、生命の危機的状況である事を雄弁に物語っていた。医療知識が殆ど無い俺の素人目であっても、このままでは長くないであろう事は、イヤと言う程目に見える。

「取り敢えず、救急車を――」

 この様な場合に一般人が取るべき行動を思い出し、俺はスマホを取り出そうと、ブレザーの内ポケットに手を入れた。が、その手を彼女に掴まれる。

「……っ!」

 意識がある事に安堵したのも束の間、掴むその手を見た俺は、より大きな異変に度肝を抜いた。

「何だ、コレは……?」

 まるで、乾いた大地の様に罅の入った彼女の右手は、迚も生きた人間のものとは思えなかった。

「コレは、何かの奇病なのか……?」

 いや、右手だけじゃない。良く見たら、スカートから伸びる両足も、同様に幾筋もの亀裂が模様の様に広がっていた。

「み、水……」

 ともすると聞き逃してしいそうなか細い声が、驚愕して硬直していた俺の体を突き動かした。

「……あ、あぁ、待っててくれ!」

 彼女の手をそっと離して地面に置くと、家から持って来ていたペッドボトルの水を鞄の中から取り出して、ファスナーを閉める暇も惜しんでキャップを開ける。

 緊張と静寂に包まれたこの空間には、キャップを開ける音でさえも大きく感じた。

 有り触れていて、慣れ親しんだ、何て事の無い只の音。だけれども、今の彼女にとっては、生きる希望が生まれた音に他ならない。

 一刻も早く水が飲みたいのか、彼女は震える腕で何とか体を起こそうと頑張っていた。

「ほら、水だぞ!」

 彼女の体を支えて仰向けにさせると、予想通りに罅割れていた顔をなるべく見ない様にしつつ、ゆっくりと水を飲ませてあげた。

「ん……ん……」

 すると、瞬く間に体に元気が戻ってきたのか、彼女はすぐに、自分の手で勢い良く水を一息で飲み干した。

「ぷはーっ、生き返るー!」

 つい先程まで息も絶え絶えだった彼女は、たったのペットボトル一本分の水だけで、死の淵から見事に生還してみせた。心做しか、全身の罅も少し消えた様にも見える。

「ねぇ、お代わり、ちょーだい!」

 とは言えど、まだ立ち上がるまでには体調が回復していないらしく、俺に幾つかのジュースの購入を頼んだ。

「あぁ、ちょっと待ってろ!」

 一つの命を自分の手で救出出来た事に気を良くした俺は、言われるがままにジュースを買って彼女に渡した。

 その数、実に20本。500ミリリットル×50=10リットルもの飲み物を、彼女はものの10分程度で、たった一人で飲み干した。あの細い体のどこに、そんな大量の水分が収まっているのであろうか。

 多種多様な飲み物で満たされた彼女のお腹の中とは正反対に空になった財布をしまい、俺は彼女の事を好奇の目で見た。

「ふー。さくらちゃん、完全ふっかーつ!」

 その言葉の通り、彼女は元気に満ち溢れていた。痛々しく全身に広がっていた無数の亀裂も、今や見る影も無く消えている。

 魔法がある世の中だ。きっと、未知の奇病の一つや二つはあるだろう。

 そう納得した所で、俺は彼女に抱き締められた。

「ありがとう! 貴方は、私の命の恩人様だよー!」

「ど、どういたしまして……」

 純粋な感謝の気持ちの表れだとしても、思春期真っ盛りの男としては、どうしても不純な気持ちを抱いてしまう。その所為で若干声が上擦ったけど、どうやら彼女は気付いてないのか、回した腕を解く事はしなかった。

「ねぇ、貴方も神罰校の新入生さん?」

 暫くして体を離した彼女が俺に向かって聞いてきた。

「あぁ、そうだよ」

 神罰校。それは、俺が今日から通う『神聖罪罰高等学校』の略称だ。制服から判断は出来ていたけど、やっぱり同じ高校――それも、俺と同じ新入生だったのか。

「やっぱり! 命の恩人様が同じ高校の同級生だなんて、これはもう、素敵な運命の出会いと言わざるを得ない状況だね!」

 嬉しそうに両手を叩き、幸せそうに飛び跳ねる。それに合わせて、腰の辺りで蝶結びにされて尚地面に届きそうな迚も長いツインテールの黒髪が、縦横無尽に踊り出す。高校生としては少し幼稚な仕草だが、その姿は掛け値無しに可愛かった。

「あぁ、そうだな」

 顔が綻ぶのを隠さずに、俺は彼女に同意した。こんな美少女にそんな事を言われて、喜ばない男はいないだろう。

「私、桜坂さくらざかさくら! ねぇ、貴方の名前は?」

「俺は、姉否瀬利留だ。宜しくな、さくら」

「うん、こちらこそ、しぃちゃん!」

 自己紹介を交わし合い、どちらともなく握手する。初対面にも関わらず当然の様に愛称で呼び合う俺達は、端から見れば数年来の親友か、はたまた恋人同士に見えるだろうか。

「……ところでさ」

 なんて、少し欲の皮が突っ張った事を思っていると、さくらが小首を傾げて聞いてくる。

「こんな時間に登校してるって事は、しぃちゃんも、あの噂を確かめようとしているのかな?」

「……噂?」

 さくらの言っている事が分からずに、今度は俺が首を傾げた。

「そうだよー。神罰校七不思議の一つ『屋上の仮面銃士』の噂だよー」

「……え?」

 そして、さくらの口から出たその名前に、今日だけでも何度目かとなる驚愕による衝撃を受け、俺の思考は一時的に機能を止めた。



   §



「私ね、人の何十倍何百倍って言うスピードで水分が失われていく体質なんだ。だから、絶対に飲み物は手放せないの。……それなのに、入学に浮かれて飲み物を持って来るのを忘れちゃって、しかも、ジュースを買おうにも、お財布まで忘れちゃってたんだ……」

 舌を出して可愛く戯けるさくらと並んで、神罰校への道を行く。一度忘れ物を取りにさくらが自宅へと戻った為に10分程度ロスしたが、それでも入学式までには十分過ぎる余裕があった。

 それなのに気持ちが急いてしまっているのは、先程、さくらの口から出た一つの名前の所為だった。

「いやー、なーんかいつもよりも体が軽いと思ったら、まさか、大事な大事な水筒を忘れてしまっていたとはねー。てっきり、入学に浮かれてテンションが上がっていたからだと想ってたよー!」

 その言葉の通り、硬直した俺を置いて一度帰宅したさくらは、見るからに重い装備を整えてから戻って来た。

「体質……か。だから、そんなに飲み物が必要になるんだな」

 特注品と思われるベルトは水筒ホルダーになっており、10本の500ミリリットルサイズの水筒が、さくらの腰を取り囲んでいた。更に、両肩に1リットルサイズの水筒を斜めに一つずつ提げている。

「まぁ、これでも、半日程度しか持たないんだけどねー」

 確か、成人が一日に必要とする水分量は2.5リットルぐらいだった筈だ。その3倍弱の水分を以てしても、その半分の時間しか健康に生きる事は出来ない、と言う訳か。

「大変、なんだな……」

 俺が同情した所でさくらの体質が改善される訳はないのだが、それでも同情を禁じ得なかった。

「そんな事無いよー。この体質のお陰で、こうしてしぃちゃんと運命的に出会えちゃった訳だしねー。寧ろ、感謝感激だよー!」

 しかし、さくらは自分の体質を全くハンデと思っていないのか、その声は一切の偽り無くどこまでも明るいものだった。

「そう、か」

 その事に安堵しながらも、さくらの気持ちも知らずに勝手に同情をしてしまった自分自身が恥ずかしくなる。

「……それに、この体質は、自分が望んだ未来に対する代償だしね。だから、たとえ何があっても、しっかりと一生付き合っていくつもりだよ」

 だから俺は、深い事情が隠されているであろう今のさくらの言葉には、自分から首を突っ込んで行く事はしなかった。

 お互いに口には出さずとも、俺達は最早友達だ。それならば、無理に聞き出す必要は無い。もしも、俺達がこれからも仲良く付き合っていく上で説明が必要な時が来るのであれば、さくらの方から自分の口で語ってくれるに違いない。

