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(P)退学までのプロローグ

「キミ、今日で退学ね」

 草木も眠る丑三つ時。どこか懐かしい気がする幼い声が、期待と不安によって目が冴えてしまっている俺の鼓膜を震わせた。

「だが、心奥の深奥から安堵し給え。キミに不幸を齎す障害物の手掛かりを、私が授けて進ぜよう!」

 まぁ、どうせ只の空耳だろう。と、至極在り来たりな結論へと思い至らせない程に、聞こえた言葉は長台詞であり鮮明だ。しかしそれとは裏腹に、人の気配は感じなかった。

「……」

 認めたくはないけれど、どうやら今、この部屋の中には俺の他にも誰かいる。それも、十中八九、オカルティックな存在が。

 別に霊的な物が怖かったりはしないけど、この様な場合の対処法が分からないので、取り敢えずは寝た振りをしてやり過ごす。

「キミが注意するべき障害物は『屋上の仮面銃士』と『ケモノノホウコウ』と『怪盗ブラパン』の全部で三つ。これらの内、どれか一つでも接触を避けたり乗り越える事が敵うなら、キミは無事に不幸を取り除く事が出来るのだ!」

 幼い声には不釣り合いな言葉遣いで紡がれているその内容は、呪詛の類いなどではなくて、偉そうな口調が気になるものの、俺に対する助言の様だ。なので、恐らく敵意は皆無だろう。

 只の推論でしかないけれど、取り敢えず俺は安堵した。しかし、声の主の正体や目的。そして、一気に捲くし立てられた話の内容。未だに明かされていない謎に対する不安や恐怖は、小さいながらも今なお心の中に有る。

「さて。それじゃあ、質問をどうぞ。……狸寝入りでも、可愛い寝顔の姉否瀬利留しいなせりる君?」

 声の主は、俺の心情を見透かしたかの様なタイミングで、こちらの求める行為を促してきた。

「え……?」

 その途端、先程まで感じていた不安や恐怖は、不思議とどこかへ消え去った。そして新たに湧き出したのは、何とも心地が良くなる既知感だ。

 何故、だろう。自分の心の働きであるにも関わらず、その感情の変移について、皆目見当が付かないでいた。

 ただ一つ言える事は、負の感情を押し退け芽生えたその既知感は、俺の心を突き動かすには十分な力を持っていたと言う事だ。

「キミは、一体……?」

 気が付くと俺は上体を起こしながら言葉を発し、両目を開けて彼女を見ていた。相も変わらず気配は無いが、その姿は存在感に満ちていた。

 幼いながらも整っている顔立ちに、烏の濡羽色のショートボブ。そして、ミニスカサンタの衣装に黒衣のマント。それだけでも十二分に目立つのに、彼女は暗闇の中に在っても輪郭の細部に至る所までもがハッキリ見えて、更には膝を抱えて浮いている。

「……」

 目の前に広がっている、日常を打ち壊す非日常的な光景に、俺は暫くの間、目を奪われていた。

 先程まで彼女の事を幽霊か何かだと思って接触を避けていたにも関わらず、驚きで童心に返ったのか、今はどうにも心を奪われる。

 夢見心地、と言うやつだろうか。意識は確かに現実世界に在る筈なのに、幻想の世界に迷い込んでしまった気分になった。子供の頃に夢で良く見た、ファンタジー特有の不思議な光景。多少の齟齬こそ有るものの、夢中になるなと言うのは酷な話だ。

