契約
「あざ~っした~」
コンビニで酒とつまみと、小さなケーキを買ってきた俺は、夜道をひとり歩いていた。
今思えば、あのチャラくてやる気無さげなコンビニ店員の俺を見る目が、どこか人を見下すような色をしていた気がして、不愉快な気分になりかけたが、今日は出来るだけ穏やかな気持ちで過ごしたいので何も考えないようにしようと努めていた。
そういう切実な思いを胸に、ビニール袋をジャラジャラと鳴らしながら無心で何度も飽きるほど往復してきた道を数分歩いて行くと、赤錆にまみれたボロアパートへと到着した。
カンカンと音を立てて階段を昇っていくと、まるで処刑台に上がる死刑囚のような心地にもなったが、頭を振って雑念を吹き飛ばし、鍵もかけていない俺の部屋のドアを開け、中へと入ると、四畳半の中心にあるちゃぶ台に買ってきた荷物を置き、俺も座布団の上に腰を下ろす。
ビニール袋をひっくり返して、ちゃぶ台にポテチと、イカの燻製と、パックのローストビーフを開けて広げ、中心には小さなケーキ……なんて名前だったか思い出せないが、緑色したモンブランの上にクリームが絞ってあるやつだ――それを据えて、缶ビールを取る。今日は特別な日だから、発泡酒じゃない、本物のビールだ。
ぷっしゅぅ~
壁の時計を見ると、23時50分だった。乾杯には少し早いが、気にせず一口呑んでポテチをつまむ。西側の壁に備え付けられたラックを見ると、飾ってある多数の美少女フィギュア達が俺を見つめ返してきてくれて、俺の孤独な心を少しばかりか癒してくれるのだった。
沈黙と咀嚼音が部屋を支配し、それでも急に寂しさがこみあげてきたので、テレビをつけようかと思ったが、今日この時間には、特に面白いアニメはやっていない。
そうだ、音楽をかけよう。ミニコンポのリモコンを取って、ボタンを押すと、最近知って妙に胸に刺さるものがあり、ヘビロテしている曲が流れ始めた。
(どんな気分だい?)
そのフレーズが繰り返される度に、俺の気分は深く沈んでゆく。――学歴無し、職歴無し、友達無し、異性と付き合った経験も無し……無い無い尽くしの人生だな……はは……何してきたんだろう、俺。
(まるで石ころのようだ)
――そうさ、俺は石ころさ。路傍に転がっている、何の価値もない、誰の目に映ることもない、ただの石ころだ。最近は、それでいいとさえ思えるようになってきた。不意に、涙が込み上げて、視界が歪んできた。
曲が終わり、涙が頬を伝い、滴が缶ビールを握る手の甲に落ちた。
時計の針が重なり、午前0時ジャストを示し、ついにその日が訪れた。
泣くまいと決めていたのに、俺は涙していた。誰にも誕生日を祝ってもらえなくなってから、何年経っただろうか。まあ、いいんだ。きっと俺のような奴は、今の世の中にはいくらでもいるはずだ。上を見て、変な願望や嫉妬を抱くほうが疲れるってもんだ。どれ、ケーキでも食べてみるか。
プラスチックのフォークを掴んでケーキに刺したその瞬間、背後でゴトリと音がした。振り返って見てみると、ラックの下に、90年代の傑作ファンタジーアニメ『アルケイディア戦記』に登場する、メインヒロインのエルフ、1/8スケール"シェリナス"たんのフィギュアが落ちている。
?