「そう言えば、さ」

 そう思った俺は、漸く、ずっと気になっている事を質問した。

「屋上の仮面銃士の噂……って何なんだ

? 俺は只、待ち切れずに早目に家を出ちゃっただけで、その噂の内容すら知らないんだよね」

 呪理の口から聞いて名前だけは知っていたが、説明した所で理解はされないだろうから、そこら辺の事情については伏せておく。勿論、必要となれば、説明する事は吝かではない。

「私も、詳しくは知らないんだけどね」

 唇に人差し指を添えて、さくらは俺に教えてくれた。

「何でも、神罰校の屋上には、仮面を着けて銃を持った女子生徒が潜んでいるんだって。しかも、授業に出席していないのか、就学時間のほぼ全てを屋上で過ごしているんだとか」

「……そんなんで、良く退学にならないな」

 俺からの当然の質問に、さくらはすぐに答えを返す。

「屋上の仮面銃士の正体は『五冬七夏ごとうななか』って言う女子生徒らいいんだけど、何でも、学年の主席で、しかもパパやママもどこからのお偉いさんで、学校に多額の寄付をしているらしいんだ。だから、誰も文句を言えないらしいね」

「ふ~ん……」

 何もせずとも入学前から退学の危機に瀕している俺とは、まるで大違いだ。不公平な事この上ない。

「噂によると、屋上に立ち入った人は、例外無く、悉く追い返されてるみたいだよ。目撃者や被害者の証言では、威嚇射撃すらなく容赦無く銃撃されちゃうみたいだね。……まぁでも、流石に実弾ではないみたい」

 何ともきな臭い話だが、昨日までの日常から脱却してしまった俺には、容易に真実として受け入れる事が出来た。

 それに、これは願ってもいないチャンスだ。呪理の警告通りに屋上の仮面銃士との接触を避ければ、俺は晴れて退学の危機から難を逃れる事が出来ると言う訳だ。

「成程、ね」

 分かってみれば、簡単な話だ。その呼び名の通り、屋上にさえ行かなければ、屋上の仮面銃士に遭遇してしまう可能性は、限りなくゼロに近い様である。

「何とも物騒な話だな……。どうだ、噂の真偽なんか放っておいて、校内の見学でもしないか? 勿論、屋上だけは避けるけど」

 早くも見えた光明を見失わない様に、俺はさくらに提案をした。

「それも魅力的だけど……。でも、ごめん」

 が、あっさりと却下されてしまった。

「私、こーゆー噂や超常現象の類なんかは、自分の目で確認しないとどうしても気が済まない質なんだ。……だから、しぃちゃんが来なくても、私一人で確かめに行くよ」

 その目に宿るのは、単なる好奇心などではなかった。確固たる信念を内へと秘めた、力強く燃ゆる瞳だ。

「……分かった」

 さくらはどうして、そこまで気炎を上げているのだろか。心に焼べられた、行動力の燃料となる為の目的が一体何なのかは、俺には全く分からない。

 だけれども、だからと言って、女の子を一人で危険な場所へ向かわせるだなんて、男が廃ると言うものだ。

「さくらだけじゃ危険だからな。俺も付き合わせてもらうとするよ」

 俺は、自分が折れる事を選んだ。屋上の仮面銃士との接触が即退学を意味している訳でもないし、友達を見捨ててまで自分の利益を取る気は無かった。

「ありがとう、しぃちゃん! 心強いよー!」

「……いやぁ、お安いもんよ」

 腰に当たる固い水筒の感触が気にならない程に、腕に当たる胸の柔らかい感触に意識を取られた。それだけでも、己の危険を省みなかった価値があると言うものだ。

「それじゃあ、レッツゴー!」

 かくして俺は、避ける事の出来た危険へと、自ら足を踏み入れた。



   §



 私立神聖罪罰高等学校。他では考えられない程に自由な校風でありながら、関東でも屈指の進学校である本校は、されども平均的な生徒に対してでさえ、その門を懐広く開けていた。有名大学への進学希望者とそれ以外の一般的な学生の割合は7:3と偏りこそあるものの、そのお陰で、俺の様な平凡な学生でも入学出来たと言う訳だ。

「誰もいない校舎を歩いていると、まるで別世界に迷い込んだみたいだよねー」

「……だな」

 午前七時少し過ぎ。幅広い生徒を受け入れている学風に相応しい広大なる校舎の綺麗な廊下を、目的地である屋上を目指して前へと進む。

 普段は学生達の活気で溢れているであろう校舎内も、今は静寂に包まれていた。これが、嵐の前の静けさとならなければ良いけれど。

「そう言えば、さ。屋上の仮面銃士は、こんな早い時間にもう登校しているのか?」

「そうみたいだよー。でなきゃ、私だってこんな早い時間に登校なんかしないってー」

 道すがら、入学したらいの一番に屋上の仮面銃士の謎に迫ると話していたさくらは、目的達成が近付いている為か、笑いながらそう言った。

「……それもそうか」

 尤もな回答に、さくらとは正反対に緊張しながら俺は返した。

 もうすぐ、第一の障害物と相見える事となる。場合によっては、退学へと一歩近付く接触だ。どうしても、心身が強張っていくのを抑える事は出来なかった。

「どうしたの、しぃちゃん? ……やっぱり、待ってる?」

 その様子を見て俺が恐怖していると感じたのか、不安げな表情でさくらが俺を気遣った。

「……イヤ、大丈夫だ。ほら、早く行こうぜ!」

 さくらを安心させる為に、俺は努めて気丈にそう言った。そしてそれは、障害物と対面するに当たって気後れしてしまった自分に対する精一杯の鼓舞だった。

 不安が無いと言えば嘘になる。けれども今は、さくらの為にも自分の為にも、弱気になっている場合ではない。だから今は、たとえ不安だらけの長い道程だったとしても、力一杯前を向き、いつか辿り着く筈の明るい未来へ邁進しよう。

「……うん!」

 大きく頷き、さくらは俺の手を取った。繋がれた掌からは、体温の他にも元気や勇気が伝わってくる。

 春先の早朝は残寒が居座り未だに少し寒いけど、それでも心は温かかった。



   §



「……じゃあ、開けるぞ」

 神罰校に幾つか存在する屋上の内の一つ、噂の現場へと続く扉のノブに手を掛けながら、俺は背後に控えたさくらに一言掛けて確認をした。

「うん、いつでも良いよ!」

 流石のさくらにも、微かだが緊張の色が滲み出ていた。しかし、俺とさくらが抱いている屋上の仮面銃士への緊張感は根本的に異なっており、俺は不安でさくらは期待だ。

 心情こそ違えど、俺とさくらの目指す場所は共に同じだ。一度手を貸すと決めた以上、さくらの目的は俺の目的でもあるのだからな。だからもう、幾ら不安でも、引き返すつもりは更々無い。

「――よし!」

 覚悟を決め、俺は静かにノブを回した。鍵が掛かっている事も予想していたが、屋上の仮面銃士が施錠し忘れているのか、扉は抵抗する事無くすんなり開いた。

 物音を立てない様に、静かに扉を押していく。すると、半分くらい開けた所で、目的の人物らしき姿を見つけた。

「いたね」

「……あぁ」

 2メートルくらいはありそうな転落防止用の柵の上に、こちらに背を向けて腰掛けている女子生徒。まだ断言は出来ないが、彼女こそが件の屋上の仮面銃士なのだろう。

 染めているのか若白髪なのかは分からないけれど、長い白髪が風に吹かれてサラサラ揺れる。遠目にも、それは綺麗な光景だった。髪が靡いて、俺の心も靡いてしまう。

「でも、本当に彼女が、悪名高い噂の仮面銃士その人なのか?」

 だから俺は、彼女が屋上の仮面銃士だとは、俄には信じられないでいた。さくらの話を聞く限りでは、屋上にいる以上、彼女が俺達の探し人である事は、十中八九間違いない。しかし、後ろ姿の可憐な彼女が、無闇矢鱈に人に銃を向ける様な危険人物には、俺にはどうしても思えなかった。