「――あぁ、自己紹介がまだだったね」

 夢ならいつかは醒めてしまうが、眼前の少女は本物だ。たとえ我に返った所で、それが消えてしまう事はなかった。

「私の名前は怨鳥呪理(おんどりじゅり。そして、もう一つの名を『魔技具まぎぐプリンセス』と言う。まぁ、気軽に呪理と呼んでくれ給え」

 胸を張り、ドヤ顔になって呪理が言う。

「魔技具……?」

 聞き覚えのない単語に首を傾げる。名称からして何となくは想像出来るが、具体的には一体どの様な物なのだろうか。

「早い話が、魔法の道具だよ。私の作った魔技具を使えば、魔力を持たない凡庸である人の子だろうと、魔法の力を行使出来ると言う訳だ」

 やっぱり。そこまでは俺の想像通りだ。

 普段ならばそんな事を言われても一笑に付して終わりだが、彼女の存在そのものが、俺にそれを許さなかった。

「じゃあ、さ」

 俺は布団から出てベッドの縁に腰を掛けると、続けて質問を投げ掛けた。

「いつの間にか音も無く室内に現れたり、更には宙に浮かんでいるのも、その魔技具の力の成せる業?」

 話の流れからして、それは間違いないだろう。けれども、魔技具に対する興味から、質問せずにはいられなかった。

「あぁ、そうだ。この『闇鴉の羽』は『闇との同化』と『浮遊』の力を持っている。それらの魔法をちょちょいと使えば、暗所への不法侵入や空中浮遊も訳ないね」

 言いながら呪理は、音も立てずに着地した。

「私は職業柄、闇闇裏に仕事を熟す事が多いから、この子は迚も重宝しているんだ」

 そして、その場で半回転して背中を向ける。その動作で翻る黒衣のマントが、話を聞く前とは打って変わって、神秘的な道具に見えた。実際そうなんだろうけど、つい先程までは只のファッションアイテムにしか見えなかったのに。いやはや、俺の思考はすっかり彼女に感化されてしまった様だ。

「……さて。そろそろ、キミの退学について話を戻そう」

 飛んでいるのが好きなのか、呪理は再び宙に浮く。そして、こちらへと向き直って一息吐くと、本筋からズレた話題の軌道修正を行った。

「あぁ……」

 正直、今の今まで忘れてた。脇道に逸れた話の方が興味深くて、すっかり頭の中から消えていた。と言うか、その件については、そもそも、端から真剣に話を聞いてはいなかった。

「先ず断っておこう」

 若干の罪悪感に苦笑が漏れるが、気付いてないのか気にしてないのか、呪理は変わらぬ様子で言葉を紡ぐ。

「悪いけど、私が直接キミの手助けをしたり、過度な助言を与えるつもりは無いからね。私の一存で、故意に未来を変える訳にはいかないからな」

 その理由には、納得が行った。漫画とかでも割かし良くある設定だ。

「分かった」

 俺が頷くと呪理は満足気に頷き返し、話の続きを口にする。

「本当は、この程度の特別扱いでも、極力するべきではないんだけれどね。でも、魔技具の未来予知によってキミの退学を知ってしまった私の娘が、迚も落胆してしまってね。だからこうして、愛娘の為に一肌脱いで、態々出向いて来たって訳だ。直接未来に干渉しない程度の最低限の助力でも、何も無いよりかは、遙かにマシではあるからね」

 それが、最初に言っていた、三つの障害物に関する手掛かりか。最低限過ぎて意味は全く分からないけど、泣き言を言わずに何とかするしかないだろう。

「こんな時間になってしまったのは、申し訳ない。私は夜行性で朝には滅法弱いんだ」

「まぁ、それは良いんだけどさ」

 呪理は礼儀正しく頭を下げて謝ったけど、どうせ俺も寝付けずにいたので、その事については最初から気にはしていなかった。が、今はそれとは別の事が気になっている。

「呪理って、娘がいたんだな。それも、俺と同じ高校生……で、良いんだよな?」

 驚きの連続で満たされていた俺の心が、今日一番の衝撃でついに現実を受け入れる為のキャパシティーを越えたのか、感覚が麻痺して、逆に沈着な思考で会話を続ける事が可能となった。それはもう、女性に対して年齢の話題を避けるくらいに冷静だ。