酔ってるのだろうか、俺は。シェリナスたんのフィギュアが、ぼんやりと青白く光りながら、ガタガタ動いてるように見える。やがてフィギュアはぎこちなくゆっくりと立ち上がり、こちらを見上げて、手を広げた。
「30歳のお誕生日、おめでとうございます!」
(ヒエッ……)
内心ぎょっとしたが、これがいわゆる心霊現象ってやつか、それとも幻覚か? いや、幻覚を見るほど酔ってはいないから、もしかしたら病気なのかもしれないな。こんな生活をしていたら、心を病んでいたとしても不思議はないから……
「あの……聞こえてます?」
「聞こえないよ」
「聞こえてるじゃないですか!」
シェリナスたんのフィギュアは光り輝きながらスケートの選手がするようなスピンをし、一回転する度に段々とその姿を変え、金だった髪はピンク色になり、背中からは虫の羽が生え、心なしか乳も少しでかくなっているように見えた。
「ふう……あんまり驚いてはくれないのですね」
「……俺は大人だからな。お前、幽霊か? それとも幻覚か?」
「私の名はモモエル。妖精の国から参りました」
なるほどモモエルの姿は言われてみれば確かに妖精のようである。幽霊にしろ幻覚にしろ、どちらでもいい。見てくれは可愛いし、面白いからもう少し付き合ってみよう。
「それで、俺に何か用かい」
「はい、さきほど、晴れてあなたは童貞のまま30歳を迎えるに至りましたね」
「……そういうのは、事実であっても、失礼というんだよ」
モモエルは軽々と宙を舞い、ちゃぶ台の中心に着地すると、俺の食べかけのケーキを勝手に手掴みで食べだした。
「もぐもぐ……つきましては、あなたは魔法使いになる資格を満たしたことになり、もぐ……こうして私が、妖精の国から派遣されたのです」
「は? 魔法使い?」
「はい。魔法使いになるための契約の、ご相談に参ったのです」
俺は本当に気でも狂ってしまったのだろうか。なんともいたたまれない気持ちになり、缶ビールの残りを一息に飲み干して、冷たいローストビーフを一気に口に詰めて、ろくに噛みもせずに飲み込んだ。
「魔法使いになってはいただけませんか?」
「ゲフッ、その、魔法使いになることで、俺に何かいいことはあるのかい」
「契約していただければ、変身して魔法が使えるようになります。その力で、悪と戦っていただきます」
無茶苦茶だ。俺は少女じゃない。中年男性だ。しかもこれは現実だ。アニメじゃない。ホントのことさ。そんな事を思いながらも、俺は目の前の動くフィギュアが語る言葉に、好奇心を刺激されずにはいられないのだった。
「……どんな魔法が使えるようになるんだ?」
「えーと、それは、なってみないとわかりません。個人個人の資質というものがありまして、使える魔法と、そうでないものが分かれてくるのです。いずれにせよ修行は必要となりますが」
「だったらお断りだね。透明人間になれるとか、なんでも金に変えてしまえるとかなら考えてもいいが」
「金を錬成する、というのは相当に難しい事ですが、透明になるのは中級の魔法ですので、努力次第では、いずれ可能になるかと思われます。空を飛んだりなども出来ますよ」
な、なんだと……それならどこにでも忍び込んで、女風呂に入ったり、金を盗んだり、やりたい放題じゃないか!
「そ、そうか……それで、契約というのは、ど、どうするんだ」
「それは私にお任せいただければ……よろしいんですね?」
ここしばらく酒を飲んでいなかったのと、先ほどの一気飲みがきいて、既に俺は酔っていた。夢か幻覚か幽霊か、なんだっていい、この腐った人生に何か変化が訪れるというのなら、どうにでもなれだ。
「ああ、やってくれ!」
「では……」
モモエルはふわりと宙に浮き、何か呪文のような言葉を呟きながら、俺の頭の周りを飛び回り出した。モモエルの羽から青白く輝く光の粒が落ちて、周囲をきらきらと照らし出す。すると突然、俺の体も同様に青白く光りだした。
「わ、わ、なんだこれは」
モモエルはそのまま、ちゃぶ台の空いた缶ビールの方へ飛び、また同じようにキラキラしながら回っている。すると、中心の缶ビールがベコベコと音を立ててへこみだし、細長い棒のような形になった。と思うと、その細くなった尖った上部にモモエルがイカの燻製を持ってきて突き刺して、またキラキラとやりだすと、イカは星の形へと姿を変えた。
「えい!」
モモエルが声をあげてビール缶とイカの燻製の奇妙なオブジェに手をかざすと、オブジェが強い光を放ち、次の瞬間、先端に大きな星形の宝石がついた、ピンク色の柄をしたステッキに変化していた。
「これが、あなた専用の魔法のステッキとなります。どうぞお取りください」
俺はモモエルに言われるがままステッキを手に取った。
「これで契約は完了となります。私は引き続き、あなたのコンパニオンフェアリーとして、魔法使いのご活動をサポートさせていただくよう、妖精王より仰せつかっております。……今後ともよろしく!」
――俺の名は愛 飢男。これは、俺が魔法中年となり、魔法少女と共にこの世の悪と戦う物語である。