「それを今から確かめるんだよー!」

 見惚れているのがバレたのか、少し剥れてさくらが言った。

「……そうだったな」

 いかんいかん、集中せねば。俺の退学だって懸かっているんだ。

「しかし、一体どうやって?」

 気を引き締めて、さくらに向かって問い掛ける。

「そんなの、決まってるでしょ?」

 さくらの答えは、至極単純明快なものだった。

「あのー、すみませーん! 貴女が噂の、屋上の仮面銃士さんですかー?」

 扉を全開にして、50メートル四方はありそうな屋上の隅から隅まで余裕で届くであろう大きな声で、臆する事無く問い掛ける。

「お、おい――!」

 確かにさくらの案はシンプルで確実なのかも知れないが、余りにリスクがデカ過ぎる。何せ相手は、屋上への侵入者を問答無用で排除している凶暴凶悪な奴なんだ。いつ銃撃を受けたっておかしくない。

 彼女が屋上の仮面銃士ではない可能性はまだ有るけれど、それは天文学的確率だろう。それなのにさくらは、あろう事か、ずかずかと屋上の中へと踏み込んだ。

「ねぇー、聞いてますかー?」

 無視されている事に腹を立てているのか、声には怒気が含まれていた。

「ちょ、ちょっと待てって!」

 俺は慌てて、屋上の中程まで踏み込んでしまったさくらの前へと回り込み、肩を掴んで歩みを止めた。

 気紛れを起こしているのか相手にされていないのか、屋上の仮面銃士(仮)は未だに静かなままだけど、いつ銃口を向けられるのかも分からない。それ程までに、この場は一触即発の危険が満ちた空間なんだ。

「離して、しぃちゃん!」

 言われるが、離すつもりは当然無い。

 銃撃の驚異からさくらを遠ざける為に、俺は退学の危険を省みず、屋上の仮面銃士との仲介役を勝手にだけど買って出たんだ。さくらに危険が及ばない様に目的を果たす為には、俺が間に入ってアレコレするのが一番だろう。そう思ったから、さくらには直接、屋上の仮面銃士とは接触させないつもりでいた。勿論、さくらは不満を言うだろうけど、これだけは譲るつもりは全くなかった。

 それなのに、俺の配慮はさくら自身の行為によって、あっさりと拒否されてしまった。「どうしたんだよ、さくら。少し落ち着けって!」

 元々、さくらから了承を得ていた事ではないとは言え、思い通りに事が運ばず、俺は少し焦燥していた。

 言い訳をすれば、だから、気付く事が適わなかった。

「――ぐっ!」

 銃声。そして、背中に感じる激しい痛み。何が起きたのか、俺は瞬時に理解した。

 背中を一発、銃で撃たれた。

 やはり、彼女は屋上の仮面銃士で間違いなかった。それを、文字通り痛い程に、身を持って思い知らされる。

「――くそっ、やられた! まさか本当に撃ってくるとは……」

 倒れてさくらを押し潰さない様に、痛みを堪えて何とか踏ん張る。結果的に抱き付く形になったけど、気にしている余裕は全く無い。

「しぃちゃん、大丈夫!?」

 耳元で、さくらが不安に満ちた声を発する。

「……あぁ、大した事無い」

 噂通りに実弾ではないみたいだが、それでも相当痛かった。だけれど俺は、動揺して震えるさくらを安心させる為、強がり無理して笑ってみせる。

「さっきから、ウルサい」

 だが、背後からのその一声に、顔が瞬時に強張った。

「屋上の、仮面銃士――!」

 振り向くと、いつの間にか背後を取られていたのか、額に銃を突き付けられる。まさに、絶体絶命の状況だ。

「……成程。これは確かに障害だ」

 さくらを背中に庇いながら、屋上の仮面銃士と対峙する。呪理が障害物の一つとして警告するだけあって、確かに彼女は厄介だ。

 隙が無い。躊躇いが無い。そして、表情が無い。

 彼女は、オペラ座の怪人みたいな白い仮面を着けていた。ただし、何故か、目の部分には穴が無い。この仮面が呼び名の由来だろうけど、戦う上ではハンデとしかならないだろう。相手に視線や表情を悟らせない事も大事と言えば大事だが、自らの視界を封じてまで、やる価値があるとは思えない。

「……」

 いや、そうじゃない。元々、彼女は何かと戦うつもりは無いんだ。ただ、自分のテリトリーである屋上への侵入者を、追い返しているだけなんだから。

 それならば、もしかしたら、話し合いで解決出来るかも知れない。

「なぁ。一つ、聞いても良いか?」

 そう思い、俺は両手を挙げて敵意が無い事を示しながら、試しに彼女に聞いてみた。

「どうしてアンタは、屋上を占拠する様な真似をしてるんだ?」

 正直、質問に応じてもらえるかどうかは、五分と五分より低いだろう。それでも、試してみる価値はある筈だ。

「安穏な眠りが欲しいから」

 そして、望んだ通りに話が出来た。

「ここが私の、唯一心が安らぐ場所なのよ」

 しかし、それも長くは続かなかった。

「だから、この場所を侵す者は、何人足とも許さない――!」

 撃鉄が、起こされた。どうやら、話し合いはここまでの様だ。話は出来るみたいだが、話が通じる相手ではなかったな。

「何て身勝手な……!」

 背後で、さくらが怒りを露わにした。俺だって同じ気分だ。が、ここで俺まで感情的になってしまっては、俺だけでなく、さくらにまで危害が及んでしまう事は避けられない。

 冷静に、何か打開策を見つけ出すんだ――!

 一筋の冷や汗が、頬を伝って落ちていく。

 最悪、さくらだけは何としてでも……。と、そう考えたその刹那。

「……ん?」

 事態は思いも寄らぬ方向へと変化を始めた。

「キミが右手に嵌めているそれは、もしかして魔技具か?」

 その仮面越しにどうして見えているのかは分からないけど、屋上の仮面銃士は、視線を俺の右手へ移してそう言った。

 そんな事よりも、驚くべきは今の彼女の発言だ。

「アンタ、魔技具を知っているのか……?」

「魔技具……?」

 さくらの声には答えずに、俺は屋上の仮面銃士の答えを待った。

「それならば、一つ勝負と行こうかしらね。一対一の真剣勝負を」

 それなのに、返って来たのは答えではなく、有無を言わさぬ提案だった。

「え……? あっ!」

 唐突に予想外の方向へと話を逸らされて呆気に取られている俺の横を、目にも留まらぬスピードで、屋上の仮面銃士が駆け抜ける。そして、我に返ってその姿を目で追ったが、時既に遅し。唯一の出入り口の前に、仁王立ちで陣取られてしまっていた。

 これではもう、勝負を受けるしか無いだろう。

「ルールは簡単。私を倒して、この屋上から脱出出来ればキミの勝ち。その前に、私に倒されたら私の勝ちだ」

 俺が覚悟を決めた事を察したのか、屋上の仮面銃士はこちらの返事を聞かずに話を進める。

「キミが勝ったら、特別に、キミ達の屋上への出入りを認めよう」

「……俺が負けたら?」

 勝っても得られる物が然程嬉しくないのは置いといて、俺はイヤな予感がしてきた話の先を促した。

「……そうね。入学式が終わるまで、特別にここにいさせてあげるわ」

 ――やっぱり、だ。ここで屋上の仮面銃士に負けてしまえば、入学式に参加出来なくなってしまう。つまりはそれが、退学へと繋がってしまうと言う訳か。

「一つ確認させてくれ。もし俺が負けた場合、さくらも入学式が終わるまでここから出れないのか?」

 この返答次第では、他人の運命までも背負ってしまう事になる。流石に、高校生の若造には二人分の人生を背負うだなんて荷が重過ぎるので、最悪、何かしら俺へのペナルティを追加してでも、さくらには無事に入学式に出てもらいたい。