「……あぁ。そう言えば、私からキミへ、特別に贈呈しようと思っていた物があったんだ」

 露骨な話題の変更に、口が滑って動揺している事実が見て取れる。つまり、娘については触れて欲しくないと言う訳だ。

 気にならないと言えば、嘘になる。しかし、好奇心で人の秘密を暴き立てる様な、ゲスい真似はしたくない。その上、呪理に対してそれをすれば、恩を仇で返す結果となってしまうので、絶対にしてはいけない事だ。

「へぇ、何かな?」

 だから俺は、話を合わせた。まだほんの一部分なのかも知れないけれど、呪理の正体や目的について、必要最低限は理解したので、今はこれで満足しよう。

「曖昧な助言だけでは、心許無いだろうからな。もう一つ、魔技具プリンセスに相応しい方法で、キミに力を貸してあげよう」

 呪理はサンタ帽を手に取ると、帽子の中に深々と腕を突っ込んだ。それはもう、肩の付け根の辺りまで容赦無く。

 見た目年齢が十歳くらいの女性の細腕とは言え、それでも指先から肩までの長さはそれなりにある。それを全て難なく飲み込んでいると言う事は、あのサンタ帽も魔技具の一つで、異空間にでも繋がっているに違いない。

「さぁ、有り難く受け取り給え」

 呪理は引き抜いた手の中に持っていた飾り気の無い紙袋を、こちらに向かって差し出してきた。その際に『この子』と言っていたので、中身はきっと魔技具だろう。俺は期待に胸を躍らせながら、紙袋を両手で包んで受け取る。

「あれ?」

 呪理の手から離れた途端に『闇鴉の羽』の魔法が解けたのか、手の中の紙袋は闇に紛れて見えなくなった。

 そうか。呪理の所為で忘れていたけど、今はまだまだ真夜中だ。照明も点いておらず、カーテンによって月明かりが遮断されている室内では、自分の手元でさえも見えない程に真っ暗なのは当然だ。

 俺は明かりを点ける為に、枕元に置いてある蛍光灯のリモコンに向かって手を伸ばす。

「駄目だ」

 が、何故か呪理はそれを阻んだ。

「え、どうして?」

 特に、開封を拒まれる理由は思い付かなかった。屋外で受け取った訳でもないし、俺に渡した時の態度からして、自分がいる所で見られるのが恥ずかしい訳でもなかろうし。

「そんなの、当たり前だろう?」

 分かり切った事を質問しないでくれ給え。と、心中ではそう思っているのか、呪理は大仰に肩を竦めて答えを返す。

「サンタからのプレゼントは、朝起きた時のお楽しみだと、相場は決まっているではないか」

 再び、呪理はドヤ顔になる。

「……」

 格好だけの似非サンタにそう言われても、俺は釈然としなかった。しかし、反抗して紙袋を取り上げられては元も子もないので、ここは素直に従っておく。

「分かったよ」

 俺の聞き分けの良さに満足したのか、俺が大人しく紙袋を枕元に置くのを見届けながら、呪理は笑顔で小さく二回頷いた。

「さて」

 そして、胸の前で両手を叩くと、俺にとっては、まるで夢の中の出来事であるかの様な、真夜中の会話を締め括る。

「私からの話は以上だ。それじゃあそろそろ、良い子はおねんねの時間だよ」

 唐突に、激しい睡魔に襲われる。これも、魔技具の力なのだろうか。迚もじゃないが、一瞬の抗いでさえも適わない。

「じゅ……り……」

 俺はすぐさま、深い眠りへ落ちていく。

「では、良い夢を」

 満足に挨拶も返せないまま、一方的に別れの時を告げられる。

「――頑張ってね、瀬利留君」

 朧げに聞こえた、優しさに溢れた呪理の声。それを最後の記憶とし、俺の意識は完全に、夢の世界へ旅に出る。


 入学式当日の、草木も眠る丑三つ時。期待と不安によって寝付けなくなる程に楽しみにしていた夢の高校生活は、初登校の前から既に、波乱の幕開けとなっていた――。

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