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五話

維摩からの提案は、何か賭け事をして決着をつけるというものだった。

そして、維摩が勝てば私は奴のために二千日間タダ働きをする。私が勝てば維摩のいま現在持っている財産を私が手に入れるというものだった。私が勝って全財産手にしようと神通力まで持つ奴はまた財を築き上げることだろう。私もしばらく拘束されるがその後また勝手気ままに生きていける。

命のやり取りはない。本当にだだ決着をつけるというためだけの争いだ。

もちろん受ける必要などないのだが、このまま退散してしまったのでは負けた気分になるから嫌だ。提案には乗ってやってもいい。しかし、あからさまに不利な賭けに乗る気はない。


「なにに賭けるのかしら?」


そう問うと、


「陽神の術というものを知っているかな? それをそなたが身につけることができるかどうかを賭けにしようではないか!」


『陽神の術』とは、気の力で己の分身を作り出す術のことである。幽体離脱の一種ともされているが、単なる幽体ではなく、壁などを通り抜けることのできる存在でありながら物体に干渉することができ、ものを持ったり現実非現実問わず誰かと話をしたりすることのできると云われるもう一人の自分を生み出す法術である。


「陽神となれば仏や菩薩の住む仏国土に至ることができるといわれているのを知っているかな?」


私は頷いた。陽神の術はある種の悟りの境地の一つとされ、その能力を身につけると生きたまま仏国土に行くことができると伝わっているからだ。


「聖なる川を下った大海のさらに向こうに『彼岸』があるといわれている。」


「その通りだ」


彼岸に仏国土や極楽浄土と呼ばれている場所がある。それは人々に信じられている常識だ。

もっとも実際にそれを見てきたという者に会ったことはないのだが。

そこで維摩の言う賭けとは、私が陽神の術を身につけ仏国土を覗き見して帰ってくることができれば私の勝ち。陽神の術が身につけられなければ奴の勝ち。仏国土が見つからず単に術を身につけただけなら引き分けというものだ。


私は少し心を鎮めて考えてみる。

陽神の術を身につける自信は正直ある。変幻自在の法をも身につけることのできた私ならば可能であるという理屈にならない直感が私にそのことを教えてくれる。

だが、大海の向こうに陽神の姿で渡ったからといって仏国土があるとは限らない。仏国土があるというのはあくまで言い伝えに過ぎないからだ。


うーん。と唸ってしまった。

維摩に一矢報いたいという気持ちは今でも強い。最低でも引き分けは堅い。

しかし、仏国土にたどり着くということは、仏や菩薩がそこにいることになる。私は以前にシャカという名のおそらくは仏陀となるであろう修行者と会った時のことを思い出した。そしてあの時のどうにもいたたまれない気持ちと死の恐怖を思い出す。仏国土へ行くということは、あのシャカのような者たちに出会うということだ。そのことが少し怖かった。

だが、別に仏を殺しに行くわけでもないし、仏国土で盗みを働く気もない。覗き見るだけだ。もしも危険を感じたら逃げてくれば良いと自分を納得させた。

あとは、陽神の術を身につけるに必要な時間だ。賭けの期間はいつ迄にするのかだ。


「三年以内というのはどうかな?」


維摩は言ってきた。

私ならば一年もあれば、術を完成させる自信がある。陽神となって二年間、大海を渡り仏国土を探す時間がある。悪くはないだろう。


「いいでしょう。その勝負受けて立ちましょう」


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