「心配しなくても、その子は見逃してあげるわ。キミが負けると決まっている勝負に、他の子を巻き込むのは可哀想だから、ね」

 その言葉に、安心しながらも腹が立った。

「……大した自信だけど、慢心してると痛い目見るぞ?」

 魔技具を知っていた事から、彼女は恐らく魔技具を使ってくるだろう。そうでなくとも、銃なんて物騒な物を持っている。つまりは、こちらが圧倒的に不利な状況だと言う訳だ。

 それでも、馬鹿にされたまま黙って負けを認める事は、自分の為にも、救いの手を差し伸べてくれた呪理の為にも、絶対にしてはいけない事だった。

「さくら、お前は下がっててくれ」

「……うん。しぃちゃん、無理だけはしないでね?」

「あぁ。ま、ジュース飲みながらでも良いから、しっかり応援頼んだぜ」

 俺の本気を汲んでくれたさくらは、俺から鞄を受け取ると、屋上の隅へと避難した。それを見届けた後、改めて屋上の仮面銃士と対峙する。

「じゃあ、始めましょうか」

「……おう」

 こうして、屋上を舞台に、第一の障害物である屋上の仮面銃士との、退学を懸けた絶対に負けられない戦いが始まった。



   §



 屋上の仮面銃士が所持している魔技具は、仮面か銃かのどちらかだろう。

操馬骰デッドリーム・ダンサー

 その推測を裏付けるかの様に、屋上の仮面銃士の声に呼応して、朝日を浴びて黒光りしていた右手の銃が、一瞬にして姿を変えた。

「その銃が、アンタの魔技具って訳か……」

「えぇ、私の相棒の『夢幻デイドリーム』よ。この子は、私が望んだ通りに、姿形や弾丸に付与する特殊能力を、自由自在に変化させる事が出来る優れ物なの。そう、まるで明晰夢の様に、ね」

 オートマチックからハンドガトリングガンへと変貌を遂げた愛銃を、片手で軽々構えて狙いを定める。相当重いだろうに、その銃口は一切ブレる事はなかった。それとも、魔法の力で重さは感じないのであろうか。

 どちらであれ、大口を叩くだけあって、物凄く苦戦するであろう強敵だ。ハッキリ言って、魔技具初心者の俺が挑むべき相手ではないだろう。

 それでも、退けない理由が俺にはあった。

「……成程、それは夢の様な道具だな」

 言いつつ、戦い方を考える。あの武器は、普通に考えれば連射に特化した性能だろう。しかし、あれは普通の道具ではなくて魔法の力を宿した魔技具だ。常識に則った戦い方では、きっと足を掬われてしまってオシマイだ。

 では、どうするか。どうしよう。

 圧倒的な経験不足故に、何も作戦が思い付かなかった。魔技具の所有者同士の戦い方だなんて、初陣の俺に閃く筈がない。

 そして、対戦相手がこちらの都合に合わせてくれる筈もなかった。

「un!」

 謎の掛け声に続いて、銃声が絶え間無く早朝の青空に鳴り響く。正確に数えた訳ではないが、ほぼ一瞬にして、20発は撃たれただろう。だが、弾道は一直線に、全て同じコースを辿っていた。

「あぶねっ!」

 手数が多くとも単純な攻撃だったお陰で、俺は台詞とは裏腹に、危なげなく横に飛び退いて弾を躱した。

「――よし、反撃だ!」

 俺に回避される事が予想外だったのか、屋上の仮面銃士からの追撃の気配は無かった。当然、この気を逃す様なヘマはしない。

 力一杯タイルを蹴って、屋上の仮面銃士との間合い、約20メートルを一気に詰める。

「もらったぁ!」

 屋上の仮面銃士から見て左斜め前、銃身の横から拳を突き出す。

 一時はどうなるかと思ったかが、拍子抜けする程あっさりと決まったな。まぁ、相手は一応先輩かつ女性なので、このパンチは寸止めにして降参させよう。

 そんな甘い考えで放ったパンチは、寸止めするまでもなく、屋上の仮面銃士には遙かに遠く届かなかった。

「――ぐっ!」

 退学騒動が杞憂に終わったと油断していた俺の左側頭部に、先程背中に受けた激しい痛みが襲い掛かった。その衝撃で、俺は勢い良く倒れ込んでしまった。

「ちっ、くしょう――!」

 狼狽えつつも何とかすぐに起き上がると、体制を立て直す為に十分な距離を取ろうと思い、慌てて屋上の中央付近まで跳んで戻った。そして、痛む箇所を手で押さえ、追撃を警戒しながら俺は必死に考える。

「何だ、今の攻撃は……?」

 微動だにしない屋上の仮面銃士からの迎撃だとは思えない。然れども、今のは確かに銃撃によるダメージだ。

「……まさか」

 だとすると、考えられる答えは只一つ。

「さっき撃った銃弾には、追尾機能が備わっているのか……?」

 その結論に思い至って周囲を見回すと、幾つもの銃弾が俺の周りを取り囲んでいた。さながら、獲物に狙いを定めたハンターだ。無機物の筈なのに睨まれている気がしてならないのは、未知なる魔技具の力に恐怖しているからなのか。

「ご名答」

 一瞬、心の声を読まれたのかと思って焦ったが、その言葉は俺の独り言に対してのものだった。

「操馬骰の能力は『百発百中』。たとえ躱されたとしても、ターゲットに命中するまでは、何度でも弾道を変えて追跡するの。時には最短距離で速攻仕留め、時には予測不能な弾道で翻弄しながらじっくり甚振り……。私の聖域に土足で踏み込んで来て安眠を妨害しやがったお前には、肉体的にも精神的にもたっぷりと苦しんでもらうから」

 その能力が故にもう引き金を引く必要が無いと判断したのか、ガトリングガンを小脇に抱える。その仕草や口調こそ落ち着き払っているものの、言葉の内容から怒り心頭である事は明白だった。

「ちょっと待って!」

 その怒りを冷ます事が目的ではないだろうけど、さくらが勝負に水を差す。

「屋上に入ったのも騒いだのも、どっちもさくらがさきにやった事だよ!? いや、それどころか、しぃちゃんはさくらの早計な行動に巻き込まれただけなんだから! ……だから、仕返しがしたいならさくらにしてよ!」

 今でこそまだ隅から訴え掛けているだけだけど、要求が呑まれなければ、すぐにでも乱入しそうな剣幕だ。

「あら。アナタ、信用無いのね。あんな事を言い出すなんて、どうやら彼女は、アナタが負けると思っているみたいよ」

 それを屋上の仮面銃士は、受け流すだけでなく、揚げ足を取って俺とさくらを同時に煽る。

「え、ちがっ――」

 そんなつもりは無くても無意識ではそう思っていたのか、図星と言った風にさくらは言葉を詰まらせた。

 無理も無い。相手は銃を持っている上に、それには魔法の力が宿っているときたもんだ。普通に考えれば、こちらの勝ち目は希薄だろう。

 だけれども、それでも、負けられない理由が俺にはあった。聳り立つ障害物がどの様なものであったとしても、乗り越えなければダメなんだ。障害物を迂回すれば最悪の結末は防げたけれど、その先にあるのは、最も望んだ未来ではない。

 退学を回避し、さくらを危険に曝す事無く、彼女の目的を達成させる。それこそが、俺が求める理想の未来だ。

「まぁ、こんな無様な姿を見たら不安になるよな。慢心すると~とか偉そうな事を言った癖に、テメーの方が油断してりゃあ世話が無い……ってね」

 未来を勝ち取る為の勝ち筋は、正直今一見えてない。

「しぃちゃん……」

 俺の言葉に、さくらが顔を曇らせる。

「良いから、アナタは、黙って指を咥えて見てなさい。自分の軽率な行動が招いた、彼の不幸で惨めな姿をね」

 そこに、屋上の仮面銃士からの追い打ちが掛かった。その内容こそが、さくらに直接仕返しをしない事の理由だろう。本人ではなく、その親しい相手に危害を加える。割と良くある陰湿な手だ。

