親孝抗【第二話】―元凶―
あの日、あの最悪な、すべての元凶たる過ちを犯したあの日。あの出来事。それが起こる数分前。
「兄さんが家に居るなんて珍しいね、どうしたの?」
そう聞くと兄さんは怠そうに腰を上げ、僕の顔を見上げてこう言った。
「なぁ、お前俺と一緒にここを出ていく気、無いか?」
「え?」
兄さんが何を言っているのか理解できず、聞き返してしまった。
「だから家を出ていくんだよ、つまりあのクソ親から離れようって事だ」
「...っ!クソ親って、兄さんいったいどうしたんだい?それに出ていくって…」
「はぁ…どうもしてねぇよ。4年前からずっと考えてた事だが、そんなあてもないし実行する勇気もなかった。でもようやくそのあてができたんだ。」
「4年前...?あてって一体…」
「ここからバスで2時間程行ったところで農家をやってる爺さんだ。仕事も帰る家もないって言ったら仕事の手伝いと家事を全てこなす事を条件に住まわせてもらえる事になった。」
「そんな見ず知らずの他人を迎え入れてくれるような人が...」
「勿論最初はかなり不審がってたよ。これは一年半かけて得た信頼の成果だ。」
あぁ、ようやく状況が飲み込めてきた。どうやら兄さんはこの数年情報収集や必要なスキルの習得、ターゲットの信頼を得るためのボランティア活動何かを必死になってやっていたらしい。それもこの家を出ていく為だけに。
「兄さんの言いたい事はだいたいわかったよ。でも大学合格して人生これからって時にこの家を出ていく気はない。そもそも母さん達の何が気に入らなかったんだい?こんなに良い親はそうそう居な、」
「黙れ!」
僕の言葉をかき消すように兄さんは叫んだ。
「お前に何がわかるんだよ!言われるがままに大学行って、それで満足か?親孝行した気にでもなってんのか!」
「...っ、ちょっと落ち着いてよ。それに僕は言われたからここを選んだわけじゃ、」
「まだそんなこと言ってんのか!いい加減気付けよ!お前は…っ!」
何故だろう。この先を聞いてはならない、言わせてはならない気がした。
「う゛わ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁ!」
自分でも聞いたことのない声、いや声なのかも分からない雄叫びとともに、僕は兄に馬乗りになった。
「ちょっ、うぁっ、おい!」
兄さんが僕を振り払う。正直まともにやりあっても勝てる気がしない。それ程の体格差があった。
兄さんが立ち上がり何か喋ろうとしている。
「お前!それこそあいつらのおも、」
「黙れえぇぇぇ!」
昔から自分のことは馬鹿にされても平気だが、親の事になるとすぐにカッとなってしまうたちではあった。だが勿論手をあげたことは無い。
でも今は違う。今までのものとは何かが違う。両親が馬鹿にされたから、それだけの理由ではない、そんな感じがした。
両手ににぎられたカッターナイフ。ベタつく柄。何とも言えない不愉快な臭い。このヒューヒューという音はなんだろうか。
そして足元に転がっているのは人間、いや、僕の兄だ。
「え、兄さん?血?なんで、カッター...?僕が?僕がやったのか?」
首から血を流し、時折痙攣しているような。
気が動転する。目の前がグルグル回る。気持ち悪い、気持ち悪い。
「僕じゃないっ!悪いのは!ぼくじゃ...っなんで...だってコイツが...っ!」
そこから数時間分の記憶がない。恐らく気を失っていたのだろう。
目が覚めると、兄は完全に動かなくなっていた。僕は全身血だらけで、あの臭いはますます酷くなっていた。それなのに、僕は酷く落ち着いていた。
「片付けなきゃ」
僕は兄をゴミ袋に詰め、熱いシャワーを浴びた。
1月21日(曇り)