「……」

 その目論見通り、さくらが俯き震えてしまう。怒りか、悲しみか、もしくはそれら両方か。

「――まぁでも、心配すんなって」

 どちらにしろ、これ以上、さくらの苦しむ姿は見たくない。

「タネさえ分かれば、あんなスローな弾にはもう当たらねーよ。だから、さくらは安心して観戦してな!」

「――うん!」

 俺が笑うと、さくらも笑顔を返してくれた。その笑顔を守る為にも、この局面を何としても打破しなければ。

「あら、大した自信だこと」

 勝ちを確信しているが故の余裕綽綽な態度で、屋上の仮面銃士が俺の事を鼻で笑った。

「まぁ、な」

 悔しいが、実際問題、今、俺が取れる行動は、相手の攻撃を躱したり防いだりしながら、反撃の隙を窺う事しかないだろう。

 詳しい事は分からないけど、魔技具を使う為のエネルギーは、無尽蔵ではない筈だ。確か、説明書によると、理性を魔力に変換する必要があるみたいだし。だから、唯一勝機があるとすれば、それは、相手の魔力が尽きる時。

「子供の頃に付き合いのあった悪友のお陰で、逃げ足と頑丈さには人一倍の自信があるのよ」

 そのチャンスを作る為にも、俺は自分の取り柄をフル活用して、精一杯の悪足掻きをしてやるつもりだ。

「大方、こちらの魔力切れを狙いつつ、隙あらば反撃しようという作戦ね。何と愚かな浅知恵かしら」

「……」

 こちらの考えを一瞬にして見透かされてしまうが、作戦に変更は無しだ。と言うか、他に取れる策が無い。

「……ふぁあ」

 緊迫感の無い欠伸が、屋上の仮面銃士の口から漏れて出る。退学が懸かっている俺とは違い、腹癒せの為に勝負を吹っ掛けてきた彼女とでは、勝負に掛ける真剣さがまるで違うと言う訳か。……ふざけやがって。

「寝不足でいい加減眠いし、ちょっと本気で行かせてもらうわ」

 そう思ったのも束の間。

「程度の低い作戦なんて、圧倒的な力の差で撃ち砕いてあ・げ・る♪」

 己の欲望を一刻も早く満たそうと、屋上の仮面銃士は今更ながら、少しばかし本気を見せる様だった。

「deux!」

「――っ!」

 再びの謎の掛け声に、俺は咄嗟に身構えた。が、後に続くと思われた銃声はいつまで経っても鳴りはせず、不気味な静寂が辺り一面に広がった。

「……あれ?」

 暫く続いたその静寂は、さくらの漏らした小声によって破かれる。

「ねぇ、しいちゃん。さくらの気のせいかもだけど……、銃弾の数、減ってない?」

「何……!?」

 言われて辺りを見回すと、確かに、先程まで俺の周りを縦横無尽に漂っていた弾丸が、その数を半分程に減らした様に見受けられた。

「――漸く、気付いたのね」

 その理由は、考えるまでもなく、屋上の仮面銃士の口から説明が入った。

「この操馬骰は最大で21発まで同時に弾を撃てるのだけれど、その数を半分に減らす事で、一発辺りのスピードとパワーを2倍に増やす事が出来るの。こうなるともう、その殺傷力は、実弾にも引けを取らなくなるわ」

「しかも、ターゲットの自動追尾機能付き……と。これは非常に厄介だな」

 わざわざ情報を与えてくれるのは、親切ではなく冥土の土産のつもりだろう。とことん人の事を弄びやがって、悪趣味な事この上無いな。

「……さて、と」

 閑話休題。それよりも今は、俺に狙いを定めている凶弾への対抗策を考えよう。

 半分に減ったとは言え、未だに10発の魔法の弾が健在だ。しかも、数と引き替えにスピードとパワーが上がったのでは、寧ろ、形成は更にこちらの不利となる。

 先程までの弾速・威力ならば、多少は余裕を持って回避も防御も出来たであろうし、反撃だって適った筈だ。しかし、それらが倍増してしまって今となっては、逃げの一手に専念しても、いつまで持つか分からない。そもそも、俺が足掻いている間、屋上の仮面銃士が駄目押しの一手を仕掛けてこないとも限らない。

 ……本格的にマズイ。まさに、絶体絶命の大ピンチだ。

「まぁ、気力も体力も振り絞れる内は、どんなに惨めでも無様でも情けなくても、最後の最後まで、精々足掻いて藻掻いて何とかするさ!」

 だけれども、それでも俺は諦めない。繰り返しになるけれど、俺には絶対に負けられない理由があるんだ。……だから、どんなに絶望的な状況に追い込まれてしまったとしても、完全に決着が付くその時までは、決して自ら未来は閉ざさない――!

「決意や覚悟だけは一人前みたいだけれども、それだけじゃあ、どう頑張ったって覆せない、圧倒的で絶対的な力の差ってやつがあるものよ。……人生の先輩として、それをその身に教えてあげる。痛い程、イヤと言う程徹底的に!」

 売り言葉に買い言葉……とは少し違うが、俺達は互いに言葉をぶつけ合い、それを口火に、互いが互いを潰しに掛かる。

「――ちっ!」

 意を決して距離を詰めようとした所に、前後左右から4発の弾丸が俺を目掛けて飛んで来た。どの方向に避けてもいずれかの弾が当たるだろうし、回避行動の取れなくなる空中に跳んで逃げるだなんて以ての外だ。

「えぇい、儘よ!」

 苦肉の策として、前方から迫り来ている弾丸に、俺の方から当たりに行った。

「ぐっ!」

 腕をクロスしてガードするも、衝撃が和らぐなんて事は無い。俺はそのまま後ろに吹っ飛ばされて、更に背後からの弾にピンボールの様に弾かれた。

「いっ……てぇ!」

 そして、狙い通りに、その衝撃によって、自力では出し得ない爆発的な推進力が生まれ、一気に屋上の仮面銃士との距離が無くなった。

「なぁ、ちくしょう!」

 その勢いのままに、俺はパンチを突き出した。今度は、寸止めなんて情けは掛けず、全身全霊を込めた拳で、不気味な仮面を叩き割る気で打ち当てる――!

「玉砕覚悟の捨て身の攻撃……か」

 しかし。

「見事ではある。並大抵の覚悟では、銃弾に怯んで逃げ出してしまうのが人の常。いくら実弾ではないと分かっていても、その衝撃を移動と攻撃の両方に転用させるだなんて、最早狂人の域の所行だわ。……でも」

 誤算だったのは、彼女が魔技具に頼りっぱなしの肉体的戦闘力に乏しい人間ではなかったと言う事だ。……いや、そもそも、出入り口を塞がれた時のあの並外れたスピードや、ハンガトリングガンを片手で軽々と持ち上げているのを見て、彼女の身体能力の高さを想像出来なかった俺の落ち度だ。

「言ったでしょ? 圧倒的で絶対的な力の差ってやつを教えてあげるって。それは、何も魔技具の力だけに限った話じゃないのよ?」

 俺の全力に着弾による衝撃を上乗せして放ったパンチを、左手一本で易々と受け止めながら彼女は言った。

「まぁ、でも、安心しなさい。私に攻撃は通らなかったけど、ターゲットに命中した弾は消滅するから、ダメージを受けた事も全くの無駄ではないのよ? 操馬骰は同時に撃った全ての弾が消滅しない限り、新たに発砲をして弾数を増やす事が出来ないからね」

「……つまり、たとえ銃弾を喰らってしまったとしても、ダメージと引き替えに、残りの弾の回避が容易になる訳か」

「えぇ、その通りね」

 俺の言葉に、屋上の仮面銃士が頷いた。

「……成程、な。それは、良い事を聞いた」

 残り、8発。まだ数多くの弾丸が残ってはいるものの、10発の弾丸を相手にするより遙かにマシだ。最悪、後2~3発くらい喰らって耐えれば、回避行動に余裕が出来て反撃の機会が生まれてきそうだ。

 絶望的な状況の直中に於いて、微かな活路が見つかった。薄氷の様に酷く頼りにならない路だけど、渡り切るのは不可能ではない。

 一縷の希望に、思わず口が綻んだ。

「まぁ、尤も、今みたいに拘束された状態じゃあ、躱せる物も躱せないわよね」

 が、俺の考える事なんて全てお見通しと言った風に、屋上の仮面銃士が俺に厳しい現実を突き付ける。

 背後から一発の弾丸が、俺の目の前に回り込んできた。当然避けようとするものの、物凄い怪力で掴まれた腕が解放される気配は無い。

「この魔技具にどんな能力があるのかは分からないけど、多分、この状態じゃあ使えないわよね? 使えるなら、とっくに使って腕を振り解いているでしょうし」

 そもそも、所持者である俺にだって、使えないどころか能力だって分からない。勿論、そんな事は口が裂けても言えないが。

「――この、離せ!」

 右手が軋む痛みに顔を歪ませながら、俺は自由な右足で脇腹目掛けて蹴りを放った。

「無駄よ」

 そしてそれは、その言葉の通り、攻撃として成立する事はなかった。

「がっ――!」

 足が届くよりも先に、銃弾が俺の額に当たる。その衝撃で吹っ飛ばされて右手が解放されるけど、こんな乱暴な方法なんて望んでいない。

「くそっ、まだまだぁ!」

 兎にも角にも、不本意な方法ではあるが体は自由になったので、再び距離を取っては反撃の機会を窺った。

 弾は、残り7発。頭も腕も背中も撃たれた箇所は激しく痛く疼くけど、俺に音を上げさせるには程遠い。それと同じかそれ以上に、俺の攻撃も全然彼女には近付かないが。

 だから、こうなるのは必然だったと言えるだろうか。

 そこからはもう、知略や駆け引きなんかとは無縁の、ただの根気比べとなっていた。

 単純な攻撃では先程と同様に軽々と防がれてしまうと二の足を踏んでいる俺と、意地でも俺を甚振るつもりなのか攻撃方法を変える気配のない屋上の仮面銃士。俺や弾丸は動き回ってはいるものの、事態は膠着状態となっていた。

 前述した理由から防御に専念している俺にとっては、2倍となった弾丸のスピードとパワーは辛うじて対処し得るものとなっている。これならば、時々襲い来る変則的な弾道を描く弾丸にこそ当たってしまうものの、単純な弾道の弾丸は既に驚異ではなくなっていた。それ加えて、同様に前述した理由以外にも自らの能力の制限の所為で攻めあぐねているのか、一度に飛来してくる弾丸は多くても3発までとなっていた。このお陰で、尚の事弾が避け易い。

 ダッシュにジャンプ、側転、前転、宙返り。

 ストレートにカーブ、上下左右前後、スピードに緩急を付けて不意を突く。

 暫くの間、進展に乏しい様々な攻防ダンスが、屋上と言う名のステージの上で繰り広げられていた。

「ふっ――!」

 脳天を狙った弾丸を、俺は無傷の左腕で防いだ。これで、残りの弾は3発となる。体の色んな箇所が痛むけど、どうしても被弾してしまう場合には上手く損傷部分を分散させていたので、結局8発も喰らってしまった割には体はまだ言う事を聞いてくれていた。

「……あふっ。本当に、呆れた頑丈さね」

 何度目かの欠伸混じりに、屋上の仮面銃士が心底うんざりした風にそう言った。

「普通の人間ならば、1発も喰らえば戦意喪失して2度と私に歯向かうなんて事はしないのに……。敵ながら賛嘆してしまう程にしぶとく剛毅な男だわ」

「……そりゃどーも」

 小馬鹿にされているのがありありと伝わる拍手を送られ、俺は思わず苦笑する。が、すぐに笑ってもいられない事態となった。

「こうなったら、次の一撃で決めさせてもらうわ。……私にとっても賭だけど、ね」

 いよいよ、本気で決着を付けるつもりの様だった。

「……やれるものならやってみな」

 冷や汗と切れた口からの出血を制服の袖口で拭うと、気を引き締めて身構える。

「trois!」

 三度目となる、謎の掛け声。どうやらそれは、フランス語での数字だったみたいだ。最初は1、その次が2、そして今回は3となる。と言う事は、つまり。

「今度は、パワーもスピードも3倍……、か」

「えぇ。この1発で沈めてあげる。これらな、流石のキミも躱せないし耐えられない筈よ」

「……かもな」

 屋上の仮面銃士の目の前に在る弾丸と反対端にいる俺との距離は約50メートル。そんな短い距離なんて、1秒と経たずに0にされるてしまう。屋上の仮面銃士に嗜虐性がなければ、もっと早い内にこれを出されて倒されていたに違いない。

「しぃちゃん……」

 勝負は佳境へと突入した上に、隙を見せなくとも一瞬にしてやられてしまう状況だ。深刻な声色のさくらに、笑い掛けたり声を掛けたりしてあげる余裕は、もう無い。それに、この状況では、安心させようと何かをした所で、嘘や見栄だとしか思えないだろう。

「……」

 だから、俺は黙って前を見据えていた。これから俺の意識を刈り取るであろう弾丸と、その射手である屋上の仮面銃士の不気味な顔を。

「遺言があれば、聞き流すけど?」

 せめて、ちゃんと聞いてくれ。

「……胸に刻んでくれるとしても言わねーよ。まだ、負けを認めた訳じゃねーからな」

 当然ながら、ただの強がりだ。

「強情ね」

 稚拙な嘘の裏にある俺の諦念を見抜いてか、その声は少し柔らかいものだった。だからと言って、手心を加えてくれる訳ではない。

「んはぁあ……。そろそろ、キミを昏睡させて私も寝るわ」

 最後だと言うのに、欠伸混じりだった。でも、もうそれも気にならない程に、俺は圧倒的な実力差を痛感していた。

「それじゃあ、おやすみ」

 無慈悲な凶弾が、俺に向かって放たれた。抵抗する気も起きない、先程までと段違いの目にも留まらぬ猛スピードだ。

 ……ごめん。さくら、呪理。俺には、屋上の仮面銃士を乗り越える事は出来なかったよ。

 俺は心の中で二人の女性に自分の不甲斐なさを謝った。

 そして、凶弾に撃たれるその時を素直に待った。目を背ける事無く、自分を倒す相手を心にしっかり焼き付ける。

 そうしていなければ、異変には気付けなかった。

「……あれ?」

 屋上の中程で、明らかに弾速が落ちていた。deuxの時……いや、或いはそれ以下かも知れない。

「よっと!」

 訳は分からないが、一先ずは弾を回避した。その俺を追って弾も弾道を変える為にカーブしたが、上手く曲がり切れずに鉄柵に当たって勝手に消滅してしまう。

「何だ、これは……?」

 舐められている訳ではないだろう。確かに彼女は嗜虐的ではあったけど、俺にこんな事は通用しないと、向こうも既に分かり切っている筈だ。それに、今更、ステータス3倍の操馬骰を、意図的に消滅させる意味も無かろうに。

 それならば、一体どうして……。

 その答えを求めて、俺は警戒を怠らずに屋上の仮面銃士の下へと近寄った。

 そして、答えはすぐに聞こえてきた。

「……寝て、る?」

 それば、寝息だった。屋上の仮面銃士は在ろう事か、器用にも立ったまま、顔を上げたままに、俺の接近にも反応せずに、ぐっすりと眠りこけている様だった。

「……どうしたの、しぃちゃん?」

 こちらの状況が気になってしかたがないのか、さくらがビクビクしながらも俺の隣へ歩み寄る。一応危険は無さそうだし、まだ若干距離が離れているので、一先ずは避難させずに状況を説明してあげた。

「寝てるみたいなんだ、屋上の仮面銃士が……」

「えぇっ!? 何で、どうして……?」

「これは、あくまでも俺の想像だけど……」

 当然のさくらの疑問に、俺は自分の推論を語った。

「魔技具ってのは、能力を使用する為に理性を魔力に変換する必要があるらしいんだ。……だから、理性を消費し過ぎると、欲望が抑え切れずに力も弱まってくるんじゃないかな?」

「……あぁ、だから寝ちゃったんだ。寝不足だって言ってたし、何度も欠伸してたみたいだしねぇ」

「……だな」

 頷きながら、俺は思った。これは、願ってもいないチャンスだ、と。

 確かに、最初は魔力切れを狙っていた。だが、一向にその兆候が見えてこなかった為、自分でも気付かない内にその作戦を捨てていた。それが、今、こうして、予期せぬ形で実を結ぶ。

 諦めていた勝機が、浮上してきた――!

「それで、どうするの、しぃちゃん?」

「寝ている相手を攻撃するのも気が引けるし、取り敢えず、銃を取り上げれば大丈夫だろ」

 散々痛めつけられたとは言え、無防備な相手に報復する気になれなかったのは、優しさではなく甘さだろう。

 そう、考えも甘ければ、詰めも甘かった。

「――なっ!」

 慎重な手付きでハンドガトリングガンを取り上げようとした時、それが銀色の六連リボルバーへと姿を変えた。そしてそれを、鼻先へと突き付けられる。屋上の仮面銃士がこの期に及んで罠を仕掛けるとは思えないので、睡眠下でも無意識に防衛本能が働いて、最低限の攻防は出来ると言う事だろうか……。

 咄嗟の事に、体が全く動かない。この形態の銃にどんな能力が備わっているのかは分からないが、この様な事態に備えて、睡眠下でこそ真価を発揮する能力である事は、恐らく間違いないだろう。

 どうであれ、浮上したと思った勝機は、ただの夢、幻だったと言う訳だ。

 もう、まやかしに踊らされるのはイヤなので、俺はそこで目を閉じた。

「――しぃちゃん!」

 悲痛なさくらの叫び声と、銃声が続けて聞こえてきた。

 撃たれた。痛みは無い。何かしらの脳内物質が分泌されて、痛覚が麻痺しているのだろうか。その副作用なのか、右手に何か違和感を感じ、何かが壊れる様な音が聞こえた。

「――やった! 凄いよ、しぃちゃん! 大逆転勝利だよー!」

 そして次の瞬間には、抱き付かれる感触と、歓喜に満ちたさくらの声が耳元から聞こえてきた。

「……え?」

 訳が分からずに目を開けると、驚きの光景が広がっていた。

 屋上の仮面銃士の姿が消え、屋上の扉が無くなっており、割れた仮面が落ちていた。そして、俺の右手には、屋上の仮面銃士の魔技具である『夢幻』が何故か握られていた。

「何が、起こったんだ……?」

 俺は、俺に抱き付いたまま喜び跳ねるさくらに聞いた。

「え、覚えてないの? ピンチに覚醒して、バーサーカーモードにでもなってたとか?」

 安っぽい厨二設定なので、それは勘弁してほしい。

「しぃちゃん、凄い早業で銃を奪って、そのまま屋上の仮面銃士の額を撃ち抜いたんだよー! で、吹っ飛んだ屋上の仮面銃士は、ドアを突き破って、校内へと消えちゃったって訳だよ~」

「俺が、奪って撃った……?」

 傍観者であるさくらの言う事なので真実なのだろうが、俄には信じる事が出来なかった。

 奪った事も撃った事も、記憶に無ければ感触も無い。だけれども、目の前に広がる光景と右手に光る夢幻とが、さくらの証言を裏付けている。

「もしかして、こいつの力、か……?」

 俺の右手に嵌まった魔技具。図らずとも、俺はこいつの力を使って、現状を打破したと言うのであろうか。

「……兎に角、屋上の仮面銃士がどうなったのか、確認しに行くか」

 相棒である筈のこの魔技具について、分からない事は山積みだけど、一先ずは勝負の行方を確認しよう。

「うん、そうだねー」

 こうして俺は、さくらを伴って、30分振りに校舎の中へと戻って行った。



   §



「生きてる……よね?」

 さくらがそう思うのも、無理はなかった。

 階段の踊り場でピクリとも動かない人間がいたら、階段から転がり落ちて死んでしまったと思っても、責める事は出来ないだろう。

「……あぁ、大丈夫だ。見ての通り、気持ち良さそうに寝ているよ」

 小さな寝息が、屋上の仮面銃士の口から規則的に漏れている。銃に撃たれて階段から転げ落ちたくせに、目覚める事も気絶する事もなく、安眠を貪る事が出来るとは……。魔技具によって理性を失っている影響なのか、それても、この人が異常と言うか図太いだけか。どちらにしても驚きだ。

「こうして見ると、ただの可愛い女の子なんだけどね~」

「……だな」

 体を丸め、左腕を足に挟み、右手の親指を吸っている。こんな可愛らしい寝相をする女性が、人に向けて発砲したりとんでもない怪力を発揮するとは、誰も信じてくれないだろう。その両方の被害者である俺でさえも、あれは夢だと言われたら、信じてしまうかも知れん。

「まぁ、起きられても面倒だし、本人も安眠を欲していたから、このまま放っといても良い……よな?」

 多少気が引けるものの、それが俺の偽りのない本心だった。

 見た感じ怪我も無さそうだし、仮に不埒な考えを持った男に襲われたとしても、彼女なら余裕で返り討ちに出来るだろうし、このまま放置しても問題無かろう。

 それよりも、早くどこかで休みたい。戦いが終わって気が抜けたのか、体中が酷く痛くて辛かった。良くこんな体で動き回っていたものだと自分でも呆れる程に、今は立っているのもやっとだと言う有様だ。

「そう……だね。しぃちゃんの怪我の治療もしなきゃだし」

 さくらも同意してくれたので、このままこの場を去る事にした。

「……あぁ、そうだ。流石にこれは置いていった方が良いよな」

 移動する為にさくらが立ち上がった直前に、俺はまだ夢幻を握っている事を思い出した。

 物騒な武器とは言え、彼女にとって大事な物である事には違いない。このまま黙って持って行ったら困るだろうし、間違いなく俺の下に報復を兼ねて奪還をしに来るだろう。それは非常に厄介だ。

 今回の件でさくらも懲りてくれたらしく、屋上から出る際、屋上の仮面銃士への深入りはこれっきりで止めてくれると約束したので、もうこちらから、彼女と意図的に接触する機会は無いだろう。

「これで本当に、この戦いは終わりだな」

 さくらと入れ替わる様に、俺は銃を置く為に膝を突く。

「願わくは、もう関わり合う事の無い様に」

 もしも報復されたら、今度こそ勝ち目は微塵も無い。だから、そんなバカな気を起こさない事を、俺は切に彼女に願った。

「……え?」

 が、次の瞬間には起きていた。

「――うわっ!」

 腕を引っ張られ、俺は屋上の仮面銃士に抱き締められた。さくらの好意からのそれとは違い、力一杯の敵意が込められた、俺の意識を刈り取る為の、足での締め付けも追加されたベアハッグだ。

「ぐっ――!」

 苦しみのあまり、俺は銃を床に落とした。

「しぃちゃん!」

「……よくも、やってくれたわね」

 金属音、さくらの金切り声、屋上の仮面銃士の低く恨めしげな声が、連続して俺の鼓膜を震わせた。

「でも、勝負はやっぱり私の勝ちね」

 折角逆転していた戦況が、最後の最後で一瞬にしてひっくり返されてしまった。ボロボロの体と一度弛めてしまった気力では、もう、俺には為す術は何も無かった。

「この、しぃちゃんを離せ!」

 さくらが俺を助けようと屋上の仮面銃士を足蹴にしているみたいだが、焼け石に水の様で締め付けが弛む事は全く無かった。

「まぁ、私も鬼ではないからね。大人しく降参するなら、快く許してあげても構わないわよ? キミの頑張りには、それだけの価値があるわ」

「――ギッ」

 体中の骨が悲鳴を上げ、心が折れてしまった俺にとっては、その提案はとても魅力的なものだった。

「ギブアップ……」

 薄れゆく意識の中、俺は何とかそれを口にした。

「素直で宜しい」

 途端に技が解かれて、俺は屋上の仮面銃士の体の上から転がり落ちる。

 こうして、俺は呪理に警告された障害物の一つである『屋上の仮面銃士』の突破に失敗した。

「悪いな、さくら。負けちまったよ……」

「……ううん。しぃちゃんが無事でいてくれたら、さくらはそれだけで嬉しいよ……」

 俺の手を取り、さくらは涙目になりながらも俺に優しく微笑み掛けた。それだけで、だいぶ気持ちが楽になる。それに、退学についても、これで決定した訳ではない。だから、まだそこまで気落ちする必要は無いだろう。

「そうよ。キミは私相手に善戦をした。誇りこそすれ、落ち込む事は全く無いわ」

 床に女の子座りをして空いている俺の左手を手に取って、屋上の仮面銃士がそう言った。勝負の最中は俺の事を睨み付けていたであろう切れ長の目も、今では柔和になってこちらに笑い掛けている。

「はい、握手。これでもう、私達は好敵手と書いてフレンドね」

 そして、意外な事を言ってくる。

「……へ?」

「貴女も、悪かったわね。 彼氏をこんなボロ雑巾にしてしまって」

「うぇ!?」

 更に、側に立っているさくらを見上げ、何か勘違いした事を言っている。

「今まで幾人もの不法侵入者を追い払ってきたけれど、ここまで私に歯向かって来て、且つ、それなりに楽しませてくれたのは、男ではキミが初めてよ。だから、興味あるし物珍しいし、友達になれたら嬉しいかな……と思うんだけど、良いわよね?」

 勝負を挑まれた時のとは違い、有無を選択する事は出来るだろう。だから俺は、自分の意志で答えを選んで口にした。

「あぁ。こちらこそ、宜しくな」

 断ると後が怖そうだ、と言う気持ちも確かに少しは心に有った。けれども、それよりも、俺も彼女に興味が湧いたし、友達としてなら付き合って行くのも悪くない。

「はーい、さくらもお友達になるなるー!」

 勘違いが恥ずかしかったのか、はたまた、もしかしたら嬉しかったのか、顔を真っ赤に染めてさくらが言った。

「えぇ、勿論よ」

 それを屋上の仮面銃士が快く受け入れて、二人もそれぞれ固い握手を交わし合った。少し歪な輪だけれども、この友情には決して歪みは生じない。そう願っているし、信じよう。

「そう言えば、自己紹介がまだだったよね!」

 少しして、さくらがふと気が付いた様にそう言った。

「あぁ、そう言えばそうだな」

 屋上の仮面銃士はこちらの事なんて当然知らない訳だし、こちらも、屋上の仮面銃士の事は噂以上の素性については分からない。これでは、友達としては都合が悪い。

「俺は、姉否瀬利留。今日からこの学校に通う新入生だ」

 体を起こし、率先して俺は言った。後半部分の紹介についてはまぁ、まだ嘘ではないので訂正しなくて良いだろう。

「さくらは、桜坂さくらだよー! しぃちゃんとは、まだ、ただの同級生で~、恋人様になるかどうかはこれからって言うか何て言うか~……」

 続けて、さくらが口を開いた。後半になるにつれて小声になっていき指をモジモジさせているのは、内容と併せて期待してしまっても良いのであろうか。

「あら、そうなの? ごめんなさいね。てっきり付き合っているのかと思っていたわ」

「う、うぅん! 良いの、気にしないで!」

 謝る屋上の仮面銃士に対して、さくらは照れ笑いを浮かべながら、大袈裟に両手を振って言う。そこまであからさまに動揺されると、たとえ本当に俺に対して友情以上の感情が無くても、説得力は皆無だろう。

 まぁ、期待し過ぎて後々恥ずかしい思いをするのもイヤだし、横から口出しして話をややこしくするのもイヤなので、今は五分五分だと言う事にしておいて黙っておこう。

「ふ~ん? ……まぁ、良いわ」

 屋上の仮面銃士もさくらの態度を訝しく思いながらもこの話をこれ以上広げる気が無いのか、自己紹介へと話を移した。

「私の名前は『五冬七夏』よ。貴方達もご存じの通り、この学校では『屋上の仮面銃士』としても名前が通っているけどね」

 言いながら、ブレザーのポケットから裸の眼鏡を取り出すと、裾を持ち上げてレンズを軽く雑に拭く。

「一応、貴方達より1つ年上だけど、授業をサボタージュしまくって留年したから、貴方達とは同級生ね。だから、遠慮しないで今まで通りタメ口で良いわよ」

 そして、右側がリムレス、左側が瓶底レンズの変な眼鏡を顔に掛け、自己紹介を締め括る。人のファッションセンスを兎や角言うつもりは無いけれど、ケースにも入れずに階段から転げ落ちたのに、傷の一つも見当たらないのは気になった。

 ……もしかして、あの眼鏡も魔技具だったり?

 そう考えると、あの奇抜なデザインにも、何か深い意味がある様な気がしてきた。

「それにしても、しぃ君には驚かされたわね」

「……え!?」

 不躾にも顔を注視していた事に気が付いて慌ててしまったが、七夏は一切気にした様子も見せずに話を続ける。

「まさか、あんな取って置きを隠し持っていたとはねぇ。何故が急に眠気が吹っ飛んで行ったと思ったら、次の瞬間には私が吹っ飛んでいたんだもの。驚きのあまり、ついつい微睡んでしまったわ」

「あー、スゴかったよねー、アレ! 後ろから見てたから良く分からなかったんだけど、どーやって七夏ちゃんから一瞬にして銃を奪ったの~!?」

 七夏の言葉に、興奮気味にさくらが続く。

「やっぱり、その魔技具の能力だったりするのかしら?」

 床から夢幻を拾い上げ、銃口を自分の額に突き付ける。恐らく、そこが被弾箇所なのだろうけど、撃った張本人である筈の俺には全く身に覚えがない。かと言って、二人が白昼夢を見た訳でも、俺が夢遊病に罹った訳でもあるまいし。

 となると、やはり魔技具の力……か。使い方も能力も未だに分からないから、極限状態に追い詰めらてしまった所持者を、魔技具が自らの意志で救出したというのが、一番納得の行く仮説だろうか。眠っている七夏に返り討ちにされ掛けた事実もあるし、もしかしたら、的を射ているかも知れないな。

「……いや、実は俺にも分からないんだ。この魔技具は今日貰ったばかりな上に、殆ど説明もされなかったしな」

 濃厚な線だとは思うけど、正解だとは限らない。なので、仮説の是非を確認する為にも、俺は正直に事情を話して、魔技具の先輩である七夏から、素直に教えを請う事にした。

「だから、もし良ければ七夏に――」

「……んにゃ」

 質問をしようとしたら、何だか可愛らしい欠伸をされた。

「……ごめん。何か急に眠気がぶり返してきてもう限界。悪いけど、また屋上で一眠りさせてもらうわね」

 七夏は気怠げに立ち上がると、手摺りに掴まりながらフラフラと危なげな足取りで、屋上へと続く階段を登って行った。

「しぃ君の所為で……アイマスクが壊れちゃったけど……これなら、ぐっすり寝れそう……ね」

 あの仮面、アイマスクだったのか。だから、眼の部分に穴が無かったのね。

「大丈夫、七夏ちゃん? 連れてってあげようか?」

「ありがとう……助かる……わ」

 心配そうに寄り添うさくらに、七夏は素直に体を預けた。彼女に対して聞きたい事は山程あるが、流石に、体に負担を掛けさせてまで付き合わせるのは気が引ける。この機を逃せば退学までに魔技具について知るチャンスが無くなってしまうかも知れないが、元々、魔技具に頼るのは諦め掛けてた訳だしな。

 未練が無いと言えば嘘になる。けれども、俺は素直にこの場は引いて、屋上へと消えて行く二人の美少女を見送った。

「……ふぁ」

 寝不足が祟ったのか、勝負が終わって気が抜けたのか、七夏の欠伸が伝染してしまったのか、俺も少し眠くなる。とは言えど、体は痛むし退学の件も未だに片付いてはいないので、暢気に寝ている暇は無い。

「障害物はあと2つ……か」

 階段の途中に横たわる、勝負の爪痕である壊れた扉。俺の前に立ちはだかる未知なる脅威の障害物も、あの様に吹っ飛ばす事が出来るのだろうか。

 さくらが戻るまでの短い間、俺は再び横になる。どんな事態にでもすぐさま対応出来るよう、少しでも傷を癒しておく為に。


 時刻は7時40分。この時の俺には2つ目の障害物との対面がすぐ間近に控えている事など知る由も無かったが、イヤな予感は確かにしていた。

 旧知の獣に噛み殺される。そんな不吉で不気味なイヤな予感が、体中にヒシヒシと――。

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